断章 夜明け前の約束

「記憶が欠損するほど復元繰り返してるって言ってたけどさ。怖くねーの?」


 話が大いに弾んだ後、思い出したようにぽつりとこぼしたフォルテに、アダムは首を傾げた。


「怖い?」

「だってさ、確かに記憶は引き継がれるのかもしれないけどはそれで終わりだろ。それってその……死、みたいなもんじゃないのか」

「うーん。フォクス君、眠ったことはある?」

「そりゃあるけど」

「睡眠に落ちる時、意識がなくなるだろ? 目覚めた朝のキミは眠る前の夜のキミと断絶してると言えると思わないかい?」

「……でも、それは昨日の続きの今日が始まるだけだろ」

「そう。でもそれは朝のキミの視点にすぎない。夜のキミが夜毎よごと廃棄孔に落ちていない保証にはならないのさ」

「暴論だ」

「そうとも。朝起きるたびに、いちいちそんなコト気にしていられないだろ? だから僕にとってはその程度の問題なんだ」


 * * * 


「――フォルテ!」


 試験飛行の実施手順を仮想バーチャルコンソールで手繰っていたフォルテは、自分を呼ぶ野太い声に誘われて顔を上げた。口と顎の周りにみっしりと髭を生やした大男が、巨腹を揺らしてのしのしと近づいてくる。


「クロエのおっさんか。どうしたよ?」


 15歳という年齢にしては小ぢんまりとした矮躯の少年の前に男が立つと、まるでクマウサギが見つめ合っているような形になった。


「ちとお前さんに話があってな。どうだ、一緒にメシでもよ」


 フォルテは仮想バーチャルコンソールの時刻表示にちらりと目を走らせた。試験飛行は午後からだし、実施手順はもう頭に入っている。あと10分で休憩時間だった。手順のウィンドウをタスクバーに格納して、仮想バーチャルコンソールを閉じる。拡張視界オーグメント用のARゴーグルを外して、指の先でくるりと回した。


「いーよ。俺と一緒だとまた食堂のマズメシだけど、おっさんがそれでよけりゃーな」


 諦観強めの遠い目で言うフォルテに、クロエはにやりと笑って手にした金属製のキャリーボックスを掲げて見せる。


「そう言うと思ってなァ。弁当買ってきたのよ」


 ふわ、と揚げ物の匂いが漂って、フォルテは思わず鼻をひくつかせた。クロエはにっと笑みを深くして、少年の頭にぽんと手を置く。


「どこぞ、ゆっくり話しながら食える場所に案内してくれんかね」

「つってもなー。ここはただの試験飛行エリアだから、眺めのいい場所とか落ち着ける場所だとかは特にねーんだけど」


 太いソーセージの連なるような指を頭の上から押しやって、少年は歩き出した。

 調子っぱずれの鼻歌混じりにのしのしと後をついてくるこの巨漢は、ここ数週間佳境に入っている第二世代型宙域戦闘機スター・チルドレンの初期開発機試験のために防衛軍からやってきたクロエという名の男である。

 なんでもすごい戦績のエースパイロットだとかなのだが、こうして試験飛行場を適当にうろついている姿からはあまり想像が及ばない。戦闘機動は確かに凄まじかったが、フォルテにとってはいつもスター・チルドレンのコックピットの狭さにぶつぶつ言っている印象が強い男だった。


「ここならあんまり人が来ないぜ。ゆっくりは出来ると思う」

「おお……狭いな?」

「おっさんがデケーんだよ」


 資材置き場の死角のお気に入りスポットに辿り着き、フォルテは椅子代わり空の弾薬箱をクロエに勧める。クロエがみっちりとした尻を乗せると頑丈な金属製の箱が小さな軋みを上げ、フォルテは少し顔をしかめた。


「で、話って?」


 クロエの携えたキャリーボックスの中身が気になりながらも、がっついていると思われたくなくてあえてそれから目を逸らしながらフォルテは問う。


「ああ……うん、そうさな。まァ、まずはメシにしようや」


 クロエはごそごそとキャリーボックスの中をあさると、フォルテの顔ほどもありそうな巨大なサンドイッチを取り出した。馬鹿でかい肉のフライが挟まっているそれを受け取って、フォルテはどこからかじったものかと思案する。ちらりとクロエを盗み見るが、巨大な男が手にしたサンドイッチは彼のサイズにはぴったりで、巨大な口がそれに噛り付くさまはあまり参考にはならなかった。

 とりあえずパンの端から飛び出したフライをかじる。じゅわ、と濃厚な肉汁が口内に弾けた。旨味が暴力的に脳を殴り付け、夢中でかじりつく。


「うまいだろ? 俺のお気に入りでなァ」


 優しい眼差しでそれを眺めながら言うクロエに、口いっぱいにサンドイッチを頬張ったフォルテはこくこくと頷いた。普段食べているものと言ったら砂と粘土を足して二で割って塩を混ぜたようなクソったれのミールペーストと、革靴を煮込んだように硬い肉の入ったスープに歯が折れそうな堅パンといった具合なのだ。それでも一応腹は満たされるし、腐って当たらないだけマシな食事ではあった。

