第5話 金で買える身体
ユリウスはヘルメットを脱いでツェツィーリヤに放る。先ほどエイトがしていたようにガラクタの山の隙間に顔を突っ込もうとすると、何かにぶつかる衝撃と共に「ああこら、やめんか」という店主の苦い声が落ちてきた。
ヴン、と低いノイズ音と共に、ユリウスが頭をぶつけた辺りに
ユリウスが目を白黒させていると、店主は呆れたように言う。
「何驚いとるんだ。アンタのメ
「ああいえ……まあ、そうですね」
「新型の
店主はそう言ってゴーグルを額に引き上げると、しょぼついた目を擦って再び
「もうちょいで調整出来る。アンタ俺のトコに来て正解だぞ。表の店じゃあこんなイカれた調整なんざしてくれんからな」
「助かります」
ユリウスが素直に頭を下げると、店主はくつくつと笑いを漏らした。その手の先で、鈎に釣られた
「素直すぎると騙されるゼぇ、兄ちゃん」
空箱を携えてふわふわと寄ってきたエイトが笑いを含んだ声で言った。座んナ、と置かれた箱の上に素直に腰を降ろす。パーツをニヤニヤとした笑みの形に歪めるエイトを見て、ユリウスも意地の悪い微笑みを返した。
「なぁに、エイト。お前の紹介だから信用してんだよ」
「あ?」
「
「あ、アレは案内したらもっと買ってくれルって言うからサァ」
「素直すぎると騙されるぞー」
ユリウスが指をアイパーツとアイパーツの間にぐりぐりと突き付けると、エイトはぷいとそっぽを向いた。少し離れた所で同じく空箱の上に腰を降ろしたツェツィーリヤが、呆れたような表情でそれを見ている。
ひとしきりエイトを弄って満足すると、ユリウスは店主に向き直った。
「おやっさん、そろそろ支払いの話をしたいんですが。今手持ちは現物で100、電子なら2000あります。これで足りなかったらなんとかしたいので、先に話を」
道行く機械たちの視線が、ぐりんと一斉にユリウスを向く。ユリウスが銃に手を掛けて睨み返すと、機械たちはそそくさとそっぽを向いた。義体屋の店主が鼻に皺を寄せる。
「阿呆。
「すみません。でもこういう話は、まずはこっちの手の内を見せるべきかと思って」
「青い事言いやがって。しかし即金でその額たぁ随分剛毅だな。防衛軍ってのはそんなに儲かってんのか」
「調査船の
店主は半眼で、青玉の瞳が真っ直ぐに向けてくる視線を受け止めた。肩を竦め、ユリウスに歩み寄ると耳元にボソリと告げる。
「……1200でいい」
「え? でも義体の市場価格って1500は下らないって事前に」
「手に入れたはいいが捌き先がなくて困ってた義体だ。即金になるなら構わねぇよ。どいつもこいつもローンでチマチマチマチマ払うヤツばっかだからな。なぁエイト?」
「わァ、突然の飛び火」
「それに
そう言って店主は店の奥に姿を消した。何かをひっくり返すような音が数度響いた後、にゅっと現れた機械腕がユリウスにカタログの束を投げて寄越す。ばらぱらとそれをめくって、ユリウスは辟易とした表情を作った。
「いや……
「莫迦もん。外装なんてのは趣味の範囲だろ。必要なもんを無駄に高くする気はねぇが、趣味のモンならちゃんと毟らせて貰うからな」
「毟るって言いやがった……。うわ、腕用の仕込みガトリングとかある。クソ、わくわくすんなぁ!」
「要りますの? それ……」
空箱を引きずって隣にやってきたツェツィーリヤが、腰を降ろしながら半眼でカタログを覗き込む。そしてユリウスの膝に積まれたカタログから髪型用のそれを抜き出しながら、ぽつりと呟いた。
「まあ、ちゃんと選んであげてくださいな。足りなかったらわたくしも出しますので」
「アッ、いいナぁ。この暗視機能俺も欲しいんだよナー」
エイトも反対側から手元を覗き込む。硬いドーム頭にぎゅむぎゅむと顎を押されて、ユリウスはうんざりと息を吐いた。
ユウから預かった分は1500。そこにユリウスが500足して2000のつもりだったが、むくむくと悪戯心が頭をもたげる。
