第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (5)
黒く厚い雲が月を覆い隠した空の下、ゾンビたちが、鉄鉱石でいっぱいの
その数は、少なく見積もっても、80体は下らないだろう。ソルが偵察した時よりも、明らかに増えている。
そんなゾンビたちが従事する
かたわらには、メイホアがいる。ジョーに寄り添い、彼の横顔を見つめて。
ソルは、ジャケットの内側に、投げナイフを仕込んでいた。まるで、それを着ているだけで銃弾を通さぬのではないか、というくらいのおびただしい数だ。
その横では、ウィンストンがいくつもある小口径の拳銃に、弾丸を
ともかく、両者とも余念なく装備を整えている。
ジョーが、双眼鏡を下ろして、言った。
「見張りは20人ってとこか。ずいぶん多いな」
眼下には、キンダーマン探偵社の捜査員たちがライフルを手に、周囲を警戒している。
たしかに、自動的に働くゾンビの見張りにしては、大げさなくらいに人数が多い。
ソルは、ジョーやキンダーマンには目もくれず、独り言のように答える。
「きのうの晩は四、五人しかいなかったが、なにかを察したのかもな」
「おめえ、見つかるようなヘマはしてねえだろうな」
じとりとにらむジョーを尻目に、ソルは
「おまえこそ、あのあと尾行されるようなヘマをしたんじゃないのか?」
「あー、いや、その……」
それっきり、黙り込むジョー。
鼻でため息をつくソル。
メイホアは、そんな二人を、不思議に思った。
初老のジョーと、少年の雰囲気さえ残す若さのソル。それが対等の口をきいている。
彼女の祖国では、子供たちに“
ソルの態度など、年長者に向けるものとしては、失礼極まりない。
メイホアの価値観からすれば、この二人組の関係性は、我が目を疑うほどに信じがたいものであった。
二人は一体、どんな仲なのか。
なぜ、ソルはジョーに対して、こんな態度を取れるのか。
長い付き合い、と言っていたが、二人の年齢を考えると、そんなには長くはないのではないか。
知りたいことはいくつもあったが、それを言葉にできるほど、メイホアは英語が上手くない。
ただ、二人をジッと見つめているだけあった。
さて、突入の準備はできた。
夜もすっかり更けて、見張りの捜査員たちの表情は、いくぶん緊張を欠いている。
そこかしこで、あくびをするさまが、見て取れた。
彼らに光を照らしてくれるはずの月も、いまだ雲に隠れているため、見通しは悪いはず。
頃合いだ。
ソルは、言葉短く、ジョーに
「どんな作戦だ」
「まず、キンダーマンを全員、始末する。アイゼンバーグのところへ報告に行かれたら厄介だしな。必ず皆殺しだ」
などと、ジョーはこともなげに、言ってのけた。
敵は20人。しかも、泣く子も黙る、いや、無法者も逃げ出すキンダーマン探偵社を相手取るというのに。
しかし、ソルとウィンストンの表情は変わらない。まるで、それが当たり前のように、聞き流す。
むしろ、彼らにとっての問題は、その続きにあった。
「そうしてるうちに、ゾンビどもがこっちに向かってくるだろう。俺とウィニーは、それをそのまま引きつける。ま、陽動作戦ってやつだ。んで、その間にソルが術者を探し出して殺す。術者が死ねばゾンビはすべて動きを止める、ってなもんよ」
それとは対照的に、ソルが少しく眉をひそめた。
「キンダーマンは、まあ、いい。だが、術者はどうやって探すんだ」
「そんなもん、
「……
さすがに呆れの色を浮かべるソルの横合いから、ウィンストンが口を挟んだ。
「ああ、二人とも、ちょっといいかね? 死者の大軍を一手に引き受ける大役を仰せつかったのは、光栄
英国紳士の
「――驚かないでくれたまえ。実は、私は
そんな彼のささやかな疑問に、ソルが答えた。
「奴らは魔術で操られている死体だ。心臓を撃とうが、頭を撃とうが、動きを止めない」
「ほうほうほう。実に有益な情報だ。すでに死んでいる者は殺せない、と」
ソルは、ウィンストンの皮肉など、意に介していない。
「だが、身体の構造は人間と変わらない。重要な筋や腱を断ち切られたり、関節を破壊されたりすれば、そこから先は動かすことができない――」
そこまで言うと、ウィンストンの
「――銃なら膝を撃ち抜け。動きが鈍る」
なるほど。
80は下らない数の生ける死者が襲ってくるが、我々に倒す方法はなく、動きを鈍らせるしかできることはない。