 差し出された瓶入りの飲料を喉を鳴らして飲む。爽やかな甘みが、口と喉の奥でぱちぱちと弾けながら胃袋に落ちていく。目の前の髭をマヨネーズで白く染めながらもぐもぐと巨大なサンドイッチを咀嚼する男は、こういうものをいつでも好きに買えるのだと思うと少し羨ましい気持ちになった。だからクロエがサンドイッチの欠片をごくんと飲み込んでから、改まったように居住まいを正して発した言葉が一瞬理解できなかった。


「なぁフォルテ、お前さんここを辞めてウチに来る気はないかね」


 口いっぱいにサンドイッチを頬張ったまま、フォルテはきょとんとした表情でクロエを見た。かじりかけのサンドイッチから、ピクルスの欠片がぽとりと一つ落ちる。ゆっくりとパンと肉と野菜を咀嚼しているうちに、糖分をふんだんに摂取した脳は引き抜きかな?という答えを弾き出した。


「防衛軍に俺みたいなクソガキの席があんの?」

「お前さん、普段は子供扱いすんなって言うのにどうしたよ。いやまァ、違う。そうじゃなくてだな……俺の養子にならんかって話だ」

「は?」


 今度こそフォルテは固まった。クロエは珍しく自信のなさそうな表情でぽりぽりと頬を掻きながらも、答えを急かさずに少年が応じるのをじっと待つ。


「――何で?」


 たっぷり栄養を与えた上でフル回転させた脳味噌は答えを見つけられなくて、フォルテは訝しげに眉を寄せた。クロエはキャリーボックスの中からつまみだした黄金色に揚がったイモの欠片を口に放り込んで、もごもごと返す。


「お前さんみたいな子供がこんなことさせられてるのはなァ……どう考えてもおかしいと思うんだよ」

「慈善事業のつもりか? 同情なら他のやつにくれてやれよ。俺以外にも子供はいるだろ」


 気遣わしげな眼差しに胸中の柔らかい部分をひっかかれて、フォルテの言葉にトゲが生えた。言いながら、自分を連れて行く企業の人間から握らされた小金を嬉々として数えていた枯れ枝のような母親の姿を唐突に思い出す。企業に来た後も雀の涙のような給金を母親に送っていたが、数週間後には死んだので打ち切ったと伝えられた。

 仕送りは母を想っての事ではなかった。それはただ自分だけが毎日腹を満たして、生理サイクルを狂わせずに眠れる寝床で眠っていることに対する罪悪感の清算みたいなものだったのだと思う。だがどうしようもなかった親の、その最後は自分が支えていたのだという矜持プライドは、自分の奥底にタールのようにこびりついていたらしかった。それが思いの外強かったことにこんなタイミングで気付かされて、暗澹たる気持ちになる。


 怒り混じりに表情を曇らせた自分フォルテを見て、クロエはしょぼくれたように俯いた。

 クロエの事は嫌いではなかった。いや、正直に言えば好きにカテゴライズしてもいい。そんな相手からの好意的な申し出を、咄嗟にとはいえ刺々しく蹴ってしまった事にまた胸の奥がちくりと痛む。

 クロエはしょぼくれながらも、何か言葉を探しているようだった。みっしりと生えた髭を分厚い手でわしわしと撫でて、顔を上げる。


「俺ァ聖人でもなんでもねェ、ただのしみったれた軍人だ。子供がこんなことさせられてて気の毒だと思ってもなァ、みぃんな救ってやれるなんてこた口が裂けても言えん」


 クロエは言葉を切ると、大きな顔の中の小さな目で、じっとフォルテを見つめた。


「まァ、だからこれは俺のエゴで我儘よな。俺は単にお前さんが気に入っちまったんだよ。身寄りがないなら家族に迎えてェくらいにな」


 今度はフォルテが俯く番だった。心の表面のささくれた破片を、男の真摯で実直な台詞がゆっくりと剥がし取っていく。ささくれは防御反応みたいなもので、案外あっさりとなくなった。嫌悪感と怒りが削げ落ちると、ただ困惑だけが残った。

 とりあえず目の前にあるサンドイッチをかじる。ゆっくりと食事とともにクロエの提案を噛み砕いて、飲み込んだ。サンドイッチが半分くらいの大きさまで減ったころ、ぽつりと呟く。


「何すんの、家族って」

「なァんも」


 クロエは肩を竦めて瓶入りの飲料を飲み干した。ぷはっと息を吐いて髭を拭う。

 

