第2話 HUS-01_CIELO ②

 物質透過スキャナによる内部解析が完了し、機材を回収して一息ついた一同は、約一名を除いて沈痛な面持ちで“最新鋭機”を囲んでいた。格納庫内はしん、とした沈黙に包まれている。

 人間の脳髄を箱詰めにし、それをモジュール――つまり部品として機体に接続するという、あまりにおぞましいその技術を映像として目の当たりにしたことで、誰もが——いや、正確には夢中になっている約一名を除いては言葉すら発することができなかったのだ。

 やがてその沈黙を破り、シキシマがぽつりとユウに尋ねる。


「お前達の予測は、こういうことだったのか?」

「ええ、大体は。ただ、脳髄まるごと箱詰めになってるとはさすがに思いませんでしたよ……。アサクラさんは予想してたみたいですが」


 ユウは消え入りそうな声でそう答えると、自分の光学モニタに表示したままのシエロのデータに目を落とした。その様子を見てからちらりと機体のほうに目を向けて、シキシマは苦笑する。


「まあ、あいつはそうだろうな……」


 そのアサクラはといえば、機材を降ろしたコックピットに再び乗り込み、モジュール本体にバングルのコンソールを繋いでウキウキとした様子でホロキーボードを叩いていた。その姿をちらりと横目で見やって、ユウは浅いため息を吐く。本人曰く、調べ尽くす前にバラすなんて勿体無いことはしない、とのことだが、それはそれで少し不安だ。

 だが、ユウの胸の奥にはそれよりももっと不安を掻き立てるものがあった。楽しげなアサクラと沈黙した機体を見上げながら、ユウはその不安を口にする。


「この人……やっぱり、引き渡すんですか?」


 疑問の形をとったその言葉に、返答はない。即答できず逡巡している様子のシキシマの返答を待たずに、ユウは言葉を続ける。


「こいつは……シエロは、自分のことをAIユニットモジュールだ、って言ったんです。記憶を改竄されているのか、意図的にマスキングされているのかはわかりませんが、彼は自分のことをAIだと思ってるんだ。"この人"をあんな風に箱に詰め込んで、そんな状況に追い込んだのは、これからこの人を引き渡す連中なんでしょう?」


即答出来ないシキシマの立場も気持ちも、分かっていた。だが、溢れ出す気持ちと言葉を抑えることが出来ない。


「シエロは、エンジン始動ユニットと兵装へのアクセスが遮断されているそうです。それって、逃げないように羽を切り落とし、噛まないように牙を抜いたって事ですよね? そんなの人としての扱いじゃない、そんなの……!」


 ほとんど叫ぶように紡がれるユウの言葉に、僅かな涙の色が混じり始めたその時だった。その声を遮るように突如として格納庫内に電子音が響き渡り、ユウの言葉がぴたりと止まる。冷水でも浴びせられたかのように硬直しているユウの、目だけがきょろりと動いてシキシマのバングルで点滅するLEDの光を見た。その鮮やかな青は秘匿回線通信のしるしだ。

 シキシマはその光を見て僅かに逡巡するそぶりを見せたが、すぐにバングルからするりと小さなイヤホンマイクを引き出した。


「……こちら第13調査大隊、旗艦フェニックス艦長のシキシマだ。貴殿は……すまない、よく聞こえなかったので念のため復唱させて頂く。月面研究所主任ラインズ中佐でお間違いないか」


 よく通る声が格納庫内に響き、ユウがはっと目を見開く。現在格納庫は時折アサクラのデバイスが発するビープ音以外の音がない。さらに現在、艦は月面研究所の通信圏内に停泊している。つまり通信環境は極めていいはずで、相手の声が良く聞こえなかったなどという事はありえない。

 シキシマはそんなユウに小さく微笑むと、すぐに表情を引き締める。


「こちらも少々取り込んでおります。要件は手短かに願いたい。……ふむ、回収機体の引渡しの件?いや、本艦ではまだその機体は確認できておらず」


 そこまで言ったところで、シキシマが唐突に顔をしかめて耳からイヤホンを引き抜いた。どうやら相手に怒鳴りつけられたようで、一応耳の近くの位置に保持されているイヤホンからかすかに人の声と分かる程度の音がこぼれている。シキシマは数秒、心底嫌そうな表情を浮かべてその声を聞いていたが、やがて小さくため息をついてマイクに向かって口を開いた。


