第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (4)

 時は少し巻き戻り――


 時刻は午後九時を回り、宵闇よいやみがコヨーテズ・デンを、すっかり覆い隠していた。

 風のとコヨーテの遠吠え以外、なにも聞こえてこない。

 国家の原動力の中を深く掘り進む男たちも、姿を消した。

 この夜の鉱山を支配しているのは、暗闇と静寂だけである。


 そんな採掘現場を見下ろせる岩山の陰に、エル・ソルがいた。

 彼は、待っている。

 夜の闇の中、この場所が、まがまがしい真の姿を現す瞬間を。


 すると、妙な音が風に運ばれ、ソルの耳に入ってきた。

 ソルは耳をすます。

 それは、引きずるような足音。

 それは、不気味なうめき声。

 ひとつやふたつではない。

 やがて、鷹の視力を持つソルの目が、この世のものとは思えぬ光景を捉えた。

 ライフルを手にした数人の男を先頭に、五、六十人の集団が採掘現場に向かって、歩いてくる。

 土気色の肌。

 どこを見ているのかわからない、濁った瞳。

 ボロボロの、砂にまみれた衣服。

 ふらふらとした足取り。


 死者が歩いているデッドマン・ウォーキング

 生ける死者が。

 死者たちの行進だ。


 ソルは、わずかながらに目を見開き、

(やはりな。ブードゥーのゾンビか)


 “ゾンビ”

 ハイチに伝わるブードゥー教の秘術により、死からよみがえった、生ける死者である。

 墓から掘り起こした死体に、ブードゥー教の司祭ボコが術をかけ、意のままに操るのだ。

 ハイチでは、主として農園の作業に従事させられる。

 食事も睡眠も必要とせず、生者では出せぬ怪力を有するゾンビは、人間の奴隷よりもはるかに優秀な働き手であろう。


 先頭のライフルを持った男たちは、揃いの帽子とダスターコート。

 キンダーマン探偵社だ。彼らが夜の監督員・・・・・か。

 彼らは、テントや坑道の出入口のランタンに、灯りをともしていく。

 そして、ゾンビたちは、つるはしやかごを手にし、ぞろぞろと坑道の中へ入っていった。

 たりと小さくうなずくソル。

(なるほど……)

 薄々勘づいてはいたが、やはりそうだった。

 ゾンビに採掘作業をさせているのだ。

 昼間は人間の労働者。

 夜は事故死や病死した労働者のゾンビ。

 秘密裏に行われているので、ダイナマイトを使う訳にはいかないが、疲れを知らないゾンビが、人間の限界を超えた腕力で、つるはしを振るうのだ。

(採掘量は、単純に倍。ゾンビならば賃金を払う必要もない。アイゼンバーグは笑いが止まらないだろうな……)

 坑道の出入口からは、鉄鉱石でいっぱいの籠を抱えたゾンビが、次々と出てくる。

 普通の人間では持ち運べないほどの、大量の鉄鉱石を抱えて。

 キンダーマンの探偵たちは、時折あくびをしながら、それを眺めている。

 人間を監視するように気を張らなくていいせいか、のんきな仕事ぶりである。

 しかし、岩場の上にいるソルは目をこらし、ゾンビたちの働く現場を、すみから隅まで注視していた。

(どこだ…… 術者はどこにいる……)

 “術者”とは、このゾンビたちを操っている者のことだ。

(これだけの数のゾンビだ。術者は近くにいるはず……)

 それにもかかわらず、らしき人物は見当たらない。

 そうしているうちに、現場に続く道の向こうから、複数のひづめの音と、車輪の回る音が響いてきた。

 ほどなくして現れたのは、四頭立ての馬車だった。

 馬車が停まり、見張り役の手によってドアが開けられ、中から白人の中年男性が降りてきた。

 高級そうな背広服に身を包み、ステッキを手にしている。

 指輪やカフスには、大きな宝石。よほどの金持ちか。

 だが、裕福な紳士といった身なりに反し、顔に浮かぶ表情は、不機嫌で、尊大で、威圧感に満ち満ちたものだった。

(あの男、アイゼンバーグか……?)

