第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (8)
カリフォルニア州サンディエゴ中心部から北西へ30kmほどのところに、“ラ・ホヤ”という土地がある。
地名の起源は、スペイン語ともインディアンの言葉とも言われているが、さだかではない。
その海岸と
海岸線に沿って広がる崖は、太平洋の荒波に削られ、壮大な景観を作り出している。
そこへ海風が吹き抜けると、潮の香りが辺り一面に広がり、波の音が静かに響く。
丘の上から見渡せば、遠く広がる海が青く輝き、水平線と空の境界が曖昧になるようだった。
そんな、心が洗われるかのような
小高い丘の中ほどに、二階建ての豪邸がひとつ。
複雑なラインの屋根は、
石材と木材が組み合わせられた外壁は、周囲の自然と調和するような色合いをしている。
大きな窓枠や玄関周りには、手彫りの木製装飾が施されているのが見える。
総じて壮麗であり優雅な、近年流行
また、周囲は木々の緑に囲まれ、眼下の海岸には白い砂浜が点在している。
雄大かつ美しい大自然を、まさに独り占めと言っていいだろう。
そのアイゼンバーグ邸の正面扉から、一人の男が出てきた。
つばの広い帽子。丈の長いダスターコート。
キンダーマン探偵社の捜査員である。
男は、うっそうと茂るカリフォルニアライブオークに囲まれた、丘を登る道を歩いていく。油断なく、周囲に目を配りつつ。
しばらくすると、彼の行く先に、ひと
木陰には何者かの人影が、ふたつ。
それは、ブロンディ・ジョーとエル・ソル。
すでに二人は、アイゼンバーグのもとに、ここまで肉薄していたのだ。
眼光鋭くジョーをにらむ捜査員。
両者の間に緊張が走るも、不意にジョーが笑い出した。
「よう、ケビン。よく似合ってるぜ。ひさしぶりの古巣の衣装だな」
「うるせえ」
捜査員、いや、ケビンと呼ばれた男は、仏頂面で悪態をつく。
そう、ケビンだ。
ジョーが、鉱山の偵察から戻った夜、ひそかにアイゼンバーグの本拠地を調査するよう依頼した、ケビン・レインズである。
なんと彼は豪胆にもキンダーマンの捜査員に変装し、アイゼンバーグ邸に潜入していたのだった。
すると、ジョーが背後へ呼びかけた。
「おい、出てきて構わねえぞ。こいつは大丈夫だ」
その声を受け、木陰から一人の黒人男が、姿を現した。
屍人使いのルイ=ジャン・モローに他ならない。
ただし、身にまとっているのは、昨夜のようなぼろではなかった。
粗末ではあるが、シャツとジャケット、眼鏡に中折れ帽が揃っており、より一層、知性的かつ理性的な雰囲気が際立っている。
ケビンは、ルイ=ジャンには特に関心のない様子で、ジョーの胸を紙の束で叩いた。
「ほらよ。残りの分。屋敷の見取り図と、中にいるアイゼンバーグの部下やキンダーマンどもの情報だ」
「ありがとよ。さすがは“透明人間”ケビン。いい仕事だ」
「ったく、7,000ドルでも安いくらいだぜ」
ケビンの不満げな
と同時に、ジョーが額に手を当て、天を仰ぐ。
ソルは、ジョーに詰め寄り、
「おまえ、まさかガーデンストーンの7,000を渡したんじゃないだろうな」
「あー…… まあ、なんというか、アレだな。そんなとこだ」
視線をそらし、しどろもどろのジョー。
今度は、ソルが額に手を当てる番だ。
「
それを聞いたジョーは、口をひん曲げて、ソルに詰め寄り返した。
「おい、『バカ』ってなあ聞き捨てならねえな。なんの準備もなしに突っ込むなんざ、それこそバカのやることだろうが。これであの屋敷にいる連中を丸裸にできたんだぜ」
「一週間分の部屋代のために7,000ドルか。まるでニューヨークの高級ホテルだ。あのクローゼットなみに狭くて粗末な部屋も、これからは寝心地が違ってくるだろうな」
「嫌味ったらしい野郎だ。ウィニーみてえな言い草してんじゃねえ」
「こんなことなら奴にもっとうまい皮肉を習っておくべきだったよ」
「んじゃな。万が一にも命があったら、また会おうや」
別離の言葉もそこそこに、ジョーたちのもとを離れていった。
歩きながらも、帽子を放り投げ、コートを脱ぎ捨てる。
