第5話 配置転換

 副官、ツェツィーリヤの歓迎会はまあまあ盛大に執り行われ、クルー達は地球での最後の宴会だと大いにはしゃいだ。

 その喧騒から一夜明け、出立を翌週に控えた艦隊からは浮わついた空気が消え、最後の一仕事に向かう緊張感に包まれていた。本来であれば明日が出立予定日だったのだが、流石に奪還作戦の損害をそのままに出航は出来ないとシキシマが上に掛け合ったのだ。本当はもう少し余裕を持たせたかったのだが、主力艦隊の帰港予定が迫っているためそれ以上は無理だと突っぱねられたのだという。


 第13調査大隊の任務は、長距離探査航海である。大規模なアザトゥス侵攻は1年前の大規模戦役を最後に収まっているが、アザトゥス達は今も時折どこからか飛来し、太陽系を脅かし続けている。その出現データを元に、進路上での侵攻具合と生態の調査解明、ならびに発生源の特定と、可能であればそれの破壊。それらの任を帯び、現在地大小併せて30部隊ほどが宇宙のあちこちに送り出されていた。


 艦隊は宙域軍艦3艦で構成される。

 まず巡航艦フェニックス。これは通信、索敵、整備、研究等の一通りの設備の揃った空母を兼ねる艦であり、調査大隊には全てこの艦が配備されている。長距離任務であるため、これに輸送艦フィディピディスが随行する。これは物資輸送に特化した艦であるため、一切の武装を持たない。そのため、輸送艦の護衛に当たるのが駆逐艦グングニルである。多くの砲門を備えており、戦闘に特化しているものの空母の機能はなく、戦闘機を搭載する余地はない。

 これに対アザトゥス戦闘機、アヴィオン20小隊を加えて探査に挑むのである。アヴィオンは目下、全機フェニックスに積まれるため、ユウ達整備班はフェニックスにて修理と出航前の各種確認に追われていた。探査航海直前に迎撃任務が差し込まれたため、予定外の機体損傷の修理から予備部品の補充まで、やることはてんこ盛りだった。


「パラボラ部品の追加納入どうなってる!?」

「おい予備車輪の数が合わねぇぞ、アルテミスのが足りない!」

「あーーそれ戦闘外損傷で直したヤツ……コンラート機っす自爆してたアレ! 備品管理作業漏れてたすんません!」


 格納庫と倉庫を繋ぐ連絡通路には怒号と足音が満ちている。損傷した双子の機体、早期警戒機ヘイムダルのレーダー用の部品を運びながら、ユウは小さくため息をついた。出航は翌週だというのに、どうにもしばらくはまともに寝ている暇もなさそうだ。残っている作業を頭の片隅で指折り数え、うんざりと落としたその肩を、ポンポンと叩かれる。


「ゲッ、アサクラさん」

「ハァーイ」


 振り向いた先にある死んだ魚のような目に、思わず本音交じりの応答をしてしまう。言われた方は特に気した様子もなく、ヒラヒラと手を振りながら軽薄に挨拶をした。


「ユウさー、ちょっと君、オシゴトでーす」

「はっ!? いや俺、まだヘイムダルの整備が」

「いーから。ハイ部品そこ置いて。上官命令ねー」


 運んでいた部品を通路の脇に寄せさせると、顎をしゃくって付いてくるように促す。割と大きいその部品を、通り過ぎる同僚が邪魔そうにしている事に気を揉みつつ、アサクラの言うことには逆らえない(上官うんぬんを抜きにしても)ので、チラチラと振り返って部品を眺めながらも諦めてその後ろをついていく。

 ずらりと正規のアヴィオンの並ぶ格納庫エリアを抜け、余剰格納庫のエリアに差し掛かると、忙しく立ち働く同僚たちの喧騒も薄れてくる。その余剰格納庫の端で、アサクラは立ち止まった。前にそびえる格納庫の扉は、固く閉ざされていたが、扉の横の認証コンソールにアサクラがバングルをかざすと、重い音を立てて横開きの扉が開いていく。