 見張り役の案内で、男はひと際大きなテントの中へと、姿を消した。

 ソルが、鼻で短くため息をつく。

 顔が見えているのならば、唇を読むこともできたのだが。


 テントの中には、三人の男たちがいた。

 一人は、馬車から降りてきた男。

 中へ入るなり、まっすぐに椅子へ向かって歩き、そこに腰を下ろした。

 もう一人の男が、気弱そうな、不安に満ちた笑顔を浮かべ、彼に近づく。

「トバイアス。ご足労いただき、ありがとうございます」

「イーライ。コーヒーだ」

 やはり、ソルの見立ての通り、トバイアス・アイゼンバーグ、その人である。

 イーライと呼ばれた男は、その態度、背広服という服装からして、彼の部下であろう。

 アイゼンバーグは、残る一人の男に、尋ねた。

「さて、ジョーンズ上級捜査員。この私をわざわざここまで呼びつけた理由を聞こうか。視察なら二週間前に済ませているぞ。昼も、夜もだ」

 彼もまた、キンダーマン探偵社の一員であった。

 ただし、揃いの帽子やコートではなく、どこにでもある中折れ帽と背広服、という姿恰好だ。

 ついでに言えば、その顔も、なんの特徴もない平凡なものだった。

 一度見ただけでは忘れそうなほど、なんの印象も残らない人物。

 そんなジョーンズ上級捜査員は、無表情で、

「中国人の監視に当たらせていた部下が三人、殺された。コヨーテズ・デンから西に10kmほど行ったところに転がっていたよ。全員、撃たれてな」

「どういうことだ」

「中国人を何人か痛めつけたら、ようやく吐いた。白人とメキシコ人の二人組が、この鉱山について嗅ぎ回っているようだ」

「何者なんだ、そいつらは」

「さあな、わからん。保安官の類ではないことは確かだが」

 突如、アイゼンバーグは立ち上がり、ジョーンズを指差した。

「おい、なんのためにおまえらキンダーマンに高い金を払っているか、わかっているのか」

 そのままジョーンズに歩み寄り、突き刺すがごとく人差し指を、彼の胸に押し当てる。

「必ず探し出して殺せ。ここでやっていることを、司法省や他の企業に知られる訳にはいかないんだ」

「了解した」

 と、短く返すジョーンズ。

 特段、焦っている様子も恐れている様子もない。

 むしろ、焦るのも恐れるのも、アイゼンバーグのそばに控える、イーライの役目だろう。

 彼は、アイゼンバーグに、おそるおそる声をかける。

「ああ、トバイアス。そのことなんですが……」

「なんだ」

「ハイチ人が音を上げています。『これ以上はゾンビを操りきれない』と」

 それを聞いた途端、アイゼンバーグは眉をひそめ、イーライをにらみつけた。

 ひとしきり彼をにらみつけたあと、椅子にどさりと腰を下ろし、足を組む。

「どいつも、こいつも…… 役に立つ奴はいないのか……――」

 そして、苦りきった顔で、こめかみに指をあてたまま、

「――……イーライ。ハイチ人を連れてこい」

 イーライは、すぐにテントの外に顔を出し、外にいる者へ何事かを伝えた。


 少しして、一人の黒人が、手荒く引っ張られて、テントの中へ入ってきた。

 ボロ布をまとった、坊主頭の中年男だ。片方のレンズにひびが入った眼鏡をかけている。

 白人で有力者のアイゼンバーグを前にして、卑屈な態度も機嫌を取る素振りもなく、ただ静かに落ち着いた様子だ。理知的な印象さえ受ける。

 アイゼンバーグは、椅子の肘置きで頬杖を突いたまま、端的たんてきに尋ねた。

「『これ以上操れない』とは、どういうことだ」

 ハイチ人が、低く穏やかな声で、語り出す。

「ゾンビの数が多すぎるんだ。魔術の維持には強い集中力がるし、操れる数には限りがある。現に、今でさえ単純な命令しか受けつけなくなってきている。操るゾンビの数を減らしてくれ」

