第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (7)

 山々に響き渡る爆発音のあとに訪れた、静寂。

 そう長くない時間の経過と共に、徐々に土煙が晴れていく中、爆発のもたらした破壊力が明らかになった。

 爆心地には、バラバラにちぎれたゾンビの頭部や胴体、手足が散乱している。

 群れの前方や外側にいたゾンビも、すべて地面に倒れていた。

 どのゾンビも、立って歩き回るどころか、身動きひとつ取っていない。

 元はと言えば、術者をあぶり出すためのものなのだから、予想以上の成果と言っていい。


 そして、そこからさらに15ⅿほど離れた場所では、ジョーとウィンストンが地面に伏せ、頭を抱えていた。

 打って変わった静けさに、恐る恐る顔を上げる二人。

 どちらも、頭からつま先まで土煙で真っ黒に汚れ、肌の露出している部分は大小様々な傷を負っている。

 ウィンストンの自慢の背広服などはめちゃめちゃだ。これではサンフランシスコの仕立屋したてやでも、中国人の洗濯屋でも、突き返されるに違いない。

 二人は、ふらふらと立ち上がり、痛みに耐えつつ、服の土ぼこりを払う。

 精根尽き果てた様子のウィンストンが、

「やはり無事では済まなかったじゃないか……」

 となげくも、ジョーはまだまだ強気に、

「命があるってことは無事に済んだってこった」

 などと言い張る始末である。


 並び立つ二人は、あらためて爆発の爪痕つめあとに目をやった。

 周囲は見渡す限り、動くものの影はない。

 時間が停まったかのように、ただ静寂だけが残っていた。

 ウィンストンは安堵の色を浮かべ、

「見事なものだな」

 と、目の前の光景を眺めていた。

 だが、ジョーは眉をひそめ、独りごちる。

「なんか妙だな……」

 そう。この光景が、ある種、奇妙なものだと気づいてしまった。

 いくらダイナマイトとはいえ、80を超える数のゾンビを、すべて行動不能にできるものだろうか。

 五体が砕け散り、肉片になったゾンビが、動こうとしても動けないのはわかる。

 しかし、群れの前方や外側にいた、ただ吹き飛ばされただけのゾンビまでもが、動きを止めている。

 自分たちの近くにいたキンダーマンのゾンビですら、立ち上がる気配はない。

「どいつもこいつも動かねえってこたぁ、術者をったか……?」

 ジョーは、そうつぶやくと、ソルがいるであろう方向へ歩き出した。

 ウィンストンも慌てて、

「あ、おい、待ちたまえ。ジョー」

 と、あとに続く。


 すべてのゾンビが地に倒れ伏す中、歩みを進める二人。

 すると、少し先、坑道入口の近くに、二つの人影が見えた。

 影は、半ば周囲の闇に溶け込み、その容貌ようぼうは黒く染め上げられている。

 やがて、厚い雲から顔を出した月の光が、二人の人物を浮き彫りにした。

 一人は、山刀マチェーテを引っさげ、佇立ちょりつするソル。

 その顔は不自然なほどに綺麗なものだった。血も土ぼこりもない。

 ジョーら二人よりも爆心地に近く、かつ伏せることなく全力疾走していたにもかかわらず、だ。

 そして、もう一人。

 いや、違う。いるのは、二人だ。

 術者の黒人男が、小柄な少女を羽交はがめにしているのである。

 その少女を見るなり、ジョーは目を見開き、叫んだ。


「メイホア! なんで来たんだ!」


 なぜ、こんなところに。隠れていろと言ったのに。

 爆発に巻き込まれなくて、よかった。

 あの馬鹿、尻をひっぱたいてやる。

 どうすればいい。あの子を救うためには、どうすればいい。

 もう、死なせたくない。

 頭蓋ずがいの中で、あらゆる思考が、ぐるぐると渦を巻く。


 術者の腕の中で、メイホアは震え、泣いていた。

 涙に濡れる瞳を、一直線にジョーへ向けて。

「ごめんなさい、ジョー…… メイホア、爸爸バーバ媽媽マーマ、会いたい…… ジョー、心配……」

 彼女の泣き顔。

 それを見ているだけで、ジョーの胸に、ある記憶がよみがえる。

 幸せで悲しい、喜びと苦しみの記憶。

 その記憶が、メイホアの顔に、別の少女の顔を重ね合わせた。

 メイホアよりも幼い、浅黒い肌に青い瞳を持つ少女の顔を。

「なんで、こう、ガキって奴ぁ……」

 ガシャリという音を立て、彼の足元にライフルが落ちた。

 さらに、右腰のホルスターからゆっくり拳銃を抜き、やはり足元へ捨てる。腹部のホルスターに収められた拳銃も、同様に。

 こちらに戦意はないと示すため。メイホアを無事に解放させるため。

 今のジョーには、こうするしかなかった。

 ウィンストンも、とても納得がいくとは言えない表情で、ライフルと拳銃を捨てる。


 その様子を見ていたソルもまた、山刀を放り捨てた。

 彼ら二人と同じ丸腰になった、と見せかけるため。

 そして、両手をぶらりと下げ、背筋を伸ばす。少しく前に出した左足に重心を乗せ、やや半身はんみに。

 ナイフを抜き投げする際の姿勢だ。

 ソルは、一切視線を動かさず、ひそかに自分と術者をへだてる距離を測る。

(たった6m…… 簡単だ……)

 この間合いなら、メイホアを人質に取っていようと、術者の眉間に命中させるのは造作ぞうさもない。並みの拳銃使いの抜き撃ちより、早く投げる自信だってある。

 だが、ソルの脳裏には、ある疑問が湧いていた。

 この男にそれをして・・・・・・・・・いいものか・・・・・

 おそらくは、自らこんな状況を招いた・・・・・・・・・・・この男に・・・・

 術者は油断なく、彼女の顔を、己の顔の前へ引き寄せる。

「ナイフ使い、下手な真似はするな。この子がどうなってもいいのか」

 彼の言葉に、ソルはフッと鼻で笑った。よく見ている。

 二人のやり取りを見つめるジョーは、握り締めた両の拳を震わせ、立ち尽くしていた。

 その震えは、酒が切れたせいではない。

「や、やめろよ、ソル…… メイホアが殺されちまう……」

 哀願にも似た響きを含む声の調子は、演技ではない。

 ウィンストンも、この状況では、口を閉じて首を横に振るしかない。

 ソルは、鼻でため息をつき、

(ならば……)

