第4話 副官、来たる
艦長室の前には人だかりができていた。診療と損害の報告のために出向いたユウたちだったが、艦隊は既に地球基地に戻り、作戦終了からはだいぶ時間が経っている。艦長室に用のある人間は少ないはずと首を傾げたところで、整備班の同僚がユウの姿を認めてぱっと顔を輝かせて手を振ってきた。
「お前らも来たのか! いやー、やっぱ気になるよなぁ!」
「え? 何が……?」
ニマニマと気持ちいやらしい笑顔で迫ってくる同僚に、若干引き気味になるユウである。心底困惑しているその表情に、話が通じていないらいしい事を悟った同僚は「そうか知らないのか! なら教えてやろう!」とさらに笑顔になった。
「副官サマがいらっしゃったのだ!」
どーん!という効果音がつきそうなほど、胸を張って堂々と宣言した整備班の男を見て、3人は「あぁ……」と曖昧に頷いた。そういえばこの間マリーさんがそんな事を言っていたような。
「それにしたってこの人だかりは……? 着任なんてそんな珍しいイベントじゃ」
言いかけてユウはハッ!と何かに気付いたような顔をした。人だかりの内訳は男ばかり、さっきの同僚の嬉しそうな、ちょっと含みのある笑顔。
「……さては、美人さん?」
「オフコーース! イグザクトリィ!」
同士よー!と叫んで整備班の男がユウの肩を抱く。「おお……」と満更でもなさそうな顔で、他の人だかり同様に艦長室の小さな窓にチラチラと視線をやりはじめたユウを見て、ユリアは深い深いため息をついた。
殲滅戦で多くの人員を失った現在の人類軍の年齢層は、大きく下がっている。ここにいる人間とて全員が軍属だが、その中身はといえばハイスクールの少年たちとさして変わらないのであった。ちらりと兄に目をやれば、「どんな美人でもユリアちゃんには敵わないよ大丈夫!」と、どうでもいいお墨付きが飛んできて更に肩を落とす。馬鹿しかいない。
「ちょっと通して、報告なの」
溜め息をつきながら人垣を掻き分け、艦長室の扉を叩く。
「艦長、ユリアです。報告いいですか。兄貴とユウも一緒です」
「ん、入っていいぞ。……って、うわ! なんだお前らゾロゾロと。散れ散れ、仕事しろ仕事」
ノックに気付いてドアを開けてくれたシキシマは、人だかりに一瞬驚くが、すぐに副官目当てと気付いて追い払いに掛かる。
「カンチョーだけズルいっすよー! 俺らも副官サマ見たいー」
「挨拶したい、というかお近づきになりたい!」
「そーだそーだズルいぞ艦長ー!」
「えーい、やかましい! 特権が欲しければきちんと仕事して偉くなってから出直してこい! 後の歓迎会で挨拶して貰うからそれまでお預けだ。解散解散!」
シッシッ、と追い払う仕草で少年達を散らすものの、彼らは遠巻きにするばかりで一向に仕事に戻ろうとしない。シキシマは溜め息をついて肩を落とすと、不毛な作業を諦め、とりあえずとユリア達3人を招き入れる。
執務机の横に、亜麻色の髪をまとめた士官服姿の女性が立っていた。歳はユリア達よりは上のように見えたが、女性士官としては驚くほど若い顔立ちをしている。
彼女はホログラムコンソールに投影された航行ルートマップを眺めていたが、扉の開く音にこちらを振り向いた。初対面の上官に対して、3人は居住まいを正して敬礼をする。
「お話中失礼します。ヘイムダル搭乗員のユリア、ユリウスです。報告に伺いました。」
「整備班のユウです。同じく報告に」
女性もまた、胸に手を当て軽く礼を返した。指先まで整った美しい所作に息を呑む。
「初めまして、皆様。本日付でこちらに配属となりました。ツェツィーリヤ・リーゼンフェルトと申します。長きに渡る旅路へご一緒できて光栄です。以後よろしくお願い致します」
礼は解いていただいて構いませんよ、と言われ3人は礼を解き、副官の丁寧な物言いに思わずぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いします。えと、ツェツ・・・ツェツィーリヤ副艦長」
噛みながらそう返したユリアに、ツェツィーリヤはくすりと笑みを零す。
「呼びづらいようでしたら、どうぞイリヤと。可愛らしいパイロットさん」
整った顔立ちの中に輝くエメラルドグリーンの瞳に長い睫毛が掛かり、神々しささえ感じさせるその表情に、女性に疎いユウですらほぅ、と溜め息を漏らしたその時。扉の蝶番がガタガタと軋むような悲鳴を上げたかと思うと、ばぁんと弾けてドアに張り付いていた少年達が艦長室に雪崩込んだ。
「イリヤさーーん! 可愛い! 好き!」
