第14話 エウロパ内部海中都市潜入戦 - Phase 2:カリプソー

 吹き抜けの高い天井が包み込む空間を、巨大な装置が縦に貫いている。規則的に鳴り続けるごうん、ごうんという鈍い音は、まるでこの都市が拍動を刻んでいるようだった。


「……すごい」


 顔を真上に向けて思わずそう呟いたハイドラに、アイザックは少しかがんで目線を合わせた。


「採水プラントを見るのは初めてですか?」


 こくこくと小さくハイドラが頷く。


「エウロパの採水プラントは、ごく初期型のものを除いてすべてこの構造になっています。内部海から吸い上げた海水をこれで水や酸素、水素に精製しているのです」

「都市電源は水素反応炉ですか?」

「そうです。ここには約2万人の義体使用者が暮らしていますが、彼らの稼働電力もこの都市の機能維持も、全てここで精製する水素で賄うことが出来ているのですよ」

「電源は義体の生命線ですものね。そこが握られていないだけですごく安心出来る気がします」


 柔らかな笑みを浮かべながら、ナギは頭の中で昨日叩き込んだカリプソーの3Dマップデータをなぞる。

 カリプソーは二層に分かれているはずだった。上層には採水、精製施設と都市電源の水素反応炉など都市運用に必要な大型装置が鎮座する。対する下層は主に生活区だ。上層には空間的余裕がない。もしアザトゥスを保持しているのだとしたら下層になるだろう。出来れば下層を重点的に探りたいところだった。


(でもその前に……)


 ナギは空間を貫いてそびえる採水施設を見上げた。小さく首を傾げる。


「とても大きな機械ですが……ここで精製されたものはすべてカリプソー内で消費されるのですか?」

「いいえ。ここで精製したものは、汲み上げられて地表にあるタンクに送られます。タンクの内容物は定期的に企業の輸送船が回収していきます。このサイクルを止めない限り、企業側は我々に手出しをしない取り決めになっています」

「地表へ!? 私の義体の深度計が狂っていなければここは地下18kmのはずですが……」

「はは、エウロパの採水プラントはどこも同じですよ。輸送艦の入れる港から内部海経由で運び出すよりは、このほうが効率がいいんです。作業用のエレベーターもあるんですよ。小規模な物資搬入はこちらから行われたりもしますね」


(――来た。脱出するならたぶんこっちなんだよな)


 仮面マスクの下で、紅い目が鋭く細まる。拡張視界オーグメントの端に小さくテキストメッセージが表示された。


[F: どうする、見ておくか?]

[N: 《同意》 ]


 視線入力で肯定のラベルを送信するや否や、勢いよくフォルテがアイザックの手を掴んだ。


「18km上昇するエレベーター!? 見たい……じゃなくて見てみたいです! ね、ナターシャさんもそう思うでしょう!?」

「駄目ですフォクス、ご迷惑でしょう。すみません、アイザックさん」


 ナギはおろおろしたようにアイザックからフォルテを引き剥がしに掛かった。それを軽く制して、アイザックは悪戯を提案する少年のような笑みを浮かべてみせる。


「速いですよ? 少し怖いかもしれません。頑張れますか?」

「こう見えても俺、軍用義体ですから! ね、ね、いいでしょう?」

「もう、フォクスったら……。すみません、我儘を言って」

「構いません、時間も電気もたっぷりありますからね。我々には当たり前の設備ですが、こう興奮されると私もここが出来た頃の気持ちを思い出します。私まで少し楽しくなってきてしまいました」

「ありがとうございます。……ハリエットはどう? 怖かったら待っていても良いのよ」


 ハイドラはナギにすり寄って、掴んでいるワンピースの裾を一層強く握った。小さな声で答える。


「私は、ねえさまと一緒がいいです」


 黙って佇んでいたシエロがその肩に手を置いて、小さく頷いたのを見て、アイザックは微笑んだ。


「ではご案内しましょう。こちらです」


 踵を返して歩きだすアイザックに付いて行く。拡張視界オーグメントの端では、しきりに共有ファイル更新の通知が跳ねていた。事前に企業クリオウォータから提供された3Dマップデータを、シエロかフォルテが更新しているのだろう。


