第18話 宙《ソラ》への道を拓いて
「クソっ、奴ら撤退したのはこれのせいか!」
「あーらら。制圧する気もないのかなー? だぁれも居ないじゃん」
わざとらしく額の上に手をかざして、ナギが辺りを見回した。中型と言っていいサイズの肉塊の他に動くものはなく、時折響く粘性の音だけが広い空間を支配している。
腕の兵装を元に戻しながら、シエロが顔をしかめた。
「あのサイズだともはや白兵戦で対峙するのは無理なのでは?」
「それはそう」
ナギは持っていた狙撃銃をハイドラに投げ渡すと、するりと腿のホルスターからレーザー銃を抜き出した。
サイドを軽く覗き込んでバッテリー残量を確認してから、すっとそれを掲げて――
「ばっ――――」
細い白光が無数に蠢く眼球の一つを弾けさせる。ぎょろりとすべての目がこちらを向いて、肉塊が大きく跳ねた。
「馬鹿野郎なにしてんだ――――っ!!!」
ハイドラがまん丸に目を見開き、フォルテが絶叫する。猛然とこちらに向かってきたアザトゥスから逃れるために、泡を喰って
「お前が白兵戦無理だっつったんじゃねーか! 1分前に言った事も忘れちまったのかよ!?」
「それ言ったの私ですよ、フォルテさん」
「じゃかーしい! 同意してたろーがよソイツも!」
がしゃん、と
「白兵戦で勝てないなら、ボクらの戦場におびき出すしかないだろ?」
「……っ、そういうことかよ! 先に言え先に!」
「搬入エレベーター! 大型のほう! だな!?」
「ご明察ぅ!」
「ご明察、じゃねーんだわ! あのデカブツの横すり抜けるなんて無理だぞ!? 下手に横道入って行き止まりだと詰むしどーすんだ!」
「一瞬足を止めてやればいいんじゃないですかね。まあ私は一旦戻るので皆さん頑張ってください」
後部座席に伏せるようにして兵装を構えながら、シエロが事も無げに言う。
「足を止めるったって……。いや待て、戻るって何処に?」
「本体にですけど。艦に出撃要請はしますが、私が直接出ればノータイムで来れますからね。義体は自律行動モードにしていきますのでよろしく。では」
「いやちょっと待てよ今は後ろのアレを先に――」
「もう行ったね」
「……クソが!!」
フォルテが苛立たしげに足をホバーの床に打ち付けた。
「カリカリすんなよ、アドレナリンも出ない
「なあケンカ売ってる!? 分かった、わーったよ! とりあえず"今"何とかするアテはあんだよな!?」
「もっちろん」
自律行動モードに切り替わったシエロが背後の肉塊を撃ち始めたのを見て、ナギはレーザー銃をホルスターにしまう。そして両の手のひらを上に向けて重ねると、にっこり笑ってトントン、と軽く打ち合わせた。
「じゃ、みんな残弾だそっか☆ アレだけとは言わせないぞ、まだあるよね?」
「言い方が! 裏街のゴロツキなの!」
「はい出して出して」
すごく嫌そうな顔をして、フォルテは渋々義体のカーゴパーツから手榴弾を取り出す。それを掻っ攫おうとしたナギの手をひょいと避けて、進行方向を向けたままの顔をしかめた。
「作戦共有ちゃんとやるまで渡さねーぞコラ。もうホントにこれっきゃねーんだ、こいつを渡すってことはアンタに命預けるってことなんだからよ」
ナギは紅い目をまん丸にしてから、ぱちくりと瞬いた。
「わぁ。この状況でキミもわりと余裕だね?」
「操縦にはちょっと自信があるんで、ね!」
「わぁお、後でシミュレータ戦やろうぜ!」
「操縦に自信はあるけど状況に余裕はねーよ! そのテの誘いは後にしてくれ!」
降ろしたハイドラのスカートの裾からちゃっかり弾薬を拝借しながら、ナギはくすくす笑った。再び伸びてきた触手を、艶のある素材のタイツに覆われた脚で蹴り払う。触手が掠めたハイヒールから青の色が削げ落ち、金色の光が零れ落ちた。肉塊に向かって、白い少女が哄笑する。
「お味はどうかな、ガラスの靴ならぬヴェネクスの靴だぜ? タイツも繊維様ヴェネクスを織り込んでるからよく効くだろー?」
「ナギさん、大丈夫ですか!?」
ナギが蹴り払った触手を、自分の触手で絡め取って引き千切りながらハイドラがあわあわと叫んだ。
「へーきへーき! これ木星圏の金持ち向けの"オシャレな護身用品"らしーんだけどさ、意外と効果あるじゃん! 防衛軍にも配備してもらおうぜ」
「目ぇ飛び出るような値段するヤツじゃんか!! その費用を企業から捥ぎ取ったのは正直スカッとするけどよ……じゃねぇ作戦! はやく! この通路だって無限に続くわけじゃねーんだぞ!」
「オッケーオッケー。キモは2点だ。まずはUターンしてエレベーターに向かう事」
