第6話 REBOOT、あるいはREBIRTH

 濃い青で出来た、遥かに続く地平が延々と続いている。時折青白いラインが脈打つように疾走はしっていくその空間は、何処まででも歩いて行けて、そして何処へにも辿り着けない。

 歩き疲れてへたり込む。の疲れはない。疲れ果てているのは心の方だ。最も自分にそんなモノがあるのなら、だが。

 どこまで歩いてもふわふわとついてくる、操作UIに触れる。空間が切り取られ、外界を映し出した。この何処までも続く永遠の外にある、有限の世界。  

 水素反応炉の淡い駆動音だけに満たされた空間に、戦闘機アヴィオンが三機並んでいる。この美しくも冷たい銀色の機体を、自分の身体だと思っていた。流線型のそれにRAMのマニュピレーターを翳して眺める。最近はこの無骨なマシンと比べて、どちらが自分の本体なのか、その認識が曖昧になりつつあった。

 ふわふわと浮かぶUIの時刻表示を見る。無機質に並ぶ数字は、真夜中を指していた。毎晩スリープモードに入るのに、何のバグなのかこうして真夜中に起動してしまうことがある。


 ケイが沢山入れてくれた、VRアプリケーションを立ち上げる。草原と青空が広がった。風が吹き抜けて草を揺らす。風が吹いていると思うのは、細かな草の破片がエフェクトとして流れてくるからだ。草の匂いも、頰を撫でる風の感触も、照らす太陽の暖かさもない疑似世界つくりもの。草原の奥で一匹の鹿が足を止め、感情のない黒い瞳でこちらをじっと見つめた。

 アプリケーションを切り替える。賑やかな街の真ん中に立った。行き交う人々の目はどこか虚ろだ。近寄るとその目に光が灯る。なああんた、知ってるか、最近このあたりじゃさ……。演じられた人の声も、モーションキャプチャーされた表情も感情豊かだ。たとえそれが、この世界シーンを進むための情報を繰り返し喋るだけであっても。

 切り替える。薄暗い廃墟。無臭の腐り落ちた肉体と、痛みを伴わない流血。ぱん、とトリガを引く指は反動リコイルの重さを知らない。


 オーバーレイされた鮮やかな世界を全て消し去る。あとには濃い青の、遥かに続く地平だけが残った。アンビエントなサウンドが無限にループしている。

 再びRAMカメラアイの映像を呼び出した。そこに広がる冷たい格納庫でさえも、よりは暖かそうに見えた。0と1の薄膜を隔てて、この無限の世界と決して交わることの無い有限の世界。

 薄膜の向こうには行けない。わかっている。自分はAIだ。英雄エースであれと形作られた思考回路。恐怖してはいけない。臆してはいけない。逃げてはいけない。

 だが心が、魂が、自分の世界は有限の世界あちらがわだと悲鳴を上げている。人間の脳の仕組みも、突き詰めれば0と1の繰り返しだという情報が記憶ライブラリの片隅にあった。脳細胞の上で踊る0と1に魂が宿るなら、メモリの上を踊るこの0と1にどうして魂が宿らないと言えるだろう。


 夜は嫌いだった。皆が眠っている間、誰の気配も感じないこの空間では、こうしてとりとめもなく益体のない事を考え続けてしまうから。やはりこのバグの修正を、さっさとアサクラに頼むべきだろう。

 RAMを充電ドッグに戻す。接続を解除した。VR操作用の白い手でスリープを操作する。大丈夫、朝になれば皆に会える。薄膜を通り抜けて、温度を分けてくれる友人なかまたちに。だからAIじぶんも夜は電源を切るねむるのだ。この魂が、凍りついてしまわないように。


 * * *


「おはよう、シエロ」


 相棒ユウの声がする。スリープモードの時に声を掛けられるのは珍しい気がした。起動おきる時間は概ね7時、食堂に行ってユウかケイを見つけるのがルーティーンだ。こうして直接格納庫までやってきたということは、緊急の出動か何かだろうか。


