第3話 雛鳥たちは殻の中 ①

 しん、と機内には静謐な沈黙が満ちている。いや、正確にはこの空間は無音ではない。だが、轟音を上げるエンジンがふっつりと止まった今、キャノピー越しに遠く聞こえるざわめきはかすかに一定の音を奏で続ける耳鳴りのそれより小さい。


 赤いランプが点滅する小さな空間が少し息苦しく感じられ、わずかばかりの開放感を求めてヘルメットに手を掛ける。ゴツゴツとしたマスクを外し、ヘルメットを持ち上げると、黒と銀のカラーリングの中からプラチナブロンドの光が零れ落ちた。

 癖の全くないつややかなショートヘアの先は、汗を含んで顔にまとわり着く。それを鬱陶しそうにまとめてかき上げると、彼女は青玉色の瞳を僅かにすがめてキャノピーの外を見た。その瞳の中に、ちらちらと機体を舐める炎の舌が映りこむ。

 こうなってしまってはもうなす術がない。小さくため息をこぼした唇にたらりと汗の雫が流れ込み、ほのかな塩味が味覚を刺激する。思えばこの汗も、ヘルメットのせいだけではないのだろう。機体を覆う炎が、徐々に機内の温度を上げつつあるのだ。もういっそ、このパイロットスーツも脱いでしまおうか。小さく一人ごちて薄い笑みを汗に濡れた唇に掃くと、彼女は静かに目を閉じる。



* * *



 不意に甲高いブザーの音が鳴り響き、遠のきかけていた意識を揺さぶった。耳障りな電子音の中にごんごん、という音が断続的に混じっている。小さくため息をついて、手元のパネルを操作する。ぱかん、とキャノピーの開くなんだか少し安っぽい音の向こうで「いでっ!」と悲鳴が上った。


「おお、ごめん」


 唐突に開いたキャノピーに鼻っ柱をひっぱたかれて涙目になっている整備兵の男を見て、ひょっこりとコックピットから顔を出した女性パイロットは軽い感じで謝罪する。


「ひどいじゃないッスか、ユリアさん……。除染終わってるのに全然反応ないし、覗いてみたら俯いたままだし、なんかひどい怪我でもしたのかと心配したのに! 中からでもちゃんと外見えてるはずじゃないスか、開ける前に合図くらいくださいよ」

「いやあ、ホントごめんごめん。終わんの待ってたらなんか眠くなっちゃってさー。ちょっとぼーっとしてた」

「ねむっ……!?  いやあの、除染用区画って結構うるさいと思うんスけど」

「ぜーんぜん。ヘイムダルのエンジン音に比べりゃ子守唄みたいなもんよ、あんなの」

 

 狭いキャノピーからもそもそと這い出しながら、そう言って悪びれた風もなく笑う彼女の名をユリアという。その機体と同じくらいの大きさを誇るレドームを背負って戦場を駆ける、早期警戒機ヘイムダルのパイロットだ。その愛機を見上げ、ユリアは顔をしかめる。


「あちゃー。ホント綺麗なくらいにぶっ壊しちゃったなこれ」


 彼女の愛機、ヘイムダルの早期警戒機たるゆえんであるレドームは、見事なまでに破壊されていた。先の戦闘でユウたちが艦隊側と連絡が取れなくなった原因がまさにこれである。哨戒用のレーダーと、通信用の中継アンテナの機能をごちゃ混ぜにしたような機能を持つこの機器が壊れたことで、隊全体の通信が旗艦のアンテナのみに頼らざるを得ない状況に陥った。もちろん通信環境は冗長化されているため、彼女のレドームが潰れただけでは大した問題ないのだが、今回は彼女のエレメント二機編隊の相方のレドームも大破している。

さらにいえば今回のヘイムダル整備担当はユウであり、レドームは特に気合を入れて整備したと、それこそ気合を入れて説明してもらった覚えがあった。


「ユウに謝んなきゃなぁ」

「あー、めちゃくちゃ気合入れて整備してましたからね。通信環境とレーダーは戦場の命だ! とかなんとか」

「げ、そんな事言ってたの」


 まさにその通信環境のせいで窮地に立せてしまったのだから、ますます合わせる顔がない。参ったなあ、と華奢な指で細かいプラチナブロンドの髪をがしがしかき混ぜるユリアに、整備の男は苦笑し、


