手記

白須賀平八

地平

 ふいに、高台に立って遠くを見渡していたカカ・イヌゥーが叫んだ。

「気ぃつけろお!! イシュンさまぁの方角から蟲の大群だああ!」


 直後、その方角より轟音、何かが震えているような音とともに空気が揺れた。

 ぼくはちょうど村まで水を運ぶ途中だった。この叫びと続く轟音で、ぼくは驚いて水がまをひっくり返した。


 で、ぼくのまわりのやつらはこれは大変だと村まで逃げていった。でも、この逃げ方はダメだ。慣れたやつは地面をトカゲみたく這って、物陰に隠れる。


 ぼくが岩と岩の間に隠れてすこしすると、蟲たちが真上を通り過ぎていった。


 村まで走っていったやつらは蟲たちに殺され、目を向けられないような姿になってしまった。


 蟲に殺されたものはシャシュンさまの国に連れてかれる。入ったら、二度と戻れないところだ。

 

 岩から這い出ると、盟友のイイが手を貸してくれた。


 彼は山の向こうに住む人たちの子供で、この砂漠の民に奉公にきた子のひとりだ。彼とは互いにユーニの乳を酌み交わし、盟友になった。つまり、死んでシュンキに行くまで行動を共にするということだ。


「おい、大丈夫か? ほら、手、つかめよ」

 纏ったフフの皮の間から、土色の手をぼくに差し出す。

「ありがと、助かった」

 蟲が行った後、何回か嵐が起こった。でも、命を取られずに村に帰ることができた。


 村につくと、ユーニの乳売りのおじさんに呼び止められた。

「おい、エレンテの坊主! 今日は取れたか?」

「ううん、取れなかった。蟲に全部、さ」

「ああ、そうかいそうかい。そんれは気の毒だア、ほ、ほらユーヌやるからな、取っとけナ」

 このおじさんはいつも僕に気を遣ってくれるやさしい人だ。ユーヌくれるしね。


 イイはここの店で乳売りの仕事を手伝っている。日が傾いてからはこんどはぼくの家で石彫りを手伝っている。ああそうそう、ぼくの家は石彫りで、堅い岩に細工をして砂の海の向こう側に売りに行っているんだ。


 イイと別れてからは、舞を練習しているネケレさんのとこに向かう。彼女は舞がとてもうまくて、ヨッググの祭りのときのアイドルなんだ。


 家の入り口から大声でネケレさんを呼ぶ。

「ネケレ!来たよ!」

「…あら、今日は早いね、どうしたの?」

 奥で編み物をしていたようで、すぐに来てくれた。

 今日は舞の練習はしないみたい。

 彼女いわく、舞の練習はネキュのめぐりで決まった時しかやってはいけないんだとさ。

 ネキュのめぐりはぼくたちの習慣ではないから、よく知らないけれど、イイはこのことは、とても大切なんだと教えてくれた。


 ネケレさんの家で、甘い菓子と、氷石で冷やしたリュッピューの汁をもらった。リュッピューはぼくの大好物で、砂の海の向こうの

森の奥に生えているんだって。

 砂の海には怖いやつらがうようよいるのに、よくわたれるよなあ。


 日がオレンジから黒になるころ、カカ・イニュカが村中に子供は広場に集まるようにと伝えて回った。

 どうやら、黒い空についてる光る石について教えたいことがあるらしい。


「―おお!すっげえ!なんだこの―はっ!!」

 まだここに来て日がないイイは光る石を見て驚いていた。僕も久しぶりにこの光る石を見上げていた。


「はーい、みなさん聞いてくださーい。それでは始めますよ―」


 またカカ・イニュカのどうでもいい話がはじまった。でも、どうやら今日は、いままでとは違って、顔が真剣だった。


「―ここにつく光る石は、二エンス離れたこれとさらに五エンス離れたこことくっついて旅をする時の目印になりますよー!」


 そういってカカ・イニュカは大人なくせにちいさい背で懸命に手を振り回しながら説明する。


 ぼくのまわりの子供達も彼女に釘付けだった。普段の、土を練りまわして金にするとかいうやつよりよっぽどおもしろい。あんなのなるわけないのにな。となりのイイを見ると、目を光らせて、これは楽しい、学校楽しいねとはしゃいでいた。


 この他にも彼女は旅人の目印、海にいくための目印などを教えてくれた。


 正直、日が出てるときより今が良い。

 家に帰る道では、イイが興奮してずっとぼくに話しかけて、カカ・イニュカが言っていたことをすべて、何べんも何べんも繰り返していた。


 次の日、イイが早起きしてぼくより先に家を出ていったらしい。


 母さんからそれを聞いて心配になったぼくは、まずユーニの乳売りのおじさんのところにいった。


 まだ来てないっていわれた。すぐにぼくの家の工場にいったけど、そこにはイイの姿はなくて、ぼくはとっても不安だった。


 工場からでて途方にくれていると、ネケレさんが大丈夫?と声をかけてくれた。いつもなら喜びで舞い上がりそうだったけど、今日はそういう気分になれなかった。


 だって、イイがいないんだもん。

 ネケレさんは、懐から水筒を出すと、ぼくにくれた。


 水を流し込んで初めて、ぼくは喉が渇いていたんだと気づいた。


 落ち着くと、ネケレさんは、村からすこしいったオアシスにいってみたらと話してくれた。彼女はイイを見たわけではないけど、あそこは子供たちがよくいくとこだからねとつけたした。