ユリウスはバングルのホロモニタを起動してメモタスクを呼び出すと、ユウから頼まれた外装のメモの下にカタログの番号を記入し始めた。
* * *
ユリウスの提示した
「アンタの友人は幸せモンだな。他人のためにこれだけしてやろうってヤツぁ、
「何言ってんですか。親切な人なら俺の目の前にいるでしょ」
「……アンタな。誰にでもそう言うコト言ってっと、そのうち勘違いした女辺りに刺されんぞ」
涼しい顔で混ぜっ返したユリウスに、店主は苦虫を噛み潰す。その渋い顔に、だがユリウスは何処か懐かしむような顔を見せた。
「何処にでも親切な人はいるもんですよ。ありがたいことにね」
店主はフン、と鼻を鳴らした。
「そう言える地球圏ってのはいいとこなんだろうな。少なくとも
「金さえあればまた歩けるようになるってんなら、地球圏より幸せな気もしますけどね。地球圏で足なんて吹っ飛んだら、そのまま這いつくばって生きるしかありません」
「その金が問題なのさ。クズどもは大抵、大して金を持っちゃいねぇ。お前さんの言う通り這いつくばって生きるか、そうじゃなくとも合わねぇ粗悪な義体でやってくしかねぇんだ。金持ち連中は肉体は生命の檻だとかなんとか
「生命の檻ってヤツ、嫌だよナー。俺なんて生体パーツゼロだけどサ、全然長生き出来る気しねーモん。生体に戻りてぇ、っつってる連中の気持ちも分かるナァ」
のほほんとした様子で話に割り込んできたエイトを、店主はじろりと睨めつけた。
「復肉教の連中の話はすんな、エイト。気分が
「復肉教?」
耳慣れない言葉に思わずユリウスが聞き返すと、店主は額を押さえて溜息を吐く。
「そら見ろ、興味を持っちまった」
「ン? 俺のせいカ?」
「はぁ……。いや、単語を出したのは俺だな。……こいつぁ気分のいい話じゃねぇぞ、それでも聞くか」
ユリウスは神妙な面持ちになって頷いた。次いで店主はツェツィーリヤにも視線を走らせたが、軍服の美女は既に居住まいを正して傾聴の姿勢を取っている。店主は再度溜息を漏らすと、すらりと長い脚を取り出し、それを
「連中について話す前に、まず木星圏の社会構造を話してやらんといかんか。あんたら、どの程度の知識がある」
「木星圏は太陽系統合政府の傘下に入っていますが、実際のところは防衛軍を初めとした太陽系統合政府の組織はほぼ機能しておらず、木星企業連合の実効支配下にある……と言った話でしょうか」
「ああ、そういう上層部の話じゃねぇよ。いや、関係あるか? ここの社会構造を知るには企業の話は外せねぇか。木星圏には3種類の人間――あえてこう言うが、人間がいる。ひとつめは企業所属の金持ちどもだ。ふたつめは俺みたいな上にも下にも行けねぇ一般人。最後が人格コピーの奴隷どもだ」
「はいはイ、エイトさんはこの最下層だゼ」
「お前さんは俺が引き上げてやったろうが。
「やだァ、コワーイ」
店主にひと睨みされて、エイトはくねくねと丸っこいボディを揺さぶった。
「……。まぁ、人格コピーは基本的に制御チップを付けられて人権無視で働かされてるわけだが、コイツみてぇに稀に脱走する奴がいる。だが脱走したって奴隷は奴隷だ。悪い一般人に捕まれば脱法制御チップでもっと酷い扱いを受ける」
「元々人権無視で働かされてるのにか?」
「企業にとっちゃ奴らは資産だからな。減価償却が済むまではメンテもケアも受けられる。だがそこらの一般人にはそんな技術もカネもありゃしねぇ。文字通り使い潰されるってわけだ」
「酷い話ですわね……」
「そうかね? アンタらだって道具を便利に使うだろう。人格コピーは人格があっても人間じゃねぇ。使い潰すヤツを責められはせんさ」
「おやっさん、そういうトコあるよナー。偽悪的っつーノ? 本性は俺みたいなポンコツを見捨てられずに拾ってくれる善人なくせによォ」
「黙っとれ、エイト」
「はぁイ」