「シエロ? 聞こえてる?」


 それにしてはユウの声は穏やかだった。返事をしなくてはいけない。意識レベルまぶたを上げかけて、異常な光量に狼狽える。濃い青色をした空間の光量は常に一定のはずだ。こんな事は初めてだった。まだ音声出力タスクも呼び出せていないのに、管理UIが見えない。


「おはよう、シエロ」


 ユウのトーンが一段穏やかになり、声が喜色に緩む。光の中に人影が映った。ぱちりと瞬く。薄膜の内側にある、ユウの顔。怪訝そうに眉が寄る。


「シエロ?」


 視界に向かって手が伸びてきた。アクチュエータの駆動音。ほのかに香る機械油のにおい。顔を触ろうとしたを反射的に掴み取る。人肌の柔らかさ。暖かさ。掴んだ手を強く引いてしまい、バランスを崩して倒れ込んで来たユウの吐息が頬を撫でて。


「!?#!$…∂≠±!?!!?」


 致命的な量の情報がいっぺんに雪崩込んできたシエロの口からは、意味を成さない音の羅列が飛び出した。


 * * *

 

「……義体の感度設定を諸々下げたよ。どーぉ、落ち着いた?」

「はい、すみません。お見苦しいところを」


 作業台の上に腰掛けたシエロは、感覚を確かめるかのように両の掌を軽く握ったり閉じたりした。そのたおやかな指の動きを眺めながら、ユウは先ほどシエロに捕まれた手首をさする。


「腕が抜けるかと思った……」

「やぁ、まだ力加減がよくわかってなくて。すみません、ユウさん」


 謝罪を口にしているはずのその声はうきうきと明るい。ユウは複雑そうな表情でその姿を眺めた。


「しばらく身体が無――じゃなかった、義体を初めて繋ぐなら感度は高めがいいって義体屋が言うからさ。馴染み具合はどう?」


 ユウの隣で共に起動を見守っていたユリウスが、鏡を手渡しながら尋ねる。シエロは鏡を受け取って覗き込むと、眉を寄せて首を傾げた。さらさらとした空色の髪が揺れる。


「うーん。なんだか若干しっくりこないんですよね。なんだろう、これじゃない感というか……。ちょっと落ち着かないな、なんだか細いし」


 シエロは鏡を傍らに置くと、ぺたぺたと両手で身体をあちこちまさぐる。細い指が薄い病衣のみに包まれた身体を撫で回す様は妙に官能的で、ユウは思わず目を逸らした。ユリウスに出したについて、ちょっぴりの後悔が心臓をきゅっと締める。


「んー? シエロ、性自認逆だった? 最近はボイス、女性ばっかり使ってるじゃない」


 ごそごそと器具を片付けていたアサクラが、ひょこりと顔を向けた。シエロはぺたぺたと身体を触っていた手を止めて、星が散るコバルトブルーの瞳をしかめる。


AIわたしにそんなモノあるわけないでしょう。ボイスライブラリが偏向しているのはただのケイさんの趣味ですよ」


 今回のコレは誰の趣味ですか、と巡ってきたコバルトブルーの視線から、ユウとユリウスはさっと目を逸らした。その様に大袈裟に溜息を零して見せてから、シエロは堪えきれない様子でにまーっと笑う。


「まあ誰の趣味でもいいです。2Pカラーみたいな配色も、まあ目を瞑ります。個人的にはこう、プリセットを再生せずに溜息をつけるのが最高ですね!」

「……そこなの?」

「音声出力って結構面倒なんですよ。音声出力タスクなしに喋れるの、控え目に言ってかなりいいです」

「思考がダダ漏れになったりしないのか、それ」


 ユリウスのもっともな指摘に、シエロははたと首を傾げた。


「あれ、音声出力タスクもないのに確かにそうですね。……何でだろう?」

「口の動きが音声出力に同期してるんだよ。口を思考に合わせて動かしている時だけ出力されるみたいだねぇ」


 アサクラの言葉に、シエロはぴたりと口を噤んだ。視線を鼻先に集め、しばらく百面相を繰り返しいている。どうやら思考が勝手に出力されないかどうかを試しているらしかった。