 と、術者に尋ねた。

「なにをした」

「なにがだ」

 問いが簡潔すぎて、なんのことについて聞いているのか、術者にはわからない。

 ソルは、術者とメイホアを指差し、もう一度聞き直す。

「俺もおまえも、その子も、ほとんど無傷だ。なにをした」

 その問いに対する、術者の答えは、冷静かつ明確なものであった。

「爆発する直前に術を解き、最後方にいる20人ほどで固く壁を作ったのだ」

 なるほど、とソルは少しの感心を覚えた。

 解除と再発動のスピード、操作の精密性、戦術的な思考。

 呪術師として、高度な技術と、すぐれた才能を備えている。

 それに、汚い身なりに反して、言葉遣いには知性と理性を感じる。

 一体、何者なのか。

 そんなソルの思惑を知ってか、知らずか。

 術者は、メイホアを捕える腕に、ひと際力を入れた。

「ひいっ」という、か細い悲鳴が、彼女の口から漏れ出る。

 そして、表情ひとつ変えず、

「今度はこの子が、君たちから身を守る壁だ」

 と、ソルに言い渡した。


 そうしているうちにも、術者のもとへ、ふたたびゾンビが集まりつつあった。

 うなり声を上げながら、緩慢な足取りで、ジョーとソル、ウィンストンを取り囲んでいく。

 その数、およそ15体といったところか。己の能力の許容範囲内で、完璧に操りきれる数であろう。

 ウィンストンは、天を仰ぎ、目を閉じた。

「これで一巻の終わり、あの世行きか。私も息絶え、創造主のみもとに戻る時が来たようだな。数分後にはエクスウィンストン・サムナーだ」

 やけに語彙ごいの豊富な死の覚悟だが、それを褒める者も笑う者も、この場にはいない。

 ゾンビは、腐った肉の臭いを漂わせながら、徐々に包囲の輪を狭め、三人に迫る。


 すると、その光景を見ていたメイホアが、

爸爸バーバ…… 媽媽マーマ……」

 と、身をよじらせ、前へ手を伸ばした。

 それに気づいた術者は、腕にさらなる力を込め、

「動くんじゃない。おとなしくしろ」

 と、釘を刺したが、メイホアには聞こえていないようだ。

 繰り返し「爸爸、媽媽」という言葉を発しながら、必死にもがき、手を伸ばし続けている。

 術者は、意外な抵抗に手を焼きつつも、彼女が伸ばす手の先へ、目を向けた。

 二体のゾンビ。中国人の男女。どちらも中年と思われる容貌。

 ふたたび、メイホアのほうへ目を移す。

 男女のゾンビをまっすぐに見つめ、ますます涙をあふれさせている。

 術者は、はっと思い至った。

「まさか…… 親子か……」


 親子――


 その事実は、術者を激しく動揺させた。

 落ち着きなく視線を動かし、口元が震えている。明らかな混乱の表情だ。

 冷静にソルと対峙し、ゾンビを操っていた彼の姿は、もうどこにもない。

 術者は、うめくような声で「ソフィー……」と口走り、そのままぎゅっと目を閉じてしまった。

 直後、ジョーら三人を取り囲んでいたゾンビたちが、操り人形の糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。一斉に、一人残らず。

