序章 月面研究所回収任務(下)

 息をせききって駆け込んだ格納庫は、火の海になっていた。爆撃の余波で、保管されていた航空燃料か何かに火がついたのだろう。運良くなのか悪くなのか、格納庫はまだ構造を保ち空気が供給されていたためにすっかり火が回ってしまったらしい。整然と並ぶ試作機たちは、その大半を火の海に沈めつつあった。


「くっそ、本当にこれ、最新鋭機とやらは無事なんだろうな!?」


 悪態をつきながらコンソールから最新鋭機の写真を呼び出すと、視界の邪魔にならないサイズに調整してAR表示させる。そして再度走り出し、すぐに“それ”と邂逅した。


 炎の中にあってそれは、美しく気高い獣のように超然とたたずんでいた。


 他の試作機たちが炎に舐められ翼を黒く染められている中、その戦闘機だけは何かに護られているかのように青みがかった銀色を維持している。鏡面仕上げのキャノピーが格納庫内の炎を映し、ちらちらとした影を流線型に伸びた主翼とその下に並んだ姿勢制御用ノズルに落としている。機体後部にはドーナツ状の円環が機体を囲うようにして取り付けられており、その円環と機体が1本の長い砲身を抱いていた。


 一瞬、呆然としてその姿を見上げていたユウだが、すぐに我に返り昇降用に立てかけてあったハシゴを登っていく。写真に添えられていた説明どおりに操作すると、マジックミラーのような加工をされたキャノピーがぱかんと開いた。中には操縦者用のシートと、何かのユニットモジュールのような四角い箱がある。箱の表面には小さなLEDランプが幾つもついていて、チカチカと瞬き続けていた。


(制御補助用のユニットモジュールか……? しかし、なんで操縦席に……)


 頭を疑問がかすめるが、すぐにそれどころではないと思い直し体を操縦席に滑り込ませる。

 戦闘機の制御補助用のAIユニットモジュールの搭載は、今となってはスタンダードである。何故組込みになっておらず操縦席内に接続されているのかは不明だが、そこは研究所にある機体のことだ、調整中か何かなのだろう。

 整備兵としての見解で自分を納得させつつ、機体の起動準備に入る。点検以外で久々に触れるコックピットの感触に、郷愁にも似た想いが湧き上がったその時だった。


「ゴ迷惑ヲ、オ掛ケシテ恐縮デス」


 突如としてコックピット内に合成音声が流れこんできた。驚いたユウは「うわ!」と叫んで握りこんでいた操縦桿を離してしまう。


「え、何? 何なの? 最新鋭機って喋る機体なのか!?」

「驚かせてシマッテ、申し訳アリマセン。私は、当新型高機動ハイ・マニューバ戦闘攻撃機の機体制御用AIユニットモジュールデス。ちなみに、機体本体ではなク、貴方の隣のモジュールが私デスヨ」

「はぁ……どうも……」


 チカチカとLEDを瞬かせながら礼儀正しく挨拶をしてくる箱に向かって、思わず頭を下げるユウ。


「えっと……、キミの識別番号は? この機体を飛ばすのに必要かな?」

「私の識別番号ハ……確カ、HUS-01_CIELOデス。始動ニ識別番号は不要デス。エンジン始動ユニットへのアクセスが遮断されているタメ、離陸フェーズが開始出来ませんデシタ。貴方に起動して頂けれバ、以後私の制御での航行が可能デス」


(確か……? AIなのに確か、って何だ……?)


 HUS-01_CIELOの言葉に再度ユウの中に疑問が沸きあがる。しかし、その疑問を塞ぐように天井の一部が崩壊し、バラバラと周囲に降ってくるのをみて慌てて思考を切り替えた。制御系表示モニタに目をやり、起動フェーズがほぼ完了していることを確認すると叫ぶようにしてユニットモジュールへ問いかける。


「ええと、HUS-01_CIELO、自分は元パイロットだが、直近の操縦経験がない! 君の制御に任せたい、頼めるか?」

「起動フェーズ85%完了を確認。此方の制御で問題ありまセン。あと、舌を噛みそうであれバ、私の事ハ、当機体に準じて"シエロ"とでもお呼び下サイ」

「なっ……AIのくせに失礼なヤツだな!」


 笑うかのようにLEDを瞬かせて応じるシエロに、思わず顔を赤らめて怒鳴るユウ。実際、確かに舌を噛みそうにはなっていたのだが。


「それじゃあ任せる! なお、当研究所損壊についての許可は下りている。ここはご覧の有様だ。さっさと脱出しないと危険だし、仲間の救助にも向かいたい! 格納庫の壁は遠慮なくぶち抜いてくれ!」