そろそろウィンストンの頭の中は、後悔でいっぱいである。
ところが、ソルの話には、続きがあった。
「それと、ゾンビには絶対に捕まるな。もし捕まった時は、ためらいなく自殺しろ」
ウィンストンはすでに、うんざりとした面持ちだ。
「
「術者の命令にもよるが、奴らは生者の限界を超えた怪力を振るう。捕まれば、生きたまま紙のように引き裂かれるからだ」
それを聞いたウィンストンは、口を弓のようにひん曲げ、両肩をすくめた。
そして、まったく大した専門家だ、とばかりに、
「貴重なアドバイスをありがとう。実に心強い」
すると、メイホアが、ジョーのジャケットのすそを、ちょんちょんと小さく引いた。
「ねえ、ジョー。メイホアは?」
ジョーは、顔をしかめた。なにを言ってやがるんだ、とでも言いたげに。
膝を曲げてしゃがみ込み、彼女と目線を同じくして、ひどく怖い顔を作る。
メイホアには、彼のわざとらしいしかめっ面よりも、その中にある青い瞳のほうが、印象的だった。
そうとは知らぬジョーは、
「いいか、絶対にこの岩場から出てくるな。勝手な真似はするんじゃねえぞ。ここに隠れているのが安全なんだ。わかったな?」
「……うん。わかった」
彼女としては、自分にもなにか役目がある、とでも思ったのだろう。
ジョーの剣幕にたじろぎつつも、不満の色が見え隠れしている。
本来の性格が、好奇心
ジョーは、メイホアの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に
そして、眼下の作業現場を見すえつつ、腰のホルスターから拳銃を抜くと、それを左手に持ち替えた。さらに、開いた右手で腹部のホルスターに差している、もう一丁を抜く。
どちらも、スミス&ウェッソン.44口径。
中折れ式の銃身で、銃弾の装填を非常に素早く行えるところに、定評がある。彼のような、ファニングによる連続射撃を得意とする
ジョーは、二丁を構え、にやりと不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、いくぜ」
日付がとうに変わり、闇の帳が降りた採掘現場。
坑道の出入口付近は、砂ぼこりにまみれ、
ゾンビたちの素足の足音が、坑道の奥から響くつるはしやスコップの音と、混ざり合う。
そんな中、ライフルを肩にかついで突っ立っている、つばの広い帽子とダスターコートの男が一人。
キンダーマン探偵社の捜査員である。
のたのたと動き回る大勢のゾンビたちは、腐った肉の臭いを漂わせながら、無表情で彼の横を通り過ぎていく。
坑道へ入っていくゾンビ。坑道から出てくるゾンビ。その繰り返し。
なんとも単調な光景だ。
やがて、彼は大きなあくびをひとつ。見張りの務めに、だいぶ
「クソ退屈だわ、ひどい臭いだわ。おまけに月が隠れてるから、暗くてよく見えないときたもんだ……」
などと、
そこへ、別の捜査員が通りがかり、気安い調子で声をかけた。
「よう、ハリス。調子はどうだ?」
ハリスと呼ばれた男は、退屈しのぎとばかりに、
「なあ、トンプソン。おまえは前からここにいるよな」
「ああ。
「今夜は、なんだってまた、こんな大人数で見張ってるんだ。ゾンビどもを働かせておくだけだろ」
「俺は知らんよ。ジョーンズさんの命令だ。白人とメキシコ人の二人組が現れたら殺せ、だとさ」
「たった二人に、俺たちキンダーマンを20人からだと? どうかしてるぞ、まったく」
単調で退屈な仕事に馬鹿馬鹿しさまで加わり、ハリスは苛立ちを吐き出すがごとく、またも地面に唾を吐いた。
ふと、何者かの足音が、かすかに――
ハリスの吐いた唾のその先、採掘現場の出入口のほうからだ。
ランタンの光が届かぬ、暗闇の向こう。
ハリスもトンプソンも、息を呑み、ライフルを構える。
そこへ、暗闇を脱ぎ捨てるように、白人の中年男が、姿を現した。
光に照らされ、あらわになったのは、整った
それは、どういう
ロス・ロボスご一行の一人、“英国人”ウィンストン・サムナーであった。
ウィンストンは、やけに愛想の好い笑顔を浮かべ、
「こんばんは、紳士諸君」
と、軽く帽子を浮かせる。
ハリスが、ライフルを構えたまま、叫んだ。
「誰だ! おまえは!」
トンプソンも続いて、
「両手を上げろ!」
それでも、ウィンストンは慌てない。
