第7話 英雄クロエ

「なあなあ、知ってるか? 新しいエースパイロットが来るって話!」


 シミュレータでの戦闘訓練を終えて、昼食を取りに食堂に向かっている最中の事だった。うきうきとした様子でそんな事を言い出したコンラートに、ユウは首を傾げる。


「新しいエースパイロット? シエロ、知ってる?」

「いえ。私も初耳ですね」


 事情を知らなそうな二人に、コンラートはしたり顔で手招きをした。ユウとシエロが訝しげな表情で顔を寄せると、勿体ぶったように声を潜めて話し始める。


「俺、たまたま艦長室の前を通った時に聞いちゃってさあ。クロエって名前のお人が来るらしいんだよ。もう名前からして美人じゃね〜?」


 そのニマニマとしたちょっと嫌らしい笑顔に、ツェツィーリヤが着任する時の人だかりを思い出してユウは顔をしかめた。


「仮に美人だとして何を期待してるんだよ……。副艦長の時みたいになるのが関の山だろ」


 至極まっとうな事を言うユウを、コンラートはじろりと睨めつけた。


「うるせぇ変態。相棒バディを女のコにして連れ歩いてるお前に言われたかねぇんだわ」


 う、と一瞬言葉に詰まったユウに、隣のシエロが「やられましたねー。これは痛い」とケラケラ笑う。ユウはむすっとして半眼でコンラートを見返した。


「自分だって女のコ連れ歩いてるくせに」

「あ? 何の話だよ」


 コンラートは片眉を上げてユウを見る。ユウは仕返しとばかりにちょっと嫌な笑顔で笑ってみせた。


「……ミラ13番。お前が新しく来る美人に鼻の下伸ばしてたぞって教えちゃおうかな」


 コンラートの顔がぶわっと赤くなる。


「ばっ、おっま……、アイツは関係ねぇだろがよ! ミラは今リハビリ大変なんだよ、余計なこと吹き込むな!」

「ねぇユウさん、ちょっとあれマジなやつですよ。やめてあげてくださいよ」

「だね。ちょっと冷やかすだけのつもりだったのに、マジだなあれは」

「ヒソヒソすんなやこのサイバネボディども!!」


 シエロは唇に指先を当てると、くすくすと悪戯っぽい笑みを零した。


「うわー。それもミラさんに言っちゃおー。リハビリ頑張ってるのに可哀想だなー」

「黙れぶっ壊すぞ」

「残念ながら誰かさんの趣味でフル戦闘仕様でして」


 そう言ってピースを作った指がパラパラと分解していき、現れた銃口が天井を向く。ユウは顔をしかめた。


「やめなよやたらと変形するの。そのうち本当マジにトラブるぞ」

「えー。せっかくなので変形機構見せていきたいです。カッコいいでしょ」

「カッコいい!! 何それ何それ見せて見せて!」

「うわ!?」


 横合いから白い塊がシエロに飛びついた。バランスを崩した義体が床に倒れ込む。目を白黒させるシエロの上にナギが馬乗りになって、キラキラした目で変形した手を見た。むんずとそれを鷲掴み、しげしげと眺める。


「うわすっご、これどうなってんの。なにこれ義手? 木星でなんか流行ってるってやつ?」

「……降りてもらえませんか」


 シエロは砂を噛んだような表情でナギの体を押しやった。ナギはその時初めてシエロの顔を見ると、手を掴んだままきょとんとした様子で首を傾げる。


「……誰?」

「シエロです。これはユウさんが用意してくれた義体です」

「ユウが?」


 ナギは馬乗りになったまま、まじまじとシエロの顔を眺めた。次いでユウのほうを見る。紅玉の瞳がシエロとユウの間を何度か行き来した後、ナギは蔑むような目でユウを見た。


「趣味わっるぅ」


 コンラートが吹き出した。ユウは怒ったらいいのか泣いたらいいのかわからない、といった表情で目を白黒させている。

 ナギはシエロの腕を離してスッと立ち上がると、無駄のない動きでユウに歩み寄った。紅玉の瞳に冷たい色が宿る。薄い唇が耳を掠めるような位置で動いた。


「ねぇユウ。キミがシエロに対して抱いているその気持ちは、たぶんキミが思ってるものとは違うよ」


 ひそやかな声に、ユウの瞳孔が開く。周囲の気温は変わらないはずなのに、背中に氷の棒を差し入れられたような冷たさを感じた。二人の間にある僅かな空気だけに霜が降り、凍り付いていく。


