第3話 雛鳥たちは殻の中 ③

 医務室につくなり、「あーもうユリウスくん何やってるのよ!」というお叱りの声が一同を出迎えた。大胆に胸元をはだけた白衣姿の女性が、両腰に手を当てて頬を膨らませる。


「や、やあマリーさん……」


 ひくっ、と頬を引き攣らせながら、ユリウスが片手を軽く挙げる。その様子を見てぷっ、と軽く吹き出したユウを、マリーと呼ばれた女性はじろっとねめつける。


「ユウくん、キミもよ」

「いやぁ、はは……すいません……」


 腰に手を当てたまま彼女が肩を揺すると、豊かな胸がそれを誇示するように揺れたので思わずユウは目を逸らす。……そのままするん、白衣を抜けて床に落ち、ぺちゃ、と情けない音を立てた柔らかな物体から。ユウはマリーと「それ」から目を背けたまま、はー……っと深く息を吐き出す。


「ちっ……違うのよ、これは!」


 マリーは慌てて「それ」を拾い上げて隠すように胸に掻き抱くが、何の誤魔化しようもない。ヘイムダル乗りの兄妹は、黙って俯いたまま肩を震わせている。ユウは心の中で二人に薄情者め!と毒づいてマリーに向き直る。


「マリーさん」

「な、なぁに? ユウくん」

「成人女性の胸は、作戦開始から終了までの6時間の間に異常に成長したりしません」


 堪え切れなくなって思わず突っ込んでしまったユウの台詞で兄妹の笑いの堰が切れた。


「ぷっ……ぶははは! マリーさん……さっきのは流石に無理があると思うよ! ウチのユリアちゃん並みに胸無いのにあの揺れ方は外れかけあいだだだ痛い痛い痛い!!!」

「すみませんマリーさん、ウチのクソ兄貴が失礼な事を……ぷっ」


 目に涙を溜めながら笑いをぶちまけるユリウスのこめかみに、ギリギリと拳を食い込ませながら謝るユリアのその語尾にも笑いが混じっている。マリーは「もー!」とひとしきり頬を膨らませていたが諦めたように偽乳、もとい胸パットを摘み上げるとため息を漏らした。


「あーあ、結構高価かったんだけどな、コレ……」


 付け方間違えたのかしらねー、と悔しそうに漏らして、医療廃棄物用のゴミ箱へぽいとそれを放る。そのあまりの呆気なさにユリアが目を点にし、少し惜しそうな視線をゴミ箱へ視と向けた。


「え、捨てちゃうの? なんかちょっと勿体無い」

「もうバレたし要らないわよ。ユリアちゃん、要る? なんかナギちゃんに投薬した時の注射器の針とか刺さってるっぽいけど」

「謹んで辞退します……」


 薄暗い瞳でそう返されたので、ユリアは苦笑しながら心の中でゴミ箱の中の偽乳に合掌した。安らかに眠れ、女の夢よ。


「需要あると思ったんだけどなー。ホラこないだ、コンラート君とかの男性陣で親睦会みたいなのやってたでしょ?そこでなんかそーゆーの見てたじゃない?」


 可愛らしい仕草で首を傾げながらそんな事を言うマリー。それを聞いたユリアの頬がひくりと動いた。そーゆーの?

 男どもはビクリと体を震わせると、所在なげに宙に視線をさ迷わせた。


「兄貴?ユウ?」


 絶対零度のユリアの声に男たちは背筋を凍らせかけたが、そこにマリーの明るい声が被った。


「まーまーいいじゃない? 私たちが若手俳優の腹筋シーンを集めたやつ観てたようなもんでしょ、艦は確かに職場だけど、同時に生活の場でもあるんだから多少の趣味の」

「わーー、ストップ! マリーさん、ストップ!!」


 今度は男性陣が目をしばたかせる番だった。腹筋シーン??


「なーんーでーもーないの! もーこの話なし! なーし!」


「あ、あー。そういえばコンラートさんと言えば、具合どうなんです?だいぶ派手にやられてたみたいでしたけどっ!」


 なんだか妙な温度になってしまった空気をなんとかするべく、ユウが不自然に明るい声で強引に話を曲げてマリーに尋ねた。


「うん? 大丈夫よ、全然。あのあとすぐにナイチンゲールでピックアップしたけど、肋骨何本かやってただけだったしね。あれはアサクラさんの耐爆スーツに救われたわねー」


 むしろユリウス君の方が重症だわこりゃ、と呟いてギリギリと固定用のバストバンドを巻く。


「あだだだだだ!!」

「はいはーい、我慢よー。コックピットから飛び降りてかわいーい妹さんに無駄に心配かけた報いだと思いなさーい」

「うぐぇい」


 潰れた声で返事を返すユリウスの背をぽん、と叩き、マリーはユウに向かって手を差し出した。ユウがバングルを嵌めた手を差し出すと、マリーは自分のバングルからコードを引き出して接続し、ホロキーボードを叩き始める。


「ユウくんは治療用ナノマシンの追加でいいかな。結構ナカ痛めてるわね。久しぶりのフライトの癖にあんな無茶な機動するからよー? 最近筋トレサボってたでしょ」

「返す言葉もございません」

「よっし、診察かんりょー!」


 一通りのバイタルデータをチェックし、軽く頷いたマリーは手元の引き出しを開けた。大量に並んだアンプルを一つ取り出し、投薬機にセットすると、ユウの腕に当てがう。プシュ、と小気味の良い音が医務室に小さく鳴り響いた。


