第一話『鉱山は眠らない』 EPISODE ONE: “The Mine Never Sleeps” (2)

 疾駆しっくする馬は、風を切り、背に乗る男たちを運ぶ。

 どこまでも広がる、広大無辺なる大地。

 乾いた風が吹き抜け、太陽の光が照りつける。

 平原を駆け、小川を跳び越え、坂をのぼり――


 ジョーとソルが、コヨーテズ・デンの鉄鉱採掘現場にたどり着いた時、すでに太陽は西のかたへと大きく傾きつつあった。

 二人はそのまま馬から下りず、採掘現場を見渡す。

 時折ダイナマイトの爆発音が響き渡る中、いくつかある坑道の出入口から、大勢の労働者が次々に鉄鉱石を運び出していた。

 労働者の大部分は、やはり中国人だった。他に黒人やヒスパニック、わずかだが白人もいる。

 この合衆国に数え切れぬほど存在する鉱山と、さして違いのない風景だ。

 違いがあるとすれば、作業のペースがやたらと早く、監督員の叱咤しったがひどく苛烈かれつなところか。

 労働者たちは皆一様に、顔を汗で濡らし、疲労に目をよどませている。

 その容赦のなさに、ジョーは思わず眉をひそめた。

「ずいぶんこき使ってやがるな。あれじゃあ持たねえぞ」

 そのうちに、監督員らしき白人の男が、怒声を張りあげながら、二人のもとへやって来た。

「おい、おまえら! なにをウロチョロしてるんだ! 部外者は立入禁止だぞ!」

 瞬間、ジョーは愛想のよい笑顔を浮かべ、監督員に向けて手を上げた。

 顔中の深い笑いじわのおかげで、人の好い田舎親爺おやじに見えなくもない。

「ああ、ちょっくらたずねてえんだけどよ。この辺にどこか休めるとこはねえか。旅の途中なんだが、この辺りはてんでわからねえときたもんだ」

 監督員は、ペッと地面に唾を吐き、東の方角をあごで指して、言った。

「この先にチンクどもの集落がある。ちょいと銃でおどしゃあ、メシと水くらいはありつけるだろ」

 その言い草に、ジョーは心中穏やかでない。

 しかし、彼は笑みを崩さず、

「親切にありがとよ。礼と言っちゃなんだが、どうだ、一杯やるかい?」

 そう言って、ウイスキーの小瓶こびんを、彼に差し出した。

 監督員は周囲をキョロキョロ見回すと、ジョーから小瓶を受け取り、ぐいとあおった。

 どうやら嫌いなほうではないらしい。

 ジョーは、心底気の毒そうな声色を使い、

「しかし、あんたも大変そうだな。どこの旦那に雇われてんだい」

 監督員が、ジョーへ小瓶を返しつつ、口元を拭う。

「アイゼンバーグさんだ。払いをケチるくせに、期日にうるさくてまいるよ。さあ、行った行った」

「はいはい。ご苦労さん」

 ジョーは、ひらひらと手を振って、馬首を返した。ソルもそれに付き従う。


 教えられた通りに東への小道を進んでいくが、ジョーの顔に先ほどの愛想笑いは、すでにない。

 口の端を歪めた、底意地の悪そうな笑みで、ソルに言った。

「へっ、これで親玉が割れたな」

「アイゼンバーグ…… トバイアス・アイゼンバーグか。鉄鋼でもうけている新興の実業家だ」

「おまえ、よく知ってるな。調べる手間がはぶけたぜ」

「新聞くらい読め」




 ほどなく、中国人の集落が見えてきた。

 廃材であろう板で組み上げた、粗末な小屋。ボロ布のテント。

 まったく吹けば飛ぶような集落だ。

 家々のかたわらでは、女たちが石を積んで作ったかまどで煮炊きをしている。

 子供と年寄り以外に、男の姿は見当たらない。

 男どもは皆、鉱山へ働きに出ているのだろう。

 ジョーとソルは馬を下り、集落の中へと、歩みを進める。

 誰もが、この奇妙な二人の来訪者を物珍しげに、または怪訝けげんな表情で見つめていた。

「おい、誰か英語のわかる奴はいるか。英語のわかる奴だ」