「とにかくだ。右も左も敵だらけのコピーどもは、自分らで徒党を組むことにしたのさ。奴らは自分たちを虐げる元凶は機械の身体だと考えとる。そこでお仲間に肉に回帰する事が救いだと説くようになった」
「肉に回帰……生体に戻すということですの? コピーという事は元の身体がある訳でもないのでしょうし、そんな事が可能なのですか?」
「可能なんだよ。最も、アレが生体に戻ることだと俺は認めたくはないがね」
「……どういう事です?」
「いるだろう、この宇宙には。機械を肉にできてしまう奴らがよ。防衛軍のアンタらのほうが良く知ってる相手なはずだ」
ユリウスがはっとした表情になって猛然と立ち上がった。蹴立てられた空箱が転がる。青玉の瞳が店主を鋭く睨みつけた。
「まさか」
「そのまさかだよ。連中はアザトゥスを祀ってるのさ」
ツェツィーリヤが息を呑む。ユリウスが低い声で唸った。
「可能なのか、祀るなんてことが。あの性質のせいで防衛軍でも最近まで保管研究すら出来てなかったんだぞ!?」
「やめろ、俺にがなるな。俺は復肉教の一派じゃねぇし、詳しいことまでは知らねぇよ」
「……っ、すんません」
ユリウスは頭を振って箱のあった場所へ腰を降ろし直そうとした。だがそこに天板はなく、派手な音と共に蹴倒して逆さになっていた箱の中にハマり込む。
「大丈夫カ〜?」
ふわりと浮いてその姿を覗き込んだエイトに、ユリウスは憮然とした表情で「手ェ貸して」と呟いた。
* * *
それ以降は会話も弾まず、淡々と義体の整備作業を眺めて過ごした。整備の様子に興味を持ったツェツィーリヤが時折質問を投げ掛けていたが、その会話も脳を上滑りしていくようで大して頭に入ってこない。
「可愛くなったナー。これ、兄ちゃんの趣味?」
だからだろうか、こういうエイトのしょうもない会話ばかりが耳に止まる。淡い空色の髪をヘッドパーツに固定する様を眺めながら、ユリウスは緩く頭を左右に振った。
「違うよ。言ってなかったか、俺はお使い。これはこの義体の代金をほとんど出したやつの趣味……だと、思う」
「なんだよゥ、歯の奥にモノが挟まったような言い方しやがっテ」
髪と同じく淡い空色に染まった睫毛は、静かに閉じられている。あの睫毛の奥には星を散らしたコバルトブルーの瞳が埋まっているはずだ。
(……ユウのやつ、怒るかな)
なァなァ、とまとわりついてくるエイトを無視して、ユリウスは思考の中に沈み込んだ。
ユウがいつからかシエロにリサの面影を重ねている事に、ずっと気づかないふりをしてきた。このお使いを頼まれた時。外装の希望をメモするユリウスの手がだんだん鈍くなるのを見て、ユウがぽつりと「あったらでいいから」と言った事を思い出す。珍しい体型でも、髪型でも、髪色でも、目の色でもない。だがありふれたそれを全て組み合わせることで、それはどうしようもなく一人の少女を想起させた。ユリウスは友の表情を思い出しながら思案する。何を思って「あったらでいい」と言ったのか。
結局ユリウスはなかったことにした。その一線を踏み越えるか否かを、自分の手に委ねてくれたのだと思うことにして。
ユリウスはちらりと、再度メモを見た。無機質な文字列に起こされた、
(これはやりすぎだ、ユウ。シエロはリサじゃないだろ)
覚えている限りに顔を似せてしまった自分に、言えることではないのかもしれないけれど。鬱屈とした気持ちで見つめるユリウスの視線の先で、かつての同期の面影を色濃く映す義体は、その色を
「さて、確認してくれ」
店主の言葉にツェツィーリヤが立ち上がり、義体を検分し始める。しばらく一人で確認作業をしていた彼女は、座ったまま立とうとしないユリウスをじろりと睨めつけた。
「ちょっと。貴方のお使いだったんじゃありませんの?」
「任せていいか、中尉。ほら……女のコの身体だろ。じろじろ眺めるのは、気恥ずかしくて」
そう答えたユリウスの目は昏く淀んでいる。気恥かしさなど欠片も関係なさそうなその様子に、ツェツィーリヤは反駁しようと吸い込んだ息を溜息に変換して吐き出した。
