第2話 HUS-01_CIELO ①

 がくん、と体が揺れ、ユウの意識が覚醒する。目を開けると、そこは夏空の下などではなく、狭いコックピットの中だった。キャノピーの外は薄暗く、エンジン音が急速に低下していく音と併せて帰艦が完了したことを知る。


「あァ、よかっタ。目が覚めましたカ」


 隣から声がした。まだぼんやりとした頭を動かす気が起きず、視線だけを向ける。そこには表面でLEDを瞬かせる四角い箱があった。ユウは緩慢な動きで二、三度瞬きを繰り返してから、額に手を当てて返事にならない返事を返す。


「分かっちゃいるけど慣れないなぁ、そのヴィジュアル」

「失礼ナ。AIが喋るなんて珍しくもないデショウ。今時、冷蔵庫だって夕飯のおかず相談に乗ってくれマスヨ」

「君の戦闘機制御システムは冷蔵庫のおかず相談AIと同等なのかい……」


 まだ満足に力の入らない体をいっそう脱力させてそう呟くが、シエロは聞こえていないのか聞こえないフリをしているのか、そもそもどうでもいいのか特に反応しない。ただなんとなく、コイツ聞こえてて無視してるんだろうな、とユウは思った。

 軽くため息をついて機体を降りる準備を始めたユウの背中に、シエロが声を掛ける。


「それでは、お疲れ様でしタ。私も疲れたのデ、少し休ませて頂きマス」

「あぁ……」


 おざなりに返事をしかけたユウの意識に、シエロの言葉が引っ掛かる。

 小さな爪で意識の表面を引っ掻くようなその違和感は、これで3度目だった。コックピットに直接繋がれた妙にお喋りなモジュール。不確定要素の発生する記憶。そして疲労由来の休息。パズルのピースがはまるように、小さな違和感の欠片たちがふわっとしたその疑惑をゆっくりと確信に変えていく。

 決定的に何かがおかしかった。嫌な予感が足元から這い上がり、ざわざわとした感情が胸を揺さぶる。しかし、彼はなんでもない風を装いながらぱかん、とキャノピーを開けると、振り向きざまにシエロに声を掛けた。


「なあ、シエロ。君が休んでる間に、少しモジュール本体のメンテナンスをしても構わないかな」

「……ハイ、ドウゾー。ヨロシク、オネガイシマスー」


 少しの沈黙の後、やや緩慢な響きで返事が返ってきた。それはまるで、まどろみの中にいる時に声を掛けられたかのような、ゆっくりとした響きだった。

 ありがとう、と礼を返してコックピットへと立てかけられたハシゴに手を掛けながら、ユウは思考する。

 正直もう体はヘトヘトで、一刻も早く休みたいというのが本音だ。だが、この新型機は回収任務が課せられていたものであり、所属はこの第13調査大隊ではない。搭載されている“箱”の存在を考えても、早急な引渡しを求められるであろうことは想像に難くない。そして引渡しが求められたら、一介の整備兵であるユウが口を挟む余地など、それこそネジ1本分だってなくなってしまうだろう。だから、どうしても引き渡される前に"それ"を確認をする必要があるのだ。

 とにかく、調査には道具が必要だ。まずはこの機を降りないことには話が始まらない。降りたらまず、誰かに相談したほうがいい。幸い格納庫で最初に出会うのはほぼ確実に整備班の人間だし、整備班は信頼できる人物がほとんどだ。

 そこまで考えて、ハシゴをかけてくれた仲間にまずは一言、礼を言おうとユウは目線を下げる。その視界に、すとんと伸びた黒い髪が収まった。濃いクマに縁取られた生気のない目が、ユウの視線に絡む。どきり、胸の奥で臆病なウサギのように心臓が跳ねた。


「……、アサクラさん」


 確かに、アサクラも“整備班”の人間だ。だが、格納庫に足を運ぶような男ではない。何故よりによってこの人が、とユウは内心で歯噛みする。コックピットの"中身"がアサクラにばれようものなら、笑顔でバラバラに分解されかねない。

 緊張で体を強張らせながらコックピットから這い出て、ハシゴを降りる。

 顔は引き攣っていないだろうか。この手は震えていないだろうか。それを、気づかれてはいないだろうか。

 相変わらず暴れまわる心臓を無理やりに押さえつけながら、なんとか表情を取り繕いハシゴを降りてきたユウに、アサクラは生気のない目で笑いかける。


「やあ、お帰り。ユウ」

「ただいま……戻りました。アサクラさん」


 ヘルメットを外し、ぺこりと頭を下げると、下げた頭の上から苦笑気味の声が降ってきた。


「ユウ、そんなに緊張しなくてもいいぞ。安心していい、私もいる」

「へっ……あ、艦長!?」

 

