裕也と颯
「なぁ、明日、世界が終わるってなったら、
昼食をとっていた屋上。俺からの問いかけに、お前は首を傾げ、弁当箱の蓋を閉じた。何気ない日常だった。
「なんだそれ?」
お前は立ち上がり、身体を伸ばす。それから、改めたように俺へと振り返り、
「暑すぎて脳でも煮えたぎったか?」
「いや、朝さ、ニュースでやってたんだよね」
俺も知らないニュースだった。只、銀河の描かれた白版に、巨大な隕石が三つ程。それが、明日世界に落ちてくる。普通、隕石は燃え尽きるか、燃え尽きなくとも只の石にかわる程度だ。だが、今回は違うという。
「なんか、隕石が落ちてくるんだって。例え海に落ちても、その衝撃の影響で津波が起きて、大陸が沈むらしい」
「へぇ」
お前は訝しげに俺を見た。
「大地に落ちたら?」
「大きな穴が開くって。アメリカが吹き飛ぶ程の。それが、三つくらい落ちて来ちゃうって」
「なんだそれ。映画じゃないんだから」
お前はそんな事を言う。確かに、そんな映画があった気がした。
「確かにクラスでも多数が休んでいたな。でも、俺は信じねぇからな」
そう言って、お前は片手に持っていた弁当箱を屋上の地面に置いた。太陽に向かって、手を伸ばす。その仕草は至極優雅で、美しい。その儘、数度か回転をする。お前はバレエを習っていた。不意に、そんな事を思い出した。
一度だけ、お前からチケットを買い取って観に行った発表会。きらきらと光るのは、確かに今隣りにいるお前だった。
日本を代表するバレエダンサー、
それは、友人と恋人を同時に失う事に繋がるからだ。
お前は、中学を卒業したら、ロシアのバレエ団に引き抜かれると言う。そこで、美人のプリマドンナでも見つけて、結婚するのだろう。結婚式には呼んでくれるのだろうか。そんな事を、思考していた。
祝福していながらも、もう一人の俺は、お前を引き止めたくて仕方がなかった。お前を鳥籠に閉じ込めて、ずっと、俺だけの為に舞う小鳥。
「そんな結末、誰が望むかよ……」
「
独り言を聞かれていたらしい。俺は少し恥ずかしくなって、お前から顔を背けた。
「でも、明日世界が終わるって、俺は少し嬉しいかもしれない」
いつの間にか俺の隣に座っていたお前は俺を覗き込んできた。色素の薄い、セピア色の瞳の奥に、戸惑う俺が映っていた。
「何で?」
俺は言った。
「だって、裕也は明日世界が終わるって時に、俺に逢いに学校に来てくれたんだろう?」
とんだ自惚れだ。しかし、そんな所も、お前の長所なのだろう。
「世界最後の日を、裕也と過ごせて嬉しいよ」
「お、……俺だって…」
思わず吃ってしまう。あの、発表会でお前を観た時のときめきや煌めきが、目蓋をくすぐる。いや、駄目だ。駄目なのだ。
この想いを、告げる事は。
「なぁ、裕也」
お前は唇を開く。
「今だから、言っておきたい事がある」
「な、何だよ……」
お前は詰め寄ってくる。距離が、段々と縮まる。俺が言葉を発する前に、唇が塞がれていた。
これは、どういう事だ。
明日、隕石によって世界が滅ぶ。つまる所、俺たちに明日が来る事はない。幸せだろう。心が俺の耳に囁きかけてくる。幸せだろう、隠してきた秘密が暴かれたのだから。
「本当に、滅ぶのなら、俺はお前と共にいたい」
唇が離され、言われたのがその言葉だ。
「でも、無理だよな。お前には家族がいる」
「俺だって、お前と共にいたいよ」
唇から溢れた言葉に、俺は驚いていた。これは、太陽だけが見ていた秘密だ。
「案外、バレエの世界って、ゲイが多いんだぜ?」
そう言って、お前はけらけらと笑った。
「役を掴む為なら、スポンサーと寝るなんて当たり前だ。そんな世界に入る前に、世界が終わって良かった」
「颯、お前……楽しみにしていたんじゃなかったのかよ」
「裕也と離れたくないんだ。同じ高校に通って、授業をサボって先生に怒られて。給食だって、パン屋の購買に行って」
お前のそう言う眼からは、いつの間にか止まらない程の涙が溢れていた。水滴が、俺のシャツに落ちる。
「ロシアなんかに、行きたくなかった……」
俺はお前の頬に手をやり、溢れる涙を掬い上げた。
「泣くなよ」
「泣いてない」
「じゃあ、その頬を伝うのは何?」
「……判らない」
その声は潤んでいる。
「東林町に住む皆さんへの放送です」
町内放送が遠く聞こえる。
「迫る巨大隕石によって、明日世界が滅びます。その前に、大切な人と少しでも同じ時間を共有しましょう。やりたい事、やり残した事、沢山あるでしょう。繰り返します……」
愛した相手を腕の中に包みながら、俺は目を閉じた。
明日世界が終わるのならば、想いが通じた相手と共に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます