第10話 復肉教

「何の警報よ!? 種って何のこと!?」


 戦闘機の向こうへと消えていく背中に、ユリアは慌てて声を掛ける。それに返事はなく、格納庫の奥からは走り回る足音と何やら怒鳴り合っている声だけが聞こえてきた。

 追い掛けようとしたつま先が数度躊躇って、それからだん、と苛立たしげに床を叩いた。


「なんなのよ、もう!」


 理由ワケもわからず管制室にコールする。


「こちら管制室フリプライ。……ユリア? どしたー」


 コールを受けた管制スタッフはのんびりとした声で応じた。寄港中も一応管制室に人は詰めているが、これといった仕事もないので緊張感は欠片もない。


「警報出して! 場所は左翼7番格納庫!」

「警報ゥ? 何の警報だ」


 相変わらずのんびりとした調子の中にわずかな困惑を混ぜ込んだ応答に、ユリアは歯噛みした。何の警報かなんてものはこっちが知りたいくらいだった。だがフォルテのみならずクロエが血相を変えて走っていったのが引っ掛かる。木星圏特有の現象が何かあるのかもしれない。


「……なんかいたのよ! いや、その私は見てないんだけどフォルテ……いいえクロエ少尉が警報を出せって」

「なんかって……基地停泊中に連中アザトゥスの侵入があるわけでもないだろうし、何をそんなに慌てて……待て、7番格納庫?」

「そう。左翼7番」

「今火災検知アラートが飛んできた! 何が起きてる?」

「火災?」


 ユリアは顔をしかめた。その鼻をわずかに焦げ臭い匂いが掠める。


「あんのバカ……一体何やってるわけ!?」

 

 こっちに来るな、とフォルテは言っていたが律儀に待っている場合ではなかった。格納庫に飛び込む。それと同時にけたたましいアラート音が艦内を満たした。

 明滅する警報ランプが規則的に赤く彩る格納庫を駆け抜ける。銀色の戦闘機アヴィオンの機体にオレンジの色が映えた。黒ずんだ煙が吹きあがる。何かが焦げる匂いと、甘く倦んだ生臭い匂いが混ざり合って、暴力的に嗅覚を殴りつけた。


「アンタ、何して……うっ、ゲホッ、ゴホ」

「馬鹿ユリアお前何で来た!」


 怒鳴りつけようとして、酷い匂いの煙を吸い込んでむせる。振り返ったフォルテが目を吊り上げて叫んだ。その腕は一部が変形して、オレンジ色の炎を吹きだしている。格納庫奥に積み上げられた資材の一部には火がつき、細かな火の粉が舞い上がっていた。


「おお、生身でこっち来ちゃいかんぞ」


 そう言ってフォルテの向こうから顔を覗かせたクロエは簡易マスクを咥え、ゴーグルを掛けている。返事をしようにもまともに息が吸えなかった。ジャケットの袖口で何とか口元を覆って細く息を吸い込む。

 刺激の強い煙に眼球を舐められ、涙で滲んだ視界の向こうに白光が迸った。クロエが流線型の見たことのない形の銃器を構え、炎の隙間からまろび出てくる小さな肉団子を撃ち落としている。アヴィオンのレーザー砲を極限まで縮小したような光が肉団子を貫くたび、それはばしゃりと弾けて床に肉色の液体をまき散らした。その液体をフォルテの炎が丹念に舐めていく。熱気が顔に吹き付けた。ぱりぱりに乾いた唇を舐めると同時に、くら、と頭が傾ぐ。

 視界が、涙で滲んでいるのか、煙で霞んでいるのか、よく、わからなくなって。


「ユリア!」


 崩れ落ちそうになった身体を、力強い腕が抱き留めた。ガラン、と重いパーツが床に転がる。火炎放射であかく熱を孕んだ片腕をクロエに向けて蹴り飛ばしながら、フォルテが叫んだ。


「おっさん、1分頼む!」

「おうよ、頼まれた! うわあっちゃあ!」

「おい立てユリア! ……クソッ!」


 虚ろな目をしたユリアは答えない。右腕は切り離パージしてしまったので、左腕のみで一回り大きいユリアの身体を引きずる。オートバランサーの警告が視界を遮った。ウィンドウを振り払う事も出来ず、転げるようにして燃え盛る資材から距離を取る。格納庫の入口付近まで移動したところで、ユリアが目を白黒させながら大きく息を吸い込んだ。


