第13話 エウロパ内部海中都市潜入戦 - Phase 1:逃げ出したお嬢様

 光のない海の中を、小さな潜水艇が進んでいく。ナビゲーションシステムには現在地が示されているが、一切の光が届かないこのエウロパの海において、その正確さを視覚的に確認する術はなかった。投光器が照らす細く白い光の筋の中を、時折見た事のない形の魚が横切っていく。

 木星第二衛星エウロパ。月よりもわずかに小さいその衛星の表面を覆う厚さ10~20kmの厚い氷殻の下には、海が満ちている。この太陽系において、唯一地球外の生命を育んだその海は、現在は木星圏以降の人類の生命をも支えていた。


 昏い海の先に、仄かな灯りが現れる。それに近づくにつれて、氷殻に突き刺さるようにしてぶら下がる巨大な構造物の集積体が見えてきた。白色の潜水障害灯が、星の海から切り離されたこの内部海の中で、無数の星のように瞬いている。

 緑のランプが数珠つなぎに並んだドックの入り口に、潜水艇は近付いた。ドックの出入り口である扉は硬く閉ざされている。船体を寄せるようにして扉の前に停まると、緑のランプがさあっと赤く染まって明滅した。


『所属不明船に告ぐ。こちらはエウロパ内部海中都市カリプソー。貴船のIDおよび所属情報が確認できません。直ちに船籍、目的、航路を明示してください。応答なき場合、または異常な動作を確認した場合、我々は防衛措置を取る権利を有します。繰り返します、直ちに応答してください』

「カリプソー……、ああ、本当に辿り着いたのですね……! アポイントなしでの来訪をどうかお許しください。所属はありません。私たちは逃げてきたのです。


 * * * 


「うーん、ちょろい」


 滔々とうとうとお涙頂戴のストーリーを語り、とりあえずの進入権を勝ち取ったナギは、通信を切ってにやりと笑った。


「わっるいカオするじゃん……。さっきまでの殊勝で健気なお嬢様ナターシャちゃんはどこ行ったよ」

「うーんどこかな? 大丈夫、またすぐ会えるさ」


 白いワンピースにそぐわないパイロットグローブを脱ぎながら、ナギは含み笑う。脱いだ手袋をグローブボックスに押し込んで、ちょいちょいと後部シートのシエロを手招いた。


「シエロ、操縦こうたーい。お嬢様ナターシャが乗り付ける訳にはいかないからね。……よろしくお願いします、シルヴィア」

「かしこまりました、ナターシャ様。失礼します」


 ぱちんとスイッチを切り替えるようにお嬢様ナターシャに戻ったナギは、するりとシエロと入れ替わり、後部シートに緊張した面持ちで座っているハイドラの隣に腰を降ろした。


「大丈夫? ハリエット」

「え? ……あ! は、はい僕……じゃない、私……は大丈夫、です」


 一瞬きょとんとした表情でナギの顔を見返してから、コードネームを思い出したハイドラが慌てて取り繕う。ナギは上品な笑顔でくすくすと笑った。


「焦らないで、私の小さなハリエット。でもそうね、じゃなくてのほうが素敵だわ」

「はい、ねえさま。気をつけます」


 水越しに鈍く響くくぐもった音ともに、ドックの扉が音を立てて開き始めた。扉の隙間から光が溢れ、潜水艇がゆっくりと前進を再開する。昏い海に溢れ出たその光は眼球を刺しつらぬくようで、ハイドラとナギはどちらともなく膝に抱えていた銀色のマスクで顔を覆った。

 扉を抜けた先にはもう一つの巨大な扉があった。待機を命じられ、潜水艇を停めて待っていると背後の扉が音を立てて閉まっていく。背後の扉が閉まり切ってからやや時間を置いて、正面の扉が開き始めた。ナギは仮面マスクの下で紅い目を眇める。


(二重扉……これだけ水圧の高い場所なら仕方ない構造か。逃げるとき厄介そうだな)


 ざああ、と開いた扉の先に水が流れ落ちる。扉の先は、普通の港のように水と空気が共存する空間だった。水から半身を出す形で浮上した潜水艇の前に、ふわり、と赤いライトを点滅させた小型のドローンが近寄ってくる。


『誘導します。8番ドックベイにお入りください』


 ドローンに導かれ、4人を乗せた潜水艇はゆっくりとドックの中を進んだ。やがてゴゴン、と鈍い音と共に接岸する。ほどなくして、ハッチが外から控えめにノックされた。

 シエロはちらりとナビゲーションシステムに目を走らせ、外部気圧計の数値を確認すると小さくナギとハイドラに頷いてみせる。ナギが頷き返すと、黙ってコンソールを操作した。ぷしゅ、と軽い音がして、天井のハッチが開く。敢えて武器を手に持ったフォルテが、先頭になってハッチをよじ登った。

