第9話 異形の種は萌芽する

 目の前に、ぽっかりと穴が口を開けていた。意識が上手く焦点を結ばず、そこに穴がある、ただそれだけの事しか分からない。

 ゆらり、と穴の中から血の気の失せた白い腕が手招いた。ほっそりとしながらも力強さを感じさせるその手の形を忘れはしない。それは爪の甘皮のひとかけらまで、記憶の底に焼き付いているのだから。

 いざなわれるように一歩を踏み出す。身を乗り出して、アナの中を覗き込んだ。目に痛いほどの肉のいろ。人の体を裏に返して、それから丁寧に混ぜ合わせたような――

 唐突に足元が崩壊し、爪先が空を切る。腹の底がキュウと縮んだ。……落下感。


「……っ!」


 ビクッと肩を震わせて、突っ伏していたデスクからアサクラはがばと頭を上げた。

が額を強く押さえつけていたせいで、ひどい頭痛がする。意識して数度瞬きを繰り返すと、追跡RFタグのマーカーが視界に散らばった。どこにも肉のいろはなく、無機物に埋もれた部屋の中をモニタの淡い光がぼう、と照らしている。


 視線だけを動かして目の前のモニタを見る。カルテのリストにはぎっちりと義肢装着者たちの名前が連なっていた。その一番上にある、ユリアの後見で隊に入ることになった新人の名前を見てアサクラは眉間に皴を刻む。


「ああ、めんどくさ……」


 の結果について、シキシマに一報を入れる必要があった。義肢のリハビリは医療班に任せているが、十数件上がってきているレポートを確認しなければいけない。がりがりとカルテリストをスクロールさせて、アサクラは「あー……」と呻いた。


「ハイドラの定期健診すっぽかしてるじゃん。まずはこれからだねぇ……」


 アサクラは補助装置を外してデスクの引き出しにしまい込む。内ポケットから取り出したピルケースの中身をざらりと掌に開け、白い錠剤を水なしで幾つか飲み込むと、ハイドラと連絡を取るためにバングルのアプリケーションを立ち上げた。


 * * * 


「あらまぁ」


 今日の健診は一人でお願いします、と言ったハイドラの言葉の意味を理解して、アサクラは間の抜けた呆れ声をあげた。


えたねぇ」


 淡い色の薄手の革手袋をはめながら、アサクラは服を脱いだハイドラの身体を眺めた。腕のみならず脇腹からも、点々と睫毛のない瞼のような孔が顔を覗かせている。


「これは確定かなぁ。ハイドラ、キミねぇ。このまま反物質砲を使い続けてるとアザトゥスになるよ」

「……単に成長したからえた、という可能性は」

「ない。キミの身体成長曲線と孔の数に相関性はないよ。えるのは必ずハーメルンで出撃した後だ。……ああ、あとも」


 倦んだ目が、手にはめられた手袋を見た。パイン材のような薄い色合いのそれは、ハイドラの皮で作られた、アザトゥスの侵襲を防ぐことのできる装具だった。


「すごく助かってるのは事実だけどねぇ。キミがこれ以上何と言おうと皮剥ぎはもうやらないよ。あれだけあれば僕の研究には十分だからね」

「でも、やっぱりもう少し予備を作っておいた方が」

「作らないよ。これでも物は大事にする方なんだ」


 アサクラは少年の腕を取り、採血用の針をぷすりと突き立てた。ぴくりと孔が反応し、顔を覗かせた肉色の触手が手袋をはめた手を撫でまわしてから孔へと戻っていく。最近この採血の一瞬の制御が徐々に効かなくなってきていて、この手袋が必須装備になっていた。


「キミの細胞はねぇ、凄まじい速さで分裂を繰り返してる。成長もそうだけど、それは回復の時により顕著なんだ。でもねぇハイドラ、ヒトの細胞は無限に分裂できないんだよ。精々が70回なの」