 同時に、メイホアを押さえつける術者の腕から力が抜け、彼女の身体が地面へ投げ出される。

 それを見たジョーが、素早く足元の拳銃を拾い上げた。

 すぐにソルは、

撃つなノ・ディスパーレス! ジョー!」

 と叫び、彼のほうへ、手のひらを向けた。

 その時には、ジョーの拳銃は術者に狙いをつけ、すでに引金には指がかかっていた。

 発砲していないのは、ソルの声で反射的に指が止まっただけのようだ。

 続けて、ソルが「メイホア、ジョーのところへ」と、彼女に声をかける。

 見れば、術者は地面にへたり込み、がっくりとうなだれていた。メイホアを追う様子も、魔術を再発動する様子もないようだ。

 ジョーは、殺意充分な銃口を、下げざるを得ない。

 自由を得たメイホアは、ジョーのもとに駆け寄り、

「ジョー!」

 という、喜びとも感激ともつかない声を上げ、身体ごと彼に抱きつく。

 彼もまた、メイホアをしっかと抱きしめた。全身の力が抜け落ちそうなほどの安堵と共に。

「メイホア、大丈夫か? 怪我はないか?」

 つい先ほど、ソルが「ほぼ無傷」と話していたのに、彼女の無事を心配し、身体をさすっている。そんな言葉も耳に入らないほど、余裕がなかったのであろう。


 他方、ソルは、拾い上げた山刀を腰に収め、術者の前に立ちはだかった。

 彼が戦意を失っているのは明らかだった。

 いや、戦意だけではなく、何か行動しようとする意欲そのものを、失ってしまったように見えた。

 抵抗も、命乞いも、逃げることすらもせず、ただその場に座り、うなだれているだけである。

 ソルは、いくつかある疑問のひとつを、彼に投げかけた。

「なぜ術を解いた。あの子がなにか関係あるのか」

 術者は、ソルには目を向けず、

「解いたのではない。集中力を持続できなかっただけだ」

 自嘲じちょうめいた薄笑いを浮かべながら、そう答えた。

 それを額面通りに信じるソルではない。

「俺には、そうは思えないな。さっきのゾンビの壁も、自分のためじゃない。近づいてきたあの子を爆発から守るためだろう」

「……」

 黙して答えぬ、術者。

 彼を見下ろすソルの目からは、もはや敵意は消え去っていた。

 ソルは、言葉を変え、こう尋ねた。

「抱きかかえて守るだけでは、不安だったか?」

 術者は、はっと目を見開き、顔を上げた。

 真意を見抜かれていた。

 人質に取るためではない。爆発から、あの子の身を守るため。

 それでも、ややしばらく彼の沈黙は続いたが、やがて、

「……娘のことを、思い出した」

 とだけ、まるで絞り出すように言った。

 ソルは、片膝を突き、へたり込む術者と、目線の高さを同じくする。

「名は?」と、ソルが短く尋ねる。

「ルイ=ジャン・モロー」

 フランス系の名前である。

 ブードゥー教の秘術を使う黒人であり、おそらくはハイチ系。

 それが、フランス系の名前を持ち、しかも一定の教養を身につけている。

 ソルは、自分の持つ知識に照らし合わせて、おぼろげながらルイ=ジャンの境遇がわかりかけてきたような気がした。