 そうジョーが呼ばわるも、皆ひそひそと意味のわからぬ言葉でささやき合いながら、正体不明な二人の男を、遠巻きに眺めているだけだ。


 だが、そこへ――


「英語、少し、わかる」

 と、小太りな三十がらみの女が進み出た。勇気がある。

 ジョーは、挨拶代わりに帽子を傾け、なるべくゆっくりと問いかけた。

「最近、おかしなものを見たり聞いたりしなかったか? 特に夜だ」

 それを聞くなり、女がびくりと身を震わせた。

 ジョーのそばへ寄り、小声で、

「夜、外に出る、ダメ」

 己が住まう共同体で、外に出られないとは、いかなることであろう。

「外に出れねえ? なんでまた」

「外に出る、ダメ。男たち、見張ってる」

「どんな野郎だ。見張ってんのは」

 女は身振り手振りで、懸命に己が見知ったことを伝えようとする。

「長いコート。同じ帽子」


 ジョーとソルは、顔を見合わせた。

 揃いの帽子とコート。

 二人には、そんな恰好をした連中に、心当たりがあったのだ。


 ジョーが首をかしげる。

「キンダーマン探偵社が……? 労働組合でも絡んでんのか?」

 ソルは言下げんかにそれを否定した。

「いや、ありえない。中国人は労働組合から排除されている」

「じゃあ、なんで……」

 ますます疑問深まるジョーは、あごに手をやり、無精髭ぶしょうひげをこする。


 キンダーマン探偵社。

 1855年に私立探偵アレン・キンダーマンが設立した私立探偵会社である。

 要人の身辺警護から、軍や司法省のしたけまで手広く営業し、軍隊に匹敵する人数の探偵を雇用している。

 また、多くの実業家たちは、ストライキや労働組合を監視するスパイとして、もしくはスト破りのために、キンダーマン探偵社を雇っていた。

 さらには、犯罪者の追跡、殺害でも有名であり、その組織力と執念深さは、大勢のアウトローに恐れられている。


 今度は、確認の意味も込め、こう尋ねた。

「他になにかおかしなことはあったか? たとえば、死んだ仲間についてだ」

 女が目を見開いた。

 辺りをしきりに気にしながら、さらに声をひそめる。

「死んだ人たち、死体、帰ってこない。ジー寿ショウさん、調べに行った。消えた。奥さん、娘さん、消えた」

 ジー・ショウとはメイホアの父親だろう。

 なるほど、メイホアの話と符合する。

 しかも、娘も消えた、という口ぶりから察するに、メイホアが生きてロス・ロボスへ逃げのびたことを知らないのだ。

 ジョーは、散々迷ったあげく、

「その娘ってのは…… メイホアって名前か?」

哎呀アイヤー! あなた、どうして知ってる!? あの子、生きてるか!?」

 女はひどく驚いた。ジョーにすがりつかんばかりだ。

 すぐにジョーが人差し指を口元にやった。

「シッ。大きな声を出すな。 ……ああ、メイホアは無事だ。俺の友人が、逃げてきたあの子を助けた」

謝謝您シィエシィエニン謝謝您シィエシィエニン

 女は何度も頭を下げ、この見知らぬ白人の手を握る。

 感謝の意は結構だが、ジョーは内心、いらった。

 なるべくこの場で不自然な振る舞いは避けたいのだ。

 女の両肩をつかみ、んで含めるように、言って聞かせる。

「いいか、このことは黙ってろ。メイホアが生きていることも、俺らがここに来たこともだ。おまえらを見張ってる連中に知られちゃ、やべえんだ。わかったな」

 女はブンブンと大きく首を縦に振る。

 本当に大丈夫だろうか、という一抹の不安を残しつつ、二人は集落を離れた。


 ジョーとソルの横顔を、斜陽が赤く照らしていた。

 太陽はもうすぐ、西の地平にぼっする。

 ソルは馬の口を取り、ただ無言で、採掘現場の方角を見つめている。まるで自分のなすべきことをわかっているかのように。