「……はい」


 ハイドラは瞑目した。金色の瞳を、赤錆の睫毛に彩られた瞼が覆い隠す。


「その分裂回数をキミの身体は一瞬で食い尽くす。限界を超えた細胞は死を迎え、無限に分裂できるアザトゥス体に置き換わるんだ」

「でも反物質砲ペニテンシアの砲弾素体はアザトゥス体ですよ」


 目を開けて自分の腕を見つめたハイドラは、でささやかに抵抗してみせた。アサクラは微笑む。


「そーだねぇ。毎回アザトゥス体だけをキレイに採れるならよかったんだけどね」

「ですよね」

「で。どーしたい?」


 穏やかな諦観に浸っていた瞳が、きょとんと丸く見開かれた。


「僕に選択権が?」

「キミの身体の話だよ? 勿論だとも」


 淡く笑んだアサクラの端正な顔を、ハイドラは見上げた。見つめる昏い瞳は重く凝って、笑っていないように思えた。


「僕は……」


 ハイドラは言葉を探して少し逡巡する。ぽつりと零した。


「僕は自分を失うより、手段を失うほうが……怖いです」

「別にハーメルンに乗らなくても、キミなら戦えるよねぇ?」

「そうですね。でも強いんですよ、ハーメルン。は大きいほうがいい。取りこぼさないためにも僕はあの機体を手放したくはありません」

「……わかった。しばらくノブには黙っておくよ」

「ありがとうございます、アサクラさん」


 折り目正しく頭を下げたハイドラの頭を、アサクラはくつくつと笑ってつついた。


「駄目だよぉ、軽々しく悪い大人に頭なんて下げちゃぁ」

「悪い大人……?」

「そうとも。ちゃんとした大人ってのはねぇ、命の選択を子供本人に委ねたりはしないモノなのさ。これを知ったらノブだってテッさんだってきっとキミを止めるけど、僕はキミの善意に乗っかってキミを使い潰すんだから」


 そう混ぜっ返すアサクラに、ハイドラは鬱屈した笑みを見せる。


「自分の命がそう長くない事は理解しています。これは終わりの選び方でしかない。貴方が思っているほど善人ではありませんよ、僕は。だって――」


 その声を遮るように、けたたましいアラート音が鳴り響いた。各部屋備え付けの警報ランプが赤く明滅するのを見て、アサクラが訝しげに呟いた。


「敵襲警報……?」


 * * * 

 

 ユリアはフォルテを伴って、格納庫区画へ向かって歩いていた。

 フォルテが艦に潜り込んだのは一昨日の事だ。二日掛けて念入りに義体をチェックされ、ようやく解放されたフォルテがアヴィオンを見てみたいと言うのでユリアが案内を買って出たのであった。


「戦艦ってのはケッコー静かなもんなんだな」

「寄港中はこんなものよ。メイン炉の出力も最低限だし。いつでも臨戦態勢なわけないじゃない」


 頭の後ろに手を回してつまんねぇ、と頰を少し膨らませたフォルテの姿を、行き交うクルー達がちらちらと見ている。時折にっこりとした他人行儀な笑みと共に手を振られて、フォルテは辟易とした表情を作った。


「なー。あれ、なんなの」

「社会見学か何かのお子様だと思われてるんでしょ。いちいち否定して回っても構わないけどキリがないわよ」

「ふぅん」


 満更でもなさそうな顔をしたフォルテを、ユリアは意外な気持ちで見降ろした。

 