 慌てて頭を上げたユウの手からヘルメットが滑り落ち、鈍い音を立てて格納庫の床に転がった。

 それを苦笑しながら拾い上げたのは、この巡航艦、フェニックスの艦長にして第13調査大隊の司令官でもあるシキシマだ。思わず、ユウの肩から力が抜ける。アサクラが暴走しようとも、シキシマがいればある程度は抑えてくれるだろう。

 再度軽く頭を下げて彼が差し出すヘルメットを受け取りながら、ユウは小さな声で囁いた。


「居てくれてありがとうございます、艦長。先日美味しい和菓子のお店を見つけたので、出航までにお饅頭でも差し入れに上がります」

「それは嬉しいね」


 小さな喜色を浮かべて返すシキシマに微笑み返してから、ユウは今のやりとりの間に機体のほうへと行ってしまったアサクラを振り返る。この分ならもう、中身の諸々はバレてしまっていると思っていいだろう。そしてアサクラ自身がシキシマを連れてきたという事は、アサクラも"彼"をバラバラにするつもりなどないということだ。一瞬肝を冷やしたが、この状況はユウにとっても都合がいい。

 そんなユウの視線を感じたかのように、アサクラが機体を見上げながらぽつりと呟く。


「ユウ、なかなか面白いものを連れてきたみたいだね?」

「えぇ、まぁ。って表現が適切かどうかは分かりかねますが」

「まーたそんな事言って、キミだって"連れてきた"自覚があるくせに。僕を見た瞬間、あんなに顔引き攣らせちゃってさ」


 振り返り、そう言ってくすくすと笑うアサクラに、ユウは少しだけ眉を下げて肩を落とす。


「やっぱ、バレてましたか……。バラさないでくださいね」

「みんなに? 物理的に?」

「どっちもです!」


 下げた眉を跳ね上げたユウに、ぷっとアサクラは吹き出すとその額をぺしぺしと叩く。


「はいはい、喋らない分解しない。ちゃんと一緒に調べてあげるから安心しなー」


 まるで小さな子供をあやす様な行動と言葉で嘯いた彼に、ユウは頬を膨らませて混ぜっ返す。


「失礼な、確かに俺アサクラさんの事は鬼畜変態マッドサイエンティストだと思ってますけど、これでも信頼はしてるんですからね!」

「嘘吐け、一瞬本気にしたくせに」

 

 ビシッとアサクラに指を突き立てるユウ。それに対してアサクラはやる気のない所作で舌を出しておちょくっている。


「学童か、お前らは……」


ユウにヘルメットを渡してから所在無さげに立っていたシキシマが、そんな二人を見て呆れたように溜息を吐き出し、次いで首を傾げた。


「というか、何の話をしてるんだ? 私にも分かるように……」

「あー、ノブはしばらく黙ってて。状況整理できたらまとめて説明してあげるから」

「む……」


 艦長として状況を把握しようとしたその台詞をバッサリとアサクラに切り捨てられ、シキシマは小さく唸って押し黙る。アサクラはそんなシキシマをさらりと無視すると、再び機体を見上げた。


「じゃ、紹介してくれる? 君の“新しい友達”を、さ」



* * *



「これが"中の人"ですよ。アサクラさん」

「へー……」


 チカリ、チカリとLEDをゆっくりと明滅させる箱を指してユウが言うと、アサクラは興味深そうにコックピット内部に上半身を乗り出してそれをしげしげと眺めた。

 昇降用のハシゴは外され、今は高所作業用の大きな脚立が3つ、コックピットの左右に並べられている。そして左側にアサクラ、右側に二つ並んだ脚立からはユウとシキシマがそれぞれ取り付いてコックピットの中を覗き込んでいた。


「さっき機体の操縦をしていたのは"彼"です。識別番号シリアルはHUS-01_CIELO。自己紹介によると、機体制御用AIユニットモジュールだそうですよ」

「機体制御用AIねぇ……」

「私にはただのモジュール筐体にしか見えないが……何か問題でも?」


 淡々と説明するユウと微妙な相槌を打つアサクラが、確認しあっている内容に全く納得していない表情をしているのを見て取って、事情が飲み込めていないらしいシキシマだけが首を傾げる。

それもそのはず、昨今機体制御補助用のAIモジュールが搭載されることは珍しくないし、負荷の掛かる複雑な処理を受け持つAI用のモジュールは大抵、専用の筐体にブラックボックス化されている。機体制御用のAIユニットモジュールが組み込まれている、というその1点のみにおいては、確かにシキシマの言うとおり何も不審な点はなかった。

 そんなシキシマの疑問に答えるようにユウは説明を続ける。


「普通、モジュール系は全て内部に組み込むものなんです。こんな風にコックピットに直接筐体を晒して接続されている、というケースはあまりありません。研究所にあるものなので、試作段階のものを繋いでいるのかもしれませんが、そもそもコネクタがコックピット内に存在していること自体が不自然です」