「承知」


 心地よい音を立てて、エンジンが起動していく。駆動音の上昇に伴い、モニタに表示された起動フェーズの%も増えていく。90%……95%……100%。そして、駆動音を響かせたまま新型高機動戦闘攻撃機シエロはただ、その場にたたずんでいた。

 騒音の中のしばしの沈黙の後、ユウがぼそっと呟いた。


「……シエロさん? 制御預けたよな?」


 シエロの表面のLEDが、躊躇ためらうように2、3度瞬いた。


「……エェット……、どうやラ、兵装ヘのアクセスも遮断されているようデ」

「何で! なんでそういうのすぐ言わないの!? もう崩れるって言ってるでしょここホラもううわぁあああ!?」


 ツッコミを入れている間にも崩壊が進み、ガラガラと降ってくる破片にユウは悲鳴を上げる。一拍おいて、機体が無事だったことに胸をなでおろしていると、シエロがぼそぼそと呟いた。

 

「……イヤ、一度私の制御下での航行って言ってしまいましたシ……」

「いいよもうそういう微妙な感情の機微みたいなのは!!」


 思わずばしーん!と隣の箱をひっぱたきそうになり、相手が精密機械なのを思い出してなんとか踏みとどまる。そして深い深い溜め息を吐き出し、一度離した操縦桿を再度握りこんだ。


「とりあえずこっちで制御する! ただ、おそらく航行は既存の知識でどうにかなると思うが兵装は無理だ! どれをぶちかませばいいか教えてくれ!」

「承知。デハまず、左右操縦桿の握り口のボタンですガ、此方は圧縮レーザー兵装となりマス。他兵装との併用が可能デス」

「ふむふむ」

「……此方、出力はそれなりデスが口径が小さいため、敵性の厄介な兵装を切り離したりスル際に有効で」

「誰が兵装全種レクチャーしろって言ったよ!! 今は壁をぶち抜くための兵装を教えろよ!!」


 いっそこの箱本当に殴ったら、ちょっとマシになるんじゃないだろうかと本気で考え始めるユウである。思わず操縦桿から手を離してLEDの瞬く箱を見つめていると、


「手をワキワキさせなガラ此方を見ないで下サイ。テレビじゃないんですカラ、引っ叩いてもダメデスヨ。イヤラシイ」

「何でそういうところは繊細に反応すんの……? 言葉にしないほうが伝わるって事なの……? てかいやらしいって何。俺の仲間を助けに行きたい気持ちも汲んでくれない……?」


 変に釘を刺され、ガックリとうなだれるユウ。その耳に、やや真面目な調子に戻った合成音声が届く。


「壁を抜くためニハ、当機体の砲を利用するのガ妥当かと思われマス。当機体には荷電粒子砲が搭載されてオリ、粒子加速段階に応ジテ、通常荷電粒子砲、陽電子砲の2砲種を撃つことガ可能デス。陽電子砲は対象を対消滅させるタメ、支えを失った構造物が一気に崩壊する恐れがありマス。また、使用電力の問題で2発までシカ撃てまセン。よっテ、今回は荷電粒子砲の使用をお勧めシマス」

「分かった。それでいこう。使用方法も頼む」


 きゅっと顔を引き締め、ユウは操縦桿を握りなおす。シエロももうそれ以上ふざける気はないようで(本人としては今までもふざけていたつもりはなかったのかもしれないが)、テキパキと兵装の説明をしていく。


「トリガーハ、左操縦桿上部に取り付けられタ赤色のボタンでス。押し続ける事デ粒子加速を行イ、離された時点で発射しマス。粒子加速段階ハ、制御系表示モニタ下部に設置されてイル円形モニタにて確認できマス。円形ゲージが青色の時は通常荷電粒子砲、赤色域に突入すると陽電子砲となりマス。一度赤色域に突入しタ粒子加速段階を下げたい際にハ、右操縦桿ノ青いボタンを。」

「了解」


 短く答え、ユウは左手の操縦桿のボタンを押し込んだ。きゅいいいん、と駆動音が響き、機体後部の円環部が薄っすらと青い輝きを放つ。みるみるうちに円形ゲージが青く染まっていく。そのゲージの増える速度に技術者として内心舌を巻きながら、ユウは赤色域ギリギリの位置でボタンを離した。青紫の閃光が迸り、スパークを伴って格納庫の壁に喰らいつく。大量の粉塵が舞い上がり、視界を覆う。これで道は確保できたはずだ。


「よしシエロ、では機体制御は君に任せる。外に出れば敵がいるだろうから、兵装は俺が―—」

「マダデスネェ」

「担当するから……って、は?」


 LEDを瞬かせて、のんびりとAIは言う。果たして粉塵が晴れた先に見えたのは、ややへこんでヒビの入った格納庫の壁であった。ユウは無言で荷電粒子砲を再チャージ、発射する。