「貸し、ですからね。貴方型番をメモしていたでしょう。渡してください」
「悪いね、そのうち利子つけて返すよ。電子メモなんだ、コイツで頼む」
ユリウスはバングルからケーブルを抜き出した。ツェツィーリヤの細い指が手渡されたそれをつまみ、自らのバングルに挿入する。バングルを同期モードにして電子メモを表示させると、後は全部お任せとばかりにそっぽを向き、その視線の先に来たエイトをちょいちょい、と手招いた。
「なんだよォ、散々無視しといたクセにサ」
ブツブツ言いながら寄ってきたエイトだったが、ユリウスがメックスーツのカーゴパーツを軽く叩いて見せると約束を思い出したらしく飛んできた。
「何だヨ、覚えてたのか」
「人を勝手に不義理にするなよ。約束は守るたちなんだ」
「ううーン、そうかァー。うーん、アー」
喜ぶかと思いきやモジモジとし出したエイトを、ユリウスは半眼で見下ろした。
「何だよ、歯切れ悪いな。買ってほしいモンがあったんだろ」
「いやー、まぁ兄ちゃんコレはさ、なんつーか、その。やめとけっていうかサァ……」
「最初はそいつ売りつけようとしてたくせに?」
「そりゃあさァ、行きずりの良く知らン奴ならマーイっかな? みたいなとこってあるってゆーカ」
意地悪な笑みを浮かべたユリウスに、エイトはアイパーツを半分だけ閉じて下を向く。その額を軽く小突いてから、ユリウスは表情を緩めて苦笑した。
「まだ名前も知らない仲だろ。売れるトコに売っとけよ。まあ心配すんな、別に俺が使うわけじゃないし」
「えっ、誰かをヤク漬けにすんノ!?」
「そんなことするか。こういうの喜んで解析したがる人が部隊にいんの」
「ええー。解析とかされちゃう卜それはそれでチョット困るっていうカ」
「大丈夫。俺たちは通りすがりの調査隊だから。変わり者の知的好奇心がちょっと満たされて終わるだけだよ」
「変な奴ゥ」
そうかもな、とユリウスは笑って、チップと引き換えにジャラジャラとクレジットを渡してやる。その背にツェツィーリヤの呆れ声が掛かった。
「確認終わりましたわよ。馬鹿みたいに仕込みまくった兵装も全部込みで」
「馬鹿って言うなよ。仕込み武器はロマンだろうが。
「女の子の身体をなんだと思ってますの」
「女のコ、ねぇ。てかこれこのまま持って帰んのか?」
ユリウスはガラクタの山に顔を突っ込んだ。奥で片付けをしていた店主が振り返る。
「なんだ」
「なんだじゃないですよ。支払い。ついでに裸の女のコ持って帰らなくて済むようにしたいんですが」
「ああ、ちょっと待て」
店主は工具箱を降ろすと、機械腕の内側を手元で操作してから差し出してきた。手首の辺りでくるくると小さくホログラムの木星圏通貨決済のマークが踊る。ユリウスがそこにバングルをかざすと、ちゃりーんと前時代的なジングルが鳴った。
「はいよ、即金2200……っておい、100多いぞ。最後の最後でヘマこいてんじゃねぇよ」
確認のために腕を引っ込めた店主が、金額を見て顔をしかめる。
「いいんだ。それでエイトにちょっとマシなパーツでもつけてやってよ」
「ァ!?」
そわそわとこちらを見ていたエイトが、憤慨した様子でボディを揺らした。
「おいコラ、同情か? 施しを受けるほど落ちぶれちゃいねぇゾ、兄ちゃん」
「ユリウス」
「ァ?」
「俺の名前。これでもう互いに名前を知る仲だな。言っただろ、貯まる一方の給金を友人の為に使えるなら有益だって」
「……そうなノ?」
ユリウスは答えず、エイトのドーム頭をコツンと小突いた。それと同時にメックスーツが背後からの飛来物を検知し、腕が勝手にそれを掴み取る。
ユリウスが振り返ると、背中を向けたままの店主が言った。
「やる。光学迷彩モジュールだ。義体にそれつけて帰れ。腕にはめてやるだけでいい」
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