 次の問いもまた短く、

「ルイ=ジャン。一体、なにがあった」

 その言葉に、ルイ=ジャンは怪訝けげんな表情を浮かべた。

「君たちはなにも知らないのか? 見ての通り、ゾンビに採掘作業をさせるため、製鋼会社の人間に無理やり連れてこられたのだ」

 そこへ、横合いから、ジョーが口を挟んだ。

「へえ、わざわざハイチから船に乗せられてか?」

 そんな、いまだに敵意を隠さない、混ぜっ返すような言葉にも、ルイ=ジャンは真摯しんしに答えた。

「私は生まれも育ちもニューオーリンズの、アメリカ人だよ。それに、ハイチ系ではあるが、フランス系との混血だ」

 無言のウィンストンが、ジョーの胸を肘で小突こづく。ジョーも、ややバツの悪そうな顔だ。

 ソルは、ジョーをひとにらみしたのち、ルイ=ジャンをうながした。

「続けてくれ。事情を知りたい」

「私はクレオールだ。戦前は大学の医学部で教鞭きょうべんっていた。今ではこのザマだが」


 クレオールとは、フランスなどの植民地時代に生まれた、白人と黒人やインディアンなどの混血の人々のことであり、彼らはルイジアナ州で独自の文化を築いた。

 彼らの中には、自由身分有色人種として、奴隷制度が存在する中でも法的に自由を認められ、比較的裕福な暮らしを送り、教育や職業の機会を得た者もいたという。

 しかし、このアメリカを南北二つに分けた内戦シビルウォーののちには、社会変動の影響から、かつての地位を失い、多くは経済的没落のき目に遭ったそうだ。


 ソルの知識にあるクレオールとは、まずはこんなところである。

 ルイ=ジャンの口ぶりからして、彼もご多分に漏れぬ浮沈ふちんを余儀なくされたのであろう。

 それでは、裕福な生活を送る自由有色人種の医師が、何故屍人使いとなったのか。

 ソルは、ルイ=ジャンの話に、耳を傾け続ける

「あの頃の私は、生業なりわいである医学とは別に、祖先の文化や信仰を個人的に研究していた。ハイチ系としての、自分のルーツに興味があったからだ。しかし、研究を進めるうちに、ブードゥー教の秘術、というものに行きついてしまった」

 それを聞いたソルが、ピクリと反応した。

「“ゾンビ”か」

 ルイ=ジャンはうなずき、話を続けた。

 それは、悔恨や懺悔ざんげの意味も含んだ、彼の半生における“告白”に他ならなかった。


「若かった私は、秘術に魅せられてしまった。荒唐無稽こうとうむけいで、非科学的で、倫理にもとる、それでいて人知を超えた、まさしく神秘の魔術に」


「やがて、己の力だけでは不可能な段階に至り、信用できる教え子の一人を助手として雇って、手伝わせた。とても他人には言えぬ、罪深いことを」


「研究に研究を重ね、実験に実験を重ね、そして……―― 秘術は、本物だった……」


「恐ろしくなった私は、すぐにそれまで知り得たすべてを破棄した。このことは一生黙っていようと思った。事実、誰にも秘密にした。友人にも、恩師にも、妻子にも。助手には『口外してはならない』と、きつく言い聞かせた」


