第一章 箱詰めのエースと隻眼の英雄

第1話 オセアニア南部戦略拠点 第7発着場にて ①

 突如始まった“それ”と人類との闘争は、もはや戦争などではなく、ただの天災だった。


 クトゥルフ神話に登場する白痴の神の名を借り、アザトゥスと呼ばれているその“敵”が、広大な宇宙を越えて突然現れたのは、今から5年前のことである。

 さまざまな形状をもつそれらは、生命体をはじめとした有機物を喰らい、無機物を侵し融合し、時には生き物にそのおぞましい種を植え付け、田に群がるイナゴのように爆発的にその数を増やし、太陽系の星々を多い尽くした。

 それらに“知性”の存在は欠片も見られなかったが、ただ殖えるためだけといわんばかりに太陽系惑星上のありとあらゆるものを喰らい、侵し、犯していった。


 当然人類は必死の反撃を試みたが、侵攻開始当初は全くと言っていいほどに歯が立たず、太陽系の星々へ勢力を拡大し、順調に増やしていたはずのその数をみるみる減らしてゆくこととなる。

 全太陽系の人口がおよそ半分となるまで蹂躙される頃、ようやく人類はその“敵”への本格的な反撃を開始した。成層圏内外での戦闘に特化した戦闘機、“アヴィオン”が実戦投入され、多くの優秀なパイロットの命と引き換えに人類は辛くも勝利を収めることとなる。

 だが、一度殲滅したはずのアザトゥスはその後もたびたび群れを成して現れ、今もなお人類を脅かし続けている――。



* * *



 大気を震わせ、銀色の機体が空を裂いて飛んでいく。

 ユウは整備用の工具を詰めたコンテナをを運んでいた手を休め、空を仰ぐ。夏の日差しとそれを反射してきらめく機体が、彼の片方しか見えない目をチリチリと焼いた。思わず目を細めた彼の上を、別の機体が轟音と共に通り過ぎ、顔半分を隠した柔らかな焦げ茶の髪を揺らしていく。

 彼の所属する第13調査大隊が長距離探査航海に出るまであと3日である。パイロット達はそれぞれの機体の最終調整の確認を兼ねた慣らし運転の真っ最中だ。澄み渡る夏の青空を背景に、銀色の戦闘機たちがすいすいと飛んでいる。


「気になるんですか、ユウ君」

「班長」


 背後から声を掛けられ、ユウは振り返る。そしてそこに立っていた男の姿を認めると、少しだけバツの悪そうな顔で微笑んだ。

 つるりとした禿頭にタオルを巻いた、壮年から初老に差しかかろうかというその男は、第13調査大隊の整備開発班の班長、テッサリアであった。穏やかな気質の職人肌の男で、整備班をはじめとした艦の皆から慕われている人間である。むろんそれはユウとて例外ではなく、なんとなく気恥ずかしい今の姿を見られたのが彼であったことに少しだけほっとする。

 テッサリアもどうやら艦の最終調整をしていたらしく、様々な工具を放り込んだ小さなコンテナを運んでいた。それをそっとユウのコンテナの隣に置くと、腕を組んで空を見上げる。

 つられるようにしてユウも再度空を見上げる。テッサリアの質問に主語はなかったが、それが何を指して問われているかは明白だった。なんとなく、光を通さないその目を隠している髪を避けてみる。強い夏の太陽に焼かれても僅かな痛みさえ覚えないその目の代わりに、チリッと胸の奥が痛んだ。


「どうなんでしょうね……」


 きらり、きらりと光る戦闘機を眺めながら、ユウは言葉を探す。テッサリアは次を促すこともなく、同じく空に踊る機体を眺めながらその言葉を待った。


「今は、自分の整備した機体がちゃんと動いているかのほうが気になってると思います。この目のせいで自分がアヴィオンを降ろされてから、もう1年になりますし」


 そう言ってユウは、頭上を飛んでいく二機編隊エレメントを組んだ早期警戒機、ヘイムダルをその隻眼で追う。その機体のレーダーパラボラ整備は、今回ユウが割り当てられた仕事の中で、一番気合を入れて整備したものだった。


「あれはいい仕上がりでしたね」


 同じくヘイムダルを目で追いながら、テッサリアが微笑む。はい、と微笑み返したユウの目が、別の機体を追う。攻撃機、アルテミス。1年前に彼が乗っていたのも攻撃系の機体だった。太陽の光を左手で遮りながら、ユウはぽつりと呟く。


「もう、飛ぶのは自分の役割じゃありませんから」


 だが目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものでアルテミスを追い始めた目は言葉とは正反対の感情を浮かべている。テッサリアはそれに気づかないふりをして、ユウの視線を追いかけた。