 エウロパの内部海には各プラントと地表を繋ぐネットワークが張り巡らされている。カリプソーがこのネットワークを遮断していないかは、本体のうからの遠隔操作を行っているシエロを稼働させる上で賭けだった。結果としてはカリプソーもまたエウロパのネットワークに接続されていたため、一行はシエロを介して旗艦フェニックスの艦内サーバの情報にもアクセスできる状態にある。現在、フェニックスはエウロパ近傍宙域にひっそりと停泊していた。


 少し歩いて、大小の扉の前に辿り着く。エレベーターは一基だったはずだ、と思った瞬間に拡張視界オーグメントの端で再び更新通知が小さく跳ねた。

 アイザックが呼び出しボタンを押してから、丁寧に二基のエレベータの違いについて説明を始める。


「大きい方は大型の搬入エレベータ、小さい方がメンテナンス人員用の一般エレベータです。タンクや地表設備の点検に行くためのものですね。今日はこちらを使いましょう」


 下から迫り上がってくるような音に、ハイドラが首を傾げた。


「この下にも何かあるのですか?」

「ええ。カリプソーは多層構造ですからね」


 アイザックがそう言うと同時にエレベータの扉が開き、促されて全員で乗り込む。扉が閉まった後にアイザックがエレベータパネルを操作したが、地上階Gのボタンを光らせたエレベータは動く気配がなかった。フォルテが怪訝そうな顔になる。


「壊れたんです? 動かないみたいですけど」

「ああ、内部気圧の調整中なんです。すぐに動きますよ」


 パネル上部のオレンジ色のランプを示しながら、アイザックは微笑んだ。オレンジのランプが消え、緑が灯る。すう、と内臓が下に引き絞られる感覚と共に,エレベータが上昇を始めた。パネルのランプをじっと見つめて、ナギが疑問を口にする。


「何故気圧の調整を? プラント内部には酸素も十分に充填されていたように思います。カリプソーには人格コピー……義体使用者しかいないのであればどちらも不要なのではないですか?」

「もともと生体の方も滞在する前提で設計されている施設ですからね。リソースは潤沢にありますから、義体使用者しかいないからと言ってわざわざそこの設定を変えるのも面倒なんです。それに――」


 そこでアイザックは一度言葉を切り、茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。


生存可能圏ハビタブル・ゾーンが保たれているほうが、? 生体では生きていけない環境下で暮らしていると、人間としての感覚が擦り切れていくんです。いずれ肉体を取り戻す私たちは、生体で暮らせる環境に居るべきだと思いますよ」


[F: 宇宙線すらものともしねーアザトゥスの肉で生体化して、生存環境なんて必要なのかね]


 拡張視界オーグメント上でフォルテの揶揄が跳ねる。アイザックの額にオーバーレイされたその皮肉を黙殺して、ナギは感極まった表情を貼り付けた顔をこくりと頷かせた。


 * * * 


 数分の垂直移動の後、地表に並んだタンクを見学した一行は再びエレベータに乗り込んだ。巨大なタンクに興奮した様子のフォルテとハイドラが、せっせとアイザックから情報を引き出している。子供扱いされるのが嫌いな癖に、状況に応じて上手く子供としての利点を使い分けているフォルテにちょっとしたシンパシーを感じながら、ナギはエレベータパネルに視線を向けた。

 地上階Gのボタンの下には3個のボタンが、刻印された数字を上から昇順にして並んでいた。マスクで表情が見えないのを良いことに、ナギは思いっきり顔をしかめる。


企業クリオウォータのくれた3Dマップデータ、全然アテにならないな)


 マップデータ上ではカリプソーは二層構造だったはずだ。


(設計は複製元オリジナル。設計のチェックと建造はがやった)


 穏やかな声で楽しそうに子供たちに応じるアイザックの声を聴きながら、点灯した2と、暗いままの3をじっと見つめる。資料によれば、カリプソーが建造されたのは5年前。そして人格コピー達に占拠されたのが去年のことだ。だがカリプソーはもともと、試験的にほぼ人格コピーのみで運用されていたらしい。


(下層の下……が存在するとして、一体いつから……いや、今はそれは重要じゃない)