「あれから十数年が経った。秘術を示すものは失われ、教職も追われた。なにもかもが過去となり、消え去ってしまった、と思っていた。しかし……」


 ソルは、首を小さく横に振り、

「その先は聞かなくてもわかる」

 ジョーも、珍しく神妙な顔つきで、

人の口に戸は立てられねえピープル・ウィル・トーク。特に金になるとくりゃあな。ろくでなしの元助手がおめえを売ったのも、よくある話だ」

 ルイ=ジャンは、肩を落とし、うつむいた。

「突如、製鋼会社の人間とキンダーマン探偵社が家にやって来て、私を殴り倒し、妻と娘を拉致した。そして、『ゾンビを操って鉄鉱石を掘れ。やらなければ女房子供は殺す』と…… 逆らえるはずもなかった……」

 彼の目からは、涙がこぼれ落ちている。

 罪と慚愧ざんきの過去。転落の人生。有色人種への差別。父として、夫として。

 そんなものが詰まった涙、とでも言おうか。

 ソルは、しばし沈黙し、彼が嘆くにまかせていたが、そのうち、

「製鋼会社の人間、と言ったな。トバイアス・アイゼンバーグだな?」

 と、尋ねた。あまり遠慮ばかりもしていられない。

 ルイ=ジャンは、心を落ち着けようとしているのか、懸命に歯を食いしばっている。

 自身でも、泣いてばかりはいられぬ、と思い直したのだろう。

 やがて、涙をぬぐって、「そうだ」とうなずき、

「だが、正確ではない。アイゼンバーグの製鋼会社は、巨大な企業合同トラストの一部に過ぎない。そのトラストを支配しているのは、アーロン・コーエンだ」

 その名が発せられた瞬間、ウィンストンは驚きの声を上げた。

「アーロン・コーエン? あの泥棒男爵ロバー・バロンか?」

 どうやら、かなりの有名人のようだ。

 ソルも、わずかに目を見開き、薄く口を開けた。滅多に見られない、彼の驚きの表情だった。

 ただし、ジョーだけは、ピンと来ていない様子だ。

「あん? 何者なんだ。その、アーロン・コーエン、ってのは」

 ウィンストンは、呆れ果てたとばかりに両手を広げ、眉をひそめる。

「そんなことも知らんのかね。新聞くらい読みたまえ」

「うるせえな。大きなお世話だ。いいから、とっとと教えろ」

「鉄道、鉄鋼、金融など多角的な事業を営む、ドイツ系ユダヤ人の実業家だよ。賄賂と脅迫で、州知事や上院議員、司法省にも顔が利く。合衆国で一番の財力と、大統領並みの権力を持つ男さ」

 ウィンストンが話を大袈裟おおげさにしているのでなければ、とんでもない大物である。

 自身の地元で、ある程度の権力や特権を持つ実業家は、珍しくない。その地方を潤している見返りのようなものだ。市民は気を遣い、首長や法執行機関もそれなりの配慮、斟酌しんしゃくはするだろう。

 しかし、その力が合衆国全土に及び、国家の中枢にまで影響しているとは。

 もっとも、それを聞いたジョーは、

「おう、めっぽうおっかねえのが出てきたな」

 などと、さもおかしげにはしゃいでいる。

 その様子とは正反対の、真剣な面持ちなのは、説明をしていたウィンストンだ。少し血の気が引いているようにも見える。

 話しているうちに、コーエンの恐ろしさを再認識したのだろう。

 ついには、

「ジョー、ソル。すまないが、私は降りる。彼は私たちの手に負える相手ではない」

 などと、弱気な発言が飛び出した。

 ジョーへの借りから、利害の一致や損得勘定を超えて、この戦いに付き合っていたが、それも限界を迎えたようである。

人生はとても短いんだライフ・イズ・ベリー・ショート。コーエンを敵に回して、ただでさえ短い人生を、さらに縮めたくはないからね。故郷ロンドンに置いてきた妻子に会えなくなるのは困る」