 銀色の機体は帰艦フェーズに入ったようで、くるりと縦に回転して機首を巡航艦、フェニックスに向ける。そのまま高度を落とし、滑らかな動作で帰艦口へと吸い込まれていく。そして、


「「あ」」


 帰艦口入口付近の壁に激突した。派手に金属がひしゃげる音を聞いて、ユウは眉を下げてテッサリアに問う。


「角度……ミスってませんでした?」

「ミスってましたねぇ」


 苦笑しながら答えたテッサリアの台詞に小規模な爆発音が被さり、二人は思わず顔を見合わせた。無言でめいめいの作業用コンテナを抱え上げると、艦内に駆け込む。

 大慌てで帰艦口に向かうと、ちょうどひしゃげた機体からパイロットがのそのそと這い出してきたところであった。彼は駆け込んできた二人の姿を認めると、にへら、と情けのない笑顔を浮かべて軽く手を上げて見せた。

 存外に元気そうなその姿に、ユウとテッサリアは苦笑して肩の力を抜き、コンテナを降ろすとすっかり無残な姿になってしまったアルテミスへと歩み寄る。


「これはまた……コンラート君、また派手にぶつけましたね……」


 アルテミスのひしゃげた鼻先をグローブに包まれた拳で軽く叩いて、テッサリアは苦い顔をしてみせた。着艦の角度を誤ったのは間違いないようで、ランディングギアの左後輪が内側に折れ曲がっている。そのまま回転するように横滑りして鼻先をぶつけて止まったらしく、シャープで優美なそのラインは見る影もなく潰れてしまっていた。


「なんとか換装とまではいかなそうですが、結構修理厳しそうですね……」

「いやあ、面目ない」


 エンジンを覗き込んでこちらも苦い顔になったユウに、コンラートが頭をガシガシと掻きながら謝罪する。幸い燃料タンクにまでは及ばなかったようだが、小規模な爆発を起こしたらしい後部エンジンは黒焦げになっていた。その様子をユウから聞いたテッサリアは、キャノピーを覗き込みながら小さく肩をすくめる。


「エンジンのほうは接地の時に変なところに火花でも飛びましたかね。兵装を外していてよかったですね、コンラート君。翼にミサイル抱えてたら本当にドカンだったかも」

「ははっ、やだなテッさん……」


 コンラートを案じるようでいてさらりと恐ろしいことを言うテッサリアに、ちょっぴり煤けてしまったヘルメットを外しながら、コンラートが顔を青褪めさせる。そんなやり取りをしていると、爆発音を聞きつけたらしい船員たちが帰艦口にどやどやと駆け込んできた。


「なんかコンラートのアルテミスがオウンゴールな感じで自爆帰艦したって聞いたんだけど、爆発したのかい?」


 魚の死んだような目に妙な光を輝かせて開口一番、縁起でもないことを口走ったのは整備開発班の副班長、アサクラという男である。

 整備開発班として職人肌のテッサリアと双璧をなす、研究者寄りの人間だ。肩まですとんと伸びた髪は見事な黒で、鼻筋の通ったそこそこに端正な顔立ちをしているのだが、濃いクマに縁取られた生気のない目と怪しい笑みが全てを台無しにしている。

 ちなみに艦内での二人の評価は、テッサリアが「近寄ったら頭撫でてくれそう」に対しアサクラは「近寄ったら頭にピンセット突っ込まれそう」である。それだけで彼の性格と常日頃の行動は、推して知るべしといったところだろう。

そんなアサクラに、「着艦ミスっただけで爆発まではしてねーよ!」とコンラートが涙目で叫ぶ。


「なんだ、爆発してないのか……」


 ユウの華奢な体に隠れるようにして自分を伺うコンラートの姿を認めた途端、アサクラの全身から生気とやる気がごっそりと抜け落ちた。そして少し遅れて来た艦長が、ボロボロのアルテミスとぐにゃぐにゃのアサクラに向かって呆れ顔を並べていたクルー達の向こうから顔を出す。


「ノブー、コンラートが爆発してないんだけど」

「私にそんな事を訴えるな」


 元気そうなコンラートの姿に安心したその表情に、他のクルー達同様の呆れ顔をミックスさせながらシキシマは肩を竦めて見せる。

 ちなみにノブ、というのは艦長の下の名前であるノブヒコの事だ。アサクラとシキシマは幼少期からの顔馴染みである。もちろんこれは偶然だとか運命だとかいった類のものではないく、こう見えてアザトゥス解析の功労者であるアサクラが、その功績を笠に着てシキシマ率いる第13調査大隊への配属を希望したからだ。優秀だが難儀な性質の彼を扱いかねていた上層部はこれ幸いとそれを承諾し、律義で真面目な幼馴染は体良く厄介者を押し付けられている現状であった。