「しなきゃならん事なんぞなァんもない。たァっぷり寝坊して好きなもん食って遊んで、あとは勉強したきゃすればいい」

「仕事は」


 クロエは深い溜息を吐き出した。


「いいか、しみったれたおっさんにもお前さんを養えるくらいの稼ぎはある。そりゃァ一生は食わせてやれんからいずれは働いて貰うだろうがよ……。お前さんはもう十分子供時代を労働ですり潰したろうに。向こう10年はのんびりしてたって俺ァ何も言わねぇよ」


 フォルテはじっと手元のサンドイッチに目を落とした。大人なんてのは彼から奪うだけの存在だった。母が与えてくれたのはこの体と命だけだし、他の誰もその人生に責任を持とうとした事はない。嬉しいのに、それよりも恐怖が勝った。

 このサンドイッチを食べた今日を越えた、明日からの食事は酷く味気無くて辛いものになるだろう。ツキには必ず揺り返しが来る。この恐ろしいほどの幸運には、一体どのような破滅が待っているのだろうか。


「ありがとう」


 強張る顔で精一杯笑って、フォルテは言った。言葉と裏腹の感情が漏れ出ている表情に、クロエは察したように太い眉を下げる。


「おっさんの事は俺、けっこー好きだよ。……でも、少し考えさせてくれ」


 優しい表情で、クロエは頷いた。


「お前さんの気持ちがいっちばん大事だからな。ゆっくり考えてみてくれや。——待ってるからよ」


 * * * 


 ――ツキには必ず揺り返しが来る。


(ほらな)


 けたたましいアラート音が鳴り響く。灼熱の温度が喉を焼いた。呼吸が出来ない。機体が軋んで、ばぎんと何かが破損する音が響いた。


(終わんのか、こんなところで)


 視界がちらつく。黄ばんだ歯の瘦せこけた母が、ニタニタと笑いながらフォルテを手招いた。ぼろ、と目の端から涙が零れ落ちる。


(——嫌だ)


 たァっぷり寝坊して好きなもん食って遊んで。クロエの言葉が脳裏をかすめた。俺は単にお前さんが気に入っちまったんだよ。そのデカい体で母の幻影を隠して、男が笑う。

 違う。揺り返しなんかじゃない。これは善意を足蹴にした自分への罰だ。ぼろ、ぼろと涙は留まることを知らないように次々と溢れ出た。縋るように手を伸ばしたスイッチが弾けて、飛び散った破片がパイロットスーツを突き破り柔らかな肉を噛みちぎる。焼けた喉の奥から潰れた音が漏れた。


(考えさせてくれなんて言うんじゃなかった。嫌だ。嫌だ。死にたくない。嫌だ。待ってくれ。まだ、まだなんだ。おれは、やだ、死にたくない、嫌だ。死にたくない、死にたくな――)


 * * * 


 人の形をかろうじて保った黒いものが、担架に乗せて運ばれていく。


「おい! 頼む、付き添わせてくれや!」


 担架に向けて男が必死に手を伸ばす。その巨躯を抑え込んだ義体の男が、冷ややかな目つきで冷たく言い放った。


「本日の検証は以上です。ご協力ありがとうございました。お引き取りください」

「検証だとか、そんな話はしとらんだろうがよ! 俺はあいつの――」

「彼の件につきましても、医師でもない貴方に今できることは何もないと思いますが。本日はお引き取りください」

「……クソっ!」


 翌日も、翌々日も、そのまた翌日も男は通い詰めては追い払われ。


「集中治療のため、"彼"は別拠点へ移送されました。もうこちらにお越しいただいても無駄かと」

「何処に!」

「企業機密に関わることですので。お答えできません」

「ふざけンなよ……!」


 防衛軍には、イワオ・クロエ少尉のガレリアン・ダイナミクス社への出入り禁止が言い渡された。


 * * * 


 少年はゆっくりと目を開けた。

 

(今日は何日だっけ――ああ、今日から新手順の試験飛行だったかな……)


 ゆっくりと瞬いてからぐうっと背中を伸ばす。なんだかやけに身体が軽かった。半目をこすりながら洗面所に行き、ひどく毛羽立った歯ブラシを口に突っ込む。歯磨き粉の味はしなくて、じゃりじゃりと砂を噛んでいるような不快感だけがあった。


 ARゴーグルを頭に引っ掛けて、試験飛行場に足を運ぶ。最終調整を待つ間、のんびりと試験飛行の実施手順に目を通して過ごした。一通り実施手順を頭に入れた後、格納庫がなぜか少し寂しい気がして、クロエの姿がない事に気付く。最近は試験飛行の時には必ず同席していたのに、今日は居ないのだろうか。

 

「なあ、今日はクロエのおっさんは?」


 手近な作業員を捕まえて尋ねる。いつも機械のように正確無比なその男は、冷ややかな声で答えた。


「イワオ・クロエ少尉は軍務が忙しくなったため、プロジェクトから外れることになったそうです」


 フォルテはぽりぽりと頬を掻いてARゴーグルを外す。


「ふうん。……そっか」


 拡張視界オーグメントがなくなったはずの視界の端には、小さくデジタルの時刻表示が残っていた。


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