「意外ね」

「あ? なにがだよ」

「一昨日みたいにまたガキ扱いすんな! って暴れだすかと思ったわ」

「いやまー、俺個人がガキ扱いされんのはムカつくんだけどさ。ガキをちゃんと子ども扱いしてくれる文化ってのは悪くねーと思うぜ」


 ユリアの目が一瞬丸く見開かれ、すぐに懐かしさと憐みをわずかに混ぜ込んだ色に沈む。


「……木星圏ここはそうじゃないのね」

子供ガキってのは使いやすい資材なんだよ。兵士にするなら子供だ。しがらみもねーし倫理観も育ってねー。ロクでもねー親に産み捨てられて行き場のねー子供ガキなんざゴロゴロしてる。企業様の連れ去りなんて日常茶飯事だ。それでも企業は子供ガキの憧れなんだぜ。どいつもこいつもソワソワしてやがる。クソみてーだろ」

「でもアンタは企業が嫌いなんでしょう?」

。俺だって最初はホイホイついてった、どうしようもねーガキの一人だよ。飯と寝床がある、それだけで十分についていくに値しちまう。すきっ腹だとな、企業の人間クソどもがカミサマみたいに見えんだよ」


 フォルテはうんざりしたように息を吐く。企業にというよりは、自分に腹を立てているようだった。


「そうやって拾われて行き着く先はよくて試験義体、悪けりゃ開発機の人柱、戦闘義体用の使い捨てモジュール脳……まあなんにせよロクなもんじゃねー。それでもな、明日死ぬかもしれないよりマシだろって思ってんだよ。企業だけじゃなく、使われる側おれたちもな」


 青玉の瞳の上に白金の睫毛が色濃く掛かる。幼い頃に兄と過ごしたスラムの光景を思い出して、ユリアは小さく息を吐いた。文明が発展して地球圏から遥かに遠い木星に至っても、人類という種の後ろ暗い部分はさして変わりはしないように思える。

 一度瞬きをして、ユリアは淡い憐みの色をその目からかき消した。


「なるほど。それで行き着いた先がそのちんちくりんのナリってわけね」


 重い吐露にさらりとそう返したユリアに、フォルテはちょっぴり口を尖らせる。


「いや、もーちょい何かさ? やさしーコメントはねーの?」

「あら。おためごかしの同情がお好みだった?」


 ユリアはくすりと笑った。足を止めてフォルテのほうを向き、両手をふわりと広げる。


「抱きしめて可哀想可哀想、ってして欲しいならやってあげるわよ。ほらおいで」

「ちぇっ。そんなわざとらしいのは要りません~」


 ぷい、とそっぽを向いたフォルテの目が、向かいからのしのしと歩いてくる大男の姿を捉えた。二、三度少年の瞼が瞬き、それから大きく見開かれる。


「クロエのおっさん……? は、え、何で……?」

「おぉ?」


 名を呼ばれたクロエは巨体を揺らして立ち止まった。眉間に皴を寄せてフォルテの顔を覗き込み、それから大きく破顔する。


「おお、フォルテ!」

「おっさん、なんでここに……うぉあ!」


 巨体が覆いかぶさるように少年に抱き付いた。巨大な手がわしわしと亜麻色の髪を撫でる。


「お前さん、生きてたか! まぁまぁ、よく生きとったなぁ! 本当にあれでよく……いやいや、今は何しとるんだ? いつ軍に入った。ここに配属かぁ?」

「やめろ抱き付くな撫でまわすな質問が多い! いったんは、な、れ、ろ!!」

「ん、おぉスマンスマン」


 ぐぐぐ、と嫌そうな顔で巨体を押し戻す少年をユリアは半眼で見降ろした。


「よかったわね、抱きしめてよしよしして貰えて」

「一ミリもよかねーんだわ!?」


 目を剥くフォルテがぎゃんぎゃん噛みつくのを見て、クロエはユリアの存在に気付いたようだった。太い指でぽりぽりと頭を掻いて申し訳なさそうな表情を作る。


「む、そっちの嬢ちゃんは……いやスマン、まだなにぶん新参なモンで顔と名前が一致しとらんのよ」

「……ユリア。ユリア・トルストイです。搭乗機はヘイムダル。コイツとお知り合いですか、少尉」

「うん、こいつぁスター・チルドレン……木星圏の新型機だが、そいつの初期開発機のテストパイロットをやっとったんだ。開発初期は俺もちと手伝っとってな。いやァしかしフォルテよ、お前さん3年前からちぃとも変わらんなァ。ちゃんとメシ食ってるんかぁ?」