笑顔を崩さず、大げさな身振り手振りで、
「まあまあ、どうか落ち着いて。私はノトロブと申します。このアメリカで商売を始めようと、はるばるイングランドはイプスウィッチからやって来ました」
まるで息をするように、口から出まかせを垂れ流すウィンストン。
それをさえぎるように、ハリスのライフルの銃口が、ウィンストンの眼前に突きつけられた。
銃口の奥、薬室の弾丸まで
「今すぐ両手を上げろと言ってるんだ。さもなきゃ脳天を吹き飛ばす」
「おやおや…… 承知しました」
致し方ないとでも言いたげに苦笑をもらしつつ、ウィンストンがゆっくりと両手を上げる。
トンプソンも、油断なくウィンストンの前まで近づくと、彼のガンベルトから拳銃を抜き、そこらへ投げ捨てた。
ウィンストンは、やれやれ、とばかりに、
「お気が済みましたかな?」
そうこうしているうちに、他の捜査員たちも、三人のもとへ、続々と集まっていた。
どの男も、ウィンストンの姿を見るなり、ライフルを構える。
トンプソンも無論、目の前の自称ノトロブ氏に銃口を向けたままだ。
「おい、まずいぞ。夜の作業を見られたんだ。とっとと殺したほうがいい」
「まあ、待て」
ハリスが片方の口角を上げる。武装解除が済み、仲間を得て、彼の気は緩んでいた。
銃口でウィンストンの額を小突き、
「おまえは何者だ。誰に雇われて、ここへ来た」
そう問い詰めた。
「ですから、先ほども申し上げました通り、ここで商売を始めようかと」
「なにが商売だ。でまかせを言いやがって。
すると、それまでの愛想笑いとは異質の笑みが、彼の顔に浮かんだ。
「葬儀屋ですよ」
瞬間――
風切り音がかすかに聞こえるや否や、ハリスのこめかみとトンプソンの首に、ナイフが突き刺さった。
二人は、低いうめき声をあげ、
エル・ソルの投げナイフだ。
他の捜査員たちは
「あなた方が最初のお客様です」
その言葉と同時に、彼の両袖から小口径の拳銃が飛び出し、正面の敵を瞬時に三人ほど撃ち殺した。
ウィンストンは、両手の拳銃を撃ち尽くすと、無造作にそれを投げ捨て、すぐさましゃがみ込んでズボンのすそをたくし上げる。
足首のホルスターから新たな拳銃を、滑らかな動作で優雅に抜き取り、また一人を討ち取った。
この男、一体どれだけの銃を身体に仕込んでいるのか。
その間にも、暗闇からはナイフが飛来し、敵の頭、首、胸の急所を正確に刺し貫いていく。
薄暗がりの混戦という状況でも、狙いをあやまたない、正確無比なる投げナイフ。
ソルは、投げナイフの無音という特性を生かし、常に素早く移動しながら
これにより、攻撃を受けた側は、あたかも大勢による複数方向からの攻撃と錯覚し、あらぬ方向への乱射を余儀なくされる。
見える敵のウィンストンと、見えない敵のソル。
たった二人が繰り出す、この虚実ないまぜの戦術によって、20人からのキンダーマン探偵社は、あっと言う間に半分以上、その数を減らされた。
さらには――
何者かが、ひどく情けない声で、
「ま、まずいぞ! 敵は大勢だ! 囲まれたあ!」
と叫んだ直後、暗闇から銃弾が飛んできた。
銃声が耳をつんざき、ナイフの空を切る音が続く。
包囲、動揺、恐怖、悲鳴。そして、死。
キンダーマンの捜査員たちは皆、パニックに陥っていった。
さらに、叫びは続く。
「こっちからも来たぞ! 逃げろ!」
ほぼ泣き声に近い悲鳴が、響き渡る。
苛立った捜査員の一人は、振り向きざまに叫んだ。
「わめき散らすんじゃあない! こっちってどっちだ!
途端に、彼の身体を銃弾が貫いた。
わずかに彼の目に映ったのは、漆黒の闇にまぎれた初老の男の姿だった。
「こっちはこっちだ。
ブロンディ・ジョーの悪態が、闇の中で不敵に響く。
叫び声と銃弾の主は彼だった。
暗闇から襲い来る、ナイフと銃弾。
それらに気を取られていると、ウィンストンの銃弾に襲われる。
キンダーマンたちは次々と斃れ、見る見るうちに、地面へ転がる死体が増えていった。
そして、ジョーの叫びが恐怖を煽り、ついには、怖気づいて逃げ出す者も出た。
逃げ惑う男たちの足音が、乾いた地面に響き渡る。
だが、逃げられるはずもない。
二人の銃と一人のナイフが、冷静にその背中を追い討つのだから。
——続く
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