「……何を、言って。い、いやあいつは俺の相棒で、先輩で、すごいやつで、尊敬してるというか、」

「相棒で、先輩で? ……そう。何もかもが間違ってるとボクは思うけど……。ま、キミが気付くまでは仕方がないか」


 眇めた紅玉の瞳が、空色の髪とコバルトブルーの目を持つ義体を見る。会話の内容が届いていないシエロは、不思議そうに首を傾げた。

 するりとナギがユウから身を離す。氷が解けた。言葉を発した後に息をするのを忘れていた喉が、ややぬるい空気を吸い込む。

 

「一体何を言われたんです?」


 立ち上がったシエロが、ジャケットの裾に着いた埃を払いながら訝しげに尋ねる。すたすたと去っていく白いエースパイロットの背中を見送って、ユウは困ったようにぽりぽりと頭を掻いた。


「何だったんだろうな……本当に」


 * * * 


 昼食時で食堂は混んでいた。ランチメニューのペンネとスープの乗ったトレイを持ったユウとコンラートは、うろうろと彷徨い歩いて空席を探す。


「こっち、空いてますよー!」


 人込みの向こうからシエロが手招いた。指出しグローブに包まれた細い指は、どこもかしこもみちみちにクルーが詰まった食堂の一角にぽっかりと空いた空間を指し示している。

 やっと席が見つかった安堵の表情でシエロとコンラートが歩み寄ると、巨大なボウルを抱え込んでペンネを一心不乱にむさぼっている、巨大な男が見えた。


「よかったですね、これで座れますよ」


 褒めて褒めてと言いたげににこにこと空席を指し示すシエロの腕を掴んで引き寄せると、ユウは潜めた声をちょっぴりだけ荒げた。


「いや待ってよ。誰あの人! この辺空いてるの絶対あの人のせいだよね!?」

「見た事ねぇ顔だなぁ。なんだあのクソデカボウル」

 

 トレイを持ってヒソヒソと囁き交わす3人に、男が気付いた。もぐもぐと口いっぱいに詰め込んだペンネを咀嚼して、ごくりと飲み込むとにっかりと人のよさそうな笑みを浮かべる。口と顎の周りにみっしりと生えた髭はトマトソースだらけだった。


「おう、ここ空いてるぞ。遠慮せず座れ座れェ」

「ありがとうございますー」


 するりとユウの手を抜け出したシエロが、何の躊躇いもなく男の正面に座る。ユウとコンラートは何とも微妙な顔で顔を見合わせた後、腹を括ってその隣に陣取った。


「失礼します」

「なァんだ、真面目なヤツだなぁ! うんうん、ま初対面の人間に礼儀を欠かさないのは悪いこっちゃない。だがメシは気負わず楽しく食うのが俺の主義でね」


 呵々と笑って男は巨大なボウルの半分くらいまで入っているペンネに、どさどさとチーズを追加した。赤いペンネの山が、粉チーズの雪を被って白く染まる。

 暴力じみたハイカロリーを見せつけられると、食欲というものは失せるらしい。ユウはげっそりと息を吐いてペンネをつつきかけていた手を止めた。

 

「……美味しそうですね」


 ちっともそう思っていなさそうな顔でユウが言うと、男は巨大な腹を揺すって苦笑いした。


「いやァ、なんか食欲を削いじまったみたいでスマンね。みィんなそう思ったみてェでほれ、このザマよ。混んでる時間に悪い事をしちまった」


 男はフォークで自分の席の周りをぐるりと指し示す。そのフォーク一つ取ってもやたらとデカかった。たぶん取り分け用だろう。

 ユウは頭の中で男の印象を書き換えた。デリカシーも周りの事も気にしない輩かと思っていたが、意外と周囲をよく見ている。

 