「……硬すぎんだろ、この壁たかが研究所の癖に!!!」

「マァ、此処にある試作機、鹵獲ろかくサれたらチョット、一大事ですからネェ。頑丈に作ったそうデスヨ」

「ああそう! で壁薄いとこから侵入されちゃってここがどんづまりってわけなのな!?」


 意味ねぇ!と喚きながら涙目で再チャージ、発射を繰り返し、5発ほど撃ちこんだ所でようやく機体が通り抜けられそうな穴が開く。


「オ疲れ様デス。マ、私は高機動が売りですカラネ。本領発揮は此処からデスヨ」


 体を動かしたわけでもないのにぜーはーと荒い息を繰り返すユウを、LEDを瞬かせてシエロが労った。四角い箱に労われてちょっぴり微妙な気分になっている彼に、AIは問いかける。


「サテ、戦闘機アヴィオンでの実戦経験ハ?」


 彼は少しだけ逡巡し、答える。


「……ある。1年前に、1度だけだが」

「1度でも実践経験ガあるなら大いに結構。では兵装ノ制御ハ、お任せ致しマス。行きマスヨ」

「いや、待ってくれ」


 エンジン音がそのボリュームを上げ始めた時、ユウがストップを掛ける。それはともすればエンジン音に掻き消されてしまいそうな小さな声だったが、AIはピタリと機体の制御を止める。


「如何しましたカ」

「……当方、右目の損傷により右方視界に欠損がある。完全に見えていないため、攻撃を受けた際の死角が大きくなっている」

「承知」


 先ほどの自分のようにただ短く答えたシエロに、ユウは無意識に頭を下げる。


「……すまない」

「何を謝る事があるのですカ。そういう事情デアレバ、右側は迎撃など必要ありまセン。言ったでショウ、本領発揮はこれからダト」


 笑うように、LEDが瞬く。そして機体はゆっくりと動き出し、壁の穴を抜けたところで爆発的に加速した。

 地平線に半分沈んだ地球を背景に、漆黒の夜空に向かって、まるで月の女神に引き絞られた銀色の矢のように、一気に上昇する。激しいGに体中の血液が一気に下肢のほうへと引っ張られ、くらりとした眩暈めまいがユウを襲った。着ているスーツはもちろん耐G仕様だが、何しろ1年ぶりのフライトだし、月は重力の枷が地球より緩い分、瞬間速度が速い。


「大丈夫デスカ?」

「……何のこれしき!」


 芯が抜けていきそうになる頭を振って、ユウは操縦桿を握り直し、レーダーに目をやる。右後方に反応。先ほどの敵に間違いない。


「右後方に敵性反応。高度を落しつつ反転シ、アンテナ塔を回り込んで左方ヘ敵影を収めマス」

「頼む!」


 ふっ、と上昇スピードが緩み、そのまま右に機体をひねるようにして下降が始まる。高度を速度エネルギーに変え、滑らかな軌道で半壊したアンテナ塔をかすめて敵の懐に迫る。

 頭に血が戻っていくのを感じながら、ユウは左操縦桿の赤いボタンを握りこんだ。みるみるうちに青いゲージが溜まっていく。そしてアンテナ塔で遮られていた視界が開け、陽電子砲をぶちかまそうと見開いたその隻眼に、触手のようなものに絡まれ持ち上げられた男の姿が映った。


「!? ……くそっ!」


 このまま陽電子砲をでぶち抜くことは可能だ。だが、口径が大きすぎる。放てば彼ごと葬る羽目になるだろう。

 咄嗟に操縦桿を握りしめた右手の指が、ボタンの感触を捉える。


(デハまず、左右操縦桿の握り口のボタンですガ、此方は圧縮レーザー兵装となりマス)


 ユウの脳裏を、ついさっきシエロが言った言葉が掠めた。


(他兵装との併用が可能デス)


 左手にはフルチャージ済みの荷電粒子砲。右手の人差し指と中指に、力がこもる。


(出力はそれなりデスが口径が小さいため、敵性の厄介な兵装を切り離したりスル際に有効で)


「悪い、そのまま敵の左方向へ避けてくれ!」

「ッ、承知!」


 叫ぶと同時に、彼は右手の操縦桿のボタンを思いっきり握りこんだ。直後、シエロの制御によって操縦桿が激しく左方向へ傾く。真っ白に輝くレーザーが翼の前面から伸び、傾く機体の動きに同期し空間を横薙ぎにして、男を絡め取った触手をぷっつりと切断した。