「やあシエロ、調子はどーぉ?」

「スッキリ、爽快デスヨ」


 開かれたキャノピーの奥で、チカチカとした光と共に無機質な音声が人間臭い台詞を吐き出した。


「今日はユウも一緒だよ。覚えてるかい」

「勿論! ユウさン、先日はドーモ」

「やあ。元気そうで良かった」


 心なしか嬉しそうに聞こえるその声に、ユウもふっと肩の力を抜いて微笑んだ。


「デハ、これからもドウゾ宜シク、お願いシマス!」

「うん、宜しくね、ユウ!」

「よろし……ん??」


 シエロがよろしく、と言うのは理解できた。先日、アサクラが研究所からシエロ機を強奪、もとい移譲させた現場に居合わせたので、今度の航海にも一緒に行く事を理解しているのだろう。でも今、アサクラもよろしくと言った気がする。


「ええと?」

「異動だよ、ユウ。新型高機動戦闘攻撃機、識別名シエロのパイロットに君を任命する。ついでに整備も君の担当だ! 医療系メンテナンスは僕も手伝うけど覚えてね。必要な薬剤はそこに揃えた! じゃ、後はよろしく!」


 早口でまくし立てた挙げ句に認証コード、君のバングルにも送ってあるからねー!と捨て台詞を残してさっさと去っていく白衣の背中を、真っ白になった頭で見送る。


「うーーん……」


 白紙化してしまった思考を、とりあえず声を出すことで揺さぶってみる。頭の片隅にこびりついていた作業リストを再度指折り数え、バングルの通信リストから整備班長のIDを探しだしてコールした。


「ユウ君、どうしました?」

「はんちょお……」


 穏やかな上司の声に、泣きそうになりながら状況を伝えると、テッサリアも通信機の向こうで悩ましげな唸り声を上げた。


「うーん……、分かりました、ヘイムダルの整備は引き継ぎましょう。ラズ君か、イオリ君…いや、まあ後で考えましょう。損傷報告書は艦内サーバに上がってますよね?」

「上がってます。各機フォルダの最新見れば大丈夫です。手元に作業ログのメモもあるんで、同じ所に上げときます」

「分かりました。君はいつも仕事が丁寧でログもちゃんと残してくれてるので、助かります。後任から質問があったらバングルで連絡行きますので、対応お願いしますね」

「はい、よろしくお願いします! ……っと、部品取付作業が途中で、通路にAE-10_5dの部品が放ったらかしになってて……」


 すみません、と尻すぼみなその謝罪を、テッサリアは笑って受け流す。


「構いませんよ。どうせアサクラ君に無理矢理連れて行かれたのでしょう。ちょっと叱っておきます」

「あはは……」


 苦笑しながら、ではよろしくお願いしますと伝えて通話を切る。ふぅ、と軽く嘆息して曲線の美しい機体を見上げた。


「ごめんなシエロ、お待たせ。この機のマニュアルってある?」

「ハイ、ありますヨー。お送りしまショウ」


 頼む、とユウはコックピットによじ登り、シエロの入った箱型のモジュールの側面のコネクタへバングルのケーブルを挿し込んだ。


「ありがとう、それじゃちょっと拝見しますよ…っと、ん?」


 アサクラから貰った認証コードで転送されてきたデータを開き、表示されたマニュアルのページ数にユウは目を剝く。戦闘機のマニュアルともなれば数百〜数千ページはざらだが、それを遥かに越える数だった。

 くらりと目眩のする頭を抑え、とりあえずそれだけで何ページもある目次に目を通して必要な情報を漁る。膨大なマニュアルは生体モジュールについての項目が多く、実験や検査の記録なども含まれているようだった。1機しかない機体のため、マニュアルとして整備された資料ではないのかもしれない。

 整備に必要な部品や機材、薬剤などを確認し手元に簡易なチェックリストを作成する。それらを艦の備品リストに照合し、眉を顰めた。


「足りるか……?」


 揃えたから、と示された薬剤は一揃いはあるようだったが、これから艦が発つのは果てのない探査航海だ。太陽系の各惑星に寄港し補給などを行うとは聞いているが、その道程だって安全とは言い切れないのだから一揃いではどうにも心許ない。ただし、現在逗留している戦略拠点に研究施設はないため、備品申請を上げてもここにはモノがない可能性もある。

 そうなると他拠点からの移送待ちとなるが、そもそも薬数本の為に輸送機が出るはずもなく、陸路で輸送されるとしたら何日後になるかも分からない。


「買い出しだな、こりゃ」


 肩をすくめてそう呟くと、シエロがチカチカとLEDを瞬かせる。


「何か不足ガ?」

「ああ、ちょっと薬が……」


 咄嗟に返事を仕掛けて口を噤む。シエロは自分の事をAIだと思い込んでいる。下手なことに触れるべきではなかった。だが当の本人からは「ふゥン」と気のない返事が返ってきて肩透かし喰らう。


「まァ、マニュアルの中身ハ参照権限もナイのでお任せシマスね。よしなニお願いシマス」

「あ、あぁ……」


 鼻があったならほじっていそうな気のない返事に、ユウも思わず気の抜けた返事を返してしまう。心の底で何かがチクリと引っ掛かったが、それはすぐに忙しさに押し流された。やることは山積みである。グズグズしている暇はなかった。


* * *



「あれ、ユウ出掛けんのか?」

 

 慌ただしく艦内の生活区にある自室に駆け込み、急いで外出の準備を整えているユウに、二段ベッドの上段からひょっこりとユリウスが顔を出して問いかけた。


「ちょっと備品が足りなくて買い出し行ってくる。ユリウス、その怪我じゃ動けないだろ。何か必要なものがあればついでに買ってくるよ」

「そうだなぁ……」

 

 痛み止めが効いているのか少しぽやぽやした表情でユリウスは考え込む。ユウも時間に余裕はないので質問は投げっぱなしにして鞄に必要なものを放り込んだ。その鞄に後ろからぽい、と数枚の紙幣が投げ込まれる。その結構な金額にユウは眉を下げてベッドの上を振り仰いだ。


「……ご注文は?」

「それでメモカ買えるだけ。あとはなんかユリアに美味い菓子でも頼むよ。日持ちするやつ」

「ユリウス、メモリーカード既に箱いっぱい持ち込んでなかったか…?」

「いや、ユリアちゃんのデータを収めるにはあれでもまだ不安が……!」


 そう言ってぐっと拳を握りしめたユリウスに肩を竦めて見せ、ユウは鞄の口を閉じて部屋の扉に手を掛ける。


「はいはい。じゃあお使い頼まれました」

「よろしくなー」


* * *


 街は、基地の外に這いつくばるように広がっている。建築の技術は大半が失われ、残った技術も資材もほとんどは人類が生き残るために投入された結果、人々は荒れ果てた建物を、戦闘機や戦車からこぼれ落ちた戦争のカケラで継ぎ接ぎして暮らしている。

 駐屯基地の周りは当然戦闘も起こるが、鎮圧も早いため比較的安全だ。結果行き場を失った人々は基地の足元に集まり、今では街と呼べる規模にまで成長しているのだった。

 守衛に見送られてゲートを出たユウはバングルの光学迷彩機能を有効にする。戦争の傷跡が深く戸籍などが失われてしまった世界において、軍の身分証にもなるバングルは欲しがる者も多いのだ。軍人とはいえ、大勢に囲まれればフィクションのように華麗に立ち回ることなどできない。厚手のカーゴパンツに分かりにくいように仕込んだ銃の感触を一度確かめてから歩き出しながら、頭の中でルートをなぞる。和菓子屋、ジャンク屋、最後に薬屋だ。


 艦長とユリアのためのお菓子を買い込み、ジャンク屋でメモリーカードと幾つかのパーツを見繕ってからユウは薬屋にやってきた。瓦礫の街の中で、薬屋は珍しく元の建物の形を保っている堅牢な作りのものだ。呼び出しベルを鳴らすと、小さな格子付き窓のシャッターがわずかに開き、中からきょろりとした目が覗く。


