第9話 狂犬部隊の白い悪魔

「っはー、生き返ったぁ」


 二段ベッドの上でごろごろと転がりながらナギはにまにまとした表情で息を吐く。体の奥のほうではまだ興奮の炎が燻っていて、零れ落ちそうなエネルギーを発散させようと足をバタつかせた。


「戦闘しねぇと死んでんのかオメーは。マグロみたいな奴だな」


 振り返りもせず机に視線を落としたままで、ギルバートが呆れ声を放る。結局仮想の死闘を制したのはギルバートだった。正確には派手に暴れ回ったヤタガラスの燃料ゲージが底をつき、ナギが先に動けなくなったというのが正しい。


「そーだよ、ボクは動いてないと死んじゃうのさ」


 そう混ぜっ返せば、帰ってきたのは強めの鼻息ひとつだけだった。ぷぅと頬を膨らませて二段ベッドの上からギルバートを覗き込む。カチャカチャと金属の触れ合う音がした。銃の分解清掃をしているのだ。調査大隊に転属になってからは撃つことなんてほぼ無くなったのに、定期的にやらないと座りが悪いのだと言ってギルバートは持ち込みを許されている私物の愛銃の手入れを怠らない。

 低い声が、穏やかなヴィンテージポップスのメロディを紡ぎ出す。これは銃を手入れする時のギルバートの癖だった。ナギはベッドの柵に頭を預けたまま、ゆっくりと瞼を落とす。ぱちぱちと焚火の爆ぜる音が聞こえた気がした。傭兵時代は野営の夜、いつもこうして彼の歌を聴いていたから。

 ぼんやりと霞む意識が、ゆるゆると時間を遡っていく。


 * * *  


 ナギの生家は、貧しい村を束ねる名家だった。


「■■お嬢様」


 皆が自分をそう呼んだ。ふわふわと座りの悪い、上質な服を着せられて。外に出れば擦り切れた服で額に汗して働く人ばかりなのに、いつも綺麗に整えられた部屋をあてがわれて、好きなことだけをして暮らしていた。

 文明に唾を吐くような古い古い体質の、一夫多妻の大家族。みんな父が大好きで、誰もが父の寵愛を争っていた。少女だけが、父に愛される努力をしなかった。だが父が溺愛する少女のことを、家の誰もがとても可愛がっていた。酷く甘ったるくて胸焼けのしそうな、愛に包まれた家。

 彼の名誉のために言っておくと、父親は決して性的な事を求めてきたわけではなかった。だが父が自分を見る目が、呼ぶ声が、他の兄妹たちとは違うことだけは分かって、それがとても気持ち悪かった。

 愛されていたのだと思う。だが向けられ続ける好意という感情に、少女は毛ほどの興味も持つことが出来なかった。

 

 貧しい村だった。治安の悪い村だったから、いさかいも、その果てに起きる人殺しも、特段珍しい出来事ではなかった。

 たまたま一人でいるときに死体を見つけたことがある。空を流れる雲を曖昧に映す濁って虚ろな瞳を覗き込み、その命を絶った凶器に手を掛けた。辺りは血の海だったのに、ずるりと体から刃を引き抜いたその穴は空虚な肉を覗かせるばかりで、それがなぜかとても可笑しかったのを覚えている。こっそり持ち帰ったそれは、丁寧に手入れしてぬいぐるみの中にしまい込んだ。


 趣味は勉強だった。学んだ何もかもが、すんなりと頭にしまい込まれた。特に医学書を好んで読んだ。いつしか人の体がどうすれば壊れて、どうすれば治るのかを熟知していた。


「■■、こっちにおいで」


 ある日、父が自分を呼んだ。言われるがままに膝に座ると、首に何かを掛けられる。星の光を紡いだような鎖が、しゃらりと甘やかな音を立てた。


「首飾りを贈るのは、お前を大切に想い、この先もずっと共にあること証でもあるのだよ」


 髪を撫でる手の上から、煙草でしゃがれた父の声が落ちてくる。全身の毛が逆立った。鎖を引き千切りたくなる気持ちを堪えて「ありがとう、お父様」と呟く。この先もずっと共に。愛し子に向けられたそれは、本人にとっては地獄のような呪いのことばでしかなかった。