「よし!」


 思わず右の操縦桿から手を離し、ユウは小さくガッツポーズをとる。


「ほぉラ、私の説明、役に立ったじゃないデスカー」


 LEDを瞬かせて、得意げに言うシエロに、ユウは「すまなかったよ」と苦笑する。そして操縦桿を握りなおし、表情を引き締めた。


「よし、これで後は―—……っ!?」


 言いかけたユウの言葉が、激しい衝撃に揺さぶられ途絶えた。

 頭が沸騰したように熱くなり、耳鳴りと共に鼻から飛び散った血がバイザーの内側を汚す。自分の視界の死角から襲ってきた鱗だらけの巨大な尻尾を、シエロが間一髪、機動のみで回避したのだと把握するのに一瞬の時を要した。さっきとは比べ物にならないほどの眩暈が襲ってきて、思わず左手が操縦桿から離れそうになったが、右手も手伝ってなんとか握りこむ。


「スミマセン、大丈夫デスカ!」


 シエロのLEDが激しく明滅している。それがひどく焦っているように見えて、ユウは薄く笑う。


「大丈夫。……大丈夫だ、ありがとう」


 機体が敵の脇をすり抜け、再び眼前に躍り出た。全身を鈍色の鱗で覆った、巨大な体。そのあちこちから無数の触手が生え、蠢いている。頭のような部位はないが、巨大な体のてっぺんにはぽっかりと穴が開き、無数の牙のようなものが粘着質な液体を滴らせている。その穴の周りをぐるりと囲むようにぎょろりぎょろりと動く無数の目をふらつく視界に収めて、ユウはただ一言、呟いた。


「―― 死ねよ」


 その親指が、ずっと握り締めていた赤いボタンを離す。

 白に近い青紫の閃光が迸った。それはスパークすら伴わず、真っ直ぐな1本の槍となって、機体を呑み込むべくぱっくりと開かれていた巨大な口腔を貫く。

 ぱん、と水風船が弾けるように巨体の上半分が消滅し、それを薙ぎ払った光の軌跡をなぞるように銀色の機体が通り抜けていった。


* * * 

 

 シートに背中を預け、操縦桿から手を離してユウは半ば放心したようにキャノピー越しに見える地球を見ていた。ゆるやかに上昇していく感覚が、気だるい重さとなって全身を包んでいる。

コックピット内部の酸素レベルを確認し、ヘルメットのバイザーを開く。ガチガチにこわばった右腕を上げて、顔中に飛び散ってしまった鼻血を乱暴な仕草で拭っていると、ノイズ交じりの通信がヘルメット内のヘッドセットから飛び込んできた。


「こちらフェニックス。シキシマだ。コンラート、ユウ、回収任務ご苦労だった。二人とも無事か?」


 緩慢な動作で 左方向に視線を向けると、戦闘を終えた艦隊がこちらに引き返してくるのが見えた。先頭を飛ぶ早期警戒機ヘイムダル2機のレーダーパラボラが見事に破壊されているのを見て、ユウは苦笑する。道理で通信が途絶える訳である。

そして、


「艦長ぉ、来るの遅いッスよー。うっかり死ぬかと思ったじゃないスか」


シキシマ艦長の通信に被さるようにして入った、更にノイズのひどいその声に、ぼうっとしていたユウの意識が一気に覚醒する。


「コンラートさん!」

「おう、ユウ。助けてくれてありがとうな。生存フラグ、無事回収だ」


ちゃんと飛べたじゃないか、と言って笑うその声を聞くユウの目に、じんわりと涙が浮かんだ。

 シエロは黙ってLEDを瞬かせると、緩やかに機体をターンさせ、高度を下げる。ユウの隻眼の視界の中で、瓦礫に背を預けたままの男――コンラートがゆっくりと手を振った。その光景は艦隊側からも確認できたらしく、艦長がやや驚いたような声を上げる。


「なんだ? お前達、二人で飛んでる訳じゃないのか」

「あー、報告は後でしますんで。そんな事よりさっさと拾いに来て下さいよー。もー肋骨何本かイッちゃってて死にそうっスー」

「む……そうか。すまなかったな、1匹取りこぼして」


 困惑気味の質問をコンラートに投げやりな調子でぶった切られ、シキシマ艦長はやや申し訳なさそうに謝罪を口にする。


「救護班、回収頼む。ユウはとりあえず帰艦してくれ。では通信、ノイズがひどいからいったん切るぞ」

「アイサー。俺ももう喋るの辛いから切るわー」


 ジジッ、っとノイズのを音を残して艦長との通信が切れ、続いてコンラートの通信も切れる。返事をしそびれたユウは「あ……」と小さく呟いて、開きかけていた口を閉じた。途端に体の力が抜け、そのまま頭を座席のヘッドレストにどさりと預ける。


「オ疲れ様デスヨ。さて、では凱旋と参りまショウカ」

「うん……」


 シエロの呼びかけにおざなりな返事をして、ユウは目を閉じる。緩やかな機体の上昇とそれに続く横回転の感覚に、ああ、ヴィクトリーロールだな……と思いながら彼は静かに意識を手放した。

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