「ここのメシは美味すぎて幾らでも食えちまうのがいけねェや。木星基地の食堂は生命活動が維持できりゃいいって勘違いしてるからな」


 そう言って男はペンネを頬張った。もぐもぐとそれを咀嚼しながら、何も置かれていないシエロの前を見て顔をしかめる。


「おい嬢ちゃん、お前さんは喰わねェのか? そのスタイルもなかなか魅力的だとは思うが、メシ抜きのダイエットはちといただけねぇぞ」


 シエロはぱか、と手首を外してみせると苦笑した。


「私は義体ですよ。食堂のご飯はいつもとても美味しそうなので、本当は食べてみたいんですけどね」

「おお、そいつは面目ない。悪い事を言ったな。……そっちの兄ちゃん、もしかしてお前さんも義体か?」


 ペンネに手を付けようとしないユウの、青く光る目と首のコネクタに目を走らせながら男が尋ねた。ユウは首を左右に振る。


「これは義眼で、俺は一応生身です。あとは手足が義肢なので……コネクタはそれ関連で」

「なるほど。そいつぁイイ」


 男はにやりと笑った。含みのあるその笑顔にユウが僅かにたじろぐ。とにかく存在感の物凄い巨漢なので、ちょっと含みのある表情をするだけで得も言われぬ迫力があった。

 たっぷり中身の詰まったソーセージを連ねたような指が、ちょいちょいとシエロを手招く。怪訝そうな顔で身を乗り出したシエロに、男は悪戯っぽい表情でひそひそと囁いた。


「あんなァ、コネクタ持ちの生身のヤツを捕まえるとな、実は感覚共有できるぞ」

本当マジですか!?」


 椅子を蹴倒して立ち上がったシエロが叫ぶ。無数の視線が突き刺さって、シエロは首を竦めて椅子を引き起こした。


「ちょっとその話詳しく」

「カンタンな話よォ。コネクタでちょいと繋いでやればいいのさ。それで神経情報を共有できる」


 シエロはぐりん、とユウの方へ顔を振り向ける。


「ユウさん、ケーブルないですかケーブル」

「普段からそんなもの持ち歩いてるわけないだろ……」


 急に近づいてきた顔にピントを合わせようと、ユウのカメラアイがひっきりなしにフォーカス音を鳴らした。ふん、とシエロが鼻を鳴らす。


「整備班の矜持とかないんですか?」

「今メインは戦闘班だし……」


 ぼそぼそと言い訳するユウを見て、男は巨腹を揺すった。


「なっはっは。まずは感覚共有変換の調整をせんと酷いモンを味わうハメになるぜ、嬢ちゃん。まァ詳しくは技術担当メンテナに訊くんだな」


 シエロは一瞬残念そうな顔をしてから、素晴らしい情報を与えてくれた男に頭を下げる。


「教えてくださってありがとうございます。是非試してみます。……申し遅れましたが私は新型高機動戦闘機HUS-01_CIELOの機体制御用AIユニットモジュール、通称シエロです。先ほども申し上げた通り本体は機体に接続されており、これは義体です。どうぞ以後お見知りおきを」

「ほぉ」


 トマトソースだらけの髭の上で、ふくよかな顔に埋まった小さな目が瞬いた。


「聞いた事ねぇ型番だ。新型のスター・チルドレンか? あんた人格コピーAIかね」

「? 当機はアヴィオンですよ」


 シエロは首を傾げる。不思議そうな顔をしているシエロに、男はぽりぽりと頭髪の薄い頭を掻いた。


「いや、すまん忘れてくれ。しかしお嬢さんばかりに名乗らせっぱなしってェのは格好がつかねぇ。俺も挨拶しねぇとな」


 そう言うと男はゴシゴシとナプキンで口を拭った。拭いてなおトマトソースの残る髭面をにかりと緩めて、テーブル越しに手を差し出す。


「木星基地からこの調査大隊に転属になった、クロエだ。階級は少尉だが、まァ気負わず仲良くしてやってくれや」

「よろしくお願いします、クロエさん。……クロエ?」

 

 ソーセージを連ねたような指に細い指を絡ませたシエロが、聞き覚えのある名に首を傾げる。その隣で、ガランとフォークがトレイの上に落ちる音がした。音のする方を見ると、コンラートがあんぐりと口を開けて固まっている。


「クロエ……クロエ少尉……? エースパイロットのクロエ少尉……あっ!!」


 記憶を探るように眉を寄せていたユウが、目を見開いた。


「コンラートが変なこと言うから全然思い至らなかったけど……まさか極東の英雄、黒江少尉!?」

「あー、まァ。そんな風に呼ばれてた事もあったかもな」


 男は巨躯に見合わぬ照れ照れとした表情で、再び頭を掻いた。想像との乖離の酷さに活動停止していたコンラートが息を吹き返し、いまいちピンと来てないらしい表情で顔をしかめる。


「なんだ、有名人か? つかお前だって"フォボスの英雄"だろ」

「この人がいなかったら極東はおしまいだったって言われてる人だぞ。俺と違っての英雄だよ。木星にいたなんて全然知らなかった」


 再びペンネをもぐもぐやり始めていたクロエは、その会話を聞いて小さな目を輝かせた。


「ほぉ。ほぉほぉほぉ! お前があの正体不明と名高いフォボスの英雄なんかよ! いいねぇいいねぇ、話聞かせてくれや」

「うへ、勘弁してください……」


――—————――———

お読みいただき、ありがとうございます。


4章冒頭でスペンサーに左遷を示唆されていたクロエ少尉の登場です。

ユウの言う通り、ガチの英雄です。巨体をコックピットにみちみちに詰めて戦う滅茶苦茶強いおっちゃんです。

ちなみに現在は寄港中なので、希望すればナタリアさんは幾らでも山盛りにしてくれます。やったね。


私事ですが、今週短編を一つ投稿しました。

戦争が終わった後の、戦争機械と少女のお話です。よろしければ覗きに来てやってください。


次回の更新は9/6です。

それではまた、次回。

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