第15話 エウロパ内部海中都市潜入戦 - Phase 3:アダム
不夜城のような街には、煌々と明かりが灯っている。空を模した天井は濃い藍色に染まり、宝石をばら撒いたような星々が瞬いていた。昼間の賑わいは既にない。街の明かりをそのままに人の気配が消えた様は、見えざる巨大な手が人々を攫って仕舞い込んでしまったように思えて、無機物で構成されているはずの首筋がうすら寒くなるような感覚にフォルテは首を竦めた。
(メアリー・セレスト号かっての)
生活の痕跡を色濃く残したまま人だけが忽然と消え失せた幽霊船の逸話を思い出しながら、フォルテは無人の街を歩く。人格コピーが載る電脳に生理機能はないため、彼らにとって睡眠は基本的に不要な生活習慣だ。
「これも人間であることを思い出す、ってやつの一環なのかね」
無人を良いことにそう独りごちて、フォルテは自らの頭に手を触れた。
アイザックの言った、生体では出来ない生活を続けていると人間としての感覚が擦り切れていくという台詞を思い出す。義体になってから
だが持ち込めた食料は多くない。カリプソーへの滞在が長引けば、生体のままここへ来たナギとハイドラは徐々に生命を削ることになる。勿論徹夜が続けば自分の
歩く速度を速めれば、暖められたエウロパのぬるい空気が頬に当たる感触がした。人間が薄着でいて、ちょうどいいくらいの温度の空気。与えられた義体は
(でもなぁ。人間の時だって、別に人間扱いなんてされちゃいなかったしさ)
消えない街の灯りが少年を照らす。ガニメデの長い夜を思い出す。地球時間にして約3日半で昼夜が入れ替わるあの街で、
木星圏の高度労働は優秀な人間のコピーで賄われている。単純労働はそうではない者の体を使い潰したほうがAI搭載の自律機械を使うよりもなおコストが安かった。身体が潰れれば安い義体に移されて、脳が擦り切れるまで働かされる。
最初は食事を貰えるのが嬉しくて、24時間サイクルで眠れる寝床を貰えるのが嬉しくて、上手く行けば褒めてもらえるのが嬉しくて、恩返しのつもりで一生懸命働いた。
しばらくそうしてがむしゃらに前に進み続けてから、ふと立ち止まって気付いたのだ。自分が駆け上がった企業の階段は、階段などではなかったのだと。そう気付いた時には何もかもが遅かった。かつて共に企業にやってきたほかの子供たちは、その頃にはもう誰も居なかったのだから。
おびただしい人間がうずたかく積み上がった山を、笑顔で登ってきた自分に怖気がした。思えば身体を失った時よりも、あの瞬間に自分の人間性を強く疑ったように思う。
人間、人間、人間、人間。
頭の中をたった数文字の単語がぐるぐると巡る。誰もが明るく、好きな事をして暮らしている
複製され機械に閉じ込められた彼らにとって、肉体は唯一掛け替えのないものに視えるのだろうか。第13調査大隊で出会った
(実は僕は人間ではないんです)
カリプソーへ至る潜水艇の中でそう告げたハイドラの言葉が蘇る。思えば良く分からない隊だ。地球圏から来たあの調査隊は、人間の規範が酷く曖昧なように思う。だが同じ顔の少女たちにもそれぞれに個性があるし、自分を指して化け物だと笑う少年を皆ただの子供として扱っているように見えた。
結局のところ人間という概念は、自己認識と他人からの扱いの狭間におぼろげに浮かぶ幻にすぎないのかもしれない。そうなのだとすれば、この2%の重みに宿る人間を信じていられる限り、子供として、人として、仲間として、扱ってくれるあの隊に居られる限り、自分は人間だと言える気もした。
「……!」
覗き込んだ路地の狭間に、淡い緑に照らされた薄暗い空間が口を開けている。少年の殻に閉じ込められたままの青年の思索が終わるのを待っていたかのように。下層へ降りられそうな階段は、静かに彼を迎え入れた。