「コレ義体だよ、ぎ・た・い! 生身だったら背もちゃんと伸びてるっつーの!」


 ユリアは顎に指を添えて首を傾げた。一昨日やたらと主張されたフォルテの年齢は18歳。となれば3年前は15歳である。自分の肩くらいまでしかない矮躯を見降ろして、ぼそりと呟いた。


「……チビ」

「うるせー! 成長期遅かったんだよ、生身だったら今頃お前よりデカいんだからなチクショー!」

「こぉらフォルテ、レディになんて口の利き方すんだ」

「いや最初にチビって言ったのはあっち……おぁあやめろ、おいフレームが歪む!!ゆがむ!!」


 巌のような拳に頭を挟まれたフォルテが悲鳴をあげる。ひとしきりぐりぐりやってから、クロエはにこにこと楽しげに尋ねた。


「お前さんたち、さしずめ艦内ツアーってトコだろう? 良かったらこの新参のおっさんも混ぜてくれや」

「勿論、少尉。これから前方格納庫区へ行くところです」

「なーちょっとこれアタマ凹んでない? ユリアー、見てくれよー」

「へーきへーき、外から見たんじゃ大して分かんないわよ」

「待ってマジで凹んでんの!?」

「阿呆、ガレリアんとこの義体が素手なんぞで凹むかよ。うだうだ言っとらんとさっさと歩けい」

「ちぇっ。へいへーい」


 完全に面白凸凹トリオと化した三人は視線を集めつつ賑やかに歩を進め、格納庫区に足を踏み入れた。

 立ち並ぶ格納庫の扉を見渡して、フォルテがわくわくとした表情を振り向ける。


「なー、俺イージス見てみたい」


 ユリアは足を止めて溜息をついた。後方を振り返る。


「そういう事は早く言って。イージスは後方格納庫区よ。他に見たい機体はないの?」

「げっ、逆なのか。じゃーユリアの機体見せてくれよ、ヘンデルだっけ?」

「ヘイムダルよ。少尉は何かご希望が?」

「フォルテの見たいとこで構わんよ。俺ァ一通りの機体は触ったことあっからな」

「じゃあこっち。ついてきて」


 ユリアが歩き出す。格納庫の扉は閉じているものもあれば、開いているものもあった。ユリアの進む方向を確認しながら、フォルテは走り回って扉の開いている格納庫を覗き込んでいる。


「あっはっは! 好奇心旺盛なところも変わらんなァ、フォルテは」

「ガキじゃないってやたらと主張する割には行動が子供すぎますね」

「まァそう言ってやるな。あの好奇心がヤツの良いとこでなァ。なんでもガツガツ喰らいついてくるから覚えも飲み込みもはやいはやい……ん?」


 跳ねまわっていたフォルテが、とある格納庫を覗き込んで微動だにしなくなったのを見て、クロエは眉根を寄せた。


「どうした、フォル……」

「おっさん、マズいぞ。"種"だ」

「何!?」


 クロエの眉が跳ね上がった。走り出す巨体を訝りながらユリアが後を追う。二人がフォルテの所に辿り着く前に、フォルテは格納庫に飛び込んだ。振り返らずに怒鳴る。


「ユリア、警報を出せ! お前はこっちくんなよ。おっさん手伝ってくれ、たぶんまだ間に合う!」



――——――——――——――——

お読みいただき、ありがとうございます。


クロエのおっちゃんはこの艦に配備されてるアヴィオンなら一通り操縦できるやべー人です。

その腕を買われて昔はスター・チルドレン開発のお手伝いをちょっとだけやっていました。


次回の更新は9/20です。

それではまた、次回。

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