第6話 出立

 軽くなった鞄を提げて艦長室を訪れると、シキシマは変更になった航海計画をチェックしている最中だった。疲れた表情で入れ、と言う彼に一礼してから入室すると、ユウは室内を見渡した。


「今日はツェツィーリヤ副艦長はいらっしゃらないんですね」

「先日の損害を埋めるための補給での備品搬入に不備があったとかでな。どうも在庫が足りんらしくて整備ドッグの方まで交渉に出向いてくれている。仕事が早くて助かってるよ」


 優秀であるという前評判はそうそう嘘というわけではなかったらしい。だがその優秀な副官の支援があってなお、目の下に隈を作り、疲労の色が濃いその顔の前に小さな紙袋を差し出す。


「先日のお礼です。シエロの件、本当にありがとうございます」


 律儀だな、と呟いて紙袋を覗いたシキシマの疲れた顔に喜色が浮かぶ。


「豆大福だ」

「餅米、家庭菜園レベルで作ってるみたいで。今日しかないって言われたんです」

「お茶にしよう。もう目が霞んできたところなんだ」


 いそいそと小皿に大福を盛り、お茶を淹れてくれたシキシマに、ユウは尋ねる。


「あの、艦長……。ソラという人を知っていますか?」


 シキシマはそれに答えず、黙って椅子を引くとそこに座り、お茶を一口のみ、大福を取り上げて囓った。ゆっくり味わうように飲み込んでから、彼は細く息を吐く。


「アサクラから聞いたのか?」

「ええ、いや……その。盗み聞きみたいな形になってしまったんですが」

「ふむ」


 シキシマは顎を撫でると、バングルのホロキーボードを呼び出して叩き始めた。彼はホロモニタに1枚の写真を映し出す。そこにはシキシマとアサクラと、その間に挟まった一人の女性が写っていた。


「あれ、この人って……」


 どこか見覚えのある顔に思わずつぶやくと、シキシマは「そうだ」と頷いた。


「パイロット科出身ならお前も知っているだろう。朝比奈空子アサヒナソラコ、超人的な操縦技術のエースパイロット。火星では彼女のクローンによるパイロット量産実験も進んでいるくらいには伝説的な人だ。まあそんな武勇伝は脇に置いておこう。空子さんは、アサクラの婚約者だった人だ」

「婚約者!?」


 啜りかけていたお茶を吹き出しそうになってユウは慌てて手で口を塞ぐ。シキシマは肩を竦めた。


「いや、その気持ちはわかるよ。まあ彼女も奇特な人だったんだ。お互い良く言えば好きなことに真っ直ぐ…いやこれは流石に良く言い過ぎかもしれんが、まあそんなところでな。あの人が超人的だったのはアサクラが色々と弄ってたせいもあると思うよ」

「弄るって……」

「研究に携わっていた訳ではないから詳しいことは知らんがね。あの頃アサクラは生体信号で機体制御を行う実験をやっていた。空子さんはそこで被験者をしていたんだろう。空子さんが亡くなった時、あいつは遺体を引き渡せと半狂乱になっていたよ。空子さんの乗っていたヘルヴォルは大破している。戦闘も激しく遺体は回収出来なかったと言われたよ。あの時からアサクラはずっと研究チームの連中を疑ってた」

「アサヒナさんの遺体から脳を持っていったと?」

「そうだ。実際に機体制御をやってのけていた脳だからな。素材にはうってつけだった訳だ」

「でも大破して戦闘も激しかったなら———」


 ユウがそう言いかけた時、艦長室の扉が叩かれた。シキシマははっとした表情で時計を確認すると、大福の残りを平らげて立ち上がる。


「すまない、話はここまでだ。他艦の艦長とブリーフィングの最終確認をしなくては」

「ええ……すみません、忙しい時に」

「何、休憩も必要だしアレの中身の事は考えなきゃいかん事だ。出航して落ち着いたらまた話す時間をくれ。しばらくの間整備は任せたぞ」

「はい、……では失礼します」



* * *



 ユリアの部屋に寄って土産の羊羹を手渡すと、「ヨーカンって昨日艦長が貰ってたやつ!?」といたく興奮するので、あそこまでいいやつではないけどね、と肩を竦めた。出資元がユリウスであることを伝えると、途端に微妙そうな表情になったユリアに別れを告げて部屋に戻る。