 開くエレベータの扉を見つめながら、ナギは首をもたげ始めた疑念を振り払った。


 * * * 


 生活区だと紹介されたカリプソー下層区画は、とても充実した空間だった。映画館や劇場、屋内アリーナなど様々な娯楽施設が立ち並ぶ。エウロパの海を切り取ったような水族館は、外周に沿って本物のエウロパの海を覗き込めるエリアもあって、巨大な未知の魚が通るたびにフォルテとハイドラが楽しそうに歓声を上げた。

 一通り遊び歩いた後、洗練されたショッピングモールのような活気付いた区画を歩きながら、アイザックはツアーガイドのように説明を続ける。


、が我がカリプソーのモットーです。決められた仕事ではなく、やりたい事をやる。それが結果としてプラントの収入源になることもあります」


 ナギは繊細な刺繡が施されたショールを細い指で軽く撫でた。軒を連ねる店らしきもの(支払いが不要なので店と呼んでいいのか不明だった)には服やアクセサリーのみならず、絵画や楽器、果ては機械部品まで様々なものが並んでる。見事な品から拙いものまで様々で、それはすべて趣味の成果物なのだという。これらの生産物を売ることで原材料やプラントの整備部品を賄っていると聞いて、フォルテとハイドラはめいめい走り回って店先を確認していた。


[F: 駄目だ、さすがにここで"種"を売ってるやつはいねーか]

[H : 《同意》]


 ナギは拡張視界オーグメントの端で跳ねたテキストメッセージに小さくため息をつくと、足を止めてシエロに向き直った。


「もう、あの子たちったら……シルヴィア、二人を連れ戻してきてください」

「はい、ナターシャ様。——ハリエット様、あまり遠くへ行ってはいけません。フォクスも戻りなさい」


 シエロがハイドラに駆け寄って手を取る様子をにこにこしながら眺めていたアイザックが、突然真顔になって虚空を見つめた。ややあって子供たちを連れて戻ってきたシエロとナギに向き直り、申し訳なさそうに頭を掻く。


「すみません、私は少々用事が出来ました。皆様を随分連れまわしてしまいましたので、そろそろ一度休憩なさってはどうでしょう。——そこのあなた」

「……へっ、アイザックさん!? え、私ですか?」


 突然呼び止められた女性が、慌てふためいた様子で応じる。


「ええ、そうです。この方たちは今日カリプソーにいらした方々です。まだ自室をお持ちではないので、お時間があれば宿泊施設の案内をお願いしても?」

「そうなんですね! 勿論構いませんとも! ささ、皆様こちらへどうぞどうぞ」


 礼と軽い謝罪を残して、アイザックが去っていく。その背中を眺めながら、案内を頼まれた女性ははーっと深いため息をついた。


「アイザックさん、本当に素晴らしい方ですよね……。すごく偉い人なのにいつもみんなに親切だし、物腰も穏やかだし……ええと、で皆様はどういったご関係で?」

「私たち、本当に今日こちらに受け入れていただいたばかりで何も分からなくて……アイザックさんに案内をして頂いていたんです」

「えーっ、アイザックさん直々にですかぁ!? いいなー、羨ましい……。いや、でもそのお陰で私もさっき直々にお言葉を賜れたんですから皆様のおかげですね! 改めてようこそ、カリプソーへ! 私はタマラといいます。よろしくお願いしますね!」


 くるくると表情を変えながら感情をジェットコースターばりに上下させているタマラに、ナギは人好きのする笑みを返す。


「ありがとう、タマラさん。私はナターシャ。こちらは妹のハリエットです。そっちの男の子がフォクスで、こちらはシルヴィア」

「ナターシャさんに、ハリエットちゃん。フォクス君とシルヴィアさんね! ホテル街にはいろんなホテルがありますよー? どういう雰囲気がお好みですかっ!?」


 * * * 


 リゾートホテルじみた建物を散々渡り歩いた後、「実はここ私のおすすめですっ!」とタマラが太鼓判を押したシックなホテルの一室にようやく転がり込んだ頃には、一日がもはや終わろうとしていた。


