第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (3)
時計は十二時を回り、町の
しかし、そんな時刻でも
都会の街とは違い、多くの酒場がある訳ではなく、
この店が、町の娯楽を、一手に引き受けているようなものだ。
とはいえ、賭け屋がいるでもなし、娯楽と言っても、酒を飲むくらいではあるが。
店内には、そう多くない人数だが、客が残っている。
笑い声も、オルガンの音色もなく、一人一人がただ静かに、手の中のグラスを傾けていた。
女主人エスメラルダもまた、虚空を見つめて
不意に、小さな音を立てて、スイングドアが開かれた。
出入口に立っていたのは、年老いた
生え際が大きく後退した頭髪は、
かなりの老齢ではあるが、服装は堂々たる漆黒の
つまりは、カトリックの司祭である。
エスメラルダが、彼に声をかけた。
「神父様」
「やあ、エスメラルダ」
神父は、やや軽めの低い声で挨拶を返すと、カウンターへ歩み寄った。
「いつものを頼むよ」
そう言い、音を立てぬ上品な動作で、カウンターの上に硬貨を置く。
エスメラルダは嬉しげにうなずき、棚から封の開いていないアイリッシュウイスキーの
その光景を、同じカウンターに並ぶ、頭髪の薄いカウボーイが見ていた。
彼は、「ケッ」と嘲笑の声を発し、聞こえよがしの独り言をもらす。
「神父が酒とはな。神様がお
その言葉を聞くや否や、エスメラルダは眼光も鋭く、ぎろりと彼を
「口を
彼女にたしなめられたカウボーイは、しょぼくれ顔で、すごすごとテーブル席のほうへ引っ込んでしまった。
と、その時、派手な音を立てて、乱暴にスイングドアが開かれた。
汗と
不機嫌極まりないとしか形容のできない表情。
ブロンディ・ジョーのご帰還である。
「ビールをくれ! 喉が渇いてしょうがねえ!」
クスクスと笑うエスメラルダが、それでも間を置かず、ビールの大瓶を彼に差し出す。
ジョーは、矢も
大瓶を、威勢よくラッパ飲みだ。
瓶とジョーの身体が、ほぼ一直線となり、大瓶の中身は、あっという間に半分ほどとなった。
「かあああ! クソッタレ!」
爽快感とも怒りともつかない大声と共に、ビール瓶が叩きつけるように置かれた。
他の客たちは、
だが、エスメラルダはまだ笑っている。まるで悪たれな男の子を見るような目で。
「腹は減ってないのかい? どうせ飲まず食わずだろう?」
ジョーは、ビール瓶を軽く持ち上げ、
「いや、これでいい」
と、やや声のトーンを下げて言った。少しは落ち着いたのだろうか。
それから、ようやく気づいたかのように、隣の神父に目を向けた。
「よう、ドニー」
聖職者を捕まえて愛称で呼び捨てとは、無礼にも程があるのだが、当の神父はそれを気にする様子もない。
「やあ、ジョー――」
そこまで言うと、神父はあらためて、ジョーを頭からつま先まで見回し、
「――仕事か?」
「ああ、まあな。俺の代わりに、神様に祈っといてくれ。助けはいらねえから邪魔するな、って」
「自分で祈ることだ。
それだけを言い残し、神父は手にアイリッシュウイスキーの瓶を下げ、店から出ていった。
去りゆく神父の背中を見届けたのち、ジョーはエスメラルダのほうへ向き直り、尋ねた。
「メイホアはもう眠ったか?」
「ああ、上の部屋で寝てるよ。なかなか眠れなさそうだったけどね」
「そうか……」
ジョーは、残りのビールを飲み干そうと、瓶の口をくわえる。
それに構わず、エスメラルダがカウンターに肘を置いて、身を乗り出した。
「で? なにかわかったのかい?」
ジョーは、飲む手を止めた。
実業家アイゼンバーグ。キンダーマン探偵社。
裏にいる者は見えてきたのだが、はっきりとしたことは、まだなにもわからない。
わからないからこそ、ソルを残してきたのだ。
そして、わからないのであれば、口には出したくない。
この飲んだくれの年寄りは、不似合いなくらいに、ひどく用心深かった。
「正直、まだ詳しいところまではわからねえ。だが、死者が夜歩くってなあ、おそらく
「屍人使い?」
聞き慣れぬ言葉に、エスメラルダは首をかしげて、オウム返しだ。
ジョーは、残りのビールを飲み干し、
「魔術を使って死人をよみがえらせ、操る奴のことさ。似たようなのがあらゆる国にいるが、有名なのはハイチのブードゥーだな」
「なんのために?」
「それを今、ソルが調べてる。俺は人手を集めに戻って来た」
彼のその言葉を聞いた途端、店に残っていた連中は皆、ジョーから目をそらすか、あさっての方向を向いてしまった。
“おかしな仕事に巻き込まれたくない”という心持ちが見え見えである。
だが、「薄情者」と責める訳にもいかない。
報酬はゼロ、敵は理解の及ばぬ化物なのだから。
ジョーは手始めに、クローニン三兄弟の座るテーブル席に、歩み寄った。
彼らはいつも兄弟三人、もしくはカモを加えた数人で、ポーカーに興じている。
長男であり、リーダーである、片目が潰れた男の肩に、ジョーの手が置かれた。
「
「勘弁してくれよ、ジョー。今、忙しいんだ」
手元の札をにらみながら、へらへらと笑って、そう答える。ジョーのほうへ振り返ろうともしない。