「ほら、お使い」


 そう言って2段ベッドの上にメモリーカードの包みを投げ込むと、歓喜の奇声が落ちてきた。ユリウスが謎の歌を歌い始めるのをよそにユウは外出着から作業着に着替えて部屋を出る。テッサリアに連絡を取り手伝いを申し出ると、これ幸いと大量のタスクを渡された。同僚に紛れて忙しく作業しながらも、頭の中ではどうしてもアサクラの言葉を反芻してしまう。


(僕らが昔していた研究)

(僕が一人でこっそりしていた研究)


 「僕ら」と複数系で語られたのはシキシマが言っていた機体制御実験のことだろう。アサヒナの死亡によってその研究が凍結され、アサクラは一人、脳だけでも接続できるかの研究を進めていたといったところか。アサヒナの遺体を持ち去られたと彼が信じていたのであれば、“彼女”を見つけたときのためにあらゆる可能性を模索していたという推理は理にかなったものだろう。

 問題があった、と彼は言っていた。それがクリアされていて驚いたとも。それが個人の性質による問題だったということはないだろうか。ソラは死んだ。ソラでは上手くいかなかった。ではソラ以外の人間という可能性は———

 そこまで考えてユウは思考を頭から追い出した。かつての戦友の顔を伴って一瞬頭をよぎった希望は、自分自身で否定したくなるほど身勝手な考えだった。



* * *



 それからは本当に余計なことなど考える暇もないくらい忙しくなり、昼間は整備班の仕事をし、夜になるとひたすらシエロのマニュアルを読み込む日が続き、いよいよ明日が出立の日となった。

 出航前日は休日である。これは最終日に家族と過ごしたりするために設けられる休日だ。同室のユリウスも今日は朝からユリアとデート(ユリア本人は否定していた)に出かけていて、部屋の中は静かだ。

 ユウは私物のラップトップを引っ張り出すと、それを小脇に抱えて部屋を出る。居住区画を抜けると人の気配は完全になくなり、明日に向けて暖機している機械の類が低く唸りをあげている音だけが聞こえてくる。バングルをかざして格納区画の扉を開ける。格納区画の重たい扉は、静寂を裂いていつもより大きな音を立てて開いていく。格納区画に足を踏み入れると、背後で自動で扉が閉まった。

 静寂が満ちた空間に、足音だけがただ響く。シエロの格納庫の前まで来ると、ユウはバングルをかざして中に入った。


「いらっしゃーイ」

「やあ、シエロ」


 コックピットを覗き込むと、チカチカと箱の側面が光る。ユウは座席にラップトップを開いて置く。キーボードを叩いてアプリケーションの設定をいじっていると、カメラのレンズが微かにズームを調整する音が、静寂の中でひっそりと響いた。それはまるで、息を潜めてユウの手元を覗き込むような、静かで控えめな好奇心の現れのようだった。


「何してるんでス?」


 結局何をしているかわからなかったらしく、シエロは瞬きするようにLEDを光らせた。ちょっとわくわくしているようなその様子にユウは少し頬を緩ませると、画面がカメラの見えやすそうな位置になるようラップトップの位置を調節して、その場を離れた。