それに気づいたジョーが、おどけ気味にケビンへ声をかけた。
「おおい、一緒にひと暴れしていかねえか。気持ちいいぜ」
「断る」
振り返りもせず、丘の上に続く道を大股で歩いていく。
三人は遠ざかっていくケビンの背中を見送っていたが、ふと、ルイ=ジャンがジョーに尋ねた。
「今の男、キンダーマンか?」
「
「ふむ。キンダーマンにも、まともな人間がいたのか」
「だが、潜入や尾行に関しちゃ、奴は超一流だ。だから、たまにこうやって仕事を頼む」
そう話しながらも、ジョーは渡された紙の束に目を通していた。
「ふーむ、なるほどな……」
数枚に分けて、邸内の構造が、事細かく書かれている。
一階、二階、地下。
応接室、ダイニングルーム、
さらには、キッチン、ワインセラー、浴室に至るまで。
果ては、アイゼンバーグの執務室や寝室も。
これを書いたケビンは、一体どんな手を使って、ここまで邸内を調べ尽くしたのか。
しかし、ジョーにとって、『どうやって調べたか』などは、さほど重要ではない。
これらを『どう使う』かが、最大の関心事なのだ。
物騒なことや血生臭いことを中心に、頭脳を回転させるジョー。
「ああ、こっちはおめえが持ってろ」
彼は、そう言って、束から別の数枚を抜き取り、ルイ=ジャンへ手渡した。
そして、紙面から、遠く離れたアイゼンバーグ邸へ目を移し、
「にしても、なんだってまた、こんな
と、屋敷の立地にまで、憎まれ口を叩く。
その横で、ルイ=ジャンもまた、屋敷を眺めながら、言った。
「金持ちだから、だろう。小高い丘から見下ろせる海は美しく、素晴らしく眺めがいい。汚い貧乏人も歩いていない。そのうち、他の金持ちたちも、こぞってここに豪邸を建てるようになるさ」
ソルは、彼らとは別に、北の方角へ目をやった。ここから北にはロサンゼルス、サンフランシスコ、サクラメントなどの都市がある。
「いずれは鉄道もここまで伸びる。自分の手で土地の開発を推し進めれば、いずれ高級住宅街“アイゼンバーグ・シティ”が出来上がるかもな。悪党だが、ビジネスのセンスは一流のようだ」
サクラメントは15年以上も前に鉄道が開通し、来年にはロサンゼルスにも到達するらしい。
ここからロサンゼルスまでは200kmほど。蒸気機関車ならば、5時間くらいのものか。
たしかに、未来あるこの地域に目をつけたのは、先見の明と言ってよいのかもしれない。
だが、ジョーは、
「へっ、くだらねえ」
などと吐き捨てるだけ。
都市計画など、なんの興味もない。彼のビジネスは拳銃商売、これ一本だ。
「そろそろ行こうや。アイゼンバーグのビジネスも店じまいの時間だ」
そう言って、二人の肩を叩き、出発を、いや、出撃を急かす。
とはいえ、ルイ=ジャンは、不安げな面持ちで、
「
ジョーは、その言葉を聞くや否や、それまでとは違う、浮かない表情を浮かべた。
彼の胸には、彼女の言葉が、彼女の顔が、彼女の涙が、去来していた。
時は、少し巻き戻り――
夜の闇が最も深い、夜明け前。
コヨーテズ・デンの鉄鉱採掘現場から、南西へ1kmほど離れた岩場。
三方を切り立った岩山に囲まれた野営地点で、ジョーとソルは帰り支度を始めていた。
屍人使いルイ=ジャンを仲間に引き入れた今、一刻も早く、この場を離れなければいけない。
中国人労働者のゾンビは、集落へ移動させ、ただの死体に戻した。
あとは同胞が
それ以外のゾンビは、キンダーマンの捜査員も含め、人の目に触れることのない山奥へ向かわせた。
無償の労働力であるゾンビ。
それを操る屍人使い。
大勢の捜査員。
アイゼンバーグとキンダーマンは、これらすべてを失ったのだ。
大打撃も
しかし、彼らがそれを知ったあとの、犯人への報復もまた
それだけに、ジョーとソルは、急いでいた。
連中が動き始める前に、今度は直接この手で叩くため。
ジョーとソルは忙しく、動き回る。
ソルが馬に荷物を積んでいる一方で、ジョーはかまどを崩していた。
万が一を考え、野営の痕跡を消しておかなければならない。
かまどに使った石や、
そんなジョーに、メイホアが近づき、話しかけた。