「まあ、そんな事で怒るような奴じゃないですから……って、ユリアさんパイロットスーツはだけすぎじゃないっスか!?」

「んー? ああ、除染中って暑くて困るよね」


 引き攣らせた顔をやや赤らめ、慌てて逸らした視線を壊れたレドームのあたりにうろうろと彷徨わせている整備の男にユリアは肩をすくめた。

 前時代のものとは違ってぴっちりと体を覆う形状のパイロットスーツのファスナーは、胸部半ばまで開かれてそのささやかな膨らみを僅かに覗かせている。が、一人あたふたしている整備の男とは対称に、ユリアはまったく気にした風もない。


「毎度の事ながら、機体ごと茹だるんじゃないかってレベルの暑さよねー。ま、除染作業してるみんなのほうがもっと大変なんだろうけど」


「そ、そうかもですねー」と同調しつつ、あらぬ方向に視線を彷徨わせ続けている整備の男に、なんでこいつは顔赤くしてるんだ?とでも言いたげにユリアは首を傾げた。


 宇宙の彼方からやってきたアザトゥスという連中は、非常に厄介な能力を持っている。侵食だ。

 無機物だろうが有機物だろうが、接触しているものを徐々に侵食して取り込む力を持っている。侵食されるスピードは対象物によって全く違い、無機物のそれは有機物よりもはるかに遅い。

 だが、それでも徐々に侵食し、だんだんとその面積を増やし、巨大なものであっても最終的には全てをアザトゥス体へと変えてしまう。さらに厄介なのが、アザトゥスの破片の一部であろうともその侵食能力を失ってはいないという事だ。

 もちろん、対アザトゥス用の戦闘機として開発されたアヴィオンは、アザトゥスに対してある程度耐性のある素材で作られている。だが、今のところ侵食を完全に防ぐことが出来る素材は1種しか発見されておらず、その素材自体が希少なこともあって、それで機体全てを覆うことは不可能だ。

 ゆえに、戦闘行動中にアザトゥスとの接触が発生したアヴィオン機体は、除染の必要に迫られる。幸いにもアザトゥス体は、まだ有機生命体としての性質が強く残っていてくれたらしく、熱と電撃にはめっぽう弱いということが判明している。よって、除染の必要がある機体はいったん除染用区画に留め置かれ、そこで機体の表面をくまなく火炎放射機で熱されるのだ。そうしてアザトゥス体の小さなひと欠片すら灰にしてようやく、人間の世界に戻ってくることが出来る。


 その人の世界へと続く格納庫奥の扉が軋みを上げながら開き、新たに除染が終わったアヴィオンが格納庫へと帰ってくる。

 ユリアのヘイムダルの真横に向かって移動していくその機体は、ユリアのそれと同じく、見事なまでにレドームの壊れたヘイムダルだ。損傷部位がほぼ同じなので、並べると冗談みたいな構図になる。こりゃちょっと本格的にユウには見せらんない光景になってきたね、とユリアが顔をしかめると、整備の男も肩をすくめて無言で肯定した。

 自動操縦のキャリアーが音もなく止まり、ゆっくりと反重力状態が解除されていく。機体が接地するや否やそのキャノピーが開き、中から猛烈な勢いで男が飛び出してきた。

 ヘイムダル他の機体より偏平な形をしたアヴィオンである。対アザトゥス戦は必ずしも広い空間で行われるわけではない。洞窟のような狭い場所で行われることも決して少なくはないし、何よりアザトゥスには衛星軌道上に「巣」を作る習性がある。

 「巣」は生体組織で形作られたねばねばとした巨大な構造物だ。ヘイムダルはそんな狭い場所にも真っ先に潜り込み、レーダー走査による偵察を行わなくてはならない。ゆえにレドームを背負った上で他の機体と同じくらいの高さになるように調整され、結果機体本体はぺたんこになった。

 そんなわけでヘイムダルのコックピット位置は、他のアヴィオン機体に比べてかなり低くはなっているのだが、絶対的に見ればそこまで低いというわけではない。

 そんな高さのからハシゴもなしに飛び降りた男は、転がるように着地するとむしり取るようにヘルメットを外して投げ捨てた。黒と銀のカラーリングの中からプラチナブロンドの髪が溢れる。一連の流れを白けた表情で見ていたユリアに男は駆け寄ると、ほとんど飛びつくような勢いでその華奢な体を抱きしめた。