「主任殿、落ち着いて、少し落ち着いて頂きたい。私の鼓膜でも破くおつもりか? そう怒鳴らずともしっかりと拝聴している。すまないが当艦隊もそれなりの被害を被っていてね、貴殿もご覧になったはずだ。我々にはまず、除染と怪我人の手当て、諸々の被害状況の確認をする時間が必要なのですよ。その事はご理解頂けると思っていたのだが、それは私の思い違いですかな?」


 諭すような言葉に相手側も冷静を取り戻したようで、シキシマは音漏れのしなくなったイヤホンを再度装着する。


「はい。……ええ、それについては重々。該当機については最高機密であり、速やかに回収が必要な旨は伺っている」


 向こうからも何らかの説得を受けているらしく、繰り返し相槌を打つシキシマを、ユウは心配そうな表情で見る。が、不意にその表情が驚きに塗り替えられた。いつの間にかシキシマの背後にアサクラが立っていることに気づいたのだ。

 アサクラは相変わらずの生気のない目をちらりとユウに向けると、その目を片方、ぱちんとつぶって唇に人差し指を当ててみせる。茶目っ気たっぷりの仕草だが、死んだ目の人間がすることではない。

 恐ろしいまでのギャップに思わずユウが(おそらく一緒に立っていたテッサリアも)背筋を凍らせている間に、アサクラの手がひょいとシキシマの耳元に伸びた。


「何、除染と回収の為に人員をこちらに? いや、そこまでして頂くには及ばな、おいこらキリヤっ、何する返せ!」

「はいはーい、ラインズくーん? ひさしぶりだねー」


 思わず下の名前で怒鳴りつけたシキシマを完璧に無視して、ついでといわんばかりの仕草でアサクラはシキシマのバングルを操作する。途端、通信がスピーカーモードに切り替わり、バングルから通信先のラインズ中佐のものと思われる声が流れだして格納庫に響き渡った。


「アサクラ……さん!? おいシキシマ少佐っ、私の声が反射してるがどういうことだ! これは秘匿回線での機密通信だぞ!」

「あー、うるさいね相変わらず君は。ここは格納庫で僕とノブ……あー、シキシマ、少佐? しかいないよ。細かいこと言わないの」

「……少佐、のところで首を傾げないでくれ、キリヤ……」


 シリアスから一転してコメディタッチと化した格納庫内の空気を感じながら、やや白い目になりつつユウはマイクに入らない程度の小さな小さな声で「うわぁ……」と呟いた。なんだこれ。完全にギャグだ。

 ガチガチになっていた肩の力もなんだか抜けてしまって、片眉を下げながらテッサリアを振り返れば、自分と同じような表情にぶつかって思わず互いに苦笑した。それから、ふと思い至って首を傾げる。


「てか、キリヤって……アサクラさんの名前ですか?」

「うん、二人は幼馴染なんですよ。艦長は真面目ですからねぇ、普段は私たちのいる手前、ちゃんと苗字で呼んでますが。こういう時とか、二人でいる時にはファーストネームが出るみたいで」

「ああ、なるほど……」


 自分で聞いておきながら心底どうでもいい情報だな、と一人ごちて苦笑したユウ。が、その直後に発せられたアサクラの台詞によりその表情が再び凍りつく。


「え? 新型機? それならあるよ、目の前に」

「んなっ……アサクラさ、」


 思わず声を上げかけたユウの口を、テッサリアが慌てて塞ぐ。


「……今、声が」

「もう、ノブったらそんなにビックリしないでくれる? 変な声だしちゃってさー」


 思わずといった風にラインズ中佐の声が疑惑を帯びるが、アサクラがすかさずシキシマに罪を着せた。シキシマはじろりとアサクラをねめつけると、肩をすくめてそれを受け入れる。


「……すまん」

「どういうことか説明して頂こう、シキシマ少佐? これは明らかな命令違反だぞ」

「ああ、いや……それは」


 受け入れた瞬間にすかさず、回線越しに糾弾の声が上がる。向こうの言っている事はもっともなためシキシマは口ごもるが、そこに気味の悪いほどに明るい声が被さった。


「なに、命令違反? うん、確かに君の言うとおりかもね。でもしょうがないよね? だって機体にが詰んであるんだもんね? うちのクソ真面目な艦長がそんなの黙って見過ごせるわけないでしょー」