 第一、明日の食事にも困る人々を束ねる家の子がこんなものをつけていたら、首ごと捩じ切られかねない事が何故分からないのだろうか。


 結局首を捩じ切られたのは父の方だった。一家は村人によって武装組織に売られたのだ。愛し子と愛でてくれた家族は目の前でみな殺された。売れそうな見た目だからと、ナギだけが殺されずに連れ去られた。

 ぬいぐるみを抱きしめて、恐怖に震える小さな白い女の子。移送中のピックアップトラックの幌の中は薄暗い。が雑多に積まれた薄闇の片隅にうずくまる少女に、賊の一人が舌なめずりをする。


「なぁ、売り飛ばす前にちょっとばっかしをしたって構いやしねぇよな?」

「……けっ、胸糞の悪い野郎だぜ。俺はガキにゃ興味は無いんでね。お前の貧相なモノを見るのも御免だし、向こう向いててやるからさっさと済ませろよ」


 見張りの一人が背を向けた。下卑た笑いを浮かべながら、ベルトに手を掛けた男が近づく。少女は怯えたように抱えていたぬいぐるみを背にして竦み上がった。両の手が後ろに回り、お誂え向きに胸元のボタンが男の眼前に晒される。華奢な2本の足の間に、森林迷彩の戦闘服が割り込んだ。スカートの重く艶のある生地が押し退けられ、滑らかな白い太腿が露わになる。細い霜を集めて作ったような、白く透けた睫毛が紅玉の瞳の上に色濃く掛かった。その細い視界に自らの顔を映してやろうと、男がぐうっと顔を近付ける。


 白い髪と服の上に、ぱっと紅の花が咲いた。華奢な体躯に圧し掛かっていた体が、力を失ってそのまま少女を押し倒す。喉をぱっくりと切り開かれた男は、口元に下卑たにやけ顔を貼り付けたまま、目だけをカッと見開いて絶命していた。

 悪路が尻を突き上げ、どさりと肉の塊が落ちる音がした。少女は冷たい冷たい目をしながら恐怖に怯えたような声をあげ、自らのスカートをびりびりと音を立てて縦に裂く。幌を少し開け、荷台の外を向いて煙草を吸っている男が、呆れたように肩を竦めた。

 ガタン。トラックが揺れる。拒絶の言葉を口にしながら靴を投げ捨てる。ひとつ。ふたつ。「胸糞の悪い野郎だ」と男が紫煙と共に苦言を吐き出す。裸足になると身を低くして、座ったまま煙草を燻らせる男の背後に素早く忍び寄った。トラックの揺れに合わせて男の背に飛びつくと、一息に喉を搔き切る。

 どさり。命を失った肉体がくずおれる。ガタン。ピックアップトラックの荷台が跳ねる。死体から武器をかき集める。よく磨かれたナイフが2本。自動拳銃と、自動小銃が二挺ずつ。弾薬。小銃ひとつを手に取り、残りは荷台の奥に倒れている男の陰に置いた。

 うつ伏せになり、幌の合わせ目へ向けて小銃を構える。自分の体躯では衝撃を殺しきれないはずだから、死体の肩口にストックを当ててその腕を絡ませた。深く、深く息を吸う。


 砂煙に濁る空気を切り裂くように、少女の悲鳴が響き渡った。長く、長く、長く響くその声に車が止まる。ばたんとドアが開き、閉まる音。ブーツが砂利と枯葉を踏みしめる音を幌越しに聴きながら、トリガに指を掛けた。


「おい、どうした……」


 グローブに包まれた厚い手が幌を掻き分けて光が差し込んだ瞬間、少女は鉛弾をばら撒いた。


 * * *  


「おい、大丈夫か」


 肩を揺さぶられてぼんやりと目を開ける。が済んでから、いつの間にか眠り込んでしまっていたらしい。

 迷彩柄の戦闘服を着こみ、小銃を肩に掛けた男が顔を覗き込んでいた。瞬間的に腹に乗せていた自動拳銃を掴んで銃口を向ける。トリガを引こうとして、引けずに指が止まった。男の手がスライドを、軽く引いた状態で掴んでいる事に気付く。