「ナターシャさん、虫がいないかどうか俺がしっかりチェックしますからね!」

「フォクス、内部海の中の都市ですよ。そんなもの居るはずないでしょう」

「いーえ、誰かの荷物に紛れてこっそり入り込んだ奴が生き残っているかもしれません。ナターシャさんの仇敵であるあの多足生物どもは俺が残らず殲滅しますとも!」

「はいはい……ありがとうね、フォクス」


 茶番じみたやり取りをしながら、フォルテが念入りに室内を改める。壁面にまですべてスキャンを走らせて、ようやく息をついた。壁に設えられた充電ポートからケーブルを引き出すその仕草からは、少年らしさが抜け落ちている。首の後ろに充電ケーブルを挿しながら、フォルテは背中越しに言葉を投げてよこした。


「いーぜ、カメラも盗聴器もわるいむしは見当たらねー」

「ありがとう。……本当にいないのよね」


 まだお嬢様ナターシャの声を保ったままのナギが立ち上がる。マスクを外して、念入りに室内を目視で改め始めた。電子の目はある意味では生体の目のより騙しやすい。もちろん物理的に遮られている部分は視えないので、フォルテのスキャンも必要な作業ではあった。

 裸眼で全てを改め終えたナギは、ようやくといった様子でお嬢様ナターシャの空気を解く。


「おっけ。ハイドラ、食事にしよう」


 こくりと頷いたハイドラもマスクを外した。金色の目が瞬き、蒸れた頬を少年の細い指がぽりぽりと掻く。


「疲れました……」

「よくやってたじゃん。可愛かったよ、ハリエットちゃん」

「うう、帰ったらアサクラさんに記憶の消去とか頼みたいです……」


 辟易した様子で息を吐くハイドラに、ナギは棒のような形状の総合栄養バーを投げ渡す。もそもそと味気のない携帯食を齧っている二人の前に、フォルテが水のボトルを置いた。


「水も飲んどけよ。パッサパサだろそれ」

「ありがとー」


 ちびちびと水を飲む二人を横目で眺めて、フォルテは手のひらを上に向けて差し出した。簡易ホログラム投影機と化した手のひらの上から、カリプソーの3Dマップデータが現れてゆっくりと回転し始める。


「疲れてるとこ悪いが、状況確認させてくれ。あんたらが寝てる間に俺は調査を続けるからな」

「さんきゅー、助かるよ。やっぱり気になるのはかな」

「だよなぁー」


 栄養バーの欠片を飲み込んで、ナギは3Dマップデータの最下部にただの四角として追加されたオブジェクトを指さした。


「二階も回り切れてないが、やっぱ怪しいのは最下層だよな」


 行ってくるかぁ、と大きなため息と共にそう吐き出したフォルテに、シエロが心配そうな目を向けた。


「一人で大丈夫ですか? 私もご一緒したほうが……」

「へーきだよ、さっきも言ったが俺の義体カラダは軍用義体だしな。まーアンタのやつほど高性能じゃないつめこんでないけどさ。それに寝てるこいつらには護衛が要るだろ」


 どさりとベッドに倒れ込んでから、頭だけをもたげたナギが首を傾げる。


「まーなんかあったら起きるから、護衛はどっちでもいーけど」

「僕は起きれないかもしれません……」

「守ってあげるよー、ハリエットちゃん」


 くすくすと笑うナギを指し示して、シエロは食い下がった。


「ほら、ナギさんもああ言ってますし。それに、子供一人で夜中にうろついていたら変じゃないですか」


 フォルテはにやりと笑う。いたずら好きな少年の悪い笑みを顔いっぱいに湛えて、手のひら上のホログラムを消したフォルテは立ち上がった。ぴん、と張った充電ケーブルが抜け落ちる。


「ばーか。なんのためにせっせと無邪気で好奇心旺盛な少年を演じてたと思ってんだよ。クソガキのフォクス君はお嬢様たちがスリープモードに入ったのを良いことに、こっそり夜の探検に出発するのだ!」



――—————————

お読みいただき、ありがとうございます。


人格コピーたちは睡眠を取る必要がありませんが、カリプソーで自由を得た人格コピーは「人間のサイクル」をなぞるのが好きなので、ホテルは結構需要があります。

本文では出てきていませんが、電装街にあったような疑似食品型の燃料みたいな食事を出す店もあったりします。

ちなみにみんな趣味でやっているお店なので、どこも開いていたりいなかったり。一期一会な街です。

映画館やホテルなんかは基本的にはAI型のアンドロイドが回しているのでいつでも入れます。


次回の更新は10/25です。

それではまた、次回。

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