「美しいが過ぎる」
「整備班のアイゼンです結婚してください」
「すみませんつかぬ事をお伺いしますがお付き合いされている男性は」
「イリヤさんあの自分はそのあのイリヤさん」
「閣下! リーゼンフェルト閣下!!」
その場は一瞬にして錯乱した少年達が騒ぎ散らす混沌空間と化した。対峙した3人の表情が凍り付き、シキシマの眉間に皺が寄る。
「ちょっとアンタたちいい加減に——」
しなさい、と怒鳴りかけたユリアの肩に、そっと淡雪のような感触が触れた。
「ユリアさん、
空気に霜が降りていく。と、その時少年達は錯覚した。
コツリ、とヒールの踵が床を叩く。
「皆様」
見下ろすエメラルドグリーンの瞳には欠片の暖かみもなく、絶対零度の様相に彼らは思わず身を寄せ合って後退った。
「本日付でノブヒコ=シキシマ少佐の副官に着任致しました、ツェツィーリヤ・リーゼンフェルト“中尉”です」
凍えるような声で改めて紡がれる、階級を全面に押し出した念入りな自己紹介に、何人かの気弱な少年が敬礼の後逃げ出した。
「申し訳ございませんが、男性諸氏のお相手を務める気はありません。出立は3日後と伺っておりますが、遊んでいる余裕が?お手隙なのでしたら私が仕事を見繕って差上げますが」
ブンブンと首を横に振るサボり魔達。
「そうですか。結構。では仕事に戻られるとよろしいでしょう」
少年達をばっさりと切り捨てたイリヤが、さーっと散っていく少年たちを一瞥して扉を閉めた。そしえコツリ、とヒールを鳴らして振り返る。
「ところで——」
視線を向けられた3人の肩がビクリと震え、
「ユリアさん! ええ貴女ですユリアさん。よろしければ、ユリアちゃんとお呼びしても?」
(んんんんんん??)
投げ掛けられた予想外の台詞と、その
「ええと……」
咄嗟に返答出来ず、珍しく口ごもるユリアの手を、イリヤは両手で包むように掴む。
「あぁ、なんて可愛い手なのでしょう。華奢なのにこんなに荒らして……頑張り屋さんなのね。髪は月の光を集めた糸かしら? 瞳は空の結晶なのかしら?」
「いやちょっとあの……」
「やめんか貴様ーーッ!!!」
ユリアとイリヤの顔の距離が限りなくゼロに近づきかけた時、ユリウスが硬直から回復して妹の前に叫びながら割り込んだ。
「上官だか! なんだか! 知らないけどなっ!!! 嫌がってるでしょ! 見てわかって!? ユリアは! おれの! 妹なの! ユ、リ、ア、は、お、れ、の、い、も、う、と、はいリピートアフターミー!!!!」
「ユリアちゃんは俺の妹……? あっ、つまりわたくしの妹ということですね。俺の嫁的な言い回しの。成程」
「ちっげーーよバーーーカ!!!」
「うふふ、わたくしの妹……いもうと……。素敵な響きですね、いもうと…」
焦点の定まっていない目で妹と繰り返すイリヤに指を突きつけ、ユリウスが艦長に向かって叫ぶ。
「人の話聞いちゃいませんよこの人! 大丈夫ですかこれ副官って! 上官というかなんかもう人間として!!」
「う……うん……? とても優秀な方だと訊いていたんだが……うむ……?」
ユリアの事となると極限までバカになるはずのユリウスが正論をまくし立てているのを見て、その場にいる全員がこいつはヤバい、と心の中で呟いた。
そんなクルーたちの心情を知ってか知らずか、イリヤは若干名残惜しそうにユリアから視線を外し、シキシマに向き直る。
蕩けるような表情は瞬時に掻き消え、落ち着いた涼やかなものに置き換わる。
「艦長、失礼ながらこちら、お渡しするのを失念しておりました。お好きと伺いましたので。どうぞお納めください」
そう言いながら、紙袋を差し出す。その紙袋に記された店名に、シキシマはくっと目を見開く。
「こ、これは "あまや” の……! 」
「ええ、羊羮です。フジ、というもので。なんでも夏にしかないのだとか」
「フジですか! 素晴らしいチョイスですな。これは切ると日本にあった富士山という名峰のシルエットを描き出す逸品ですよ。ささ、お茶を淹れましょう。是非貴女にも味わって頂きたい。確か此処にいい茶葉が……」
お茶缶をいそいそと取り出そうと振り返ったシキシマと、ユリアの目が合った。じっとりとした視線に、シキシマは軽く咳払いをする。
「ン、ンン。まあなんだ、その。素晴らしい副官を得た。うん」
その言葉に、ユリアは艦長室を訪ねてから何度目かになる深い深いため息をついた。
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