明日世界が終わるなら

武田武蔵

亜希と加奈

「ねぇ、ニュース見た?」

 高校の門を抜けるか抜けないかの間に、私の肩を抱いて、清水亜希しみずあきは口火を切った。

「ニュース?」

 今朝寝坊して、未だに眠たい私は何処か、うんざりとした声色で答える。

 そういえば、ニュースを見ていなかった。

「明日、世界が終わるんだって」

 亜希は囁いてくる。

「は?」

 私は首を傾げた。なんと馬鹿げた話だ。きっと、フェイクニュースにでも亜希はだまされているのだろう。

「だから、戦争に終わりが見えないから、某国の首脳が核爆弾のスイッチを入れるんだって。だから、世界は終わるの」

「馬鹿げたニュースね」

 思わず溜息が漏れる。

「本当だって! きっとクラス中が知っているよ」

「はぁ」

 私は、再び溜息を吐く。そうして、歩き出した。

 確かに、とある国が元領土に進軍を始めて一年が経つ。それと共に、ヨーロッパ諸国やアジアをも巻き込んで、私が住んでいる日本にも、いつロケットと称した爆弾が降ってくるかわからない冷戦状態が続いている。

 あながち、嘘ではないのかもしれない。

 しかし、そんな事は起きて欲しくはない。私には、まだ、やり残した事があるのだ。

 下駄箱に靴を入れて、教室に歩を向ける。些か速足なのは、やはり亜希から聞いた例のニュースの所為かもしれなかった。

「待ってよ、加奈かなー」

 亜希が追いかけてくる。高校二年目の4月は始まったばかり。クラスで一緒になった事を忘れていた。

 彼女、清水亜希は中々の美少女だ。学年という枠を越えて男子の間にファンクラブが出来る程。私と言えば、母曰く祖父に似た、何処にでもいそうな一般人だそうだ。

 そんな私が何故、クラスのアイドルという地位を確固たるものにしている亜希と仲良くしていられるのか。それは、一年生の時分、オリエンテーションで同室になった事から始まっていた。

