第3話 サイバネティクス・シティ
街には光が溢れている。建物から零れ落ちる光、至る所に掲げられた看板の光、飛び交う飛行機械のナビゲーションライト、機械の体の表面を縦横無尽に走る光の筋。
そのすべてが混然と混じり合い、
ユリウスは切り取られた狭い夜空から視線を外すと、軍用メックスーツのヘルメットの中で小さく息を吐く。木星基地から提供された周辺マップはなんの役にも立たなかった。ヘルメットのHUDに表示された
ヘルメットが表情を覆い隠してくれるのは幸いだった。光の狭間にある薄暗い路地のそこかしこから、
「アンタ、見ない
腰のあたりにぬるりとした気配を感じ、メックスーツの頭を振り向ける。塗装があちこち剥げた小さなドーム型の頭がこちらを見上げていた。五指を揃える気もなさそうな雑な作りの機械の腕の先に摘まれて、黒い小さなチップがゆらゆらと揺れている。ユリウスは肩を竦めた。
「やだよ。新顔に売りつけようなんてシロモノ、どうせろくなモンじゃないだろ」
「いやいや。新顔だからこソきっちり純度のいーいヤツだぜ? 生体でモ電脳でモ天国行きだ」
お得意様になって貰わなきゃな、などと不穏な台詞を吐き出しながらアイパーツを歪める丸い頭を、ユリウスはこつんと小突く。
「俺が行きたいのは天国じゃなくて義体屋なんだよな。あんたこの辺り詳しそうだし、いい店知ってたら教えてよ」
「客じゃねぇ奴にやル情報はねぇなぁ」
ご丁寧に視線の高さまで持ち上げられたチップが、ひらひらと揺れた。ユリウスは返事をせずにヘルメット越しの顎を撫でる。その仕草に脈ありと見たドーム頭が、ざらついた電子音声で畳みかけてきた。
「なぁ、安くしとくからサ。義体屋もいい店を知ってルんだがなぁ」
「持ってるの、それだけか?」
わざとらしくドームのアイパーツを覗き込む。機械パーツで構成された表情が喜色に歪んだ。部品の寄せ集めでも案外それっぽく見えるもんだな、などとどうでもいい事を考える。
「兄ちゃん、案外ワルだねぇ? 軽ゥいヤツから各種お取り扱ってますよ。使い方分るか? なんなら器具も売っテやるよ」
「俺の知ってる方式じゃなさそうだな。んじゃ一番軽いのと……あー、
「毎度ォ」
「その代わりちゃんと案内しろよ。いい店だったら追加でさっきのヤツ買ってやる」
そう言いながらユリウスはメックスーツのカーゴパーツから折り畳まれた紙幣を取り出した。それを見たドーム頭がアイパーツを吊り上げる。
「おいアンタ、それで払う気じゃなイだろうな? これっぽっちの端金、地球圏通貨で貰ったんじゃ両替代にもならねぇよ。
「はは、ダメ元で出してみたけどやっぱダメか。3枚でどう?」
ユリウスはヘルメットの奥の表情を崩しながら紙幣をしまいこみ、代わりに硬貨を数枚取り出す。クレジットと呼ばれる木星圏通貨だ。電子決済は足がつくので、こういった取引はどれだけ時代が進んでも現物貨幣が好まれる。
「
「ボるなよ。出せて5枚だ」
「ちぇっ、抜け目のねぇ兄ちゃんだナ。それでいいよ」
「どーも」
ちなみにクレジットが1枚あれば少しいい店で食事をして釣りが来る。決して安い出費ではなかったが、おまけでこの猥雑な街の案内人を手に入れたと思えばそう悪い話でもなかった。
「じゃあ案内頼むよ。あっちに俺のホバーがある。乗っていこう」
「嫌だね。他人のクルマに乗り込むなんテごめんだぜ。勝手についてくよ」
ドーム頭の足元が吹き上がり、あちこち塗装の剥げたボディがふわりと浮き上がった。背面に姿を現したブースターをふかしてぐるりと狭い路地を回ってみせたドーム頭に、ユリウスは呆れた声を投げかける。
「随分高性能だな。塗装と手もなんとかすればいいのに」
「無駄がないって言エ。雨が降るわけでもなし、ピカピカの塗装なんて見栄っ張りのスることだぜ」
そう返して、ドーム頭は部品を集めた表情を小馬鹿にしたように歪めてみせた。
