vol.5

 年が明けて、僕は羽織姿で駅前に立っていた。今日はコスプレじゃなくてただの和装だ。なんとなく気が向いてすぐに取れるカラー剤で髪を染め、サイドの髪を編み込んだ。我ながら格好良くて、母に写真を撮ってもらう。こうしてると息子みたいと、また意味不明な発言をしてたけど放って家を出てきた。

「きよら」

 やって来たのは賀茂先輩で、今日は目を見張るぐらい美しい振袖姿だ。お互いに似合うと褒めあって、じゃあ行こうかと歩き出す。楽しみにしていた初詣なのに、播磨は風邪で高熱を出し、高宮くんからは急遽親戚の家に行くことになったと断りのメールが届き、まるでデートのようになってしまったのだ。

 電車に乗って、この地域ではメジャーな神社に参拝する。

 毎日のようにそばにいて、先輩の美人オーラにもだいぶ耐性がついたと思ってた。でも今日の彼女は本当に本当に綺麗で、そんな人を独り占めしている自分が誇らしく、みんなに見せびらかしたい気分がずっとあった。

 駅から神社までの道は参拝客であふれ、はぐれないように賀茂先輩の手を繋いだ。近くに寄るといい匂いがして、胸のドキドキが治らない。心なしか先輩も甘えてきて、彼女が出来たらこんな感じかなあとテンションが際限無く上がっていく。

 参拝した後でようやく人混みから逃れ、僕たちは近くの甘味処へ。あったかいぜんざいと、抹茶パフェを半分こしながら食べる。

「美味しいね、きよら」

 彼女の笑顔がまぶしくて、味なんて全然わかんない。お茶を飲んでホッとしてると、

「実は、みつるくんと別れそうなの」とか細い声が聞こえた。

「年末にね。話があるって言われたんだけど、たまたまその日は用事があって。でもピンと来たんだよね。これは絶対に別れ話だって」

「ああ……うん。そっか」

 高宮くんは決心したんだろう。好きって気持ちは、計算通りにいかないものなんだ。誰が見ても賀茂先輩の方が絶対いいのに。バカだよなと思う反面、とても羨ましかった。

 僕はまだ、そこまでの想いを播磨に対して持っていない。

 もし賀茂先輩と播磨を比べるなら、今の僕なら迷うことなく先輩を取るだろう。何故なら僕はノーマルで、良くも悪くも普通の男子高生なのだから。

「その分じゃ、きよらは何か知ってるんだね」

 先輩が軽く睨んでくる。可愛過ぎて、鼻の下が伸びそうだ。

「うん、知ってる。でも何も言えなかった。沙優里ちゃんが高宮くんをすごく好きなこと、前に聞いてたのに」

「そっか。でもね、もういいかなって実は思ってるのよ。どうせ春までの期間限定だったし、大学行ったらまた、新たな出会いもありそうだしね」

 ん? 期間限定とは?

「私、春から東京に行くんだ。だからみつるくんとは、その間だけの付き合いって感じだったの」

「え、そんなドライに割り切れるの? すごく好きなんでしょ?」

「好きだよー。大好き。でも別に、結婚とかまで考えてないしね。まだ高校生だもん。これからたくさん人と出会って、結婚したいタイミングで相手を決めればいいかなって思うし」