 丁度定員割れして、二人きりの部屋になった。相手は同性だ。夜の就寝前、何のためらいもなく、私達は互いのベッドの上で着替えをした。

「着やせするタイプなんだね」

 初めての会話がそれだった。

「え?」

 そんな事を言われたのは初めての事だ。私はさぞ挙動不審だっただろう。

「ほら、胸、結構大きいね」

 そう言う亜希はAカップあるかないかだ。

「なにカップあるの?」

「……Hカップ」

 少し沈黙を置いて、私は答えた。まるで、男子からの告白に戸惑う女子のように。すると彼女は、

「ねぇ、揉んでみても良い?」

 などと、聞いてきた。

「えぇ?」

 私は思わず服と下着で上半身をガードする。

「いいじゃん、それとも、真面目さんかな?」

「と、取り敢えず名前から……」

 頭の中は既にパンクしている。私は、自分でも良く判らない言葉を口にしていた。

「私? 私は清水亜希。よろしく」

「わ、私は浅見加奈あさみかな……」

 まるで見合いの席だ。あとはご両人だけで。そんな母親の声が聞こえてきそうだ。

「加奈ね。じゃあ、加奈、おっぱい、揉ませて?」

 私のベッドに上がり込んで、亜希は言った。彼女は下着姿の儘だ。

「本当にするの?」

 私といえば、すっかり怯え切った子ウサギのように、声を震わせていた。

「別にセックスするわけじゃないんだから。ほら、大丈夫だって」

 亜希は笑ってみせる。こっちはそれどころではなくなっていた。私だって、無駄に中学生活を送ってきた訳ではない。やはり胸の事で、女子に幾度か揉まれた経験があった。

 別に、恐い訳ではなかった。ただ、下着姿となると少し違う。

「ね、寝巻着てから」

 私は言っていた。亜希はつまらなそうに、

「そっか」

 それだけ言って、私のベッドに正座した。

「いや……互いに、寝巻、着ようよ」

「私はここで待ってる。加奈が着たいんだったら、着ればいい」

 言い返す気も失せて、私は寝巻に袖を通した。

 ベッドに押し倒されたのは、丁度上着の全てのボタンを付け終わった時だった。

「え?」

 一瞬、恐怖が私の頭に宿る。亜希はにやりを笑うと、

「身体、力抜いて」

 そう言って、唇を重ねた。

 半袖のシャツに、彼女の肌が触れる。胸の鼓動は高鳴り、頭の中が真っ白になった。亜希は寝巻の上から私の胸を揉んでくる。

 不思議と、嫌悪感は感じなかった。何処か、雲の上で遊んでいるような、身体が宙に浮いているような気持ちになっていた。

 思えば、これはファーストキスだ。

「加奈の唇、美味しかった」

 顔を離すと、亜希は口角を引き上げた。その手は、まだ胸の上にある。

「私の、ファーストキス……」

 恨みがましい声色で、私は言った。

「え? そうなの? うわ、ごめん」

 亜希はそう言うと、反省したのか胸からも手を離した。

「……でも、気持ち、良かった」

 私は率直な感想を述べていた。すると亜希は花がほころんだように頬笑んで、

「良かった! 嫌われたかと思った」

 と、言った。

「嫌わないもなにも、ほぼほぼ初対面でファーストキス奪って行く所が、何だか結婚詐欺師みたい」

「ずかずか言うねぇ……」

 そう言いながらも、亜希は落ち込んではいないようだった。

「惚れた……、ねぇ、私ってバイなんだ。付き合わない?」

 こんなことも提案してくる。私ではない他の一年生だったら、恐らく先生のいる部屋に駆け込んでいるだろう。

「私はノンケだから、泣かせるかもしれないよ?」

 私は答える。

「良いの、そうなったら、私は加奈とサヨナラするから」

 それは、少しばかり寂しさが込められているように思えた。

 それから、彼女との交際が始まった。アミューズメントパークや美術館でデートをしたり、カラオケに行ったり。本当に、色々な事をした。

 ただ、一線だけは、越えていなかった。


 やがて、クラスの扉を開ける。そこには、新聞記事に群がるクラスメイト達の姿があった。

「加奈、知ってた?」

 私が近づくと、一年の時も同じクラスだった明美が手招いた。やはり、亜希の言っていた事は本当のようだった。

「明日、世界が終わるの?」

 淡々と私は言った。

「恐いよね」

 明美は亜希と私、両方を見回して言った。それから、

「これから、なにする? 先生は故郷に帰るーって言って授業なくなっちゃったし。私も、もう帰って家族と最後の日を過ごそうかな? って思ってる」

「大体、みんなそうだよね」

 私は言った。

「私は、もう少し学校にいようかな。別れを惜しむ友達もいるし」

「加奈って、結構人気者だよね。誰にでも好かれると言うか」

「そんな事無いよ」

 明美の言葉に、私は首を横に振った。

「亜希ちゃーん……」

 隣にいる亜希を呼ぶ声が聞こえたと思えば、ファンクラブの男子たちがクラスの硝子戸に張り付いて、涙を流していた。

「握手、ハグ、してくる」

 亜希はそう言って、駆け足で外に出ていった。その刹那、私の耳元で、

「キスだけはしないよ」

 と、言った。

「亜希ちゃん、人気―」

 明美が苦笑する。

「じゃあ、私、帰るね。最後のお別れだね。じゃあね」

 明美はそう口にして、カバンを持ってクラスから出ていった。

 私も、一年の時のクラスメイトたちと話がしたかった。やはり、一番初めにできるのは一年で一緒だった人たちだろう。亜希との別れを惜しむファンクラブの列を横目に、私は隣のクラスに向かった。


 結局、亜希のファンクラブ特典は夕方まで続き、私は少しの肌寒さを感じつつ、既に誰もいなくなった教室で彼女を待っていた。

「ごめん、遅くなった」

 教室に入ってくるなり、亜希はそう言った。

「私は大丈夫」

 そう答える。先程迄、スマートフォンで家族と話していた。もしかしたら、帰れないかもしれない。そんな娘に、父はどう思っただろう。

「亜希、これは、私からの提案なんだけど……」

 ようやく出来た決心だ。私は腹を据えて、告白した。

「ホテル、行かない?」

「……え?」

 亜希の顔が赤らんだように見えた。

「だから、ラブホテルに行かない? 朝まで」

「家族は良いの?」

 亜希の声は震えていた。まるで、初めて話をした時の私と同じように。

「大丈夫。十分、別れを告げたから」

「本当に……、良いの?」

「うん」

 私は頷いた。そうして、席から立ち上がり、亜希と手を繋いだ。

「楽しかったよ、一年だけだったけど」

「私も。加奈と出逢えて良かった」

 そんな言葉を交わしながら、学び舎を後にして、私たちはホテル街へと足を一歩踏み出した。

 明日世界が終わるなら、初恋が、実りますように。

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