* * *
階段室を降りて行った先にあったやけに重々しい扉は、フォルテが近付くと音もなくひとりでに開いた。顔だけを出して左右を確認してから、そろりと足を踏み入れる。鈍い銀色の床に、靴のソールが擦れてきゅっと小さな音を立てた。思わず首を竦めて左右を見回すが、白色灯が冷たく照らす廊下に彼を咎める何者も現れない事を見て取って、ほっと胸を撫で下ろす。
慎重な動きで廊下に滑り込むと、背後で微かな駆動音が響いて慌てて振り返った。初めからそこには何もなかったかのように、床と同じ材質の壁が延々と続いている。何度か手で壁を触ってみたが、再び開くどころかどこに扉があったのかももう分らなくなっていた。
フォルテの口に歪な笑みが浮かぶ。
「おひとり様ご案内……ってか?」
まるで誘い込まれたような状況は正直不快だったが、今は自分の心地良さを追求する場面ではなことくらいは理解していた。どうせ先へ進まなければならないのだ。戻る道がないなら進むだけで結構なこったね、と自らの腹をなだめて歩き出す。
長い廊下は延々と連なっていた。先ほど触れた壁の鈍い銀色の手触りに既視感を感じて、センサの結果を拡張電脳の解析に回す。結果はすぐに返ってきた。
(——宙域戦闘機の外装と同じ素材)
人類の共通の敵が侵食性の異生物になってから、アヴィオンやスター・チルドレンなど宙域戦闘機の外装はアザトゥスの侵食への耐性が比較的高い特殊合金で作られるようになった。ヴェネクスのように完全耐性は持たないものの、数時間から数日程度の侵食には耐えうる素材だ。高価なヴェネクスと異なり、量産することも考慮された特殊素材であり、こうして広範囲に張り巡らせるのにも向いている。
(こいつはなかなか、らしくなってきたじゃねーか)
廊下は延々と続くばかりで扉も部屋も見当たらなかった。さっきの階段室のように、扉を壁の一部のようにしているのかもしれない。
(誰も中に入れないようにか、もしくは出られないようにか)
きょろきょろと辺りを見回す。表情には決意とワクワクと、そこに不安をひとつまみ。プロファイリングした
永遠に続いているかのように見えた廊下に、突如切れ目が現れた。駆け寄って中を覗き込む。
「礼拝堂……」
礼拝堂のように見えるその空間にはステンドグラスを通した光が七色のきらめきを振りまいていて、陽光の一切届かない内部海に居ることを一瞬忘れそうになった。
「誰か、いませんかー……?」
不安げな細い声を投げかけてみるも、答える声はない。少年はぱっと表情に悪戯な笑みを浮かべると、手近な長椅子の上に駆け上がった。少し高い位置から礼拝堂全体を見回して、それから探検を始める。
正面にある壇に向かって歩きながら、フォルテは無遠慮な動きで礼拝堂を眺め回した。ステンドグラスの光のせいでぱっと見た印象は荘厳だったが、よく見ると壁も床も長椅子までもが、廊下と同じ鈍い銀色に輝いている。長時間座ってたら尻が痛くなりそうだな、と思いかけて、ここにはそんな事を気にする者は一人もいないことを思い出した。
(さすがに肉塊野郎の銅像置いたりはしねーのな)
どうやら偶像崇拝するタイプの信仰ではないらしい。辿り着いた壇の上を見上げながら、フォルテは内心で皮肉を吐いた。凝った細工の巨大な椅子が置かれているその壇によじ登る。七色の光が振りまかれた銀色の礼拝堂の中で、アイスブルーの間接照明が壇上だけをエウロパの海の底のように冷たく彩っていた。
ゆっくりと椅子に近づいたフォルテの眉間に皴が寄る。
「何だこれ……燃えカス?」
銀色の椅子には黒く焦げついた何かが積層するようにこびりついている。何もかもが
