第10話 小惑星帯採掘場
仕事の時間がやってくる。
ブリーフィングルームに並べられた椅子には、特殊な形の肘掛けがついていた。バングルのホロモニタを見るときに腕が疲れないようにと肘掛けから垂直に張り出した板に腕と顎を載せ、ユウはぼんやりとブリーフィングルームの入口を眺めていた。
取り戻した視界には様々な情報をオーバーレイすることができる。人の上には半透明のオレンジ色のカードが貼り付いていて、整備班から戦闘班に移籍したばかりのユウにとってこれは有り難い機能だった。
「もーっ、ナギってば! どうして1回も顔を見せてくれなかったんですか!?」
ぱたぱたと駆け込んできた若い女性パイロットが、ユウの右前方方向に座ったナギの横に陣取り、わあわあと喚き始める。
「会いに行って何するのさ。座って見てればいいの?」
「うう。冷たい。
「えぇー。めんどい」
小うるさそうにナギがあしらっているのを見て、ユウは意外そうに眉を上げた。ナギが誰かにまとわりついて鬱陶しがられているのはよく見る光景だが、その逆は珍しい。雑に扱われて不貞腐れた顔の横に貼り付いたカードを眺める。
—— 名前:ラニ・パラキコ
—— 年齢:20
—— 性別:Female
(ラニ……。ダイモスでイージスに救助されてた人か)
ダイモス戦で、ユウの出撃直後に行われた救出劇。その救助対象として呼ばれていた名が、目の前の女性パイロットとリンクした。あのナギのフライトバディを務めているのはどんな人間なのだろうと思っていたが、案外普通そうな女性なのが意外だった。
時間になってもシキシマが現れないことに加え、ラニの賑やかな声がブリーフィングルームの空気を緩ませる。ざわざわとし始めた空気に溜息をひとつ落として、ユウは招集の通知に添付されていた資料を開いた。
「
横合いからにゅっとマニュピレーターが伸びてきて、ユウの手元のホロモニタを覗き込む。耳慣れたカメラのズーム音が響いた。
「いつの間にそんなとこにカメラつけたんだ、シエロ」
「ふふン。いいでしょうこれ。これでどこでも覗けますよ。テッサリアさんがつけてくれたんです」
「班長、修理で忙しいのにまた変な事やらせて……」
ユウが渋い顔をする。自己満足の作業をやめた
横合いから小さな手が伸びてくる。
「ぼくの手と同じなんですよ。案外便利なんです」
くすくすと笑みを含んだ
「こんな小さな
「いタ、ですね。宇宙開拓時代のゴールドラッシュ、一獲千金を夢見た野心家たちの夢の跡。侵攻で人手が回らなくなって、今ではほとんどが放棄されています」
「はいはい! 私知ってます。小惑星は資源の宝庫、でも当たりか外れかは掘って割っての運次第! うふふ……ロマンですよねぇ」
「クピド、楽しそうだね」
「
自分を挟んでの会話を聞きながら、ユウの目がブリーフィング資料に綴られた
カメラのズーム音が鼓膜を撫でた。濁った思考とともに、視線を持ち上げる。いつの間にか子供たちは子供同士で盛り上がっており、電子の瞳がじっとユウを見つめていた。
「大丈夫です。私がついてる」
ナギにこてんぱんにやられた夜から変わらなくなった、優しい女の声が言う。違和感のほとんどなくなったなめらかな声が、まるで、にんげんのように囁いた。
「私は絶対にあなたを守ります。何があっても」
電子の視線が絡み合う。どうして。何故今そんなことを言うのかと、心臓が跳ねた。ユウの喉が僅かに鳴る。
「シエロ、君は——」
「すまない、遅くなった」
ブリーフィングルームの扉が引き開けられ、部屋を満たしていたざわめきがさっと
(馬鹿。何を言おうとした、俺)
意識の底で自分を殴りつけてから、タイミングよく入室してきたシキシマに感謝しつつブリーフィング資料に目を落とした。それと同時にブリーフィングルームの照明が落ち、正面のスクリーンが無数の小さな星を映して明るく輝く。
「これよりブリーフィングを始める。各自資料を確認していると思うが、今回は
スクリーン上の小惑星の群れに、赤いマーカーが散らばった。
「本作戦は
「はーい」
白い手が挙がる。
「どうした、ナギ」
「第11調査大隊の件は? 交戦許可貰っときたいんだけどなー」
「……
「オーケー誰か死んだら交戦しよう。それでいいね」
紅い瞳は僅かな笑みを含ませている。シキシマは眉間に皴を寄せてエースパイロットの顔を見返した。壁に寄り掛かって成り行きを眺めていたレナードが、呆れた様子で口を開く。
「あまり艦長をいじめてやるなよ、ナギ。どうせお前なら許可なんてなくても確信を持ったら撃っちまうんだろ」
「ボクならね。でもそれで済むと思ってるの、はんちょー」
冷たい冷たい声が、会話に参加していないユウの背筋までをも撫で上げた。咄嗟に隣に座っている子供たちを見ると、子供たちも訝し気な顔でユウを見上げている。
レナードは肩を竦めて息を吐いた。
「第一陣はお前が出るだろ、お前のいるシフトは好きにしな。お前が帰ってくるまでにもう一度艦長と話をしておこう。——それでいいですね、艦長?」
* * *
小惑星帯。こうして文字にすると小さな星々がぶつかり合うような位置でひしめいているような印象を受けるが、実際は星と星との間が月と地球ほども離れていたりする。
旗艦の腹から吐き出されたユウは、目の前にぽつんと浮かぶ無機質な星を眺めた。戦略データベースから提供されたデータによればそれは火星の双子月、フォボスとダイモスを合わせたよりも大きい質量を持っているらしい。だが比較対象も近くにない中、その大きさを実感することは難しかった。