 無言で耳を傾けるアイゼンバーグ。

 ハイチ人の話は続く。

「それと、名前がわからない死体も多すぎる。死体を起こす・・・には、フルネームがわからなければいけない。身元のしっかりした死体を寄こしてほしい」

 話を聞き終わり、さらにそこから一拍置いたのち、アイゼンバーグはわざとらしい仰天ぎょうてんの声を左右に発した。

「こいつは驚いた。今のを聞いたか? ニガーが私に指図しているぞ!」

 イーライはお追従ついしょうの笑み、ジョーンズは無表情。

 ハイチ人は、冷静に間違いを正す。

「指図ではない。これは頼みだ。魔術は君が思っている以上に――」

 アイゼンバーグは、みなまで言わせず、

「ジョーンズ君」

 すぐさまジョーンズが、ハイチ人の頬を、強く殴りつけた。

 ハイチ人は、たまらずテントの端までよろめき、倒れる。

 横たわり、苦しげにうめく彼の腹に、今度はブーツのつま先がめり込んだ。

「ぐうっ!」

 くぐもった声を発し、身体をこまかかに震わせる、ハイチ人。

 アイゼンバーグの無情な声が、テントの中に響く。

「ゾンビの数を増やせ。採掘量を、あともう20%上げるんだ」

「む、無理だ…… これ以上は、本当に限界なんだ……」

「ジョーンズ君、もう少しわからせてやれ」

 ふたたび、蹴られ、踏みつけられる。

 ジョーンズのブーツのつま先や踵が、何度も何度も、彼の身体に打ちつけられる。

 見る見るうちに、ハイチ人は血と土にまみれていった。

 息も絶え絶えに倒れす彼へ、アイゼンバーグは、

「どうしてもできないというのであれば、預かっている妻子を殺すしかないな」

「や、やめろ…… 妻と娘には、手を出さないでくれ……」

「だったら、しっかり働いてもらおうか。私は決して複雑なことは言っていないぞ。ニガーの劣った脳でも理解できる、単純な命令だ」

 アイゼンバーグは、ステッキを手に、椅子から立ち上がった。

 ステッキの先端が、うつ伏せるハイチ人の頬に押しつけられる。

「ゾンビを増やし、採掘量を20%上げろ」

「わ、わかった…… やってみる……」

「やってみる、ではない。やるんだ。妻と子の命が惜しければな」

 そう言うと、彼はポケットからハンカチを取り出した。

 ハイチ人の血で汚れたステッキの先端を入念に拭き、ハンカチを捨てる。

 そして、視線はイーライへ。

「私はサンディエゴに戻る。いいか、これ以上、私の手をわずらわせるな。ニガーごときに言うことを聞かせられないような無能ならば、貴様はクビだぞ。イーライ」

「は、はい。まかせてください。トバイアス」

 その声を背に、アイゼンバーグは、テントをあとにした。




 明くる日、太陽が中天に差しかかる頃――


 コヨーテズ・デンの鉄鉱採掘現場から、南西へ1kmほど離れた岩場を、二組の人馬が進んでいた。

 先頭の馬上にはジョー。後ろに続くはウィンストン。

 それと、ジョーの背中に、メイホアがしがみついている。

 ウィンストンが、懐から小さな望遠鏡を取り出し、覗き込んだ。

 大きく拡大されたはるか前方で、ソルが手を上げている。

 そのまま望遠鏡で周囲を観察すると、ソルのいる場所は、三方を切り立った岩山に囲まれていた。

 ちょっとした隠れ家だ。


 ソルのもとにたどり着いた三人は、馬を下り、彼に歩み寄る。

 すると、ジョーの顔を見るなり、ソルが挨拶代わりに、

「ジョー。おまえ、『人数を集めてくる』って言ったよな」

 そう言って、ジョーの背後を眺めた。

 そこには、頼りになる使い手が、たった一人。

 あとは子供一人のおまけつきだ。

 ジョーは渋面しぶづらで、

「うるせえな。嫌味はよせ」

 ソルからテキーラのびんを受け取り、ぐびりとひと口。

「それで? 夜はどんなもんだ?」

あんじょう、ブードゥーのゾンビだった。採掘作業の奴隷にされている。見張りはキンダーマン。アイゼンバーグご本人も、現場の視察にご登場だ」

「へっ、ケチくせえ金持ちがやりそうなことだぜ」

「術者を殺せば、死者は魔術から解放される。やるなら今夜だ」

「術者は見つけたのか?」

「いや。それらしき奴がアイゼンバーグのもとへ引っ張られていったが、頭からボロ布をかぶせられていて、何者かわからなかった」

「まあ、いいさ。んじゃ、今夜、乗り込むか」




 それから、数刻が経ち――