 

「ようこそ、カリプソーへ」


 ハッチの外で待機していた長身の男が、ちらりとフォルテの銃を眺めながらもそれを無視して穏やかな声で言う。フォルテは僅かに緊張した面持ちでハッチの中のナギに手を差し出した。自然な動作でその手を取ってナギが、次いでハイドラが上がってくる。


「足元にお気をつけて」


 男に促され、ナギは不安そうに肩をこわばらせてゆっくりと潜水艇の上からドックへと降り立った。シエロに抱えられるようにして後に続いたハイドラが、そっとその隣に寄り添って、ナギの白いワンピースの端を握りしめる。

 男が淡い笑みを浮かべて一歩ナギに近づいた。眉間に皴を刻んだフォルテが、銃を構える。声を荒げた。


「それ以上ナターシャさんに近寄るな」

「やめなさい、フォクス。私たちは受け入れていただいた身ですよ」


 フォルテの構えた銃の射線に入り、ナギが銃身を掴む。優しい仕草で銃を掴む指を1本ずつ外し、その手から銃を取り上げた。影のように立っていたシエロにそれを渡し、彼女が潜水艇の中にそれを放り込むのを確認してから深々と頭を下げる。


「身内が申し訳ございません。どうぞ如何様にもお調べください」

「いえ、その必要はありません。わざわざレディに触れずとも、ことですから。それに今までの仕打ちを考えれば彼の気持ちもわかろうというものです。良き友をお持ちですね」


 ナギは感じ入ったようにマスクの下で目を閉じた。見えない部分まで丁寧に形作られた所作が、ナターシャという人物に解像度を与えていく。


「さあ、頭を上げてください。私たちは同志なのですから」


 ナギは顔を上げると僅かに顎を引き、背筋を伸ばして真っ直ぐに男を見た。

 

「寛大なお心遣い、恐縮に存じます。排除されても仕方のないところを受け入れて下さり、感謝の言葉もありません」

「合理性に準じた判断は機械のすることですから。私たちは人間です。非合理であろうとも、この心に残った感情は貴方がたを受け入れるべきだと判断しました」


 その言葉にナギは小さく頷いて、再度深々と頭を下げる。


「改めて、ナターシャと申します。家は捨てました、どうかただのナターシャとお呼びください。何の術も持たぬ未熟な身ではございますが、どうか私を皆様の末席に加えてはいただけないでしょうか」

「ハリエットです。おねがい、します」


 ナギとその隣でぺこりと可愛らしく頭を下げたハイドラを見て、男は柔らかく微笑んだ。


「勿論です。共に肉体への回帰を目指しましょう」


 背後で、フォルテが小さく息をつく気配がした。


 * * * 


 アイザックと名乗った男に導かれ、一行は都市に足を踏み入れた。アイスブルーのラインが光る廊下の天井は高い。白を基調とした内装とアイスブルーのライトは冷ややかで、エウロパの氷殻を思わせた。

 マスクのおかげで視線に気を使う必要はない。物知らずを装って施設のあちこちに顔を向けるふりをしながら、ナギは行き交う人々の顔をじっくりと眺めた。人格コピーに占拠された都市だというから、同じ顔ばかり並んでいるのかと思いきやそうでもない。多種多様の人々の顔は活気に満ちていて、その誰もがアイザックを見るとにこやかに挨拶を投げて寄越した。


「アイザックさんはずいぶんと皆様に好かれていらっしゃるのですね」


 突然の来訪にわざわざ出向いてきたこの男は、案外重要人物なのかもしれない。その思考をおくびにも出さずに純粋な声で尋ねたナギに、アイザックは気恥ずかしそうに微笑んだ。


「いや、お恥ずかしい。みな私を買い被っているだけなのです。私自身はそんなに大したことも出来ませんし」

「アイザック……」


 ナギの前を歩くフォルテが、その名を口にして少し考えこんだ。そして突如はっとした表情になって、先頭を行く男を振り仰ぐ。


「あんた、アイザック・D・ターナーか」

「フォクス」


 礼節を置き忘れた言葉に、ナギが嗜めるように少年の名を呼んだ。う、と気まずそうな顔になったフォルテの頭に、アイザックは気にするなと言わんばかりに手を置く。


「いいんですよ。フォクス君はよく勉強していますね。折角なので君から紹介してもらえますか?」

 