「ジョー、これから、どうする?」
「いったんロス・ロボスに戻る。なにかと準備も必要だしな」
「メイホアは?」
「おまえはエスメラルダんとこで、おとなしくしてろ。俺が親父さんとおふくろさんの仇を討ってきてやるよ」
手を止めず、メイホアのほうを見向きもせず、かまどの石を放り続けるジョーであったが、不意に彼の袖をメイホアがつかんだ。
ようやくこちらを向いた、とばかりに、メイホアはジョーの目を見据え、訴えた。
「メイホアも、行く」
言うと思っていた。
ジョーは、ため息をつく。
気持ちはわからなくもない。自分なら、憎き両親の仇をこの目で拝みたいし、できればこの手で殺して仇を討ちたい。
彼女はそこまで過激なことは考えていないかもしれないが。
それはそれとして、これから攻め入るのは敵の本拠地である。修羅場、鉄火場である。
自分の命さえ守れるかどうかも不確かなのに、子供の命を守りつつ戦うなど、どだい無理な話なのだ。
であれば、絶対に連れていく訳にはいかない。問題外だ。
この子を、危険な目に遭わせたくない、死なせたくないのだから。
メイホアの手を払い、また石を持ち上げ、放り捨てる。
「馬鹿抜かせ。ここに連れてきたのも後悔してるんだ。危うく死ぬとこだったんだぞ」
「やだ! メイホア、一緒!」
と、彼女は口をとがらせ、ふたたびジョーの手を取る。
この娘、やはり元来の性格が気の強い、頑固者のようだ。
しかし、それがジョーの怒りに火をつけてしまった。
「いい加減にしろ! ガキが出る幕じゃあねえんだ!」
岩場に響き渡らんばかりの怒声。
メイホアは驚きと恐怖でびくりと身を震わせ、ソルとルイ=ジャンは手を止めて二人のほうへ目を向けた。
メイホアはもう、なにを言うこともできずに、震え上がっている。
彼女の父親は、感情をむき出しにして、娘を怒鳴ることなどなかったのかもしれない。
それとも、白人は恐怖の対象でしかない、というこれまでの認識を思い出したのか。
見る見るうちに、彼女の瞳に涙があふれていく。
ジョーは、悔恨の念の中、立ち尽くし、唇を噛み締めるしかない。
そんな二人のもとに、ソルが歩み寄った。
そして、うつむいて涙をこぼすメイホアのそばで、膝を突いた。
「おまえは利口だ。連れていけない理由はわかっているだろう」
メイホアは黙りこくったまま。
ただ
ソルは、言葉を続けた。
「だが、連れていけない代わりに、ジョーはこれからもずっと、おまえと一緒にいてくれる」
メイホアの顔が少し上がり、ソルと視線が交わる。
「ずっと、一緒……?」
「そうだ。おまえが大切だからだ。大切だから、怒りもする」
「大切……」
そうつぶやき、恐る恐るジョーを見上げるメイホア。
ジョーは、ぐいと帽子を傾け、
「
メイホアにわからぬよう、スペイン語で話す。
ジョーは、卑怯である。
ソルは、鼻でため息をつき、立ち上がった。
そして、ジョーをまっすぐに見つめ、
「
ジョーは、答えない。
ただ、「ルピータは……」とひと言だけ。
帽子の影に隠された瞳は、メイホアを映していた。
時は、ふたたび現在へ――
カリフォルニア州。海辺の丘、ラ・ホヤ。アイゼンバーグ邸。
執務室の大きな窓から見えるのは、
斜陽が水平線に迎え入れられようとしている。
そんな
皆は、マホガニー製の大きな
無論、トバイアス・アイゼンバーグ、その人である。
彼の前には、側近のイーライ・ホフマンが立っており、その後ろにも数名の部下たちが続いている。どの顔も
また、脇にはキンダーマン探偵社の上級捜査員ウィリアム・ジョーンズと、彼の子飼いの捜査員たちも控えていた。
アイゼンバーグが、口を開いた。滝のような汗を浮かべるイーライをにらみつけながら。
「説明しろ。私の鉱山で、なにが起きている」
イーライは、手にしたハンケチで額を
「そ、そっ、それが、その…… ハイチ人もゾンビも、どこかへ消えてしまいました。キ、キンダーマンの連中もです……」
「なぜだ。誰の仕業だ」
「わ、わかりません……」
「夜の採掘作業はどうなる」
「はあ…… そ、それは……」
言葉が続かない。彼にもわからないからだ。