 そこまで言うと、すぐに、ルイ=ジャンのほうを向き、

「ああ、すまない、モロー君。君の現状を考えない発言だった。許してくれたまえ」

 と、頭を下げた。

 ジョーとソルの二人としては、唯一手を貸してくれていた腕利きが、ここで脱落するのは、正直に言って痛手だ。戦力の三分の一を失う以上の損失と言える。

 とはいえ、ジョーの口からは、罵りや恨み言のたぐいは出てこなかった。

 むしろ笑顔を浮かべて、ウィンストンの肩に手を置き、

「いいさ。よくやってくれたよ。これでおまえとは貸し借りなしだ」

 と、ここまでの協力をねぎらった。

 ウィンストンもまた、ジョーの肩に手を置く。

 これが、西部に生きる男たちの流儀、というものなのであろう。




 “英国人イングリッシュ”ウィニーは、去った。

 ここからは、ブロンディ・ジョーとエル・ソル、奇妙な二人組の仕事である。

 まずは、とばかりに、ジョーがルイ=ジャンのかたわらへ、しゃがんだ。

 ジョーは、うつむく彼の顔をのぞき込み、

「おめえには少しばかり付き合ってもらうぜ」

 そう言って、なぜか少し親しげに、彼の肩に手を回した。

 意図の見えぬ言葉に、ルイ=ジャンは困惑の表情を浮かべるしかない。

「なにをさせるつもりだ」

 殺されるのは覚悟していた。

 法執行機関が、ゾンビなどというものを、信用する訳がない。

 そうなれば、この始末をつけるには、己の死以外はありえないからだ。

 しかし、この酒臭い男は、とんでもないことを言い出した。

「俺たちゃ、これからアイゼンバーグをぶちのめしに行く。その手伝いをしてもらうんだよ」

「なんだと……?」

 ルイ=ジャンは、我が耳を疑った。

 この男は、アイゼンバーグのもとへ、殴り込むと言っている。

 キンダーマン探偵社を雇い、あの・・アーロン・コーエンを後ろ盾にしている、アイゼンバーグの本拠地へ。

 およそ理解の範疇はんちゅうを超えた行動だ。正気ではない。

「き、気はたしかなのか。コーエンが関わっていると知って逃げ出した、あの英国人のほうが、よほど賢明だぞ」

「バックにいるのが誰だろうと関係ねえ。俺ぁ、アイゼンバーグの野郎に自分てめえがやったことの落とし前をつけさせなきゃあ、気が済まねえんだよ」

 落とし前。

 気が済まない。

 まるでチンピラやギャングの言い草だ。

 ただの少しも合理的ではない。

 ルイ=ジャンには、そんな無法者めいた思考など、かけらも理解できなかった。

「愚かな…… 君になにができる? 身の程を知らぬ真似は――」

 突如として、ジョーがルイ=ジャンの首根っこをつかんだ。

 そして、強い力で、ある方向へ、彼の顔を向けさせる。

「見ろ!」

 視線の先には、メイホアの姿があった。

 両親の死体の前に座り込み、泣き濡れる彼女の姿が。

 最愛の者を奪われ、己にできることはなく、ただ涙を流すしかない、か弱い存在だ。

 ルイ=ジャンの心は痛んだ。

 屍人使いは、屍人ではない。生きて、人の心がある。

 妻子を持つ身であれば、人の親であれば、なおさらだ。

 彼の胸を、良心の呵責かしゃくという人間らしさが、深くえぐっていた。

 たまらず顔をそむけるルイ=ジャンの耳元で、ジョーが静かに、しかし、怒りを込めた低い声で言った。

「事情があったとはいえ、おめえはあの子の両親を殺す片棒をかついだ。罪はつぐなってもらうぜ」

 ルイ=ジャンは少しの間、言葉もなく、うつむいていたが、

「わかった……」

 と、小さくうなずいた。

 快諾とは言えぬも、とにかく協力を取りつけたジョーは、機嫌よく、

「ようし、そうこなくっちゃなあ――」

 彼の肩をポンポンと叩き、こう続けた。

「――その代わり、おめえの女房と子供は、俺たちが必ず救い出す」 

 その言葉に驚いたルイ=ジャンが顔を上げた時には、ジョーはすでに立ち上がっていた。




                                 ——続く

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