第8話 密航者

「ねぇハイドラ君。少し背が伸びた?」


 ラウンジで甘いコーヒーを啜りながらくつろいでいた時の事だった。お代わりを淹れようと立ち上がったハイドラにクピドが言った。

 木星最大の衛星であるガニメデの防衛軍基地に寄港してから、二週間が経っている。ここの所アサクラがアステロイドベルト戦で四肢を失ったクルーに義肢をあてがう作業に追われ、やたらと忙しそうにしているせいで二人は暇を持て余していた。


 立ち上がったハイドラは、コーヒーサーバーに向けかけた足を止めて振り返った。


「そうかな? 自分じゃあんまり実感がないかも」

「そうだよ」


 クピドがするりと立ち上がる。カップの底に少し残った、ミルクの色が強いコーヒーが揺れた。


「やっぱり。最近なんか目線が合わないなって思ってたんだよね」

「そんなに近付いたら危ないよ」


 額の前にカップを持っていないほうの手をかざして、口付けできそうな距離まで顔を寄せたクピドをハイドラは慌てて押し返す。伏し目がちな金の瞳がうろうろと彷徨って、カップの中身に目を付けた。


「ええと……クピドもお代わり、いる?」


 クピドは軽く肩を竦めて、カップの中身を飲み干した。


「お砂糖3個入れてね。フォームドミルクでふわふわのやつがいい」

「はいはい」


 差し出されたカップを受け取って、ハイドラは踵を返した。サーバーにカップをセットして待つ。機械が豆を挽き始め、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。

 抽出を待つ間、ハイドラの手が所在なさげに赤錆色の髪を弄ぶ。ソファに身を沈めたままそれを眺めていたクピドが、乱雑に切られたその毛先を見た。


「まだ自分で切ってるの? 理容室あるんだから行ったらいいのに。持ち回りだけどみんな上手だよ」

「うん。3日に1回は切らないと目に掛かってくるんだ。そんなに頻繁に行くのもなんか申し訳なくて」


 こぽこぽと淡い水音がコーヒーを注ぐ。くるくると指に巻き付いていた赤毛が、離れてストンと落ちた。


「せっかく綺麗な髪なのに」


 ぽつりと小さく呟いたその声は2杯目の豆を挽く音にかき消され、かろうじて発声の事実だけを聞き取ったハイドラが振り返って首を傾げた。


「ごめん、今何か言った?」

「んーん」


 クピドは視線を逸らすと、ソファの上に足を上げて膝を抱え込む。剥き出しの膝の上に頬を乗せて、コーヒーの抽出される音にゆっくりと耳を傾けた。砂糖を水面に落とす音とそれを混ぜるカチャカチャという音がそこに重なって、一口コーヒーを啜り込む音が鼓膜を撫でる。


「はい」


 しばらくそうしていてぼんやりとし始めた意識を、ハイドラの声が揺さぶった。差し出されたカップを受け取る。


「ん、ありがと」


 ソファから足を降ろしたクピドの横に、拳一つ分の距離を空けてハイドラがぽすんと腰を降ろした。しばらく二人で甘いコーヒーを啜る。ややあって、カップに視線を落としていたクピドが顔を上げた。


「ねぇ、髪。わたしが切ってあげようか?」

「え?」


 黄金きんの瞳が瞬いた。少女の同じ色の瞳は、真っ直ぐに少年のそれを射抜いている。


「どうせ最近暇でこうやって毎日お茶してるんだもん。それならその時間を有効に使ったほうがいいかなって」


 ふ、と少年の表情がやわらいだ。

 

「ありがとう。……クピドは優しいね」

「ふふーん。わたしはお母さんの記憶をぜーんぶ持って作られた原型オリジンだもん。ハイドラ君よりずうっと大人なんだから!」

 

 それなのに身長だけそんなに伸ばしてぇ、と頰を膨らませたクピドの姿はその言葉とは裏腹に子供そのもので、ハイドラは大人びた表情で微笑む。感情に素直なクピドが少し羨ましかった。経過時間が他人と異なるこの体は、日ごとに子供という属性から乖離していくように感じる。