ふと、アイゼンバーグがデスクの引き出しを開けた。
その中には、数え切れないほどの札束が入っていたが、一番上にはまるで
アイゼンバーグは拳銃を取り出すと、椅子から立ち上がり、イーライのほうへ歩みを進めた。
絶望に顔を歪めるイーライ。
「トッ、ト、トバイアス……! やめて……」
「イーライ――」
一発の銃声のあと、胸を押さえたイーライが、くぐもった声を上げて倒れた。
「――おまえはクビだ」
侮蔑の目で、イーライを見下ろす。
彼はもう動かない。
アイゼンバーグは、拳銃を
そして、突如、拳をデスクに激しく叩きつけ、残った部下たちに命じた。
「ニガーの女とガキを殺せ! 今すぐだ!」
「は、はいっ!」
まるで生きた心地がしない彼らは、大急ぎで執務室を飛び出していった。
まだまだ収まらないアイゼンバーグは、そのまま大股でジョーンズに歩み寄る。
「ジョーンズ上級捜査員。私は君をどうするべきかな」
「こっちも捜査員を大勢、失った。事はキンダーマン探偵社全体の問題になり始めている」
ジョーンズは、恐れる様子も悪びれる様子もなく、淡々と事実を述べる。
こちらはこちらでやるべきことをやる、とでも言わんばかりだ。
激情にかられたアイゼンバーグは、人差し指を彼の胸に一度、二度と突き刺すように押し当て、激しく罵った。
「ならば、とっとと犯人を捕まえてこい!」
その時、ジョーンズが素早くアイゼンバーグの人差し指を握った。
「くっ……! な、なにを……!」
それは凄まじい力だった。
本来曲がってはいけない方向に少しずつ、ミシミシと人差し指が曲げられていく。
あまりの苦痛に、うめき声を上げて身悶えするアイゼンバーグ。
ジョーンズは、その様子をただジッと見つめている。
まるで、捕らえた得物を観察する、肉食昆虫を思わせる仕草だ。
「キンダーマン探偵社はアーロン・コーエン氏から莫大な金額の支援を受けている。それに比べれば、君が支払っている金なんぞ、はした金にもならんゴミだ」
抑揚のない口調。感情がかけらもこもっていない、罵り言葉。
さらに、なんの特徴もない顔をアイゼンバーグに近づけ、なんの表情も浮かべず、
「君はコーエン氏ではない。神でもなければ、私のボスでもない。君は、コーエン氏の、つまらん使い走りだ」
それから、手を離した。
アイゼンバーグは尻もちをつき、指を押さえながら、非難の声を上げた。
「お、おっ、おまえの上司に報告してやる! 私は
冷酷に部下を撃ち殺した彼と同じ人物とは思えぬ、ひ弱な甲高い声だ。
目にはうっすら涙がにじんでいる。
それまでの威厳はどこへやら、である。
彼がふらふらと立ち上がり、さらなる
突然、階下から銃声が響いてきた。
それもひとつやふたつではない。
明らかに銃撃戦を思わせる、
しかも、それは外からではなく、屋敷の中から聞こえてくる。
銃撃戦? この屋敷内で銃撃戦? 理解が追いつかない。
身体に与えられた苦痛と、不測の事態。
恐慌をきたしかけたアイゼンバーグは、部下が一人もいない執務室で、部下に報告を求めた。
「なにごとだ! なにが起きている!」
返事などある訳がない。
キンダーマンの捜査員の中には、冷笑を浮かべる者もいた。
そうしているうちに、ライフルを持った部下が、息せき切って執務室に飛び込んできた。
「報告します! 邸内に
「賊だと!? 一体どこから入った! 警備はなにをしていたんだ!」
「そ、それが、気づいた時には、邸内に…… 警備の連中やキンダーマンが応戦していますが、押されています……!」
「目的はなんだ! 何者だ!」
ヒステリックな声を上げるアイゼンバーグ。
その横では、ジョーンズが、ほんのわずかに口角を上げ、
「白人とメキシコ人、それにハイチ人、といったところかな」
などと、つぶやいたのち、捜査員たちに声をかけた。
「おまえら、私と来い」
ジョーンズを先頭に、キンダーマン探偵社は、執務室をあとにした。
疑問の叫びを上げるしか能のない、アイゼンバーグを残して。
——続く
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