跳ね回りながら猛追してくる中型の、無数の目玉だけを正確に撃ち抜きながらナギは指を1本立てる。極細のレーザーに撃ち抜かれた目玉は、すぐに内側からぬるりと現れる別のそれに取って代わられた。だがその再生は触手の生成を微妙に阻害するらしく、わずかに追撃の手が緩む。
銃床から落としたバッテリーカートリッジを片手で掴み、それを迫る触手に向かって投げつけたナギは2本目の指を立てた。
「もう一つはエレベーターにヤツを押し込む事だ。押し込んだらエレベーターを壊させずに上までいかなきゃいけない。ここで核を傷つけて大人しくさせたいね」
「中型だぞ、手持ち武器程度で核までぶちぬけるのかよ」
「出来なくてもやるしかないのさ。ま、そんなわけで
「このスピードじゃ曲がり切れねー。減速コミで10秒は要るぞ」
ふむ、とナギは頷いて、手の中の手榴弾を弄ぶ。
「減速して追いつかせよう。アイツがボクらを喰おうと大口開けたところに手榴弾を放り込む」
「そんな上手く行くか!?」
「行く行く。なんなら少し齧らせてやったらいいんだよ。ボクが囮になろうか」
「おい正気か!?」
そう言ってひょいと
「ダメですよ、ナギさん。それをやるなら僕です」
「おや?」
ぽい、とナギの身体が
座席に巻きつけられた触手の1本を見て、ナギが声を張り上げる。
「フォルテ、減速!!」
「だー畜生!! 事前共有しろっつった意図が1ミリも伝わってなくて泣くぞ俺は!!」
急減速した
「つか喰われてんじゃん!! 喰われそうじゃん!!」
若草色を肉の
肉の一部が内側から爆ぜた。飛び散る肉と血のシャワーが
「ふぅ、上手くいきました」
汗でも拭うかのようにぬぐった粘液を車外に払い捨ててから、ハイドラは少し困った顔で身体を覆う半分以上溶けた若草色の布地を見下ろした。進行方向を向いたまま顔を引き攣らせているフォルテに遠慮がちに声を掛ける。
「すみません、ちょっと炙ってもらっても」
「いやなんかもうちょっと言う事ないか!? つかお前生身よな!?」
「僕の再生力はアザトゥスと同等なので大丈夫ですよ。これ"核なし"だけど組織汚染です。僕は侵食を受けないけどナギさんに触っちゃうと危ないので、とりあえずこれをなんとかしないと……わぷ」
しょもしょもと喋るハイドラの顔に、たっぷりのレースが重なる白い布がぶつかった。
「それで拭いてポイしちゃいなよ。どーせ
すっかり短くなったスカートを揺らして、ナギが笑う。曖昧に頷いたハイドラの、血と粘液と肉の混合物にまみれたワンピースの残骸を、ナギは銃床で軽く小突いた。
「これも捨てなよー。替えはあるからさ」
バッテリーカートリッジを使い果たしたレーザー銃を床に投げ捨てて、ナギはシエロのカーゴパーツをごそごそと漁る。手のひら大の円筒形の筒を取り出し、表面にある小さなボタンを押すと、ポンと弾けるような軽い音がして中から布があふれ出た。ナギが手早くシエロの腕に巻き付けた薄手のその衣類は旗のようにはためき、ちょっとした冗談のような光景になる。
ナギは脱出時にしれっと回収していた銀色のマスクを装着した。
「さて、あとはこいつを
* * *
髪と肌を撫でる風の感触が消える。飛び跳ねる肉の粘着質な音も、フォルテとナギの言い交わす声も消え、耳慣れたアンビエントなサウンドだけが静かに空間を満たしていた。
すぐに
「
『こちら
「カリプソー内部に中型が出現。現在残存人員がプラント直上の氷殻上タンクエリアに誘導中デす。即時対応が必要です」
『……いい、貸してくれ。シキシマだ。出撃を許可する。追加人員を送るから、位置データの共有を』
「送信済みです。ではHUS-01、
「——エロ、シエロ!!」
仮想の操縦桿を引きかけた時、コックピットのキャノピーが外側からガンガンと叩かれた。外部カメラが低い唸りを上げる。映像視界の中で、焦げ茶の髪が揺れた。
「すみません、1分くださイ」
サブウィンドウを開き、
「うわ!」
素っ頓狂な声を上げた
とにかく、1秒でも早く。根拠の無い確信に急かされて、シエロはトーンを下げた声で告げる。
「ユウさん、行ってきます。梯子、外してくださイ」
「……でも」
「時間が無いんでス」
RAMのマニュピレーターが梯子を引っ張った。バランスを崩したユウが、半ば落下するような形で飛び降りる。ユウの両足が床に着いたのを確認するや否や、RAMが梯子を外した。斜めになった梯子を支えた形のまま、インジケータライトがふっと消える。
エンジンが唸りを上げた。慌てて後ずさったユウの目の前から、銀の矢と化した機体は
* * *
「見えたぞ、エレベーター!」
エレベーターがあるのは礼拝堂のほど近くだった。蠢く肉の絨毯は、床のみならず壁や天井にまで這い上がり始めている。
「止めるぞ!!」