 地平に沈もうとする陽の光が、灰色の岩場をあけに染め、四人の影を長く長く伸ばしていた。

 石を組んで作ったかまどでは、たきぎの小枝がパチパチと音を立てて燃え盛り、その上に置かれた鍋がふつふつと煮立っていく。

 かまどの前に座る、三人の賞金稼ぎと、一人の小娘。


 これからの算段は、“夜を待ち、ゾンビが働き始めたのを見計らって、現場に侵入。術者を探し出して殺し、死者を解放する”と決まった。

 今は、決戦までの英気を養う時間。

 まずは腹ごしらえである。

 鍋の中では、豆とベーコンが煮えている。

 ソルが、大きな木のスプーンで、鍋をゆっくりとかき混ぜる。

 少しずつ水気がなくなると共に、豆はとろりとした質感に変わっていき、ベーコンはしっかりとした硬さになっていく。

 塩は入れない。ベーコンに塩も香辛料も、しっかりとついているからだ。

 ジョーいわく、

「ソルの得意料理さ。仕事の時は大体これだな」

 彼はメキシコ人だ。

 豆が食卓に並ばぬ日はない、豆が主食の国に生まれ育った者が作る、豆料理。

 味は折り紙付きだろう。

 ジョーは長年の付き合いで、食べ飽きてはいるが。


 豆はうまそうに煮上がり、太陽はその姿を完全に隠した。

 ソルは、豆をブリキの器によそうと、物も言わずメイホアに差し出した。

 彼女は、笑みを浮かべ、

「ソル、ありがとう」

 だが、彼は一瞥もくれず、返事すらしない。

 メイホアは、しばしソルを見つめていたが、やがて、寂しそうにきびすを返した。

 とぼとぼとジョーのもとまで歩き、隣に座る。

 ジョーは行儀悪く、豆をかき込んでいる。

 彼女は、器の中の豆とベーコンに目をやりつつ、眉尻を下げ、肩を落とした。

「……ソル、メイホアを、嫌い」

「ああ? んなこたあねえよ。あいつは誰にでも、ああなんだ。それに――」

 ジョーは、口中の豆をごくりと飲み込むと、ソルの母国語でこう言った。


閉じた口にハエは入らないエン・ボカ・セラダ・ノ・エントラン・モスカス


 英語ですら勉強中のメイホアには、スペイン語はさっぱりである。

「どういう意味?」

「“口は災いを呼ぶ”ってこった。あいつのモットーさ」

「口は、災いを、呼ぶ…… 病從口入ビンツォンコォウルウ禍從口出フゥオツォンコォウチウ……?」

 一人小さくつぶやくメイホア。

 彼女の母国語で“病は口から入り、災いは口から出る”という言葉であり、意味としては同じものだ。

 そのつぶやきが聞こえていたのか、いないのか、ジョーはこうも続けた。

「それに、あいつはガキが苦手なんだ。人間、子供好きもいりゃあ、子供嫌いもいる」

 それを聞くなり、メイホアは不機嫌そうに、プッと頬をふくらませた。

「メイホア、子供、違う。もう十五」

「十五ぉ!?」

 ジョーは思わず、驚きの声を上げた。

 驚いたし、そう言われても信じられない。

 背がその年齢にしては低すぎるし、体型も子供のそれだ。

 顔だって、幼さが残る、どころではない。幼いのだ。

 てっきり、十一、二歳くらい、いや、もう少し下か、とジョーは思っていた。

 そのあまりの驚きように、メイホアまで目を丸くしている。

「どうして、驚く?」

「い、いや、俺ぁその、てっきり……」

「てっきり?」

 そのあとに続く言葉を飲み込むジョー。

「な、なんでもねえ……」

 閉じた口にハエは入らない。

 まったき真理である。

 たとえ、相手が大人の女性レディには程遠い、少女だったとしても。




 そろそろ、今日もまた暗闇がやって来た――


 いつも時間通り。律儀りちぎに、夜の闇はやって来る。

 かまどの火と星々、あとは月だけが頼りの、漆黒の世界。

 燃える炎を囲み、四人は時を待っている。

 あと二時間ほどもすれば、生ける死者たちが動き出すだろう。

 闇の中、四人は思い思いに、出発までの時間を過ごす。


 ウィンストンは、持参の紅茶を苦心してれたが、

「ミルクのない紅茶は野蛮だ」

 と、顔をしかめて飲んでいる。


 ソルは、かまどの火を頼りに、一冊の本を読んでいた。

 表紙には、『海底二万里 著ジュール・ベルヌ』とある。

 面白いのか、面白くないのか。ただ黙々と読み続ける。


 ジョーは――

 彼は、いつも同じ。

 酒を飲むだけ。

 町を出る前、エスメラルダに持たされたバーボンを、ラッパ飲みである。