「この場合、可能性として考えられるのは二つだね。ひとつは今ユウが挙げたとおり、試作段階のものを暫定的に繋いでいるという可能性。そしてもうひとつが、なんらかの事情で頻繁な定期メンテナンスをしなければいけないという可能性だ。この場合、メンテナンスを必要としているのはソフトウェアじゃなくて、ハードウェアのほう」

「AIモジュールなのに、ハードウェアの定期メンテナンスが頻繁に必要なのか?」

「そ。おかしいでしょ」


ようやく理解が追いついてきたシキシマが不審げに眉をひそめたのを見て、アサクラは満足げに頷いた。


「それだけじゃないです。シリアルを訊いた時、返事をする前にこいつは『確か』って前置いたんです。シリアル情報が曖昧になっているAIなんて聞いたことがない」

「確かに妙だな…」

「あと、さっきユウは操縦してたのがAIだって言ってたけど、機体の制御は全部預けてたんだよね?」

「ええ、自分は兵装のほうを」

「やっぱり。だとすると、帰還前のヴィクトリーロール、あれもおかしい」

「ほう?」

「考えてもみなよ。ヴィクトリーロールはパイロットの感情表現だ。ノブだって知っているはずだよ。あれはね、ただのエルロンロールなんだ。敵の撃墜後、帰還時に凱旋を祝して打って初めてその意味を持つ。昔、大気圏内だけでやってた旧戦闘機時代と違って、今はエルロンロールだって戦闘機動として大きな役割を果たしてる。ヴィクトリーロールたるエルロンロールを打つのはね、機体制御、戦闘機動共に全く無意味な行動なんだよ。それをさせようと思ったら、専用のロジックを組む必要があるだろうね。そして僕の知る限り、あそこの研究所にそういうセンスのあるロジックを組む奴はいないんだよね」


 そう言ってアサクラは、身を乗り出してコックピットの中に手を伸ばす。そして眠る子供の頭に触れるような優しい仕草でその“筐”に触れると、その仕草とは対照的に冷たい笑みを薄い唇に刷いた。


「つまりね、僕とユウはこう考えてるんだよ。この"筐"の中に詰まってるのは、コンデンサやプロセッサやチップセットなんかじゃない。何かもっと、根本的に別な"モノ"だってね」

「それは、どういう……」

「うん、それを調べるための道具を用意してくれるようにテッさんに頼んであるからね。ほら、ちょうど来た」


 見計らったようなタイミングで連絡口に現れたテッサリアに、アサクラが軽く手を振った。テッサリアは軽く手を挙げてそれに応え、そのまま機体付近までやってくる。テッサリアは並んだ脚立の足元までやってくると、降りてくるアサクラを仰ぎ見ながら首をかしげた。


「どうも、副班長さん。取り合えず持っては来ましたが……物質透過スキャナなんて何に使うんです? 構造を見るなら開ければいいでしょう」

「うん、ちょっとブラックボックスの中身を覗いてみようと思ってね」


 テッサリアが運んできたのは、物質透過スキャナだった。これは非破壊検査機器の一種で、物の内部構造を調べることができる装置だ。


「さて。箱の中身はなんだろな〜。ユウ、ちょっと貸してね」


 梯子を上がってきたテッサリアから小型の掃除機のような形状の装置を受け取ると、ユウのバングルからコードを伸ばして底面のジャックに挿し込んだ。バングルのホロモニタに解析画面を呼び出して、自分の見えやすい位置に据えるとユウに「ちょっとそのまま動かないでね」と言いおいてゆっくりと物質透過スキャナを動かした。一人だけコックピット下に取り残されたシキシマが、覗き見ようと梯子に手を伸ばすが、どう見てもスペースがないので諦める。


「ああノブごめんね。ちょっとそこで待ってて」


 憮然とした表情で梯子に手だけをかけているシキシマをちらりと見てそう言いながら、アサクラはスキャンを続け、淡い燐光を放ちながらゆっくりと映像を描き出して行くホロモニタを見つめる。

 徐々に明確になっていくその輪郭に、ユウはぎゅっと眉を寄せ、アサクラは薄く微笑み、後ろからそれを覗き込んだテッサリアは目を見開いた。


「お、おい。一体何がどうなっているんだ?」


コックピットの下で、一人だけ“それ”を目にしていないシキシマが困惑の声を上げる。ユウはそれには答えず、黙ってバングルのホロモニタ投影をシキシマにも見えるような角度に調節する。ほぼ解析が完了し、完全な形で映し出されたそれを見て、シキシマも思わず息を呑んだ。


ホロモニタの淡い燐光の中に浮かび上がったそれは、どう見ても人間の脳髄だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る