「なにが忙しいだ。カードしかやることがねえだろ、てめえらは」
片目の頭をひとつひっぱたき、お次は“
彼は、パイプをくゆらせ、スコッチを楽しんでいる。ジョーの話を聞かぬふりで。
ジョーは、その隣に腰を下ろし、
「おい、ウィニー――」
「あーっと、申し訳ない。私は遠慮しておくよ。そういう仕事は私のスタイルに合わないのでね」
みなまで言わせず、フレンドリーかつ上品な物腰で、会話を打ち切る。
しかし、ジョーは引かない。ウィンストンのほうへ、ずいと膝を詰め、顔を寄せた。
「クーリッジ農場の一件、おまえに貸してたよな」
その言葉を聞くなり、ウィンストンは、
「それを持ち出すのかね……」
と、額に手を当て、口をへの字に曲げる。
そして、彼は、恨みがましくジョーを見つめていたが、やがて観念したように、応じた。
「……わかった、しかたない。手伝おう」
彼ら二人にしかわからない、決して断れない申し出、というものなのだろう。
「ありがとよ。やっぱり持つべきものはダチだな」
ジョーは上機嫌で、うらめしそうな顔のウィンストンの背中を叩いた。
ようやく、一人。
だが、これ以上、店にいる連中は当てになりそうにない。
人手を集めに戻って来たはずが、たった一人とは。
(銃を持った
そう自分を慰めると、ジョーは立ち上がり、
「さてと…… おい、ケビン! ケビンはいるか!」
と、周囲を見回しながら、大声で呼ばわった。
「そんなでかい声を出さなくても聞こえてるよ」
ぼそりと、低く陰気な声が、耳に入った。
ケビンと呼ばれた男は、ジョーのすぐ横のテーブル席で、タバコを巻いていた。
長髪のぼさぼさ頭で、痩せぎすな、暗い雰囲気の男だ。
「なんだ、そこにいたのか。相変わらず影の薄い野郎だぜ」
「ほっとけ」
丁寧に巻いたタバコの紙の端を、舌で濡らすケビン。
その隣に、ジョーが座った。
「ちょいとおめえに頼みてえことがあるんだ」
「内容」
ケビンは、そう短く言い、テーブルの角でマッチを
少し声を落とし、ジョーが話を始める。
「トバイアス・アイゼンバーグって奴がいる。鉄鋼で儲けてるユダヤ人の実業家だ」
「名前は知ってる」
「そいつのヤサを調べてくれ。ああ、場所だけじゃねえ。建物の構造、周囲の地形、護衛の数。調べられることは全部だ」
「報酬」
すかさず返された短い言葉に、ジョーは顔をしかめる。
「頼みごと、っつってんだろ……」
ケビンは、タバコの煙をフッと吐き出し、
「ほ・う・しゅ・う」
そうわざとらしく音節を区切って言うと、ぺろりと舐めた親指を、人差し指と中指にこすり合わせる。
ジョーは、大きなため息のあとに舌を打ち、ケビンの耳元に口を寄せた。
こればかりは、エスメラルダやウィンストンに聞かれたくない。
「ガーデンストーンの保安官事務所に、まだ受け取ってねえ賞金がある。7,000だ。いざって時の備えだったんだが、しかたねえ。くれてやる」
そうして、ケビンから身体を離すと、今度は世にも情けない声でわめき散らす。他の連中の耳にも届くように。
「なあ、頼むよ、ケビン。おめえ、ダチだろ? こっちゃあ二日分の部屋代も払えねえ文無しだぜ。報酬なんて冷てえこと言わねえで、引き受けてくれよ」
そして、ウィンクだ。
一方のケビンは、しばし中空を見つめ、なにやら考え込むそぶりを見せていたが、やがて、ジョーへ右手を差し出した。
「乗った」
「頼りにしてるぜ。“
ケビンの手をがっちりと握るジョー。
と、そこへ――
「ジョー!」
深夜の酒場には似つかわしくない、幼い声が響いた。
見れば、二階へ続く階段の中ほどに、白い寝間着に身を包んだメイホアが立っているではないか。
「メイホア……! おまえ、まだ起きてたのか!」
彼女は、ジョーのもとに駆け寄り、彼の顔を見上げて、叫んだ。
「ジョー、メイホアも連れてって!」
カウンターから出てきたエスメラルダは、メイホアの肩をつかみ、
「盗み聞きだなんて! 悪い子だよ!」
そう𠮟りつけて、ジョーから引き離した。
ジョーは、当たり前のことを言うだけだ。
「おまえは駄目だ、メイホア。危険すぎる。ここでおとなしく待ってろ」
メイホアは、エスメラルダの手を振りほどき、ジョーにすがりつく。
二度と離さんばかりの力を込めて。
「メイホア、一緒に、行きたい。メイホア、知りたい」
言葉は足りないが、彼女がなにを言わんとしているのか、ジョーにはわかった。
だから連れて行きたくないのだ。
「駄目だと言ってるだろ」
ジョーとエスメラルダが引き離そうとするも、メイホアはテコでも動かぬ構えだ。
彼の服のすそを強くつかみ、唇を噛み締める。
瞳に涙を溜めて、彼を見据える。
「メイホア、ジョーと一緒に、行く……」
自分をまっすぐに捉える目。懸命に訴えかける瞳。
子供の、涙。
目をそらしてしまった。
直視できなかった。
ジョーは、彼女から顔をそむけ、帽子を
「やれやれ。ガキってなあ、なんでこう……」
あとに続く言葉が、出てこなかった。
――続く
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