第11話 アステロイドベルト遭遇戦 ph1 鹵獲艦隊

『エ……交戦開始エンゲージ! 管制室フリプライ、こちらヤタガラスAアルファ-02! 鹵獲機キャプチャーです! 鹵獲機キャプチャーを発見! ナギ! ナギ、戻ってください!!』


 悲鳴じみたラニの声が回線を駆け抜ける。ピンを打っていたナギのヤタガラスを示す青いレーダーマーカーが星の向こうへと消えた。一拍置いて、友軍識別信号IFFの識別通知が通知欄を埋め尽くす。通常であれば安心感を覚えるであろう、澄んだ高い通知音が断続的に連打された。それはさながら闇の中からおおい、と人の声で呼ぶ妖怪のようで、ユウの全身から嫌な汗が吹き出す。


 星の向こうで、陽電子砲の閃光が宇宙の闇を切り裂いた。鹵獲機キャプチャーを味方機と誤認したレーダーシステムが、味方機撃墜の不快なビープ音を上げる。


『とりあえず一機墜としたやったぞ! ――あ、やば』


 極太の閃光が空間を薙いだ。ラニが今度こそ悲鳴を上げる。


『ナギ!!!』

『うるさいな、当たってないよ! カンチョー下がれ、ぐちゃぐちゃの旗艦フェニックスが出てきた!』

『なんだと!? ……全隊、クレオパトラを起点に旗艦砲の射程範囲から離脱しろ!』


 星の陰から、ヤタガラスがアフターバーナーの光を閃かせて飛び出した。アヴィオンが一斉に機首を翻し、第13調査大隊の旗艦フェニックス駆逐艦フェイルノートの逆推進機構にも火が入る。


『フェイルノートの射線を切るなよ! 艦砲で牽制する!』

友軍機の射線上からの離脱を確認ファイアリングライン、クリア! 艦砲射撃を実行するショットアウト!』


 ヤタガラスを追って飛び出してきた、肉に彩られた機体群を艦砲射撃が薙ぎ払う。陽電子砲の閃光が小惑星の表面をこそぎ、岩石の破片が宇宙に散らばった。

 撃ち漏らしを数機のガーゴイルが迎え撃つ。レーザーと陽電子砲に串刺しにされ、鹵獲機キャプチャーは内側から弾けるようにばらばらになった。肉と金属のまじりあった残骸が慣性に任せて何処いずこへかと飛んでいく。


『足を止めるな! そのまま後退しろ!』


 艦隊は調査大隊仕様の巡航艦フェニックスの艦砲射程外まで後退し、再び骨の形をした小惑星クレオパトラに向き直った。追ってくる敵の気配はない。


『各隊補給に入れ。管制、全部隊に出撃準備をさせろ。——ナギ、状況を』

『旗艦とアヴィオンの群れだね。クレオパトラの地表面にダイモスみたいな侵食はなさそうだ。でも、輸送艦っぽいヤツがでろっでろになってたから雑魚は普通にいそうかな』


 深刻さを全く感じさせない声色のナギの声に、シキシマの重い吐息が被さった。回線に沈黙が満ちる。その沈黙の向こうから、管制室のざわめきだけがかすかに聞こえてきた。


『……くそ、第11調査大隊は全滅か』


 レーダーログから洗い出した敵構成の報告を受けたのだろう。絞り出すような声で、シキシマが唸った。

 それを聞いたユウの手が、操縦桿から力なく滑り落ちる。


「そんな」


 可能性なら、ここに至るまでに何度も耳にした。これは必然だ。ダイモスの戦いでが第11調査大隊の所属だとわかった時から、薄々と分かっていたことだ。だが、意識してその現実を脳から追い出していた。考えないようにしていたのだ。だって、それを認めてしまえば、それが現実として襲い掛かってくると分かっていたから。

 認識していないことは、起きていない事と同義だ。宇宙という広大な猫箱に閉じ込められた第11調査大隊。その蓋が今、軋んだ音を立てながら開いていく。


『各機、敵艦隊のデータを送る。確認しろ』

 

 HUDの通知欄を震える指で開く。敵の構成情報と、ブレて少し滲んだ巡航艦フェニックスの画像が視界にばら撒かれた。

 トリアイナのように、肉に覆われて溶け崩れかけた輪郭。ああ、すべてが溶け落ちてしまっていればよかったのに。見せつけるようにそこだけ残った第11調査大隊の隊章が、現実逃避を許してくれない。

 ユウとシエロが、同時に呟いた。


「「ロバーツ艦長……」」


 * * * 


 リチャード・レイ・ロバーツ少佐。

 第11調査大隊の指揮官であり、同隊の旗艦フェニックスの艦長だった男の名だ。

 思えば最悪な出会いだった。


「少佐、困ります! そいつは今……、少佐! やめ」


 フォボスの悪夢が終わった後。兵舎の自室に鍵を掛けて引き籠っていた扉を、鍵ごとぶち破って踏み込んで来た髭面の男がロバーツ少佐だった。


「お前がフォボスの英雄か?」


 そう言って破顔した男を、部屋の隅に座り込んだユウはいろの失せた昏い瞳で見上げる。


「英雄なんてここにはいませんよ」


 ロバーツは笑みを深くして、つかつかとユウに歩み寄った。感情の失せた視界に、太い腕が迫る。顔と同じく毛むくじゃらの手が、ユウの襟首を掴んでその体を無理やりに引き起こした。