「ユリア! ユリア怪我してないかい!? 無事か!?」


 抱きしめたままふるふると肩を震わせる男に、ユリアは心底嫌そうな表情を作ると即座にその手を振りほどく。


「両足で立てる程度には無事よ、見りゃわかるでしょ。気持ち悪いから離してくれる?てか離せ鬱陶しい!」


 そしてちらりと彼の脇腹辺りに目をやると、そこを猛烈な勢いで掴んだ。ひぅ、と男が声にならない悲鳴を上げる。


「い、痛い痛い痛い !やめてユリアちゃんきっとその辺骨何本かイッてるから! お願い!」

「人の事気にする前に自分の体気にしてくれる? ホネ折れてんのにコックピットから飛び降りるとかバカじゃないの? 死ぬの? てか死ねば?」

「分かった! 分かったってば! てかいたっ、あのこれホントに痛いから! お兄ちゃん死んじゃうから!」

「ゆ、ユリアさんその辺で!! ユリウスさんの顔がやばい感じに青くなってるッス!」


 ギリギリと手にこめた力を強くするユリアと、その先で脂汗を顔に浮かべ始めたパイロットの男の間に、整備の男が慌てて割って入る。ユリアは小さく舌打ちをしたもののあっさりと手を離したので、整備の男はほっとしたように表情を緩めた。

 が、それも束の間のことだった。ユリアがくるりと綺麗な動きで身をひるがえすと、涙目で脇腹を押さえている男の尻をブーツの先で思い切り蹴飛ばしたのだ。バイオレンス感たっぷりの、わりとガチな悲鳴を上げて崩れ落ちる男を見て、整備の男は再度、盛大に表情を引き攣らせる。

 尻と脇腹を押さえて、ちょっと人にはお見せできないような格好でピクピクと痙攣しているその男の名はユリウス。ユリアと起源を同じくしたプラチナブロンドの髪と吸い込まれるような碧眼を持つ美青年で、彼女の双子の兄であり、同じく早期警戒機ヘイムダルのパイロットであり、戦場ではユリアとの二機編隊エレメントのフライトバディであり、そしてどうしようもないくらいにシスコンだった。

 実はユリウスがユリアに蹴られるのは日常茶飯事だ。傍から見ると相当痛そうに見えるその光景だが、本人は常日頃から「愛しい家族は目に入れても痛くない、って言うだろう? つまりそういうことさ」とうそぶいている。

 冷ややかにユリアが見下ろすその視線の先でしばらく痙攣していたユリウスだが、すぐに尻をさすりながらも立ち上がった。肩をすくめながらユリアのほうを振り返り、「ひどいよ、」と言いかけてその言葉をぴたりと止める。その視線がユリアのパイロットスーツをなぞり、華奢な鎖骨とかすかな膨らみがあらわになった白い肌の上を滑っていく。

 しばらく無視を決め込んでいたユリアだったが、何も言わずじっと見つめてくるユリウスの視線に耐え切れなくなったかのように低く唸った。


「何よ?」

「ユリア、お兄ちゃんそのスーツの緩めかたは正直どうかと思う」

「暑いのよ。ガンガンに火炎放射されたから。兄さんと同じで」


 答えてユリアはちらりと整備の男を見る。さっきも同じことを聞かれたが、男の目線だとそんなに気になるものなのだろうか。

 妙に切ない気分でそんな思いを巡らせていたユリアを見て何を勘違いしたのか、ユリウスがカッっと目を見開いて叫んだ。


「ま、まさかそこのカレと異性不純交遊とかじゃないだろうね!? お兄ちゃん以外との異性不純交遊とか許しませんよ!」

「は、はいぃ?」


 突然疑いの目を向けられて、整備の男が素っ頓狂な声を上げる。さきほどその胸元を見て動揺してしまったばかりなので、その後ろめたさもあったのだろう。そんな整備の男の反応に、自分から振ったくせに「え、何マジなの?」おろおろしだすユリウス。そんな兄の姿を見て、ユリアはふぅー……、と深く深く息を吐き出した。にっこりとユリウスに向かって微笑む。


「ねえ、ユリウス兄さん」

「ユリア……」


 その優しい微笑みに、ユリウスが思わず妹の名を呼ぶ。兄の顔を見つめたユリアは微笑んだまま、軽く首をかしげた。艶やかなプラチナブロンドの髪がさらりと横に流れる。乾燥してわずかにひび割れながらも形のよい唇が開く。


「……もう1回蹴られたいのね? わかったわかった、じゃあ前からと脇腹と好きなほう選べ。どっちがいい?」

「ぎゃああ!? ごめんユリア悪かった! その選択肢はマジで死ぬ! そうだよね除染中は暑いもんね、ほらお兄ちゃんだって」

「そこまで開けんでいいわ、バカ兄貴!」


 何をトチ狂ったのかおもむろにパイロットスーツのファスナーを胸よりさらに先まで降ろそうとし始めたユリウスに向かって、ユリアの鞭のようにしなる足が唸りを上げて襲い掛かる。そして、


「ちょ、ユリア待っ、あぎゃあ!?」

「あれ、……え?」


 何故か唐突に間に割って入ってきたユウの横っ腹に、まともに蹴りが入った。

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