「っは……なに……はっ……ぜぇっ……」

「馬鹿、軽い一酸化炭素中毒だ。だから来るなっつたろーが。ゆっくり息吸え」


 ユリアが自分の腕で身体を支えたのを見て、腕を抜いてフォルテは立ち上がる。少年が踵を返そうとしたのと同時に、格納庫にユリウスが飛び込んできた。


「ユリア! 無事か!?」

「だい、じょう……ぶ、げほっ」

「一体何が……うわ、なんだこの煙!」


 ユリウスを追って飛び込んできたユウが顔をしかめる。フォルテが怒鳴った。


「"種"が発芽してたんだよ! ママで入る気なら換気してくれ!」

「それはまずい。手伝います」

「シエロ!? 種って何!?」


 踵を返して格納庫の奥へ駆けていくフォルテの後を、シエロが追う。ユウは状況を理解できずに困惑しながらも、格納庫の手動コンソールにアクセスして操作を換気システムを除染用のハイパワーモードに切り替えた。ほどなくして、消火剤を抱えた整備班の面々がどやどやと駆け込んでくる。

 

「おいユウ何が起きてる!」

「俺も来たばっかりで何が何だか……!」

「アザトゥスが中に……う、げほっ」

「は!? 何処から来たんだ!? おい火炎放射器持って来い!」


 * * * 


「ありがとう、助かった」

「……おー」


 黒焦げになった格納庫の一角で、遅れて駆け付けてきたシキシマはそう言って頭を下げた。

 煤けて黒くなった頰を擦って、疲れ切った顔でフォルテが頷く。義体の人工皮膚はあちこちが焼け落ちて、中から機械的なパーツが覗いていた。


「よう見つけたなぁ、フォルテ。偉いぞ」


 クロエの分厚い手がわしわしと亜麻色の髪を撫でた。「ガキ扱いすんなって!」とそれを振り払ってから、火傷で真っ赤に爛れたそれを見たフォルテはそっぽを向いてむくれてみせる。


「義体のセンサのお陰だよ。別に俺の手柄じゃねー」

「アンタがちょろちょろ動き回ったお陰でしょ。成果は成果として胸を張りなさい」

「褒めてんの? 貶してんの?」

「……褒めてるわよ」


 そっか、と呟いてフォルテは鼻を擦った。煤けた頬が僅かに赤く染まっているのが義体の機能なのだとしたら、大した高性能である。


「ありました!」


 燃え滓になってしまった資材の山を漁っていた整備班の一人が、真っ黒な顔を上げて手を振った。厚手の手袋が嵌められたその手には半分溶け崩れた金属球のようなものが握られている。


「へー、それが? 見せて見せて」


 アサクラが毛糸玉を見せられた猫のように、ハイライトのない目を輝かせた。ハンカチサイズのヴェネクス箔を広げて、包み込むようにして金属片を受け取る。複数の目がそれを覗き込んだ。


「ふぅん、耐食性の強い金属球にアザトゥスの核組織を閉じ込めるのかぁ。ちょっとずつ侵食して数日後に出てくるってワケだ。よく考えるな〜」

「は!?」


 しげしげとアサクラの手元を覗き込んでいたユウが、ばっと身を引いた。


「その中にアザトゥスの核を入れて艦に持ち込んだヤツが居たってことですか?」

「誰かが持ち込んだ、と言うより搬入資材に紛れ込んでた、ってのが正しいかなー。テロだよテロ」

「昨日木星基地側から通達があってな……木星基地の搬入資材にもこの"種"の混入があったらしい」


 苦虫を数匹まとめて噛み潰したような顔をしているシキシマに、ユウは訝しげに尋ねる。


「これ、人工的なものですよね……。こんな侵食を広げるような真似を一体誰が?」

「復肉教の連中だ」

「……復肉教?」


 吐き捨てるように呟いたフォルテに、視線が集まった。ユリアの肩をそっと抱き寄せたユリウスだけが、ハッとした表情になる。


「復肉教ってアレか、人格コピーされたアンドロイドが組織してるっていう」

「おー、よく知って……」


 応じ掛けたフォルテの言葉がぴたりと止まった。視線がユリアの肩に掛かった手の辺りを一瞬彷徨ってから、じっとりとユリウスの顔を睨む。


「誰、あんた」

「ん? 俺は――ぐぇ!」


 フォルテの視線に気付いたユリアが、我に返ったようにユリウスを突き飛ばした。素知らぬ顔で「兄よ」と言うと、あっちに行けとばかりにしっしと手の甲で追い払いに掛かる。フォルテは飲もうとした水に虫が飛び込んできた時のような表情を作った。


「おま……家族を殴るなよ……」

「殴ってない」

「そうだぞユリアは別に殴ってない! ちょっと愛情表現が過激なだけだ!」

「愛情表現はしてない」

「なるほど、オニーサンがそうやって甘やかすからコレが出来上がったんだな……」

「アンタいまコレって言った?」

「お前にお兄さんと呼ばれる筋合いはない」


 金髪碧眼の双子に同時に噛みつかれて、フォルテはうんざりとため息を吐いた。


「めんどくせーなお前ら。……わーった、変に触れた俺が悪かったよ。復肉教の件に話を戻そうぜ」

「そうしてもらえると有難い。木星基地からの通達も搬入資材に"種"を混入したのは復肉教の疑いが濃厚、とだけ書かれていて詳細が何も分からなくて困っていたところだ」


 ふむ、と呟いてフォルテは腕を組んだ。人工皮膚の焼け落ちた腕が絡み合って硬質な音を立てる。


「人格コピーについては知ってるか?」

「生体脳の情報を複写した電脳を搭載したアンドロイドの事ぉ? 確か、木星圏での主な労働層なんだよねぇ」

「そうだ。人材ってのは育成に一番コストが掛かる。企業は唸るほど金を持ってるはずだが、それでもまだ足りねーらしくてコストカットに余念がない。んで、そのコストパフォーマンスを上げるのに一役買ってるのが人格コピーだ。木星圏では優秀な人間のコピーを作って、そいつを働かせてる」