「なっ……中を見たのか、んですか、アサクラさん!」


 アサクラが"中身"に言及した瞬間、今度は一変してラインズ中佐のほうがうろたえた。


「だって辞令には“中を見るな”なんて書かれてなかったしね。甘い甘い、相変わらずツメが甘いよラインズくん。あと変な敬語はやめてよね、もう所長はキミに譲ったんだからさあ」

「そ、そんな事はいい、んです! 見たなら、あなたなら理解できたはずだ。その中のモジュールにはこまめなメンテナンスが必要なんです。返して頂かないと"中身"だって危険なんですよ。我々だってまだきちんとそれを扱えているわけじゃないんですから」

「うんうん、君の言うとおり! もちろんわかったよ?」


 堰を切ったように喋るラインズ中佐の言葉を、アサクラの声がぴしゃりと遮る。楽しそうで、明るいその声質にはしかし、彼の瞳のように濁った何かがうっすらと溶かし込まれているようだった。

 ラインズ中佐も伊達に“元所長”の下に居たわけではないようで、その微妙な変化に気付いたらしく押し黙る。


「だってさー、僕がすっごくやってみたかったことだものコレ。こっそり研究してたのにどこで嗅ぎつけたの? まあ、結局いくつか問題があって諦めたんだけどねー。でもそれまで綺麗にクリアしちゃってびっくりだよ。キミを後任にしたのは大正解だよ、まったく大した優秀っぷりじゃない!」

「は……? いや、自分は、その」

「そんな優秀な所長殿にゴソウダンでーす。もういろいろめんどくさいからぶっちゃけよう、色々黙っててやるからこの子、ウチにちょーだい」

「はぁ!? な、何言ってるんですか、無理に決まってるでしょうそんなこと! "ソレ"はとっくに軍部での機密扱いに」

「うん、そう? それじゃしょうがないね、この子の解析結果と僕らが昔やってた研究と、ついでに僕が一人でこーっそりやってた研究、僕名義で全部まとめて公表しちゃう。あぁ残念無念、僕らはもう人類が怯えなくて済む空を取り戻すために日々がんばっていたけれど、それを理解できない頭の残念な一般人には非人道的だとかなんとか、一体どんな誹りを受けることやら」

「ちょ、ちょちょちょっと待ってくださいよアサクラさん! そんなことしたらまずあなたが破滅するんですよ!? それに研究部の非人道的なスキャンダルなんてことになったら、防衛軍にだって中から外から圧力がかかって亀裂が入ってしまう!」


 慌てたようにまくし立てるラインズ中佐の口調からは、最初のほうにあった威厳のようなものはとっくに吹き飛んでいる。そこには純粋にアサクラを心配する成分も含まれているような気がして、ユウはちょっぴり切なくなった。

 もしかしたらこの現所長殿は昔からアサクラの無茶に振り回され、そして色々と後を拭ってきた、真面目ですこし堅物な人間なのかもしれない。もちろんシエロを箱詰めにしたことは許せないし、許す気もさらさらないが、こうしてアサクラとラインズのやりとりを聞いているだけでは、どう贔屓目にみても変態研究者はこちらで真人間はあちらなので、なんだか妙な気分だった。


「あのねぇ、僕が破滅するかどうかなんてどうでもいいんだよ。だって、ねぇ。こんな面白そうな"玩具"を黙って君達に引き渡すくらいなら、公開処刑でもなんでもされて死ぬほうがまだマシってもんじゃない?」


 "元所長"はそう言って微笑む。それはいつものどこか倦んだ、皮肉を伴った微笑みではなく。端正な顔を静かに笑ませたその表情は、死んだような目と合わさって、微笑むはずのない人形が微笑んでいるような、そんな現実からわずかに剥離したかのような違和感を伴って、見ているものの背中を冷たく撫で上げた。

 シキシマのバングルに付属したスピーカーは返事をしない。時折重いため息や低く唸る声をかすかに拾っているが、会話という意味では沈黙を守っている。アサクラも何も言わない。ただ微笑んで、回線越しのラインズが返事を寄越すのを待っている。

