第一章 9

 水族館のなかは、休日を楽しむ多くのカップルと家族連れで溢れていた。なかなか思うように前へ進めない。

 目当ての水槽のまえがようやく空いて、アカネが水槽のガラスに顔を近づけた。コウヤもアカネの横でなかをのぞきこむ。そこにはたくさんのクリオネが、妖精のように浮かんでいた。

 透明なちいさい身体のなかに、ほんやり光る魂のような赤い臓器。

 アカネがうっとりとした目で微笑む。

「きれい……」

 水槽の光りに照らされたアカネの顔に、コウヤは思わず息をのんだ。言葉が詰まってでてこない。ショウが惚れてしまうのも無理なかった。


「なあ、アカネ知ってるか?こんな妖精みたいな見た目だけど、エサを食うときはかなりグロらしいぜ。頭にある触覚が伸びて、悪魔みたいに獲物を襲うってさ」

 ようやく口からでた言葉は、沈黙を避けるためにひねり出した余計な雑学だった。

 アカネが怒った顔で眉をひそめる。

「もう、なんでそういうこというかな。せっかくの気分が台無しじゃない」

 ふくれるアカネを見て、すかさずショウが割って入った。

「こいつは昔からひねくれてるんだ。きれいなものを素直にきれいといえない。可哀想な性格なんだよ。こんなやつほっといて、さきにいこうぜ」

 そういって、さりげにアカネの肩に手をまわす。ナイスアシスト、といったところか。

 しかしアカネはショウの手をゆっくりとほどくと、また水槽に視線を落とした。

「悪魔みたいにか……」

 アカネの目から感情が消えていく。瞳に残るのは、水槽から反射した青く冷たい光だけだ。

 どうしたのだろう。ふとアカネの隣にいるユイに視線を移すと、ユイも虚ろな目で水槽を眺めていた。

「なあ、そろそろいこうぜ」

 ショウの声で我に返ったふたりは、先へと歩き始めた。あわててショウがそのあとを追う。

 残されたコウヤは、水槽のなかをもう一度見つめた。

「Devil」

 いつの間にか、コウヤの隣に立ったケンゾーがぽつりとつぶやいた。

「ソウイエバ、サイキンへんなウワサがアリマしたネ。コウヤはどうオモイますカ?」


 一瞬、なんのことかわからかったが、コウヤは直ぐに思いだした。

「あのくだらない動画のことか。ケンゾーはあんなの信じてるのか?」

 あのとき、ショウ以外の皆の様子はどこかおかしかった。そしてそれは、コウヤ自身も含まれていた。

「なにも見えないって、いってたよな」

「エエ、ボクハなにもミエナカッタ。デモ、ふたりはミエテいたんじゃナイデスカ?」

 ケンゾーはコウヤのほうに視線を向けて、薄く笑みを浮かべた。灰色の瞳が真っ直ぐコウヤを見つめる。

「ふたり?それって、おれとアカネのことか?」

 

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