「思い切りのいい奴だな、お前。少年兵か?」

「……そう見える?」


 男は苦笑した。細い手足に、血で汚れてなお分かる素材のよさそうな、だが破かれ暴かれかけた服。血糊で固まっていない部分の、純白の絹糸を流したような髪を一房掬い取る。


「いんや。どう見てもいいとこのお嬢さんだな。何があった」

「よくある話だわ。拉致されたの」

「お前だけか? 家はどこだ。近くなら送ってやるが」

「家族はみんな死んだわ。みんな殺された」

「そいつはまた……。ここでは何があった」

「売られない努力をしたわ。みんな私が殺した」

「へぇ。お前が? 一人でか」


 翠の目が興味深そうに少女を見る。嘘をつけと一蹴されるかと思ったが、そうする気はないようだった。

 この惨劇を少女の手が引き起こしたことを飲み込んだ上で。家族を殺された悲壮感も、人を殺した恐怖感も一切感じさせない目を見て、男は笑った。


「やるな、お前。こいつら名の知れた札付きだぞ」


 来い、と促されて素直に立ち上がる。立ち上がる過程で小銃を拾い上げて肩に掛けることを咎めもせず、なぜか爆笑された。荷台を降りるときに貸してくれた手に、そのまま引かれて歩く。風がやみ、澄んだ空には宝石をばら撒いたような星々がきらめていた。


 黒い犬のエンブレムが描かれたピックアップトラックの横の焚火に案内され、毛布と温かいコーヒーが供された。厳つい男たちがなんだなんだと寄ってくるのを、少女を連れてきた男がしっしと追い払う。ぶすっとした表情でそれを眺めながら、少女は苦いコーヒーをすすった。


「貴方たちは何?」

「俺達は流れ者の傭兵だ。今はこの辺りの武装組織クズどもの掃除に駆り出されててな。お前のおかげで一つ仕事が片付いた」

「ふぅん……」

「自分で聞いといてつまんなそうなカオすんじゃねぇよ。お前こそ何者だ」

「貴方さっき自分で言ったじゃない。ただのいいとこのお嬢さんよ」

「……7歳やそこらのいいとこのお嬢さんが武装組織の構成員を4人まとめて殺れるもんかね」

「やれてしまったんだからしょうがないわ」

「まあ嘘付いてるってカオでもねぇし、少年兵にしちゃ肌も髪も爪も綺麗すぎる。ったく、空恐ろしいお嬢さんもいたもんだ」

「そうね。どうかしら、お買い得じゃない?」


 紅の瞳が、男の目を真っ直ぐに見る。男は片眉を上げた。


「……何の話だ?」

「私、売られるところだったのよ。売り先、貴方たちでも構わないって言ってるの」

「お前なぁ」

 

 男の指が少女の額を弾く。小さな呻きを一つ零して、少女は男を睨みつけた。


「自分を売るとか軽々しく言うんじゃないよ。こんなこと言いたかぁねぇが、若けぇ女の体でよ」

「馬鹿ね、じゃないわよ。貴方たち傭兵なのでしょう? 私、医療の知識もあるわ。役には立つと思うわよ」

「プライマリ・スクール生の応急処置とはぞっとしねぇな」


 男は苦笑してコーヒーをすすった。少女は男から視線を外し、ぱちぱちと爆ぜる焚火の火を見つめる。


「……本当に行く当てがないのよ。■■家の人間は全員死んでいる方が村の人たちも幸せだわ」


 地域を束ねる名家の名前が飛び出してきて、男がコーヒーを吹き出した。


「待て、なんだって? そいつぁ俺たちの雇い主だぞ」

「あら、それは申し訳ない話ね。もうお支払いできる報酬なんて何もないわ。渡せるとしたらこの無駄飯喰らいくらいのものよ」


 げほげほと咳き込む男に憐みの目を向けて、少女は肩を竦める。言いながら、何故こんなに自分を売り込もうとしているのか、よく分からなかった。再び焚き火の炎に目を向ける。


