第19話 生命の檻

「ハイドラ!! ドーム閉めろ! 今すぐにだ!!!」


 怒鳴りつけるフォルテの顔を、ハイドラが困ったように見返す。


『すみません、ええと……?』

 

 マスク越し、通信経由のハイドラの声に、。一つ舌打ちをして音声の出力先を通信側に切り替える。


『今すぐドームを閉めろ!!』

『あ……は、はい!!』


 目を見開いた後、転がるようにしてメンテナンスボックスへ駆けて行くハイドラに目もくれず、フォルテはナギに駆け寄った。


(頭打ってるか? ……クソ、ちゃんと見えなかった)


 頭を揺らさないように華奢な身体を抱き上げる。

出力パワーは申し分ないのだがいかんせん少年の矮躯だ。どうしても半ば引き摺るような格好になってしまうことに軽く舌打ちした時、頭上でドームの動く鈍い音が希薄な大気を震わせてほんのかすかに響いた。

 頭部をそらから守るような格好でエレベーターに向かって踵を返したフォルテの後を、駆け戻ってきたハイドラが慌てて追いかける。肩をエレベータのボタンに叩き付けたフォルテの腕の中のナギを見て、ハイドラは眉を下げた。


『大丈夫でしょうか、一体何が……』

『宇宙線もキツイしなにより気圧が足りてねーんだ! 確かエレベーターには与圧システムが――』


 開きかけたドアの隙間に身体を捩じ込んだフォルテの言葉が途切れる。拡張視界オーグメントに表示させた環境情報の数値を見て、表情を歪めた。恨めしげに先ほどナギが蹴り破ったメンテナンスハッチを見上げる。


『クソ、派手に壊しやがって……お前の生命線だったんだぞ』


 ハッチが壊されたのは自分を助けるためだった。言いようのない腹立たしさから絞り出すように出たその言葉をいつものように軽快に混ぜっ返す声はなく、霜を集めて作ったような白く透ける睫毛はぴくりとも動かない。

 エレベータシャフト内も多少の与圧はされているようで、にいるより多少はマシだ。ここが恐ろしく縦に長い空間であることも幸いして、エレベータの扉が開いた際の空気の放散もさほどではなかったらしい。


(どうする。どうすればいい。急減圧による意識障害の場合、とにかく速やかな与圧が必要だ。ドームの与圧はどれくらいかかる? 大型エレベータの部材を切り出して溶接でハッチを閉じるか? いや間に合わない。エレベータを降ろすか? ……それこそ間に合わない! そもそも呼吸はまともに出来てんのか。クソ、他に何かやれることは――)


 ぎり、と噛み締めたセラミックの奥歯は生体なまみの頃と同じ音を立てた。視界の端では、状況に気付いた時に咄嗟に押したストップウォッチの数値が回り続けている。怒りと焦燥ばかりが募って、上手く思考がまとまらなかった。自分の見立てが間違っていなければ、タイムリミットは


 エレベータの扉の開く音が薄い空気を淡く震わせて、フォルテはがばと顔を上げた。


『バカ! 今開けるな――』

『詰めて』


 空の色の髪が揺れる。扉が開き切るのを待てないと言った様子で身体をじ込んできたシエロが、脇に抱えた何かをエレベータの狭い床にばさりと広げた。素早くジッパーを引き開ける。


『おい、まだ死体袋ボディバッグの出番じゃ――』

『負傷者用の与圧パックです。早く入れて!』

『っ!!』


 フォルテの抱えきれなかった下半身を抱えたシエロに怒鳴られて、慌ててその動きに倣う。顔部分の透明なパーツに頭を合わせて華奢な身体を収納すると、フォルテの身体を押しのけたシエロがジッパーその他の留め具を恐ろしい勢いで留めて、パック横のスイッチを入れた。オレンジ色のインジケータライトが灯る。


『だ、大丈夫でしょうか……?』


 邪魔になるのを恐れてエレベータの壁に張り付くように縮こまっていたハイドラが、こわごわと壁から剥がれて二人の上から与圧パックを覗きんだ。パックの透明な小窓が、ほのかに白く濁る。淡く呼吸が復活する様を目の当たりにして、フォルテは腰が抜けたようにへたへたと座り込んだ。パックを覗き込むハイドラを澱んだ目で仰向くように見上げて、口の端を歪める。


『で、お前はなんで平気なんだよ……』

『えと、僕はアザトゥス準拠なので……』

『あー……』


 フォルテは納得したような、しかねたような微妙な呻きを長く吐き出した。透けそうなくらいに薄いグレーの上下服を身に着けただけのハイドラは、あわあわと両手をぱたつかせる。