 良い相棒を持ったものだ、と言わんばかりに、ジョーは笑みを浮かべ、馬の背にまたがる。

「ソル。おまえは夜の採掘現場を調べてくれ。俺は人数を集めに、町へ戻る」

「わかった」

「気をつけろよ。強欲ユダヤ人に、キンダーマン、それと生ける死者リビングデッドだ」

「おまえこそな」

 ジョーのまたがる馬は、はるかロス・ロボスの方角を臨むと、彼の「ハアッ!」という掛け声を合図に、ひづめの音をとどろかせ始めた。




 半島山脈ペニンシュラ・レンジのふもとを駆け下り、ジョーが手綱たづなを握る馬は、平原を突き進む。

 太陽は、ほぼその姿を隠し、辺りは闇に浸食され始めている。

 顔を上げれば、気の早い星々が、わずかに輝きを放っていた。


 ふと――


 後方から、蹄の音が聞こえる。

「ひとつ、ふたつ…… 三人か……」

 何者かが自分を追っているのは、すぐに理解できた。

 身に覚えがありすぎる。

 しかし、状況がよろしくない。

 ここからロス・ロボスまでは、森も岩もない、クソほど広い平地だ。

 逃げるにかたく、待ち伏せにも難い。

「ああ、クソッ……!」

 ジョーは、急に手綱を引き、馬を止めた。

 主人の突然の制止に、馬はいななき、鼻を鳴らす。

 馬を落ち着かせると、ジョーはくらから飛び降り、地に立った。

 砂煙を上げて、追手が近づいてくるのが見える。

 ジョーは目をこらした。

 小さい文字はめっきりダメになったが、遠目とおめはまだまだ若い者に負けない。


 やはりだ。


 揃いのつばの広い帽子。揃いのダスターコート。

 キンダーマン探偵社の探偵たちである。

 彼らはまたたく間に、ジョーから少し離れた地点までやって来ると、馬を止め、一斉に降り立った。

 三人は、ゆっくりと足を進め、近づいてくる。ひと言も口を利かずに。

「キンダーマンのしたどもが、俺になんの用だ?」

 返事はない。

 代わりに、三人が三人とも、コートの前を払い、腰の拳銃に手をかけた。

「やめときな。それを抜いちゃあ、もう救いはないぜ」

 無言。話し合う気はないようだ。

 じりじりと距離だけが詰められていく。

「抜くな。できれば殺したくねえんだ。お互い、なにも見なかった、ってことでいいじゃねえか」

 なにも答えぬまま、三人が足を止めた。

 拳銃の間合いだ。

 もはやジョーも、言葉は発しない。右腰に差された拳銃に、手をそえる。

 横並びに立つ三人の男。目くばせ。ピクリピクリと動く指。

 ジョーは、いわおのごとく不動である。

 風に吹かれ、砂塵さじんが舞い上がる。

 男どもの息づかい。

 左右に位置する男が、わずかずつ、ごくわずかずつ、広く展開し始める。ジョーを囲むように。

 落ち着きなく動く、中央の男の視線。

 どこからか丸い枯草が、乾いた音を立てて、風と共に地面をころがっていく。

 刹那せつな――

 右側にいる男が素早く銃を抜いたが、それよりもさらに速く、ジョーの抜き撃ちが彼を沈めた。間髪入れず、左手で二度撃鉄を叩きファニング、もう二人を討ち取った。

 あとに残ったのは静寂。うめき声ひとつ聞こえない。

 ジョーは、拳銃を収め、舌打った。

「クソッ。だから言ったんだ。らねえ殺しをさせやがって」

 近づき、死体を調べるも、こちらの知りたいことを示すものは、なにもなかった。

 ただ、キンダーマン探偵社が、自分を尾行し、襲ってきた。それだけ。

 なぜ、彼らがここまで躍起やっきになるのか。

 ジョーはため息をつかざるをえない。

「いよいよくせえな、これぁ」




                                 ――続く

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