 その酔態すいたいを、メイホアがしかめつらで見ていた。

 一日と少しの短い付き合いだが、彼の悪徳は、少女の目にすら余るものだった。

 そして、ついには彼女の手が、酒瓶を抑え、

「ジョー、いつも、お酒飲む。身体、悪い」

「しょうがねえんだ。酒を飲まねえと手が震えて、弾が的に当たりゃあしねえ。俺ぁしょうがなく飲んでるんだよ――」

 メイホアの手を払い、またひと口。

「――おまえの親父さんだって、酒くらい飲むだろ」

 そう口に出した瞬間、ジョーは激しく後悔した。

(しまった……)

 つい、口が滑った。

 つい、忘れていた。

 彼女の両親は殺されているのだ。

 なんというデリカシーのなさなのだろう。

 自分で自分の頭を撃ち抜きたくなる。

 ジョーは、こっそりと彼女の顔をうかがった。

 言葉もなく、表情もなく、静かにかまどへ目を向けているメイホア。

 怒っている。確実に。

 彼女が、少しく震える唇を、開いた。

「メイホアの爸爸バーバ、お酒飲まない。大煙ダーイェン吸わない。お仕事、頑張る」

 それから、そばに転がっていた小枝を手に取り、地面に文字を書いた。

 手に入る力に、怒りが込められている。


 “正經寿叔叔”


 祖国の文字でそう書き、祖国の言葉でつぶやく。

正經寿叔叔ヂォンジンショウシゥシゥ。みんな、『真面目な寿ショウおじさん』、呼ぶ」

「……すまない。俺が悪かった。許してくれ」

 自分でも驚くほど、すんなりと、自然に謝罪の言葉が出た。

 この商売、拳銃商売では謝ったほうが負け、という生き方を長らくしていたのに、心から他人に謝れる時が来るとは。

 ジョーはうなだれ、

「真面目なショウおじさん、か……」

 そう漏らして、彼女の書いた文字に、目を落としていた。

 メイホアは、そんな彼の横顔をしばらく見つめていたが、そのうち、父を指す呼び名の横に、もうひとつ、


 “姬美華”


 と、書いた。

「これ、メイホアの名前」

「へえ。こういう文字を書くのか。綺麗なもんだな」

 ジョーは、中国の文字に明るくない。

 それだけに、メイホアの名を表す、その三文字に、しばし見入ってしまった。

 文字というには、あまりにも複雑で、あまりにも美しかったから。

 次に、メイホアは、二つの文字を書いた。


 “美国”


 “華人”


 そして、そのふたつを指しながら、

美国メイグオ華人ホアレン爸爸バーバ媽媽マーマ美国アメリカに来た。メイホア、美国で生まれた華人――」

 ジョーのほうへ顔を向け、満面の笑みを浮かべた。

「――だから、姬美華ジーメイホア

 ジョーは、まぶしすぎる笑顔から目をそらし、地面の文字を見つめた。

 いい名前だ、と思った。

 初めてアメリカで生まれた我が子の名に、新天地の希望と、祖国の誇りを込めて名付けたのだろう。

 それと、両親の愛も込められた、いい名前だ。


 彼女の名前を見ているうちに、ジョーは、はるか昔のことを、思い出していた。

 はるか昔、故郷を脱け出し、希望を抱えて新天地アメリカにやって来た、十九歳の頃。

 ずいぶんと長い間、思い出すこともなかった、あの頃の自分。


 ふと、気づけばメイホアが、自分の顔をのぞき込んでいた。

 どこかへ行ったと思っていた記憶に、我を忘れていたのだ。

「ジョー?」

「いい名前だな、メイホア。素敵だよ」

 彼女の頭に手を置き、優しくでる。

 それから、今度はジョーが小枝を拾い、地面になにやら書いていった。


 “Joseph Patrick McKenna”


 人名だが、やはりメイホアには読めない。

「これ、なんて読む?」

「ジョゼフ・パトリック・マッケナ」

 それから、笑った。

 彼女のほうへ顔を向けられず、笑いも自嘲に満ちたものだったが、とにかく、笑った。

「一週間分の部屋代が目当ての、飲んだくれアイルランド人の名前だ」




                                 ――続く

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ガンスリンガー・ビジネス 佐井乙貴 @OTSUTAKA

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