「なぁお前。行く宛がないなら、適切な場所で保護してやる事も出来る。ツテだってないわけじゃないからな。危ねぇことも汚ぇ事もない世界に戻れる」

「……ここのがいいわ」


 少女は視線も上げずに即答した。相変わらず悲壮感も恐怖感も一切見せない横顔を眺めた男は、眉を下げて僅かに表情を緩める。


「ま、向いちゃいるんだろうな……。お前、名前は」


 少女が顔を上げて男を見た。喜ぶのかと思えばそうでもない。相変わらず感情の薄い冷ややかな目の下で、乾燥してひび割れた薄桃の唇が動いた。


「死人に名前なんてない」

「そうかよ」


 焚き火から少し離れたところに立って辺りを警戒していた男が、振り返って呆れ声を放つ。


「ギルバート。そいつを拾うのは構わんが世話は自分でしろよ」

「へいへい、隊長。わかってますよ」

「ありがとう。お世話されるわ、飼い主さん。尻尾でも振ればいいかしら。わん」

「あー要らん要らん。ったく、“いいとこのお嬢さん”がどこで覚えんだそんなフレーズをよ」


 ギルバートはわざとらしい溜息をつくと、体を伸ばして首をこきこきと鳴らす。少女の体を、頭からつま先までとっくりと眺めた。ふむ、と呟いて顎を撫でる。


「だがまぁ、オンナノコってやつぁこの仕事には向かねぇな。まずそのお上品な口調を改めな。あとはまぁ、髪を切って服を変えれば当面は……」

「わかった」


 言い終わらぬうちに、少女がどこからか取り出したナイフですっぱりと己の髪を断ち切った。血糊でところどころ固まったそれを、何の躊躇いもなく焚火の中に放り込む。一瞬だけ火勢が強くなり、タンパク質の焦げる嫌な匂いが辺りに立ち込めた。

 言葉を失っている様子のギルバートに向けて、少女が冷ややかな笑みを浮かべる。


「これでいいだろ? ボクは女の子ってやつには、正直もううんざりだったんだ」

「つくづく思い切りのいい野郎だよ……。あとは呼び名だな」

「ギルが適当につけてよ。なんでもいい」


 冷え切った眼が、ギルバートをひたと見据えて言った。出会ってからずっと、無風の感情。一つの単語が口をつく。


「……ナギ」

「なぎ?」

「極東のジャパンって国の言葉でな。Calmって意味だ」


 紅い瞳が揺れた。口元に悪戯っぽい笑みが灯る。自分が殺した男の血にまみれたままの少女ナギは、初めての鮮やかな感情を閃かせて笑った。


「ふぅん。いいね」


 * * *  


 “狂犬部隊ブラックドッグ”と呼ばれる傭兵団の一員となったナギは、目覚ましい活躍を見せた。その特徴的な白い髪と紅い目は、いつしかある種の恐怖の対象となり、人々が彼女のことを狂犬部隊ブラックドッグの白い悪魔と呼ぶまでに昇華された。死んだような日々と打って変わって、戦いに明け暮れる日々は楽しくて仕方がなかった。


 ナギはぼんやりと目を開けた。ここは乾いた清潔なベッドの上で、焚火の爆ぜる音も、煙の匂いも何もしない。銃の手入れに使う油の香りだけが、薄っすらと鼻をくすぐった。

 すっかり見慣れたギルバートの背中を見る。戦争の対象が人間から化け物アザトゥスに切り替わってから、狂犬部隊の仲間達はみるみる数を減らした。いまだ戦線に立っているのはナギとギルバートくらいのものではないだろうか。


 傭兵団の後ろ盾が怪しくなってきた頃、ギルバートはナギを自分の戸籍に入れた。

 その生い立ちをガンター姓に上塗りする書類にナギの名を書き込みながら、「なぁ、ナギ」とギルバートは言う。


「死ぬときってなぁ、あっけないもんだ」

「何、藪から棒に」

「お前を見てると、死に場所を探してんじゃねぇかと思うことがあんだよ」

「……どうかな。確かに、生きてる感じがするのは戦ってる時だけど」

「そう生き急ぐなよ。誰もがヒロイックで劇的な死に方をできるわけじゃねぇんだ」


 あの時は、なんと答えたのだったっけ。そう思って、自然と唇が動いた。

 

「ああ、知ってるよ。ギル」


 ふわふわとした頭で過去の記憶に返事をしたナギを、ギルバートが怪訝そうな顔で振り返った。


「何か言ったか?」

「んーん。なんでもない」


 ナギはベッドの柵から頭を降ろすと、薄い毛布を頭から被った。


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