「おっけい!」
ナギは急減速した
「ハイいらっしゃいお客様、特盛サービスをどーぞ!」
にっこりと笑ったナギの手を離れた手榴弾が、肉の表面で爆ぜる。だがそれでも突進の勢いは止まらず、飛び退ったナギの髪を掠めて肉塊はエレベータの扉がある壁に激突した。浅く抉られたその傷口に、間髪入れずに次弾が爆ぜる。数秒でそれを5回繰り返し、ついに蠢く肉の奥にわずかに核が顔を覗かせた。
「ご注文、はいりまーっす!」
ぱす、と軽い音がしてハンド・グレネードランチャーの砲口から薄く煙がたなびく。劣化ヴェネクス榴弾が核組織を抉り取り、おぞましい咆哮が悲鳴じみて響いた。チーン、とタイミング良くベルの音が鳴って、エレベータの扉が開く。
「フォルテ、デリバリーをよろしくぅ!」
「クッソ、余裕ぶっこきやがって! 降りてろハイドラ、先に行け!」
こくりと頷いたハイドラが、シエロ義体の手を引いて
「どっ……畜生がぁああああ!!!」
操作用のケーブルを挿したまま、フォルテは
「フォルテ!」
間髪入れずに立ち上がり、ナギが投げ寄越したハンド・グレネードランチャーを片手で掴み取って大型エレベータに飛び込む。閉めるボタンと
「ナギさん、僕らも!」
小型エレベータからハイドラが手招いた。ナギは軽く頷くとアザトゥスをかすめた髪の先をナイフでざっくりと切り落としてから、既にドアが閉まり始めているエレベータに飛び込む。エレベータが上昇を始めるとふぅ、と小さく息を一つ落としてから天井を見上げた。
「氷殻についたら、ドームの上を開けないとだ。ハイドラ、マスクつけといて。あと
「は、はい!」
「シエロ! シエロ聞こえてる?」
ナギが義体の肩を揺さぶるが、星を散らしたコバルトブルーの瞳に感情の光は戻らない。大して期待はしていなかったと言いたげな様子でダメかぁ、とナギが呟いた時、鈍い音と共にエレベータが揺れた。
「あっちゃー、やっぱヴェネクス榴弾1発じゃ間に合わなかったかな」
そう言っておもむろにハンドガンを抜き出すと、ナギは天井のメンテナンスハッチに向かって
重力を感じさせない動きで再び飛び上がったナギが、外れたハッチの縁に手を掛けてエレベーターの上に上半身を捩じ込んだ。向かいの大型エレベータの上には同じくメンテナンスハッチから這い出してきたらしいフォルテが貼り付いている。ハッチから伸びてくる触手を銃撃でなんとか凌いでいるフォルテに、ナギが叫んだ。
「フォルテ! 飛び移れ!」
はっとしたようにフォルテが顔を上げる。その一瞬の隙に、メンテナンスハッチから這い出てきた触手がフォルテの脚に絡みついた。
「畜生、この――っ!?」
ナギが手にしたショットガンが吼える。再生力がまだ弱いのか、細い触手が散弾を浴びて千切れ飛んだ。解放され必死の形相で飛び移るフォルテとそれを追う肉の腕を、散弾の雨が襲う。人工皮膚が引き裂かれ、ところどころフレームを覗かせたフォルテはナギと一緒にエレベータの中に転がり込んだ。
押し倒すような形でナギに覆い被さったフォルテは、一拍置いてから目を剥いて喚き散らした。
「俺ごと!! 撃つなよ!! 助かったけど!!」
「バーカ、
メンテナンスシャフトから侵入してきた触手を、シエロの仕込みガトリングが蜂の巣にする。チーン、と気の抜ける音がして、エレベータの扉が開いた。シエロの義体の手を引いてエレベータから飛び出したハイドラが、数十メートル先の箱を指差す。
「メンテナンスボックス、あれです! あそこから手動でドームの開閉が――」
言い掛けたハイドラの声が止まる。エウロパの白い氷の上に、影が落ちた。見上げた白銀の機体から伸びる砲身の先は薄っすらと輝き、大型エレベータからまろび出てきた肉塊にぴたりと狙いをつけている。
「なんで、ドームがもう開いて――」
紫電の閃光が迸る。陽電子砲が、あれほど苦労して連れてきた中型をあっさりと貫いた。抉れ露出した核を、2発目が跡形もなく吹き飛ばす。
「ひゅう、やっぱ戦闘機の火力はいいねぇ」
ボロボロのフォルテが、疲れと解放感を混ぜ合わせた表情で口笛を吹いた。
「なぁ、ナギもそう思――ナギ!?」
振り返ったその先で、白い身体がぐらりと傾ぐ。第13調査大隊の最強を誇るエースパイロットは、糸が切れたように氷の大地に崩れ落ちた。
―――――――――――――
お読みいただき、ありがとうございます。
白兵戦ではなかなか苦労が多い相手です。
木製編もあと少し。もう少しお付き合いください。
次回の更新は11/22です。
それではまた、次回。
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