「おや、ユウじゃないか。もう来ないかと思ってたよ」


 金ヅルがまだ居てくれてありがたいな、と店主はくつくつと笑う。


「急にすみません、これを融通していただきたいんですが……」


 格子の隙間から必要な薬のリストを書いたメモを滑り込ませると、店主はそれを取り上げて目を通す。そこに書かれている量を見て、彼の眉が吊りあがった。


「ったく、貧乏人に回す薬全部持ってくつもりか?」


 彼は不機嫌そうにユウを睨んだが、その声には心配が滲んでもいる。ユウは短く息を吸ってから、申し訳なさそうに答えた。


「ちょっとイレギュラーがありまして……。日常的に必要な人がいるんですが火星まで補給がないんです。無理なら半分でもいいので。次の軍からの卸量、増やしてもらえるように上には言っておきますから」


 店主は少し考え込むような仕草を見せたが、結局後ろにある棚からボトルや容器を取り出し始めた。彼が瓶を並べる様子を見て、ユウの胸の締め付けが緩む。


「これでいいか?流石にその量全部は出しちゃやれねぇが、半分よりゃ多いはずだ。ちゃんと全額払えよ」


 店主はカウンターに用意された薬を指さしながら肩を竦めた。


「勿論。ありがとうございます」とユウは代金を差し出すと、深く頭を下げる。この男の一見がめつく見えるこの行動は、本当に必要としている人に薬を届けるためにしていることを知っているため、本当に頭の上がらない思いだった。薬を受け取り、包みを鞄に仕舞いながら店を出ようとすると、店主が言葉を投げかけてきた。


「おいユウ、無茶するなよ。金払いのいいお前がいなくなると俺も干上がっちまう。……帰ってこいよ、ヒーロー」


 ユウは僅かに目を見開いたあと、柔らかな微笑みを返し、店を後にした。ヒーロー、という言葉が僅かに胸を刺す。彼はぱちんと両手で頬を叩き、帰路についた。


* * *


 荷物を抱えて格納庫に帰ってくると、扉が開いていた。閉めたはずなのに、と思っていると中からぼそぼそと人の声が聞こえてきて、思わず扉の陰に身を隠す。

 そろりと格納庫を覗き込むと、機体の横にアサクラが立っているのが見えた。彼の暗い瞳はコックピットに向けられていて、細い手がそっと機体を撫でた。


「なあ、君なのか? ソラ」


 その言葉に思わず身を乗り出した時、肩に掛けていた鞄がずり落ち、格納庫の扉にぶつかって大きな物音を立てた。はっ、としたようにアサクラがこちらを振り返る。


「その、足りない薬剤があったので買い出しに」

「そっか〜、ありがとね」


 咄嗟に出た言い訳じみた言葉に返事をしたアサクラの表情はいつもの掴み所のないものに戻っていた。そのまま去って行こうとするアサクラに「すみません、あの……」と声を掛けると「何?」と若干低い声で返される。


「あの。下のいつもの薬屋……その、買い占めてしまったので。次回の卸量増やすように掛け合ってもらえませんか」

「あ、あー。オッケー」


 少し拍子抜けたように軽くそう返すと、アサクラはひらひらと手を振って去っていった。さっきの言葉を聞いてしまった事がばれていなそうだったことに、ユウは何故か胸を撫で下ろす。


(ソラ……?)


 簡易整備ロッカーの横に急遽設えられた冷蔵庫に薬を片付けながら、頭の中でゆっくりとその名を反芻する。ヒトの名前。そう。中身は人なのだ。——それは誰なのか?

 機体に歩み寄り、梯子を登ってコックピットを覗き込む。側面のランプはゆっくりと規則正しい速度で明滅している。試しに筐体の前で手を振ってみたが、なんの反応もなかった。眠っているのだろう。分かっていたことだ。そうでなければアサクラがあんな事を口走るはずもない。

 振り返って格納庫を見渡す。がらんとした寒々しい空間。人の気配はなく、扉の向こうから漏れ聞こえてくる喧騒が一層寂しさを際立たせている。もし自分がこの場所にずっと留め置かれる事を考えると、寒気がした。


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