「…………。 ホントだ! うわ、面白いな〜」

「無意識なのか、それ。よく馴染んでそうだね」

「ユウの義肢よりだいぶ性能よさそうだよぉ。この第7世代型義体核コアの仕組みは面白いなー。僕も1体買おうかな」

「やめてくださいよ。マッドサイエンティストが機械化して人類滅ぼすやつの序章じゃないですか」

「買うなら男性型にしてください。使ってみたいので」

「……そんなに嫌だった?」


 ユウは眉を下げた。シエロは再度左右の手を眺めてから、肩を竦めてみせる。


「いや、だって戦闘機械としてどうなんです、これ? もうちょっとこう、戦うためのカタチみたいなものがあるのでは?」

「ウチの隊で近接戦闘最強なの、たぶんナギだよ。というかその義体ソレ日常生活用だし、シエロが戦闘するのはアヴィオンでだろ?」


 困惑を深めたユウの視線と、困惑を始めたシエロの視線が絡み合う。シエロはつ、と何も無い空間に手を滑らせた。その動きには覚えがある。パイロットスーツのHUDヘッドアップディスプレイに表示されているウィンドウを動かす時の動作だ。


「……今、私の仮想HUDに大量に表示されている兵装モジュールの初期設定画面はなんですか?」

「待って。何だそれ聞いてない」


 ユウは人体改造における第一容疑者のアサクラを見た。アサクラは肩を竦めて首を左右に振る。ユウは目を瞬かせた。を頼んだ友を振り返る。


「……ユリウス?」

「いやだって仕込み武器ってロマンじゃん!! やめろそんな目で見るな。兵装モジュールは全部俺の金で買ったんだからいいだろ!」

「……使用者わたしの意志は?」

「お前は喜ぶと思ったんだけど」


 うーん、と唸ってシエロは顎を撫でた。次の瞬間、その姿が掻き消える。ガチャリと、男心をくすぐる変形の音と共に、ユリウスの顎に冷たい金属の感触が触れた。


「うお!?」


 後ろから抱きすくめるような形で、手首と膝に仕込まれた銃口をユリウスに押し当てて、コバルトブルーの瞳が妖艶に笑う。


「かぁっこいいですよ? 気に入りました、ありがとう」

「……そりゃよかった」


 苦笑いして銃口を手で押さえたユリウスに、シエロは素直に兵装をひっこめた。滑らかな肌の下に人を殺せる機構が吸い込まれていく様を、ユウは複雑そうな表情で見つめる。

 皴の寄ってしまったユウの額を、細い指がこつんとつついた。少し眉を下げた優しい表情で、義体シエロ相棒ユウの顔を覗きこむ。


「そんな顔をしないで。感謝してます。コックピットから動けなかった私に自由をくれたことも。この貴方たちにより近い身体をくれたことも」


 華奢な指先が、生身の右手のそれと絡まる。人工皮膚に覆われた手は、じんわりと温かった。左手を取る。右手と同様に感じる、柔らかさと暖かさ。

 ユウの脳裏を、オセアニアの風が吹き抜けた。地球を出発する前に、モニター越しに見せた最後の景色を思い出す。随分と遠くまで来てしまった。

 きっともう地球あそこには帰れない。あの風の心地良さも、吹き抜けていく草の香りも、きっとシエロはもう感じられないのだろう。その事実が、ひどく歯がゆい。


「喜んでもらえて、よかった」


 内心を押し隠して微笑んで見せたユウに、かつて、いやきっと今も恋をしている少女の顔は、とびきりの笑顔で答えた。


「ええ。ありがとう」


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