「見える?」


 コックピットの外から投げかけられた声は、ラップトップを通してコックピット内に響いた。画面には覗き込むユウの顔が大写しで写っている。


「オー、見えてますヨ!」


 通話アプリを前に、シエロはこれ電話ってやつですネ! と妙にはしゃいでいる。


「本当は直接通信できるようにしてあげたかったんだけど、全然時間なくて」


 言い訳のように呟いて、ユウは耳につけたイヤホンを抑えた。シエロの声もきちんと届いているようだった。


「艦のネットワークで通信してるから、基地内くらいしか歩けないんだけど。よかったら少し外でも見ないかと思って」

「外」

「そう」

「行きましょウ。是非。今スグ」



* * *



 静寂が満ちた空間に、足音だけがただ響く。行きと異なるのは片耳に挿入したイヤホンから賑やかな声が聞こえる事だ。


「広い艦ですネ。これ全部格納庫なんですカ」

「うちのは調査のための艦だから、主力艦隊の戦艦に比べるとこれでも小さいほうだよ」

「なんト。研究所に比べるトなんでも大きく見えていけまセン。他の機体の皆様ニモいずれご挨拶したいところデス」

「はは、君ほどお喋りな機体はいないからなぁ。出航したら君のことを他のクルーに紹介するそうだから、挨拶はパイロット達にすることになりそうだね」

「なるほど。デモ、誰も居なそうに見えますガ」

「明日地球を発つから、今日は休暇なんだ。みんな家族に会いに行ったりしてるよ」

「……私に付き合っていテいいんです?」

「まあ、近場に過ごす相手がいない奴も居るのさ」


 画面の中のシエロにも届くよう、おどけたように少し大袈裟に肩を竦めて見せると、何かを察したようでそれ以上何も訊いてこなくなってしまった。

 格納庫区画の搬入口から外に出る。オセアニアの太陽が容赦なく照り付け、思わず目を細めていると、イヤホンから微かな機械音が聞こえてきた。先程、陽の光の差さない格納庫でも聴いた音。カメラのズーム音。暗い格納庫の中の、コックピットに縛りつけられた彼——いや、彼女なのだろうか——が空を見上げている音。

 ユウは何か言おうと口を開き、そして何も言わずにそのまま閉じた。彼は話し掛ける言葉を持たなかった。


 風がそよぐ。心地の良い風が、柔らかに髪を揺らしていく。


 艦隊は明日地球を発つ。この先訪れる世界は、テラフォーミングされたドームの中の世界か、大気のない世界だ。この風が吹くのは地球だけだ。それを感じさせてやれないのが、ただ歯痒かった。



 * * *



「それではブリーフィングを始める」


 シキシマの声が響き渡り、まだその大半が少年少女の域にあるクルー達は、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。

 

「当艦隊は本日より、太陽系外縁部への探査航海へと出航する。我々の使命は極めて重要であり、その成果が人類の存続に直接影響を及ぼすものである。最終目的は、アザトゥス発生源の発見と破壊だ。これは我々に与えられた最重要任務であり、失敗は許されない。


副目的として、太陽系におけるアザトゥスの生息調査を行う。我々は奴らの巣を探し出し、これを根絶やしにする責任がある。また、アザトゥスの生態について詳細な調査研究を行い、効果的な駆除方法の開発に貢献しなければならない。


直近の行動計画は、火星への移動となる。地球火星間の航路の安全確保も任務に含まれ、火星の衛星付近における詳細な探索活動も予定している。


各部署は、これらの任務を念頭に置いて、準備を万全にし、職務を全うすること。これまで防戦に徹してきた我々がアザトゥスの懐に向かうこの任務で、諸君はこれまでの戦いとは異なる未知の脅威と向き合うことになるだろう。だがこれは、人類があのねばねばした怪物どもを根絶やしにし、再び栄光の日々を取り戻すための重要な一歩でもある。全員が一丸となって任務を遂行し、勝利をもたらすことを期待している。出航に備え、各自、最終確認を行い、任務遂行のための覚悟を固めるように。諸君らの健闘を期待する」

「「はっ!」」


 一通りの口上を終えたところで、シキシマはふっと表情を緩める。堅い話はここまでにしよう、と微笑んでぱん、と両手を鳴らす。


「まあ、主力艦隊様が火星の楽しい大規模演習をした後だ。最初の航海はそんなに気負わなくても大丈夫だとも。さあ、各員配置についてくれ。出航するぞ!」

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