 ぷっくりと膨らませた頬にはフォームドミルクの泡がついていた。取り出したハンカチでそれを拭ってあげようと手を伸ばした時、にわかにラウンジの外でバタバタと何人もが走り回る音が聞こえてきて二人は顔を見合わせた。


「そっちに行ったぞ!」

「あー畜生すばしっこい! こらキミ、待ちなさい!」


 ソファ脇の小さなカフェテーブルにカップを置いて、ハイドラが立ち上がる。不穏な会話に眉をひそめて外の様子を見に行こうとした少年の脇を、小柄な影が走り抜けた。


「わっ!?」


 驚いたハイドラの声に、ラウンジの外の「あれっどこ行った?」「また見失ったんか!?」という大人たちの焦った声が重なる。


「ハイドラ君、あそこ!」


 ラウンジの奥の備品棚の陰にこっそりと身を潜めようとしている小柄な人影を認めたクピドが声を上げた。チッ、と舌打ちする音がして小柄な少年が飛び出してくる。ハイドラの足が床を蹴った。


「あっ、畜生なんだよテメー! 離せよ!! 離せってば!!」


 年の頃は12、3といったところだろうか。自分よりわずかに背の高い少年をがっちりと抱え込んだハイドラは、目つきの悪い三白眼で睨みながらジタバタと暴れるそれを困ったように見つめた。


「ええと……どうしよう?」


 * * *


「で、結局なんなんだこのチビッ子は」


 凄まじい目つきの悪さで周りを自分を取り囲んだクルー達を睨みつけている少年を見降ろして、彼を追い掛け回していたクルーの一人は溜息をついた。整備班御用達の強化ワイヤでぎっちりと拘束されて身動きが取れない状態にも関わらず、その目から発せられる闘志は全く衰えを見せない。

 結果的に少年を捕らえた功労者となったハイドラは、答えを持たない問いに眉を下げた。捕物の現場に偶然通りかかってから付き添ってくれていたユリアが、「この子捕まえただけなのに分かるわけないでしょ」とかばってくれる。

 整備班のツナギを着たその男は、もう一度溜息をつくと少年の前にしゃがみ込んだ。


「坊主、こいつぁ戦艦で遊び場じゃねぇんだ。ホラ、今ならお咎めなしで返してやるから、お家に帰ってママにケツでも引っぱたいてもらいな」

「うるせー黙れオッサン、親なんざいねぇよ! あと俺はガキじゃねー、18歳だ!」


 唾を吐き掛けるような動きをされて、男は咄嗟に身を引いたが何も飛んでは来なかった。顔をしかめている男に、少年は悪態をぶちまける。


「畜生このクソったれの義体め! 唾も吐けやしねー……ぶべっ!?」


 突如座った状態だった少年が、顔から床に突っ込んだ。涼しい顔で振り抜かれたユリアの脚を間近で見ていた男は、引き攣った笑顔でユリアを見上げた。


「あー……ユリアさん? な、なんで蹴ったんスか?」

「ケツ叩いてくれる親がもういないって言うから、その代わりよ。ねぇアンタ」


 ユリアは腕組みしながら芋虫のように床に転がった少年を見下ろした。義体だと明かした少年は、特に痛がる素振りも見せずに自分を蹴り飛ばした女を睨み上げる。


「なんだよ暴力クソ女」

「アンタが今してるのは密航で、今すぐ叩き出されても文句は言えないの。でも聞いてあげるわ。なんでウチの艦に潜り込んだの?」

「……木星圏はクソったれだからだ」


 応えた少年の視線の温度が下がった。ユリアのつま先がとんとん、と床を打つ。


「答えになってないわ。叩き出すわよ」

「痛めつけたって効きゃしねぇよ暴力女。アザトゥス侵攻は人類の危機だ。それなのにここの企業どもはどいつもこいつも金勘定の損得ばかりで人類の存続なんか考えてもいねー。それがうんざりでここに来た」