 ぼくはネケレさんにお礼をいうと、急いでオアシスに向かった。


 とちゅうで何度もころんで、すりむいたけど、立ち上がって、あのごつごつとした岩の絨毯を越えていった。


 オアシスにつくと、ユーニがたくさんいて、草を食んでいた。こどもたちもそれと同じくらいたくさんいて、水浴びをしたり、みんな思い思いにあそんでいた。


 見渡すかぎりにイイが見つからなかったので、ちかくにいた子に聞いてみた。でも、イイは見てないよと返ってきた。


 すると一人がイイが馬に乗ったところを見たよといった。馬に乗ることは、決められた年齢になるか、お父さんにいいよといわれるまで乗ることを禁止されている。


 もしふざけて乗っていたら、ずっと閉じ込めの刑だ。理由があっても、一週間ぐらいは家から出してもらえない。


 でもじっとしてるのはいやだったので、近くにいたおとなしい誰かの馬に飛び乗って、オアシスから飛び出した。


 空の上には鳥たちが舞っていた。きっと、人間が出したいろんなものにたかろうとしているに違いない。あそこに、イイがいる。


 馬を急かして、鳥のところまで急ぐ。

 

 途中、不幸なことに右から蟲の声が聞こえてきた。ぼくはいそいで引き返し、近くの岩に馬と自分の体を隠す。


 蟲たちのジジジ…という声がなっている間は、蟲の方を見てはいけない。

 蟲たちに姿を見られると、殺されてしまうから。通り過ぎるまで馬を落ち着かせ、息を殺す。


 ジジジという声がしだいに遠くなり、聞こえなくなった。


 ぼくは岩からでて、ふたたび馬に乗る。

 まだ空には鳥たちが舞っていた。


 下の人は動いてないみたいだけど、どうしたんだろう。


 近づくと、イイが馬に乗っていた。でも、なんか様子が変だ。馬の背で前のめりになって、ぐったりとしている。


 それにハアハアと息づかいが荒く、両肩が小刻みに震えている。


「…んぐっ…はあはあ………」

 ぼくは医の道は知らなかったけど、これは誰が見ても病気だって、わかるものだ。


 馬があるので、そのまま繋いで帰ることはできる。でも、何か処置をしないと死んでしまう。


 一瞬悲しくなったけど、すぐに助けなきゃと思って、彼に水筒の水と、外出するときにはいつも携帯するよう言われている丸薬をあげた。


 意識がもうろうとした彼の口を無理やりこじ開け、丸薬を入れる。続いて水筒を口にぴたっとくっつけて、漏れないように注ぐ。


 んくっんくっとのどが動いた。これで、とりあえず大丈夫だろう…。

 しばらく岩のそばで、休ませたら、何とか動けるようになった。


 あの丸薬の効果はすごい。中身はよくわからないけど、ここの砂漠の民が時代の始まる前から造っていたという薬だ。


「…うう…クウィか…どうしてここに……」

「動いちゃだめだよ、安静にして、このまま寝ていて。」


 本当は水で冷やしてあげたいけど、ここは砂漠。岩のそばにしか生えないキーリュの葉をちぎって軽く揉む。すると、スースーとした汁が出てきて、冷たい。それを額に乗せる。病気のときじゃなくても、暑い日はキーリュがあると楽だ。汁を体に塗れば、水浴びしなくてもいいから。


 日が真上にくると、お腹が声を挙げて主張し始めた。

 とはいっても、そこまでのもちあわせはない。するとイイが、いいものを持ってるぞと言った。彼の馬のわき腹に供えられた袋には、チュキチュキの葉に包まれたイッキャが四つ入っていた。

 イッキャは旅人が何も食べ物がないときに食べる非常食だ。とても長持ちするし、食べれば1000キルエンス走ってもお腹がすかない。とても強力な食べ物だ。

 そういえばぼくの馬も持っていたはずだけど、気づかなかった。


 結局、ぼくはイイの馬のイッキャではなく、自分の馬のほうを食べた。

 しばらく、岩で過ごすことにした。水がないので、キーリュを口に含んで我慢する。おいしくないけど……


「…そういえば、どうして馬になんか乗ってたの、イイ?」

「……」

 彼はうつむいて、話そうとしない。


「ねえ、言ってよ」

「―実はな」


 彼は話してくれた。

 どうやら昨日の話から光る石のことが忘れられなくて、砂漠の向こうの樹に登りたかったんだって。

 ちゃんと準備していかなくちゃ。

 そそっかしいなあイイは。

 いったん村に帰ろうよと提案したけど、

 嫌だといわれたので、仕方がないから一緒に向かうことにした。

 馬に飛び乗って、樹に向かう。

 イイとぼくは風になって、砂嵐をおこしながら。空が濃い青になる頃、樹についた。

 この樹は世界が始まる前からあって、ぼくが生まれるずっと、ずっと前から見守ってくれている。


 イイはというとさっそく樹に登り始めて、太い枝に手を掛けようとしていたところだった。


 ぼくも彼に続く。


 右手、左手、右足、左足と交互に、トカゲのように登る。ぼくが枝に座ると、イイが大きな歓声を挙げた。


「見ろよ!世界の向こうまで明かりが続いているぞ!!綺麗だ!」


 ぼくが見たのは、地平線の向こうから続く不気味な紅い光……。

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手記 白須賀平八 @Melnus

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