 少し落胆した気分で、僕はそうだねと頷く。そんなにあっさりした好き、なんだ。それなら確かに、相手は高宮くんじゃなくても良さそうだね。

 なんとなく気が抜けて、甘味処からそのままうちの店に向かう。両親が奮発してカニを買ってくれてたので、部屋に上がって袴からジーパンに着替える。

 ノックの音がして賀茂先輩が入ってきた。手にはジャージっぽい服を持っている。

「ここで着替えさせてもらっていい?」

「ああ、いいよ。でも、もったいないね。せっかく綺麗だったのに」

「和服だと汚れるし、食べにくいからってママさんが」

 あっさりと帯〆を外し、手慣れた感じで帯を解く。

「じゃあ僕は店に戻ってるよ」

 立ち上がった僕に、待ってと引き止め、

「帯だけでいいから畳んでくれない? 簡単なの。折り目通りに畳むだけ」と言った。

「いやいやいや。今から裸になるじゃん」

「あはは。ならないよ。ちゃんと下に色々着てるから」

 賀茂先輩は笑って、どんどん着物を脱いでいく。仕方ないので床に落ちた帯を手に取り、言われた通りに畳み始める。

「……みつるくんにも振袖姿、見せたかったなあ」

 あれっと思って顔を上げると、彼女は長襦袢姿のままどこかを見つめて放心していた。その大きな瞳から、涙がぽつんと流れる。

「沙優里ちゃん?」

「……あんなの嘘だよ。ホントはみつるくんと別れたくない。まだ始まったばっかりなのに、もう別れるなんて意味わかんない。ねえ、きよら」

 涙を流しながら僕を見下ろす。

「私に何が足りなかったのかな? ちゃんと優しくしたし、ワガママも言わなかったのにな」

 気づいたら抱きしめて、唇を強く吸っていた。何してんだろと、頭のどこかではわかってる。でも体は言うことを聞かなくて、彼女の甘い舌を味わうように舐めていた。

 ハッと我に返って顔を離し、ごめんねと謝る。賀茂先輩は驚いた顔のまま、きよらも男の子だねと母みたいな発言をした。


 それから数日経った始業式の日に、高宮くんから賀茂先輩と別れたことを聞いた。駅前のファストフード店は学生がたくさんいて、甲高い笑い声がとても耳触りだった。

「沙優里ちゃん、泣いてた?」

 僕の質問に高宮くんは首を横に振る。そうだろうなと思ってた。きっと彼女は、いつもの笑顔で別れたんだろう。物分かりの良さそうな仮面を被り、綺麗な自分だけを彼に見せたのだ。

「それで? 島咲と付き合うの?」

 播磨がマスクをあごにかけたままジュースを飲む。結局、彼はインフルエンザにかかって、冬休みのほとんどを自宅で過ごしたらしい。

「……うん、まあね」

 みつるは頭を掻く。唇を引き締めているけど、嬉しくて仕方ないのが外に漏れている。ああ、ムカつくぜ。

「やっとあいつの本音を聞けた。ていうか、無理やり口を割らせた」

「どうせそれも、下ネタなんだろ?」

 播磨が肘鉄を食らわせる。高宮くんは憧れの存在だけど、今は正直一発くらいは殴りたい。

「みつるってホント野獣だよな。俺ときよらなんて、ほとんどプラトニックなのにさ」

「ふうん。付き合ってるのにまだ?」

「一回したじゃん」

 僕は播磨を見る。あんなのしといて、プラトニックなんてよく言えたもんだ。

「だから、ほとんどって言っただろ? この年頃の男なんて、みつるが実は標準かもしんねーんだから」

「うそ。高宮くんは野獣だよ?」

「二人とも止めろ」

 照れたように高宮くんが笑って、

「俺の悪口、言い過ぎだろ。まあ、言われて当然なんだけどな。沙優里と四人で遊ぶってこと、もう出来ないし」

 そう言われて、こないだの初詣は本当に残念だったと思ってしまった。賀茂先輩と過ごせて嬉しかったくせに。

「またうちの店に来てよ。沙優里ちゃんのバイトがない日、教えるから」

 僕がそう言うと、もちろん行くよと彼は笑った。

 店に帰ってお昼ごはんを作ってもらい、自分の部屋に入る。机に鞄を置いて、ベッドに寝転んだ。

 初詣に行った日、沙優里ちゃんとここでキスしたんだよな。

 あの後もそれからも、彼女は何の変わりもなく僕と接している。気を遣っているのか、そもそも僕には興味もないのか。多分両方なんだろう。でも僕はあの日から、沙優里ちゃんのことが忘れられない。

 自分のこの気持ちは、前から少し気づいてた。でも播磨への気持ちもそうだけど、これが恋なのかはよくわからない。ただの肉欲のような気もするし、気になってるのは好きだからとも思える。つまりは、何もはっきりしていない。

 こういう状態で何かを進めるのは良くない。それだけはわかっていた。自分の気持ちをちゃんと確認してから行動しないと、恐らく高宮くんのように後悔するだろう。

 それから数日後、学校の裏サイトで沙優里ちゃんと僕のツーショット写真が出回ってると花田に教えられ、昼休みに図書室のパソコンで確認した。その掲示板には和服姿の僕たちの写真が数枚アップされてて、どうやら初詣の時に隠し撮りされてたらしい。