『いえ、その、真空に身を曝すのは流石に初めてなんですけど……まあ、何ともないのでそういうことなのかなって……。いえっ、僕の事より今はナギさんです。バイタルは?』

『バングルの出力を接続している余裕がありませんでしたので、バイタルは見れません。まあ、よしんば見れたとて今私たちに出来ることはここまでです。医療機ナイチンゲールを待ちましょう』

『……そうだな』


 空気の薄い空間に音だけの長い溜息を吐き出したフォルテは、疲れ切った表情で座ったまま壁ににじり寄った。背中を預けて目を閉じる。暗くなった視界には拡張視界オーグメントの各種表示がオーバーレイされていて、うんざりした気持ちで回り続けるストップウォッチの数字を止めた。

 タイムリミットを遥かに超えた表示を視界の外に追いやって、目を開ける。シエロはしゃがみ込んだ姿勢のまま、微動だにもせず止まっていた。"本体"に戻ったのかもしれない。


『しかしまぁ……与圧パックたぁ準備がいいことで』

『何言ってんですか。与圧パックなんて有人機コックピットの標準備品でしょ』


 独り言のつもりの台詞に、微動だにしないままのシエロが答えた。胸の奥に苦いものがこみ上げる。


『……ああ、そうかよ』


 スター・チルドレンのコックピットにそんなものは用意されていなかった。試作機の中で命を落とした友人の姿を思い出す。使い捨てられた安い命。内に宿る生命を支えられなかった肉体は、舌打ちと共に捨てられそれっきりだった。


 肉体なんてものは生命を閉じ込めている檻にすぎない――企業ガレリアンで頻繁に耳にした言葉だ。水、空気、食糧、気圧、温度。生命を維持するために必須なその範囲はあまりにも狭い。生体は制約の塊だ。あまりに脆く、終わりのその時には中身もろとも自壊する。

 そんなものを後生大事に抱えていても仕方がない、と義体を与えられた日に企業ガレリアンの人間は笑った。


 淡い白濁を繰り返す与圧パックの小さな窓を見る。戦闘用義体に比肩するほどの強さを持つナギでさえ、その制約からは逃れられないのだ。

 ナギにアザトゥスもろとも撃たれ、ぼろぼろになってしまった腕を撫でる。動作は問題ないがセンサの配線が一部死んでしまったらしく、残った人工皮膚を撫でる感触は途切れ途切れだ。これが生体だったら酷い疼痛に悩まされていたに違いない。

 失くして久しい痛覚に思いを馳せながら、フォルテは息が出来ないってどんな感じだったっけ、とぼんやりと考えた。ナギは意識を失う間際、苦しさを感じたのだろうか。その痛みと苦しみに寄せた心が、強烈な羨望に締め上げられる。かつての自分にもあったはずのその苦痛が、急に酷く懐かしくなった。


(まるで、閉じ込められているみたいだ)


 肉体が生命の檻だとすれば、義体は魂の檻だと思った。電脳の上で0と1バイナリに置き換えられた魂が、その扉を開けと言わんばかりに激しく叩いている。


『開けましょう』


 いつの間にか思考に沈んでいたフォルテは、通信越しのシエロの声にはっと顔を上げた。


医療機ナイチンゲールが来ます。外へ』


  * * * 


『……すみません、フォルテさんが本当は人格コピーだったこと……その、黙っていて』


 ナギを収容した医療機ナイチンゲールとシエロのHSUが上空までやってきた旗艦に戻っていくのを見送りながら、ハイドラがぽつりと呟いた。

 

『いいよ、謝んなくて。俺のために黙っててくれてたんだってトコはもう飲み込めてる』


 腰部の予備バッテリーを挿し替えながらフォルテは肩を竦める。申し訳なさそうにもじもじしているハイドラの、自分より少し低い目線を覗き込んでにやりと笑った。


『なあ、人間じゃないってどんな気持ち?』

『……え?』

『晴れて俺も人外確定だからさ。ここはひとつに教えを請おうかと』


 ハイドラは溜息を一つこぼした。マスクから零れた吐息が、低い気圧で急激に冷やされて白く凝る。


『僕の罪悪感を薄めるために自分を傷つけないでください』


 ハイドラはマスクを外して、黄金きんの瞳でフォルテをじっと見返した。珍しくその目が少し怒っていることに気付いて、フォルテはバツが悪そうに覗き込んでいた目を逸らす。


『……悪い』

『そう言う事艦内で言うと叱られますよ、とだけは教えておきます』


 ハイドラは淡く微笑んで手にした火炎放射器の予備燃料を差し出した。薄いグレーの上下から地上戦用のメックスーツに着替えたハイドラは、背負った火炎放射用のタンクを重たげに揺すり上げる。