椅子の裏側を覗き込んだ少年の目に、小さな扉が映る。足早にそれに近づくと、フォルテは躊躇いなくドアノブを握った。
* * *
「こんにちは」
勢いよく開け放った扉の向こうで、人の形をした肉の塊がそう言った。
「驚かせてしまったかな。——フォクス君」
男と女の声に、錆び付いたアクチュエータの音を混ぜ込んで泡立たせたような声が言う。含み笑うようなその声に合わせて、人体から表皮をすべて剥ぎ取ったような紅い、血と肉と脂肪の混ざり合った
「おれの、なまえ、どうして」
(やっぱ視てやがったな……それにしても喋るアザトゥスとはまた想像以上にイカれたもんが出てきたぞ)
怯えた声で
「僕とアイザック君はとっても仲良しなんだ。キミの事もアイザック君から聞いていてね」
アイザックの名を聞いて、少し身体の緊張を解く。みっちりと並んだ眼球が、忙しなく動いた。
「偉いね。僕を見て怖がらないんだ?」
ピクピクと震えながら蠕動する肉の表面で瞬く目を、フォルテはぐっと見返す。
「俺のお嬢様は身体を取り戻したいんだ……です。アンタがその鍵なんでしょう。怖がってる場合じゃないんだ。俺は、俺を拾ってくれたあの
意思を込めてそう言うフォルテの脳裏を、
「君の信仰に敬意を表そう。僕はアダム、どうぞお見知りおきを」
「アダム……」
「そんな顔をしないでくれよ。本当の名前は忘れちゃってね。アイザック君と相談してそれらしいのを名乗ることにしたんだ、うん」
「忘れたって……そもそも、アンタ何なんですか」
「僕はしがない好奇心の塊でね。この中身はキミと同じ義体だとも。でもすぐダメになっちゃうんだよね。だからしょっちゅうバックアップからの復元を繰り返してたら、データがあちこち欠損しちゃってさ」
やっぱバックアップは面倒がらずに
そもそも、復肉教なんて単語が木星圏全体に広がっている割に、プラント内ではそれらしいものを欠片も見つける事が出来なかった。何処かで実験が行われているのだろうとは思っていたが、まさかこの男一人に全てを背負わせているのだろうか。
「この実験は……アンタ一人でやってるのか?」
「まあね。やっぱみんないざアザトゥスを近くで見ると怖いみたいだから仕方がないよ。こんなに可愛いのにね」
「可愛……っ!? …………いや。まあ感性は人それぞれだよな、いいんじゃないか。それじゃアンタは好きでコレやってるって事か」
「うん、そうだよ。やってみたい事はなんでも出来る、が
粘性の声が楽しげに笑う。少しずつ泡立つ声の感情が読めるようになりつつあることに内心辟易としながら、フォルテは怪訝そうに突っ込んだ。
「宗教じみたって……。アンタさっき信仰がどうとかって言ってなかったか」
「キミの信仰と
しまった、と内心舌打ちをする。いつの間にか演技を忘れ、素に戻って対応していたことに今気付いた。だが楽しげに語るアダムはどうやら
(このまま会話に付き合ってやれば、色々引き出せそうだな)
神はいない。ここに居るのは、ただの人間だ。それならば攻略の仕様はある。フォルテはわざとらしく肩を竦めてから、にっと笑ってみせた。
「アンタほどじゃないと思うけど、俺も好奇心旺盛ってよく言われる。もっと話そうぜ。それ、結局のところ義体にアザトゥス体を纏わせてるだけってことか?」
「あはっ、だけって言われると傷つくなぁ。フォクス君はアザーティって知ってる?」
フォルテの脳裏に、一瞬ハイドラの姿が浮かぶ。だが今求められているのは一般論だ。ハイドラのイメージを振り払って答える。
「ヒトを食った後に人間に擬態してるヤツの事だよな?」
「そう。どうも食わないで擬態したケースもあるみたいだけど、それが誰も食っていない事は証明できないから、食って擬態と仮定しよう。外側を人間に似せて、行動を模倣する彼らは思考リソースに何を使うのか」