 永遠にも感じたその短い沈黙の後、折れたのはラインズだった。


「……いいでしょう」


 諦めと心配と後悔をミキサーに掛けて、そこにちょっぴりの怒りとたっぷりの疲れを注いだような声で彼は言う。


「新型機CIELOと搭乗パイロットモジュールの第13調査大隊への移籍を認めます。アサクラさんがいるなら、メンテナンス面も心配ないでしょう。メンテナンスに関わる機材、薬剤等の必要なものについては、補給申請を出せば支給されるようにしておきます。その他移管など、必要な手続きについてもこちらで処理しておきましょう」

「そうか。話が早くて助かるよー。色々すまないねぇ」


 見えはしないのに、大げさに両手を広げて頭を下げるアサクラに、バングル越しのラインズ中佐の憮然とした「……いえ」という声が返る。その声に満足そうに頷き返すと、彼はそれじゃね、と言って通信を切った。バングルのこちら側と向こう側から、それぞれ小さく「あ、……」と声が上がるが完璧に無視である。


「はぁい。新型機とパイロットちゃんの強奪、大成功だよー」

「……強奪はやめてくれ、私の隊は強盗団じゃないんだぞ。通信も勝手に切らないでくれ……」


 半ば諦めたような声でシキシマがそう肩を落とすが、アサクラはへら、と笑うだけである。


「そんな細かい事どうでもいいじゃない。あ、これ返すね。ありがと、ノブ」


 言いながら耳からイヤホンを外し、軽く引っ張る。しゅる、と小さな音を立てて巻き取り式のケーブルがシキシマのバングルに収納されていく。巻き取られていないケーブルの長さが残り僅かになったところでアサクラがイヤホンをつまんだ指を離すと、イヤホンはそのままバングルにするりと収まった。


「それじゃ、僕はいったんこれで。楽しく遊ぶには準備が必要だからね、ちょっと幾つか用を済ませてくるよ」


 そう言ってひらりと手を振り、あっさりと格納庫を出て行こうとしたアサクラの背に、


「ちょ、ちょっと待ってくださいアサクラさん!」

「ん、どしたの? ユウ」

「シエロをこの隊に引き取ってくれたことについては、ありがとうございます」

「ああ、そのこと。どういたしまして?」


 ややこわばった顔でアサクラを引き止めたユウは、深々と頭を下げた。アサクラは少し意外そうに眉を上げたが、すぐにその礼の裏に隠れた感情を読み取って肩をすくめる。


「あのねぇユウ、君はそこらの量販店で売ってるゴムのアヒルと、お母さんが丹精こめて一針ずつ縫ってくれたこの世に一つだけの人形が同じだと思うの? 思わないでしょ? 君ならどっちを大事にするの?」

「……は?」


 突然の質問に困惑した表情を作るユウに、アサクラは答えを促す。


「ほら、どっち」

「いや、それは……まあ、人形のほうだと思いますけど」


 ユウが全く状況を理解しないままにそう答えると、アサクラは満足そうにひとつ頷いて、


「でしょ? だから安心して、ユウが心配してるようなことはしないよ。こんな唯一の、ナニモノにも代え難い玩具を壊してしまったら、僕はそれこそ子供みたいに泣いちゃうかも」

「はぁ……?」


 目じりに指を添えてそううそぶくアサクラの真意が読めず、困惑した顔で固まっているユウの肩を、近づいてきたシキシマが軽く叩く。


「心配しなくていい。しばらくは私がきちんと目を光らせておくよ。そんなことより久々の高機動戦闘で体を痛めたんだろう、顔が血まみれだぞ。医務室に行ってくるといい」


 言われて、思い出したように体が軋んだ。ちらりとテッサリアのほうを見ると、柔和な顔つきの整備班班長は「大丈夫ですよ、行ってらっしゃい」と微笑んだ。その優しい笑みにほっとした途端に緊張が緩み、再度体のあちこちが悲鳴を上げる。


「ありがとうございます。シエロをよろしくお願いします」


 それではお先に失礼します、とぎこちなく敬礼してユウは格納庫を後にする。その姿を見送りながら、アサクラがぽつりと呟いた。


「なんか、僕だけ信用されてなくない?」


 それを聞いたシキシマとテッサリアは肩をすくめ、異口同音に、


「……日頃の行いだろう」

「……日頃の行いでしょうねえ」

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