「そういえば、艦長のところに副官のコが来るんだってねー」


 ユリアのバイタルデータをチェックしながら、マリーが思い出したように言う。


「そっか、もうすぐ出航ですもんね」


 そうよ、怪我してる場合じゃないんだからとマリーは笑って、ユウの肩を軽く叩いた。


「コンラート君のトコに顔出してから艦長のトコに報告行ってあげなさいな。心配してたから」



* * *


 ピコピコと郷愁を誘う音がする。太陽系の他の星まで人類が足を伸ばした時代に、16ビット音源からなるそのサウンドは随分と不釣り合いに思えたが、この部屋の主人はこの音を心から愛して止まない。


「よぉ、お互い無事で何よりだな」


 ドットで描かれた星々が散りばめられた画面を一時停止させると、コンラートは破顔して軽く手を挙げた。


「はい、生存フラグ回収お疲れ様でした」


 くす、と笑ってそう返すと、そんな話してたな、とコンラートも笑う。そんなユウの背後から、金髪の双子がそーっと顔を覗かせた。


「生きてる?」


 恐る恐る、といった様子でユリウスが尋ねると、コンラートはわざとらしくはぁー、とため息をついて肩を落とす。


「生きてるよ、誰かさんらがパラボラぶっ壊したせいで死ぬかと思ったけどな」


 何のためのエレメント二機編隊だっけー? とわざとらしく肩を竦めてみせると、ユリウスはごめん、と呟きつつそっぽを向いてボソリと呟く。


「ま、でも中破したのは事実だけど、作戦以前に慣らし飛行で大破した人に言われるとなんか微妙な気持ちなわけで」

「何をぅ! こちとら肋骨イってんだけどな?」

「いや、それは俺もだしなぁ」

「兄さんのは自業自得」

「ユリアちゃん酷い!? もっと兄さんを労って出来れば愛して!」

「もう一本折られたいのか」


  すっかり漫才状態に移行しかけた空気に、それを後ろから眺めていたユウが思わず吹き出す。


「その調子じゃ、怪我も大した事なさそうですね。本当によかった」

「おう、ありがとな」


 そんなユウとコンラートを見て、ユリウスがはたとした表情で首を傾げた。


「ところでユウはなんでコンラートに対して敬語なんだ?」

「え?」


 きょとんとした表情でユリウスを見るユウに、ユリアもまた首を傾げる。


「そういえばあんまりこの面子で集まったことないから気にしてなかったけど、そういえばそうね」

「え、だって俺らの代の次の子達はまだ訓練中だよね? コンラートさんは同期じゃないし、普通に先輩だと思ってたんだけど」


 そう言いながらちらりとコンラートのほうを見ると、素知らぬ顔をして目を逸らしている。


「……コンラートさん?」

「あー。いや、その、な……うん」

「先輩は先輩なのかしらね? 前代の落第組の特別クラスよ、コンラートは。実戦に出たのは私たちより後だし……後輩以上同期未満?」


 未だに慣らしの着艦ミスっちゃうような腕だしねー? と蒸し返されて、コンラートは気まずそうに頭をポリポリと掻く。


「いやぁ……何となく訂正するタイミングを失っててな……うん。まあでも歳は俺のが上だし?」

「イヤよー、私は。負傷して部屋戻るなりゲーム漬けの男が先輩とか」

「なっ!? 自由時間に俺がなにしてようがそれは俺の勝手だろ! てか歳は俺のが上だからな!?」

「イヤって言っただけよ。悪いとは言ってないし、歳は関係ないでしょ」


 あきれ顔でひらひらと手を振るユリアの後ろから、ユウが画面を覗き込む。

 ドットの星で彩られた世界では、丸みを帯びたフォルムの飛行機が、行く手を塞ぐ奇怪な生物を撃ち落とすシーンが静止している。

 画面に接続された機器にはあまり見覚えがなかった。


「これ、ゲーム機なんですか? 」

「おうよ、懐かしの16ビットマシンだぜ?見たことないのか? かっけーだろ!」


 首を傾げたユウに、コンラートは嬉しそうににかっと笑って応じた。


「オヤジの形見……みたいなもんでさ。壊れちまってたんだがテッさんが直してくれたんだよ」

「形見……」


 思わず呟き返すと、コンラートは若干苦い表情になってひらひらと手を振った。


「バカ、そんな顔すんな。“よくある”ことだろ、今となってはさ」

「そう……ですね」


 形見。


 知っている人が、大切な人が、いなくなって、そして残ったもの。

 無意識に右目に手が伸びる。この目は、“彼女”の形見と呼んでもいいのだろうか。ぎゅう、と瞼ごと髪を掴みかけた時、肩に暖かいものが触れた。


「コンラート、なんか全然元気そうだし。部屋に戻ろう。もうすぐ離陸よ」


 振り返ると、吸い込まれそうな碧眼がこちらを見ていた。肩に置かれたのは左手、その反対の手がこっそり兄の服の裾をつまんでいるのを見て、ユウはこくりと頷いた。

 些細な単語一つで幾つもの心が簡単に揺れてしまうほどに、あの日以降の世界の傷は深い。


「そうだね、行こう。コンラートさん、また後で」

「……おう」


 3人が踵を返して部屋を出ていくのを、コンラートは短い返事で見送る。

 部屋を出る時、ユリアがぽつりと呟いた。


「茶化してごめん。直ってよかったね」

「……っ」


 ぱたりと扉が閉まり、3つぶんの靴音が遠ざかって行くのを聞いているコンラートの手の中で、レトロな形のコントローラがみしりと音を立てた。

 静止したままの画面に映っている星と、飛行機と、そして奇怪な形の敵性生物は、どこか彼らの戦いに似ていた。

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