「……ご、は……何、を」


 首が絞まり、酸素を求めて両手が空を掻く。わずかに紅潮したその顔を、すがめて笑う青灰色の目が覗き込んだ。


「悪いがなぁ英雄殿。穀潰しを養ってやる余裕は今の防衛軍にはないぞ」

 

 襟元を突き放され、ユウは床に倒れ込んだ。肺が酸素を求め、大きく息を吸い込む。勢いに気管が刺激され、激しくむせ込んだ。


「……っは、げほっ。アヴィオンを降ろされたパイロットに何が出来るんです」

「そう思ってながら何故まだここにいる」

「行く当てがないだけです」


 そう言ってユウはロバーツを睨みつけた。少佐、と言っていたか。上官だろうが関係ないと思った。むしろ暴言の一つでも吐けばここから叩き出してくれるかもしれない。そう思って息を吸い込んだが、何も思いつかなかった。自分を睨みつけたままはくはくと口だけを動かすユウを見て、ロバーツは呵々かかと笑う。


「いいねぇ、闘志十分! おいお前、ウチに来い」

「——は?」

「整備兵の手が足りてねぇ。——専門外ってカオをしてるな。死に損なったんだ、死ぬ気で学べ。奴らに突き立てる牙を研げ」


 尻餅をついたままの姿勢のユウの前にロバーツはしゃがみ込み、太い指をその膝に当てた。


「さぁ選べ。自分の足で立つか、俺にもう一度立たされるか」


 ユウが眉間に皴を刻んでその手を振り払う。


「選択肢がイエスorイエスの問答は最低だと思います。少佐」

「そりゃお前の目にその選択肢しか書いてねぇからよ。文句があるなら片方だけ残ったテメェの目に言いな」


 最初は反骨精神だったのかもしれない。右も左も分からないアヴィオンの整備を、死に物狂いで学んだ。ロバーツ少佐は時折そんなユウの元に訪れては、嫌がらせに近い鼓舞を見舞って去っていく。

 数か月を過ごすうちに、ロバーツの元には自分と同じように“拾われた”者が多いのだと否応なしに気付いた。まるで着火剤のような男だった。胸中に絶望と熾火を燻らせた者を的確に見つけ出し、呵々かかと笑いながら火をつけて回る。誰もがロバーツに唾を吐き、悪態をつき、それでも笑ってその背についていった。

 その苛烈で的確な部隊運用は、実績と復讐を確実に積み上げた。怨讐の炎は強い。それがロバーツの口癖だった。少なくともユウの知る限り、ロバーツの部隊が敗走したことはない。

 数ヶ月が過ぎ、ユウがようやく備品管理から解放され、アヴィオンの整備に手を出すことが許され始めた頃。第11調査大隊が編成され、ロバーツはその司令官兼旗艦艦長に抜擢された。


「お前は連れて行かん。この半人前が」


 調査大隊への募集に名乗りを挙げたユウを呼び出したロバーツは、そう言って太い指で額を小突いた。


「長期探査航海で半人前の面倒を見てる余裕なんかねぇんだよ。調査大隊は今後も定期的に出る。一人前になってから追って来い」


 * * * 


 あの人が敗けるなんて。目を背け続けていた現実が、コールタールのように黒く粘ついた絶望となって意識を塗り込める。調査大隊の参加を断っておきながらそれからも頻繁にちょっかいを掛けに来たロバーツの事を、嫌味を込めてと呼んでいたことを思い出す。


「「ロバーツ艦長……」」


 思わず口から零れたその名は、ステレオ音声のように重なって耳に届いた。頭蓋骨に響いた自分の声と、鼓膜を揺さぶるシエロの声。一拍置いて異口同音に相棒シエロもその名を呼んだ事に気付いたユウが、身を乗り出して目を剥いた。ガチンとハーネスのバックルが音を立てる。


「シエロ、ロバーツ艦長のこと知ってるのか!?」

「はイ? 当たり前でしょう、だってあの人は……あれ、私どうし、テ……」


 シエロの声に困惑が滲む。それはまるで当たり前のようにあるはずのモノを掴もうとして、そこに何もなかったかのようで。必死に記憶を探っているのだろうか、箱の表面に並んだLEDが激しく明滅した。


「第11調査大隊。司令官はリチャード・レイ・ロバーツ少佐。……他に、知っていることはないか」


 感情を押さえつけた声で、ユウが問う。LEDの明滅がぴたりと止まり、ややあって弱弱しく瞬いた。


「——分からナい。これ以上の事は、データが欠損して……。でも、フェニックス・キャプチャー……これな、ら記録、が……」


 シエロの音声出力が途切れ途切れになる。ユウは眉をひそめた。


「……シエロ?」


 躊躇いがちにユウがそう声を掛けた瞬間。新型高機動戦闘攻撃機HUS-01_CIELOのメインシステムにリンクしているヘルメットが激しいビープ音を鳴らした。それと同時に、シエロが抑揚の消えた声で怒涛のように喋り始める。


