第一章 13

 水族館をひとしきり楽しんだあと、誰かが展望台へ上ろうといいだした。サンシャイン60の最上階にある展望台だ。コウヤたちはチケットを買って、全員で展望台行きのエレベーターに乗りこんだ。

 エレベーターの扉が開くと、そこは東京のパノラマが広がる空の公園だった。緑と白を貴重とした開放的な空間と、オレンジ色に光る池袋の街がやけに綺麗で、アカネとユイは目を輝かせてはしゃいでいた。

「あっちにカフェもあるらしいぜ」

 ショウはそういと、アカネとユイを連れてカフェへと向かっていった。

 外の景色をスマホのカメラに収めていたケンゾーは、いつの間にか視界から消えていた。トイレにでもいったのだろうか。

 コウヤはひとり、近くのベンチに腰をおろした。ぼんやりと外の景色を眺める。

 そして、ふと周りに目を向けたその時だった。

 黒いフードを被った大柄な男が、視界の端に映った。突然、全身の毛が逆立つ感覚に襲われる。

 見間違いかもしれない。ただ、一瞬だけ動画で見たときと同じ、黒い影のような角がフードから生えてるように見えた。

『嫌な予感がするんだ』さっきのケンゾーの言葉が、なぜか脳裏をよぎる。

 黒フードの大男は、ずんずんと歩みを進め、その姿はすでに見えなくなっていた。やつが消えていったのは、ショウたちが向かったカフェのほうだ。

 追いかけなければ。理由もなくそう感じた。

 ベンチから立ちあがった瞬間、全身を衝撃が襲った。

 激しい爆発音と熱風に、身体が硬直する。近くでなにかが爆発した。それも、ただごとではない規模の爆発だ。いっせいにその場に居合わせた人たちの悲鳴があがる。

 コウヤが駆けだそうとした視界の先は、すでに煙で覆われてた。激しく脈打つ心臓の鼓動を抑えながら、おそるおそる足を進める。手足は震えていた。

「おいショウ!返事をしてくれ!アカネ、ユイ大丈夫か」

 必死の呼びかけも虚しく、誰の声も返ってこなかった。

 煙の隙間からのぞく視界の先に、粉々に吹き飛ばされたビルの強化ガラスと、ぐちゃぐちゃになった展望フロアの内装がうつる。

 そして、爆心地と思われる粉塵のなかで、青黒いなにかがうごめいていた。人ではなかった。

 目を凝らして、を見たコウヤは絶句した。

 不気味に光る赤い眼。どの肉食獣よりも巨大な牙。頭部に生えた銀のたてがみからは、鋭く伸びる数本の長い角が見てとれる。

 そいつは、ドラム缶ほどある太い腕で、煙をかき分けながらこちらに近づいてきた。

(立っている。二本の脚で)

 突然自分の身に降りかかった恐怖から、思考が停止しかける。

(ダメだ。止めるな。考えろ)

 だが、必死に現実を受けとめたところで、どうすることもできない。

 その場から逃げだそうにも、竦んだ脚に力が入らない。

 呼吸をすることさえ許されない迫力がやつにはあった。

 その生物の顔面は、昔話にでてくる鬼と、獰猛な獣をかけ合わせたような、およそこの世のものとは思えない形相をしていた。


 しびれたようにその場に立ち尽くすコウヤと、得体のしれない生物との距離が、どんどん近くなる。

 あまりにも非現実的な巨体と異形。足を踏みだすたびに、バスケットゴールくらいの高さで、ゆさゆさと左右に揺れる頭部。両眼はしっかりこちらを見据えている。

(殺される)

 本能的にそう感じた。

 しかしつぎにコウヤのとった行動は、死地に追い込まれたではなかった。

 爆発でできた強化ガラスの大穴に、池袋上空の冷たい風が、大蛇のように吹きこむ。唸る風は、やつの体に纏わりつくように残っていた粉塵を完全に洗い去った。

 その瞬間、震えるコウヤの手は、ほぼ無意識にジーンズのポケットからスマートフォンを抜きだし、カメラのアプリを起動していた。

 高解像度の画面に、その全体が映しだされる。

 やつは動きをとめて、こちらの様子をうかがっていた。まるでピースサインでもだすように、右腕をゆっくりとあげる。

 微かにその顔が笑って見えた。

(なにやってんだ、おれ……)

 そう思ったのと、女の叫び声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「バカ!なにやってるの」

 反射的に声のほうに視線がいく。

 その刹那、 目のまえの視界が暗転した。

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