* * *
「これは見栄っ張り御用達の店ってやつじゃないのか」
妙にきらきらしい店構えに、ユリウスはヘルメットの下で眉根を寄せた。
「義体の"義"の字もわかっテねぇようなヤツはこういう店で丁寧に接客して貰うのが一番だろ」
「丁寧に、ねぇ……」
ユリウスはドーム頭に一度胡乱気な視線を向けてから、義体屋に向き直る。まあ物は試しだろう。気に入らなかったら別の店に案内させよう、と心の中で呟いて一歩を踏み出した時だった。
ヘルメットの外部集音マイクが男女の
「ちょっとここで待っててくれ。俺のホバーを頼む」
「あ? お前、店はアっち……おい!」
ドーム頭の言葉を黙殺してユリウスは駆けだした。軍用メックスーツは当然、パワーアシストの機能も備えている。地を踏みしめる足は爆発的な推進力を生んだ。風のように建物の間を走り抜け、路地裏に飛び込む。
ガラの悪そうな数人の男に取り囲まれているのは、タイトなシルエットの軍服を着た亜麻色の髪の女性だった。いつもきっちりとまとめられているその髪はほどけ落ち、汗の滲んだ額に数本が張り付いている。
「いいねぇ、生身でそのカオ! こいつぁいい値がつくぜぇ」
「わたくしは防衛軍の中尉ですよ! こんな事をしてただで済むとお思いですか!?」
「中尉サマだとよ! で、防衛軍がなんだってぇ? なぁ、やつらがまともに仕事してるとこなんざ見たことあるかよ?」
取り囲んだ男たちがげらげらと嗤う。
ユリウスはヘルメットの内側に、深い深い溜息をこぼした。黙って上官を取り囲むゴロツキの一人に歩み寄ると、その肩に手を掛ける。
「悪いな、ちょっと通してくれ」
「あん? 誰だテメェは」
「ただの仕事熱心な防衛軍の下っ端だよ。そこの上官サマの迎えだ」
ゴロツキ達の囲みに強引に身体をねじ込み、ユリウスは華奢な腕を引き寄せた。僅かな力であっさりと引き寄せられた身体に、小さく舌打ちする。エメラルドの瞳が、メックスーツのヘルメットを驚いたように見た。
「貴方……」
艷やかな唇が紡ぎ掛けた言葉を、無骨な銃身がメックスーツに突き付けられる音が掻き消す。
「黙って行かせると思ってンのか?」
ユリウスは微動だにせず、ヘルメットの中で視線だけを動かした。背後までぐるりと囲まれ、いくつもの銃口が向けられているのを見て目を眇める。
「そいつをぶっ放したけりゃ好きにしろ。だがそのポンコツで軍用メックスーツを撃ち抜けると思うなよ」
「野郎……!」
嘲笑のパラメータをふんだんに含んだその声に、ゴロツキどもは色めき立った。メックスーツの認知アシストが警告音を鳴らす。フォーカスされた
「頭下げてろ、中尉!」
蹴り飛ばした銃が路地の奥へ転がっていくのと同時に、亜麻色の髪がふわりと視界の下へ沈み込む。散発的に発砲音が響いた。
覆いかぶさるように華奢な身体を射角から守る。メックスーツが弾道計算を自動で行い、防弾性能の強い部位で銃弾を弾き返した。ヘルメットバイザーの拡張視界に、ゴロツキどもの生体部分が強調表示される。腿に手を滑らせれば、ぱきんと小気味の良い音がして、スリムな形状の銃が吸い付くように手に収まった。
メックスーツに照準のガイドを任せて
耳障りな悲鳴を上げながらもんどりうって転がるゴロツキどもの奥で、銃を構えた男がにやりと笑う。ばら撒かれた銃弾を、再度メックスーツを盾にやり過ごした。人工皮膚なしの武骨な義体を剝き出しにしたその体の、頭の上半分だけを拡張視界が赤く染める。
ユリウスはただ1度だけ
「……まだやるか?」
銃を構えたまま立ち尽くしている無傷のゴロツキは、冷ややかな声を浴びせかけられてひゅうと喉を鳴らした。銃を構えたまま一、二歩後退り、その動きに対応してこないと見るや否や身を翻して駆けていく。
「おーおー、薄情だこと」