「脳……だよな」
「正確にはその電気信号だね。脳の活動も細分化してみれば0と1のバイナリデータなんだよ。だから僕らは電脳上で再起動しても意識を保っていられる。アザーティが正気を失くしてしまうのは生体脳がアザトゥス体に汚染されるからだ。……じゃあ、電脳なら?」
「汚染されない……のか? いや、でもアザトゥス汚染を完全に防げるのはヴェネクスだけだろ。ヴェネクスだけじゃ電脳は作れない」
アダムは立ち上がった。腰掛けていた椅子から粘性の肉が糸を引く。それと同時に、椅子のサイドから炎が噴き出してそれらの肉を全て焼き尽くした。辺りに悍ましい匂いが漂い始めたのを感じて、嗅覚センサを切断する。
「なにも電脳に直接アザトゥス体を触れさせる必要はないんだ。要はこの肉に脳の電気信号が渡ればいい。全部が機械で出来ている僕らならそれが可能なんだよ。後は制御をこちらで握れるかどうかだ」
「問題はそこなんじゃねーの? ――上手く行ってるのか?」
「上手く行ってるように見える?」
泡立つ声は静かに尋ねた。フォルテはじっと蠕動する肉を見つめる。うぞうぞと蠢く肉の
「そいつが制御下にいないなら、俺は今頃アンタに抱きしめられて肉の繭だろ。そうなってないならある程度は上手く行ってるんじゃないか」
「そうとも!」
喜色と興奮がアダムの声を激しく泡立たせた。そのまま両手を広げて抱きついてこようとするので、慌てて飛び退く。十分に距離をとってからじろりと粘性の肉を睨みつけた。
「おい! 理性!!」
「おっとすまない。今のはアザトゥスじゃなくて僕の理性の制御が効かなかった結果だ。流石だねフォクス君」
* * *
ああ、楽しかった。
ぱたんと閉まるドアの向こうに消えてしまった背中を想って、アダムは先の邂逅を噛み締めていた。
感極まって思わず抱きつきかけた事も許してくれて、その後もたくさん、たくさん話をした。
カリプソーに居るのは、こわごわと遠巻きに自分を見る者と、肉に憧れアザトゥスを纏ったら最後、そこら中に汚染を撒き散らしそうな狂信者と、それからアイザックだけだった。アイザックはとても忙しいヒトだから、こんな風にたっぷり話をできる余地なんて全然ない。夜なのも相まって、本当に夢のような時間だった。前回寝たのなんて、もういつだったかも覚えていないけれど。
話が通じる相手というのは稀有なものだ。彼は子供らしく興味津々だったけど、その思考は時に子供らしからぬ鋭さを垣間見せた。もしかしたら
だから。
「嫌われちゃうんだろうなあ……」
きっと彼は、これから起こることを子供の喧嘩のように赦してはくれないのだろう。神に縋らないあの少年にとって、それは彼の
銀色の天井を眺め上げる。見慣れた世界。好きな事だけをしていることが許されたこの空間が大好きだけれど、今だけは少し寒々しいと思った。
「ああ、楽しかったなぁ……」
だから。今日限りのその幸福を、今だけはもう少しだけ、噛み締めることにした。
――――――――――
お読みいただき、ありがとうございます。
アダムの行動原理は電脳でアザトゥス体を制御することそのものの探究であり、そこに信仰はありません。これで肉体が作れたら面白いな、とアダムは思っています。義体への侵食が進みアザトゥス体の比率が大きくなってくると、制御が効かなくなってくるのが目下最大の悩みです。
アダムの"趣味"に信仰と希望を紐付けたのはアイザックです。
次回の更新は11/1です。
それではまた、次回。
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