『後方待機たぁ、楽な仕事でお有り難ぇな』
近距離無線特有のざらついた音質でコンラートが言う。ダイモスで二機が墜ちたアルテミス編隊は再編され、そこに所属していたコンラートは正式にユウ達の
ともすれば欠伸の一つもおまけについてきそうな台詞に、後方での楽な仕事にトラウマのあるユウが渋い顔で応える。
「群体との遭遇があるって艦長も言ってただろ。交戦前提の配置なんだから気を抜くなよ」
『つってもなぁ。巣があるわけでもねぇし、新しい駆逐艦の砲も照準ばっちりだ。俺らの出番なんてそうそうあるまいよ』
『気を引き締めたうえで何も起きなければそれが一番ですよ、コンラートさん。ユウさんも、少し肩の力を抜いたほうが。長いお仕事ですからね』
ハイドラの穏やかな声にたしなめられて、ユウはむっつりと押し黙るとジャガイモのような形の星を見る。ごつごつとしたクレーターによる陰影はモノクロのシルエットを見せるばかりで、そこにあの蠢く肉の
二機のヤタガラスがゆっくりと地表面を走査している灰色の星に向けて、駆逐艦の砲がぴたりと狙いをつけている。火星基地から移管されたその駆逐艦の名はフェイルノートと言い、グングニルの後継試作機として作られたものだった。
「オーケー、クリアだ。ラニ、周辺の哨戒に戻ろ。ふあぁ」
回線にコンラートよりもさらに腑抜けたナギの声が乗った。欠伸のおまけつきである。ゆるやかに小惑星を離れたヤタガラスを、もう一機が追った。
『ちょっとナギ、気が抜けるからやめてもらえます!?』
『ほらな、エース様だってあのザマだぜ』
ぷりぷりした様子のラニの声に、コンラートの呆れ声が被さった。
小惑星では、ヤタガラスと入れ替わるように、補給機であり工作機としての機能も持つイドゥンが地表に近付く。普段は簡易修理や補給に使われるそのロボットアームを駆使してイドゥンが地表面からいくつかのサンプルを集めれば、この小さな星での仕事は終わりだった。10分ほどの作業の後、イドゥンが小惑星を離れたのを皮切りに各々が旗艦へと戻っていく。
着艦して補給を受ける。次の小惑星への移動時間は20分程だ。この一連の流れを繰り返す。時折小規模な群体に遭遇する以外は、緩慢な時間が流れていた。最初はぴりぴりしていたユウの緊張もすっかり溶け落ちて、
『これ、面白いですね。ええと……カピバラ』
『何がだ? イタチ』
『いえ、人工物のあるところでしか遭遇してないな、と思って』
『アザトゥスは何でも食べるけど、人の気配がするとこが好きなんだよ。アノマロカリス』
「クピド、何で古生物縛りなの? まあ、有機物のほうが侵食スピード早いし、食べやすいってことなんじゃないかな。タツノオトシゴ」
『知識の偏りについての苦情は
『ゴミでも棄ててたんでしょうか。んん……ジェレヌク』
『ジェ……なんて? 有機物は今や貴重品だぞ。なんなら採掘資源より高値がつくものをホイホイ棄てていくとも思えんがね』
「初侵攻の頃にはこの辺りも稼働していたんでショウ? そいつらが残っているのでは? センザンコウ」
『そんなに長く巣食ってりゃもっとこう、ダイモスみてーになってそうだがなぁ。カンガルー』
『カンガルーもう出ましたよ。ちなみにジェレヌクはレイヨウの仲間です』
『クソ、また俺の負けか。お前ら変な生き物の名前知りすぎだろがよ』
『ここの艦内ライブラリ、ジャンル豊富で見てて楽しいんですよね』
『
ゲームに区切りがついたところで、タイミングよく管制室からの通信が入る。ユウは狭いコックピットの中で大きく一つ伸びをすると、ハーネスのバックルを止め直した。
* * *
目の前に浮かぶ小惑星は、骨型の犬のおやつのような形をしていた。作戦資料から該当データを引っ張り出して眺める。ヤタガラスからデータリンクされてくる情報と統合され、ガタガタとした荒いポリゴンで構成されていたデータが精彩を帯び始めた。惑星や衛星と異なり、小惑星の地形データは詳細なものが存在しない。採掘業者が取ったデータはかつてあったはずだが、それは侵攻のごたごたで失われてしまったままだ。
「クレオパトラですか。悲劇、裏切り、策謀。不吉な名でスねぇ」
「嫌な事言うなぁ。そういうのがフラグになるんだぞ」
小惑星の名を見て冷やかすような調子で言ったシエロに、浮かび上がる採掘機の人工的なラインを視線でなぞりながらユウが唸る。ここもかつては採掘が行われていた星らしい。人工物のあるところにアザトゥスがいる、という先ほどの会話が頭をよぎった。
ピン、と電子音が鳴る。ユウはじろりとコックピットに据え付けられた箱を睨みつけると、中指の関節でそれを弾いた。
「そら見ろ、変な事言うから」
「私が何を言おうと出るときは出まスよ。ほら、お仕事おしゴ――」
ルーティーン化した戦闘に入ろうとしていたシエロの声に、
友軍機。悲劇。裏切り。策謀。
――
脳裏をいくつもの単語が駆け巡る。誰も言葉を発さない。誰もがそうだろうと思い、それと同時にそうでなければよいと思っているかのようだった。
死を思わせる沈黙を破って、歌うような調子のナギの声が無慈悲に響く。
『うーん、人間じゃないなぁアレは。みんな、ドッグファイトの時間だよ』
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