第一章 1

 いつもなにかかがものたりなかった。

 さして偏差値の高くない高校をなんとか卒業し、あっという間に一年と数カ月が過ぎた。

 進学はせず、かといって就職もしない。これといってやりたいことがあるわけでもない。

 そんな、世の中に掃いて捨てるほどいる十代最後の夏を、黒川巧哉くろかわこうやはダラダラとやり過ごしていた。


 東京は本格的な夏に向けて、順調に熱をあげていた。

 だが、無限の時間が覆いかぶさるフリーターのコウヤにとっては、ただの鬱陶しい季節でしかなく、今年の最高気温が更新されるたびに、漠然とした焦りが胸のうちに広がった。

 コウヤはベットから身体を起こすと、スマホで時間を確認した。

(そろそろ出かける準備をしないと)

 のろのろと着替えをすませて部屋をでると、珍しく母がリビングで仕事をしていた。

 黒川家は母親とふたりで暮らす、ふつうのシングルマザーの家庭だ。

 少しだけと違うところは、コウヤが小学校にあがるまで、とある宗教団体のなかで育てられたことだった。

 ただ、その頃のコウヤの記憶は、薄く霧がかったように、ほとんど思い出すことができなかった。

 母から聞いた話しでは、世界中にはびこる不幸や厄災から、天に代わって人々を守護するために設立された光の教団!?だったらしい。

 父親は、コウヤが産まれてすぐに死んでいた。そっちの方は母から詳しく聞かされていない。ただ、母が父のことを悪くいったことは一度もなかった。だから、勝手にいい親父だったんだとコウヤは思っていた。

 当然のことながら、父が死んだあと母は苦労した。それが新興宗教にハマってしまうきっかけとなり、精神的にも追い詰められた。

 父が残したわずかな遺産は、あっという間に半分を光の教団に搾取され、それでも信仰心は微塵も薄れなかったらしい。お決まりの展開。

 それでも、搾取されたのが遺産の半分ですんだのは、本物の神様が救いの手を差し伸べたからなのかもしれない。

 きっかけは、教団幹部のある言葉だった。


 その日の記憶だけは、なぜか鮮明におぼえている。母に手を引かれ、教団施設内部にある食堂へ朝食をとりにいく途中だった。

 ひとりの教団員が母を呼び止めると、なにやら話し始めた。コウヤは母のうしろに隠れて、じっとそれを聞いていた。

 しばらく会話が続いたあと、その男はいった。

『黒川さん、あなたの息子さんには悪魔がとり憑いている。父親の血が関係しているのでしょう───』

 その瞬間、母は激昂した。

 相手の顔面にこぶしをめりこませたのだ。

 折れ曲がった鼻から流れ出す大量の鮮血。奇声をあげる男を背に、母はコウヤを連れて即座に教団の施設をあとにした。

 そこからの母は凄かった。独身時代のつてをたどり、上京して池袋の近くに部屋を借りた。

 半分になった父の遺産と、シングルマザーに対する国の支援制度をフルに使い、生活を立て直したのだ。

 加えて、ぶっとんでいたのはその立て直しかただった。

 すり減った母の精神では、外にでて働くことは難しかった。そのため母は、せまい部屋のなかで、金を稼ぐ方法を模索した。

 たった一台のPCを使って。

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