返り血が飛んだバイザーを上げて、ユリウスは肩を竦めた。念のため手足を吹き飛ばされて悶えている男たちの間を歩き回り、武器を遠くへ蹴り飛ばす。
その背に、震える声が掛かった。
「あ……貴方……殺し、て」
ユリウスはちらりと
「
ツェツィーリヤは恥じ入ったように俯いた。言い訳がましく「でも、わたくし達の敵は」とぽつりとこぼす。
「同じだよ。
ツェツィーリヤははっとした表情でユリウスを振り仰いだ。相変わらず視線は冷ややかだったが、それが何かどうしようもない感情を押し込めているようにも見えて、ツェツィーリヤは眉を下げた。
「……貴方、そんな顔をする人でしたのね」
「誰のせいだよ」
ユリウスはじろりと上官を睨めつける。
「わたくしのせいね」
素直にそう認めると、青玉の瞳が毒気を抜かれたように瞬いた。感情の置きどころを探すように視線を彷徨わせる様が少し面白くて、ツェツィーリヤはくすりと笑う。
地面に座りっぱなしだったことに気付いて腰を浮かした。当然のような動きで差し出された手に縋って立ち上がり、軍服についてしまった埃と何か得体のしれない黒い物質を払い落とす。
その様を黙って見ていたユリウスが、小さく舌打ちして呟いた。
「ったく、あんた無駄に美人なんだからもっと気をつけろよな」
「……は?」
スカートを叩く手がぴたりと止まる。
「いつもはユリアちゃんのほうが可愛いしか言わないくせに突然なんですの」
「ユリアのほうが可愛いのは当たり前だろ。ユリアが可愛いのとあんたが無駄に美人なのは別に相反さねぇだろが」
「はぁ??」
血液が身体を駆け上がった。反射的に熱くなる顔と対比して、冷たいままのユリウスの目はただ淡々と事実を告げているだけなのをありありと伝えて来ていて、頭が一層熱を帯びる。
「危機管理能力ゴミすぎるだろ。せめてメックスーツ着るか護衛をつけろよ。こういうクソみてーな場所でそのおキレイなツラ単発でぶら下げて歩き回る奴があるか」
「……〜〜っ!!」
何か言い返さなければいけないのに、手に届くところに材料がひとつもない。正論で袋叩きにされて、白皙の顔を真っ赤にしたツェツィーリヤははくはくと口だけを動かした。
「大体な――」
「兄ちゃん、アンタ軍人かよ!? ……っタく、人が悪いぜ……」
さらなる正論を振りかざそうとしたユリウスの台詞を、ざらついた電子音声が遮った。ヘルメットのバイザーがさっとおり、青玉の視線が遮られてツェツィーリヤの顔面の温度が下がる。
単身でのこのこやってきたドーム頭に、ユリウスは苦い息を吐いた。
「お前、ホバーは」
「あんなガッチガチの生体ロック、このあたりに抜けル奴なんざいねぇよ!」
ユリウスはじろりと、塗装の剥げたドームの上に視線を這わせる。
「お前パクって逃げようとしたろ……」
アイパーツが明後日の方向を向いた。
「正規の軍人サマ相手にそんなことしまセン」
「目を見て言えよ」
「メットで隠れてて見えねぇナぁ」
ぴきりとユリウスの額に青筋が一本立った時、ツェツィーリヤがおずおずと口を挟む。
「あの……そちらの方は?」
ユリウスは買い物をしまい込んだメックスーツのカーゴパーツとドーム頭を交互に見た。ドームがしたり顔で口を噤んでいるのを見て、苦々しげに呟く。
「……ただの現地協力者だよ」
ドーム頭はにやりと笑った。調子が出てきたらしく、ヒュウ、と口笛のような電子音を立てる。
「いやあ、しかし美人サンだな! 兄ちゃんも隅に置けなイねぇ。別嬪さんと並び立つためにいい義体が欲しいなンて泣かせるじゃねぇノ」
「あ゙?」
ユリウスの声の温度が氷点下に落ちた。その温度に気付いていないのか無視しているのか、ドーム頭は楽しげに続ける。
「やめダ、やめ。電装街にある俺の行きつけの店に案内しテやるよ」
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