「AI……とはまた違うんだな」

「違うね。人格コピーは生体の記憶を引き継いだいわば分身だ。多方面に知識と技術を持ってるやつもいるし、AIを学習訓練するより手っ取り早い」

「分身かぁ。人格コピー、って呼ぶくらいだから"人格"があるんだよねぇ。自己認識はどうなってるの? 元の人間から切り離された人格が、躾け終わった奴隷みたいに大人しく言う事聞くとは思えないけどねぇ」


 アサクラがヴェネクス箔の上で金属球のできそこないを転がしながら言う。フォルテは溜息をついた。


「問題はそこだ。人格コピーが哲学的ゾンビになってくれりゃぁよかったがそうじゃなかった。まあ意識を保ったまま電脳に換装できる時点で分かってた事だがな」


 聞きなれない単語に、ユリアが首を傾げる。


「哲学的ゾンビって何?」

「外面的には普通の人間と同様に振舞うけれど、意識を持たない存在の事をそう言うんですよ。AIに言わせれば人間の脳活動だってゼロイチの連なりなんですから、そこに意識をどう見出すかは定義の難しい話です」


 顔をしかめてそう言ったシエロに、フォルテは眉を下げた。


「……俺、なんか地雷踏んだか? 企業のヤツらの受け売りなんだ、使い方マズってたら謝るよ」

 

 小さく肩を竦めて、フォルテは続ける。


「人格コピーにゃ自意識があるが、後付けの制御チップで諸々制御されてんだ。その制御チップが誤作動したり、不具合を起こしたりすると人格コピーが自意識を取りもどすことがある。そうすると当然奴隷扱いに耐えられなくて逃げ出すわけだ。そいつらが徒党を組んだのが復肉教」

「可哀想なやつらよなァ。意識は地続きなのに、お前は複製品の奴隷だ、ってある日突然突き付けられるんだからよぅ」

「奴らは生まれた時から人生を奪われてるも同然だ。そのうち奴らは人格コピーが絶対に持っていないものに固執するようになった。生体だ。それを取り戻せばに戻れるってのが奴らの主張」


 ユリウスは電装街での会話を思い出した。ぽつりと呟く。


への回帰……」

「それでアザトゥスか。しかし侵食は回帰と呼べるものなのか……?」

「さーな。ともかくアザトゥスは連中の信仰対象だ。復肉教の連中は第二衛星エウロパの内部海中都市を一つ乗っ取ってそこを本拠地にしてるらしい。生体が存在しないその街ではアザトゥスが祀られてるって噂だぜ。奴らはずっとそこにひきこもって大人しくしてたんだが、ここ半年くらいこの"種"をばら撒くようになったんだよな」

「何が目的なんだ?」

「カルトの思考回路なんて知りたくもねーよ。分かるのは俺たちが迷惑してるってことだけだ」


 うぅむ、と悩ましげに唸ってシキシマは腕を組んだ。


「ひとまず木星圏で搬入した資材は一通りチェックしなければなるまい。フォルテ、さっき義体のセンサがどうとか言っていたが、お前が見れば判別は可能なのか?」

「そんなに便利なもんじゃねーよ。さっき種を見つけたのは、芽吹いた後のちっけーのがチョロっと走ってくのをセンサが拾っただけだ。搬入資材に紛れてたなら地道に中を漁るしかない。企業でもそうしてる。もしくは全部燃やすか捨てるか」

「中からアザトゥスが出てきかねないモノをうかつに捨てられんだろうが。ただでさえ資材が足りていないのに参ったな。とにかくまずはツェツィーリヤ君に連絡を……ん?」


 マグカップいっぱいの苦虫を噛み潰したような顔のシキシマが操作しようと指を伸ばしたバングルが、着信の色に明滅する。外部通信を示すその色に、訝しげに眉をひそめてからシキシマは応答を操作した。

 ぷつ、と小さな接続音の後に続いて、滑らかな男の声が流れ出す。


『こんにちは、調査隊の艦長さん。ガレリアン・ダイナミクスのスペンサーです。今少しお時間よろしいですか?』



――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。


フォルテの指摘通り、ユリアがちょっとアレなのは兄が甘やかしすぎたからです。ユリウスは反省して。


次回の更新は9/27です。

それではまた、次回。

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