 こくりと頷いたフォルテが、アイザックの正体を明かす。


「こいつ……じゃない、この人はカリプソーの設計者ですよ、ナターシャさん」


 昨晩叩き込んだ資料にはない情報だった。正直なところ、フォルテをこの潜入チームに組み込んだのは企業製の高性能な義体が生み出す戦闘能力をアテにしていたからだ。だが蓋を開けてみれば思考は鋭く、知識が豊富で覚えもいい。それなりに企業に使われていただけあって、地頭もいいのだろう。やはりユリウスよりも余程役に立つ。

 内心ほくそ笑みながら、開示された情報にはさも予想外であったかのように装って相槌を打った。


「まあ」

「正確に言えば、設計者は私の複製元オリジナルですけれどね。私はただ彼の設計をチェックしてここの建造に立ち会い、運用するための歯車として閉じ込められた哀れな複製体に過ぎません」


 まあ乗っ取ってやりましたけれども、と悪戯っぽく笑うアイザックに、ナギは感服したように言った。


「とても優秀な方なのね」

「ここに居る方々は皆優秀ですよ。お陰で企業クリオウォータの手を離れてもやっていけているのです」

「企業の……」


 言い淀むふりをして考える。クリオウォータのボーモントは、ここのメンテナンスに掛かる費用は請求されていないと言っていた。話を聞いていた時はプラントのメンテ費用の話かと思っていたが、この都市を回しているのは人格コピー、つまり義体たちだ。義体のメンテナンスの費用もまた、稼働する義体の数が増えればばかにならないはずだった。

 銀色のマスクの合間から唯一覗き出る眉を、大げさに下げて見せる。


「……企業の助けなしにどうやってこの体を維持したらよいのでしょう」


 思わずと言った風に小さく零してから、はっとしたように口元を抑えた。


「申し訳ありません、不躾な事を。いつまでも義体このからだを維持したいというわけではないのです。ですが、その、当面の問題として……」

「構いませんよ、必要な事です。何を隠そう、この通り私もまだ肉体からだを取り戻せてはいないのです。1年を経て、ここには本当にたくさんの方々が集まりました。義体技師の方々もおられますので、必要な時には彼らが診てくれます。後程ご案内しましょう」

「まあ……何とお礼を申し上げたらよいのか……。私のような若輩にもなにか出来ることがあると良いのですけれど」


 どう案内させようかと思案する。"種"を資材に紛れ込ませてばら撒いているということは、外界にそれを出す手段があるという事だ。"種"は耐蝕性の強い金属球にアザトゥスの核組織を封じ込めたものであり、つまりは。この製造に関する情報が得られれば、このカリプソー内部に祀られているというアザトゥスの存在の一端を掴めるはずだった。

 ボーモントから聞いた話と今の話を雑に組み合わせると、このプラントは自給自足で成り立っていると考えられる。義体の運用に必要な電力は水から得る水素で賄えているにせよ、部品や原材料まで湧き出しては来ないだろう。荷運びの一つにでも手を出せれば、それが取っ掛かりになるかもしれない。

 だがそんなナギの目論見とは裏腹に、アイザックは朗らかに笑った。

 

「無理に仕事をなさる必要はありませんよ。色々と慣れていらっしゃらないでしょう?」


 ナギは言葉に詰まったふりをしてアイザックの表情を観察する。そこに嫌味や拒絶の表情がないのを確認してから、可愛らしく頬を膨らませた。


「確かに私は世間知らずですが、何かを得るのに対価が必要なことくらいは理解しています。この身とて義体なのですから、荷運びくらいのお手伝いは出来るのではないでしょうか」

「カリプソーにおいて労働は義務ではないのです。ほとんどの単純労働は機械オートメーション化されていますし、専門技術を持っている方でも毎日出番がある方は稀です。ここは誰かのためにではなく、自分のために生きることが出来る場所なのです。複写人格たる私たちに必要なのは、まず人間であることを思い出すことです」

「思い出せれば、私は人間に戻れるのでしょうか」

「ええ、きっと」


 穏やかに答えるその横顔からは、先日フォルテの口から出た「カルト」の印象を感じ取ることは出来ない。


「そんなわけですので、私も時間には余裕がありまして。お嫌でなければですが……この街と私たちの信仰について、ゆっくりとご案内させて頂けると嬉しく思います」



――――—————————————

お読みいただき、ありがとうございます。


エウロパ内部海中都市カリプソーへの潜入戦の開始です。

フォルテはなんだかんだ優秀な男です。


次回の更新は10/18です。

それではまた、次回

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