『余計なことを考えてしまう時の対処法は、一生懸命仕事をすることです』


 エレベータの到着を告げるランプが灯る。再び閉じられたドームを満たし始めた空気が、チーンと気の抜ける到着音を微かに伝えた。ハイドラはヘルメットを被ると、第三陣の除染隊の最後尾の背を追い掛けながらフォルテを手招く。


『仕事をしましょう。大丈夫、僕たちが何者かを気にしているのは、第13調査大隊ここでは僕たちだけですから』

 

 * * * 


「カリプソー内部に除染部隊の侵入あり! 現在残存しているアザトゥスと交戦中の模様です!」

「……来ましたね」


 拡張視界オーグメントの端で目まぐるしくカウントアップしていく数字の羅列をひと睨みしてから、アイザックは背後で同じく作業しているアダムを振り返った。

 

「セクションE7~L34までのバックアップ転送完了、私の担当分は残り10分程度で終わります。アダム、そちらは!?」

「セクションA~E6は転送完了してチェック中だ、セクションRがまだ! あと15分欲しい!」


 首元の増設ポートからあちこちのデータサーバにケーブルを挿したアダムが怒鳴り返す。アイザックはひとつ頷いてバックアップルームの入り口を振り仰いだ。


「了解です。エイジス! 外の様子はどうですか?」


 あちこちフレームが剥き出しになった武骨な義体が、スパークを散らしながら振り返る。ひび割れてひどいノイズが混じる声が応えた。あの白髪の女兵士にショットガンで撃たれた跡が酷く凹んで痛々しい。


「アザトゥスの攻勢は落ち着いています。除染隊のほうへ向かったものと思われます」

「バリケードをどけましょう。浮遊車ホバーにバックアップストレージの積み込みを」


 エイジスはひとつ頷いて防衛にあたっていた義体たちに指示を出してから、ぎこちない動きでアイザックの前に進み出た。剥き出しになった機械眼カメラアイの中で、オレンジの光が淡く揺れる。


「アダム様、アイザック様。この姿では満足にお守りできません。攻勢も落ち着きましたので復元レストアしてきます」

「……エイジス、エイジス。電脳が破損したわけではないでしょう。あとで修理すれば――」

「カリプソーを出るのでしょう。しばらくは資材も今までのように潤沢には使えない。再起のためには今ここで、復元レストアしてしまうのが最善です」

「なら、電脳だけ取り出して」

「そんな時間はありません。貴方なら分かっているはずです。それに私無しでこの場を切り抜けるおつもりですか?」


 アイザックはエイジスと同じように焼け爛れてフレームが覗く顔を歪ませた。空回りする音を立てながら、エイジスはぎこちなく口角を構成するパーツを吊り上げる。欠けたセラミックの歯が覗いた。


「ありがとうございました。アイザック様。共にあれて光栄でした。、世界の果てまで貴方と共にあることを誓いましょう」


 エイジスは首元からケーブルを引き出すと、バックアップストレージの空きポートに突き刺した。数十秒の沈黙のあと、満足したように頷く。


「今朝のバックアップにこの時点までの記録を統合マージしました。……電源は、どうか貴方が切ってくださいませんか」


 エイジスはゆっくりと跪き、断頭台にくびを捧げる罪人のようにアイザックに向かってこうべを垂れた。

 アイザックは数十秒その姿をじっと見てから、エイジスの首から伸びるケーブルを優しく引き抜く。ひしゃげた脚で重心を支えて前のめりになると、エイジスの頭を抱き込んだ。フレーム同士が触れ合って金属音を奏でる。


「申し訳ありません。私は君の期待に応えられなかった。私が君たちに提示していた救いには何の価値もなかった。この手酷い失敗は、私の責任です。そのツケを君に……君たち払わせることに対しては本当に申し開きのしようがありません」


 エイジスは抱き抱えられたまま、ゆっくりと首を左右に振った。フレーム同士がこすれて、きいきいと鳴る。


「信任というのは、責任も共に背負っているということです。アザトゥスなんて信じていたのはごく一部ですよ。みんな貴方を信じていたのです。私たちの救いは貴方です。だから今も価値は続いている」