 ちなみにアザトゥスの名付け親も彼である。クトゥルフ神話から引用してくるあたり、色々とお察しであった。


「あーあ。せっかく力作の耐爆仕様だったのにさぁ。爆発してなきゃ性能チェック出来ないじゃないのー」


 そんな難儀な性質の彼は、手近なクルーの肩に顎を乗せてコンラートにぶつぶつと文句を言う。肩に顎を乗せられているクルーは若干引き攣った顔をしているが、これはいつものことなのだろう、その表情の中には若干の諦めが見て取れた。対するコンラートは、額に冷たい汗を浮かべて青い顔でアサクラに尋ねる。


「まさか、俺のアルテミスになんか細工してたなんてことは……」

「失礼な。するわけないでしょー、外道じゃあるまいし」

「いや、お前は十分外道だぞアサクラ。自覚しろ」


 心底心外だ、という顔をするアサクラに突っ込みを入れて、シキシマは上半身をコックピットに突っ込んでいるテッサリアに声を掛けた。


「テッさん、どうだい? 修理ドックに入れないとダメそうかな」

「いえ、換装はしなくても大丈夫そうなので、艦内の施設で十分ですよ。修理自体も出航までにはなんとかなりそうです」

「そうか、すまないね。よろしく頼むよ」

「いえいえ、これが私の仕事ですから。……で、ユウ君」


 帽子を少し上げて軽く頭を下げたシキシマに、コックピットに突っ込んでいた頭を上げたテッサリアは穏やかに微笑み返す。そしてちらりとアルテミスが激突した帰艦口の壁面を眺めると、振り返ってユウの名を呼んだ。


「はい?」

「君、担当の分の整備は終わってましたね?」

「ええ」

「では、アルテミスの修理はユウ君に任せます。この先航海に出れば、いずれ修理をしなくてはいけませんからね。今のうちに経験しておいてください。メンテナンス補助ユニットはRAM-02を割り当てておきます」


 そう言いながら、テッサリアは銀色に光る腕輪状のデバイスから表示される光学ホログラムで構成された簡易コンソールを操作する。

 このデバイスは軍部支給品で、ドッグタグとバイタルチェッカーと通信機とラップトップをごちゃ混ぜにしたような機能を持つ代物だ。本当はやたらと長くて小難しい名前がついているのだが、当然そんなものは誰も覚えておらず、その華奢な腕輪のようなフォルムから「バングル」の愛称で親しまれている。

 一通りの入力操作を終えたところで、テッサリアは顔をあげると「そうそう」と付け加える。


「コンラート君、見たところピンピンしてるみたいですし、君もユウ君を手伝ってあげてくださいね。ユウ君、力仕事系はみんな押し付けていいですよ」

「テッさん!?」


 なんとも悲鳴じみた情けない声を上げたコンラートを見て、くすくすと笑いながらユウは「はーい」と返事をした。そんなやり取りを見ていたシキシマがぱんぱん、と両手を叩いて一同を見回す。


「さ、各自持ち場に戻ってくれ。3日後にはこのオセアニアの太陽ともお別れだ。みんな、しっかり頼むよ」

「「アイ、サー」」


 艦長の言葉に、クルー達はやや表情を引き締めなおして各自の持ち場へ戻っていく。シキシマ自身も、諸々の書類でも片付けてしまおうと艦長室に足を向けた。その背中に、アサクラが声を掛ける。


「あー、そうだノブ! ついでだからコンラートさ、耐爆素材用の実験室に放り込んで1発ドカンってやっていい?」

「ダメだ」


 検討するまでもないトンデモ提案を、当然のようにシキシマは振り返ることもなくばっさりと切り捨てた。そのまま艦長室に戻ろうとする彼に、アサクラがぽつりと呟く。


「えー。せっかくさっき、新しい水饅頭作ったのになー。仕方ないなー、自分で食べるかぁ」


 靴音高く立ち去ろうとしていたその足が、ピタリと止まった。躊躇うように靴先が動く。シキシマは帽子を深く被り直すと、小さな声で呟いた。


「……爆発の規模は抑えるんだぞ」

「艦長!?」


 その言葉の応酬に、ユウにコンテナを押し付けられたコンラートが悲鳴じみた声を上げながら勢いよく振り向いた。その拍子にコンテナを取り落とし、転がり落ちた重い工具を足の甲に激突させて本物の悲鳴を上げる。

 その悲鳴にはっ、と正気を取り戻したシキシマは、取り繕った笑みを浮かべるとアサクラの襟首を掴んだ。


「……はは、じょ、冗談だ冗談。ほらアサクラ、お茶なら私が淹れてやるからお前は艦長室に行こう、な?」


 えー……と、不満げな声を上げながらズルズルとシキシマに引きずられていくアサクラを見送って、ユウは足元にうずくまるコンラートに視線を戻す。


「大丈夫ですか?」

「先に医務室、行って来ていい?」

「……どうぞ」


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