「戦いたいってこと?」

「それ以外に戦艦に乗る理由があんのかよ」


 そう吐き捨てた少年を、おろおろと見守っていた整備班の男が助け起こしてやりながら気遣わしげに声を掛ける。


「なあ坊主、戦艦ってのは乗りたいからで乗れるモンでもないんだよ。木星基地だって志願は受け付けてるだろ、だからそっちで防衛軍に正式に入ってだな――」

「うるせぇよオッサン、ガキ扱いすんなっつってんだろ。あのハゲデブヘンケルスが企業にヘコヘコしてるから木星圏はこのザマなんだよ。木星基地って名前がついたお飾りのゴミ捨て場に行くなら、前線に行く船の片隅で干からびたほうがマシだ」

「うう、俺そんなに老けてる? ……待って俺は大丈夫だからやめてユリアさん、暴力は躾じゃなくて虐待ッスよ。"ケツを叩く"は比喩表現だかんね?」


 数度に渡ってオッサン呼ばわりされた男が眉を下げたのを見て無言で脚を持ち上げたユリアを、当の本人が慌てて制した。度重なる罵倒にしょげながらも助け起こした少年の顔を真っ直ぐ見て、なおも優しく諭そうとする。


「まあなんだ、とにかく何事にも順序ってものがある。このままウチに置いてやるわけにはいかねぇんだ」

「いいじゃない、置いてやれば」

「とりあえず降り――って、は? ユリアさん?」

「あん?」


 薄い笑みを含んだユリアの声に、男と少年は訝し気に振り向いた。


戦闘班ウチは人手不足なのよ。死に急ぎたいならちょうどいいわ。私が艦長に話をつけてあげる」


 少年は気味が悪そうな表情になって、ユリアの脚と顔を交互に見る。


「なんだよ人の事蹴り飛ばしたくせに。急に気持ちわりーな」

「そう。降りたいなら降りていいわ」

「……いや。それとこれとは話が別だ。人手不足ってのも冗談じゃなさそうだしな」

 

 ユリアの少し後ろに並んで立つ、自分よりもさらに小柄な二人を見て、少年は皮肉げな笑みを見せた。


「まァ、アンタらもただのお子様じゃねーんだろうけどさ。この義体からだでまさかガキに捕まるとは思わなかったぜ」

「案外小さいほうが小回りが利くから、追いかけっこには有利じゃないですかね。とはいえ、僕もあなたと同じでですよ」


 スペック、という単語にクピドは少しいやそうな顔をした。少年はそれを見ないふりをして肩を竦める。


「お互い苦労するよな。さ。おい、えーっとユリアサン? もう逃げねーからこれ解いてくれよ。こんなに締め上げられたんじゃアクチュエータがいかれちまう」

「あらそう。安心しなさい、優秀な技術者なおしてくれるひとならたくさんいるから。もう少しそのままで反省してて」

「反省ィ? 意気軒昂、戦う気満々の優秀な人材を拾えたんだぜ、感謝して欲しいくらいだね」

「そういうところよ。口の利き方も知らなければ名乗りもしない。これだからお子様は」

「……フォルテだ。何度も言うがガキって言うんじゃねー。これでも18歳だ」

「そう。私は19歳だからやっぱりガキね」

「誤差じゃねーか!!」


 フォルテは目を剥いた。ユリアは膝を折り、フォルテと名乗った少年の眼前にしゃがみ込む。動けないフォルテの顎を細い指で持ち上げて、薄い唇が鮮やかに弧を描いた。


「アンタが役に立つかは分からないけど、そのやる気は気に入ったわ。ようこそ第13調査大隊へ。もう引き返せないわよ。いいのね」


 吸い込まれるような碧眼にフォルテは一瞬たじろいで、それから唇ににぃっと笑みを浮かべてその目を見返す。


「望むところだ。……アンタよく見りゃ美人だな。暴力はやめとけよ、せっかくの女の格を下げるぜ」

「……よく見たら、は余計よ」


 フォルテの顎から指を離したユリアはちょっとだけ頰を膨らませてから、その指で少年の額を弾いた。



――—————――———

お読みいただき、ありがとうございます。


1か月で1年分成長するハイドラは、順調に成長中です。

そろそろ色々と悩ましいお年頃。

コーヒー豆は地球産の高級品ですが、「金の使い道のない」大人たちがたくさん仕入れてくれているのでラウンジで誰でも飲めるくらいには潤沢にあったりします。


次回の更新は9/13です。

それではまた、次回。

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