「第11調査大隊は全滅している。——気をつけて鹵獲機キャプチャーの殆どは脳をやられてるけど数機優秀なヤツが残ってる対処を間違えるないいかフェニックスがきゃぷty」

「おい、どうしたんだよシエロ……うわ!」


 ――警告。

 ――警告。

 ――警告。

 ——警告。警告。機体制御システムモジュールの<マスクデータ>が閾値しきいちを越えています。停止タスク起動準備中……


「意識はもウ……ナ、い……あれは、残滓、惑わサレては」


 視界が警告窓で埋め尽くされる。シエロの言葉は途切れ途切れな上に内容が支離滅裂になりつつあった。


「フェニックスは、トリアイナのよう、に」


 ——警告。まもなく機体制御システムモジュールが停止します。再起動まで2時間程度が見込まれます。

 ——警告。機体制御システムモジュールの停止を開始します。

 ——警告。機体制御システムモジュールの停止タスク実行中……30%


「シエロ! おいシエロ何が起きてる!?」


 ——警告。機体制御システムモジュールの停止タスク実行中……50% モジュールの状態維持の監視を続けてください。

 ——警告。機体制御システムモジュールの停止タスク実行中……80% モジュールの状態維持の監視を続けてください。

 ——警告。機体制御システムモジュールの停止タスク実行中……99% モジュールの状態維持の監視を続けてください。


『ユウ! HUS-01のモニタリングアラートを検知してるんだけど何があったの!?』

「アサクラさん! わかりません、突然機体制御モジュールの停止タスクが実行されて……!」


 ——警告。機体制御システムモジュールの停止タスク実行完了。再起動までモニタリングを継続してください。

 ——警告。機体制御システムモジュールは停止中です。再起動までモニタリングを継続してください。


 視界を埋め尽くす警告ウィンドウをまとめて払い除ける。


——警告。機体制御システムモジュールは停止中です。再起動までモニタリングを継続してください。


 ぱたぱたと窓が閉じていき、クリアになった視界に最後の警告ウィンドウが再度現れた。何度消しても現れるそれを視界の端に追いやって、ユウはコックピットに据え付けられた黒い箱を見る。


「……シエロ?」


 声を掛け、箱を小突いても箱詰めの相棒はただの一言の応答も返すことはない。箱表面のすべてのLEDからは光が消え、シエロは数本のケーブルが繋がれたただの無機質な立方体と化していた。

 恐る恐る操縦桿を握った手に力を籠める。いつも安心して腕を委ねていたその操縦桿は、素直にユウの動きに反応して入力に応じた。操縦桿の動きに合わせて機体が動き、胃のあたりがすうっと冷たくなるのを感じる。


『何このログ……機能停止用の薬剤投与? ユウ何したの』

「俺は何もしてないです! なんか閾値しきいちがどうとかって警告が……」

『……ああ、これか。閾値しきいちの詳細が分からないんじゃ何が起きてるのかさっぱりだねぇ。設計者のセンスを疑うなー』

『ユウ、私だ。今機体はどういう状況だ?』

「シエロの接続は完全に切れてます。全部俺の入力で動くっぽいです」

『アテにしたいとこだったんだが、参ったな……。分かったユウ、一度戻れ。フライトリーダーはクピドに——』


 シキシマが帰艦を促す苦い声を遮って、ユウが叫ぶ。


「いえ、俺やれます艦長! 継戦可能です!」

『だが……』


 渋るシキシマに、クピドがあの、と声を掛けた。


『ちょっと良く分かってないんですけど……シエロさん止まっちゃったって事ですか? 全てユウさんの制御下に?』

『そうだ。いきなり自力で飛ばすのは無理があるだろう』

『うーん、なるほど。まぁでもシミュレータではありますけど、ユウさんかなり上達してますよ。鹵獲機キャプチャー相手でも戦えるはずです。この戦いは数が要るでしょう。私がちゃんとフォローしますから』


 クピドのフォローに、シキシマは考え込むような唸り声で応えた。数十秒の沈黙の後、「分かった」と答える。


『ただし、フライトリーダーはクピドに変更する。クピド・ハイドラ機を第一編隊、ユウ・コンラート機が第二編隊だ。いいな』

了解コピー

『ハイドラ。第一編隊への組み換えに伴って反物質砲の運用を許可する。……撃ち過ぎるなよ』

『采配に感謝します。艦長』


 ハイドラとシキシマのやりとりを何処か意識の遠くで聞きながら、ユウはとある確信を深めていた。

 クピドのオリジナルである朝比奈空子ソラコ・アサヒナは約半年前に地球圏内で死亡している。ほぼ同時期に地球を出立した第11調査大隊の、この結末を彼女が知っている理由ワケはない。


 つまり。

 ——シエロは、朝比奈空子では、ない。


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