 アイザックは黙って小さく頷いた。エイジスのかろうじてひとつ潰れずに残っていた空きポートに自らのケーブルを差し込んで、小さな声で囁く。


「バックアップはここまでです。だからこれは、今の、今だけの君に」


 義体の管理アドミンコンソールを開く。


「ありがとうございます、共に居てくれて。ありがとうございます、信じてくれて」


 視界の端でカウントアップし続けていた数字が止まる。出発の時は近い。


「忘れません。これまでの君のことも。決して」


 小さく頷く気配がした。システムのシャットダウンを実行する。最後に小さなモーターの唸る音を微かに鳴らして、エイジスの義体は完全に沈黙した。


「ありがとうございました」


 動かない脚と動かない義体を抱えて動けなくなっていたアイザックの上から、動かない義体が取り払われる。ボロボロの義体を抱え、傷ひとつない義体からだでエイジスは微笑わらった。


「行きましょう。貴方の居る所が私たちの居場所です」


 差し出された手を、アダムがやんわりと遮った。増設ポートからぷちぷちとケーブルを引き抜きながら、アダムはエイジスの隅々まで戦闘仕様の義体を見上げる。


「アイザックは僕が連れて行こう。撤退の指揮を頼むよ、エイジス君」


 エイジスは頷いて、一揃いの衣類を差し出した。


「よろしくお願いします。それといい加減服を着てください、アダム様」

「そうだった。ありがとう」

 

 いそいそとエイジスから受け取った服を着こみながら、アダムはアイザックを見降ろした。エイジスがその場から離れたのを確認して、こっそりと嫌味をこぼす。


「僕が復元レストアする時とはえらい違いだなぁ、アイザック」

「君にそのテの情緒はないでしょう。無駄な茶番をする気はありませんよ」


 アイザックはじろりとアダムをめつけた。アダムは靴下を履きながら、肩を竦めた。


「茶番なんて言っちゃうんだ?」

「君相手ならね。魂の在り方は人それぞれですから」

「うん、そうだね」


 アダムはふっと視線を和らげた。


「そうやってひとりひとりに丁寧に寄り添ってくれるキミだから、みんなキミが好きなんだろうな」


 靴を履いて、ダイヤルをきゅっと巻く。「よいしょ」と呟きながらアイザックの義体を抱え上げた。


「キミもずいぶんボロボロだなぁ。復元レストアしていく?」

「……しません。彼ほどの勇気は、私にはないので」

「素直だね」


 バリケードが取り払われたバックアップルームから外に出る。ぬちゃ、と地面が血と肉にぬかるむ音がした。高さ2メートルほどもある円筒形のバックアップストレージを積み込んだ浮遊車ホバーが、その周りを守るように取り囲む浮遊車ホバー群と共に緩やかに発車する。数台残った浮遊車ホバーのひとつから、エイジスが手招いた。


 後部座席にアイザックを座らせながら、アダムはそう言えば、と首を傾げる。


「フォクス君の他に、もう一人義体の子が居たよね? あの子にはなんで声を掛けなかったの?」

「青髪の護衛のことですか? あれ遠隔操作ですよ。しかもウチのネットワーク経由で」

「あらま。でもキミが通信を覗き見るなんて珍しいね」

「個人の通信をやたら覗きはしませんが、疑惑があるなら話は別です。なんでバレないと思ってたんですかね……。お陰で彼らがアザトゥスを引きつけている時の状況は分かって助かりましたが」

「あー、それで突然"タンクエリアのドームを開けろ"って言ったのかあ。フォクス君、無事だといいけど」

「……そうですね」


 浮遊車ホバーが動き出す。ぬるい風が焼け縮れた髪をなぶって、感覚の消えた頬を撫でた。


「ねえアイザック」

「何です?」

「カリプソーを無事に出れたら、船を買おう。型落ちの輸送艦だ。そういうの融通してくれる人のひとりやふたり、いるんだろ?」

「輸送艦を?」

「そう。なにも木星圏に居る必要はないんだ。僕らは炭素循環生命の檻から解放された存在だよ。きっとどこまでだって行ける」


 前席で、エイジスがくすりと笑う気配がした。アイザックは目を伏せる。金属の頭蓋の中に、微かな駆動音が響いた。


「そうですね。きっと、どこまでだって行けるでしょう」



――————――————――————――———

お読みいただき、ありがとうございます。


復元可能な人格コピーであっても、「現在の自分を停止して新しい自分を稼働させる」というのは現在の自分の終わりを意味し、基本的には忌避される行動です。

アダムはガレリアン・ダイナミクスのスペンサー同様、その辺りの自己認識がバグっていて無限に復元することに何も感じないタチですが、これはレアケースです。


カリプソーについて本編で触れるのはここまでとなります。

もしかしたら彼らの今後についてそのうち番外編を書くかもしれませんが、アダムとアイザックの話はいったんこれで終わりです。


4章は次回で完結となります。

もう少しお付き合いいただければ幸いです。


次回の更新は11/29です。

それではまた、次回。

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