「これマズイな。手繋いでる」

「うん。デートにしか見えないね」

 とりあえず管理人に削除要請してみたけど、一瞬で噂が流れそうだなと憂鬱になった。

 店で沙優里ちゃんと会った時に話をすると、

「そう。みんな知ってて、相手は誰って聞かれちゃった。仕方ないからみつるくんと別れたことや、きよらのことも少し話したよ。でも友達ってちゃんと伝えたからね」

 頷きながら、友達ってワードに少し傷つく。あのキスは沙優里ちゃんの中でノーカウントなのだろう。潔く諦めようと思いながらスタッフルームに入り、エプロンを外してる時に後ろから誰かに抱きつかれた。

「え?」

 振り返るとやっぱり沙優里ちゃんで、彼女はごめんなさいと謝ってすぐに腕を離した。

「どうしたの、沙優里ちゃん」

「うん……。私ダメだね。みつるくんと別れたこと、みんなに話すのが思いの外辛かったの。全然忘れられなくて、ずっとモヤモヤしてるんだ。こんなの早く無くなればいいのに、気づいたらみつるくんのこと思い出しちゃって」

 泣くのかなと思ってたら顔を上げて、

「ごめん。もう大丈夫。いつもこんな話ばっかりで、きよらも呆れてるよね」と照れたように笑った。急に愛しさがこみ上げて、彼女を抱きしめる。

「大丈夫。僕にだったら何を話してもいいよ」

「……うん。ありがと」

 ゆっくり顔を上げて、彼女は目を閉じた。

 これってキス待ちで合ってるよな。おそるおそる口を合わせ、舌を入れて長々とキスする。何してるんだろ。そう思う反面、沙優里ちゃんにもっと触れたくてじれったくなる。

 その週の土曜日、播磨の家に遊びに行った。今回は小学生の弟たちもいて、リビングはとても賑やかだった。

「……ごめん。いつもならあいつら野球に行ってるんだ。でもこの天候だからさ」

 彼の部屋に入ってすぐ、播磨は謝った。全然いいよと言って窓の外を見た。無数の雨粒が直線を描き、地面に向かって落下している。雨足は強そうで、帰る頃には弱まってほしいと思った。今日はコスプレもせず普通のトレーナーとジーンズだけど、靴だけはお気に入りのスニーカーを履いてしまったのだ。

「きよら」

 播磨の声に振り向き、ベッドに座る。頭を撫でられてキスの後、トレーナーの中に手を入れられた。

「何してんの。下にお母さんとかいるじゃん」

 播磨の手を止めて、僕はため息をつく。興味があるのは行為なのか、それとも播磨とだからか。この答えは未だにわからない。

「掲示板の写真、削除されてたな」

 僕の肩に腕を回して、播磨が優しい声を出す。沙優里ちゃんのことは彼に後ろめたくて、でも話しておかないとって気持ちもあって。

「ねえ、播磨。もし僕が他の女の子と寝たいって言ったらどうする?」

 やっぱり気が重くて、こういう形で彼の出方を見てしまう。ダメな奴だと我ながら思う。

「女の子と? 別にいいんじゃない?」

 軽い調子で播磨は笑う。この態度は自信の表れって奴なのか?

「前にも言ったけど。俺はきよらと、ずっと死ぬまで一緒にいたいんだよ。長い年月のうちには一時的な別れもあるだろうし、浮気だってするかもしれない。だから何かを我慢させる気にはならない。そういうのの積み重ねが、本当の別れに繋がるだろうしね」

「その結果、恋人じゃなくなっても?」

「うん。その時にはまた、友達に戻ればいいんだよ」

 物分かりのいいことを言うけど、これは奴の本心だろうか。もしそうなら、相当なイケメンだ。

「……黙ってられる性格じゃないから言うけど。実は気になってる人がいるんだよね」

「沙優里ちゃんだろ?」

 痛っ。図星を刺されて胸を押さえる。

「みつると別れて、かなり落ち込んでるもんな。俺だって、おまえと意味は違うけど気になってるよ」

「この前、沙優里ちゃんが泣いてる時、思わずキスしちゃったんだ」

 ベッドのシーツに指を絡めて、僕は俯く。これはさすがに怒るよな。顔を上げる勇気がなくて、

「でも別に、付き合うとかそういうのにはならないよ。沙優里ちゃんは春から東京に行くし、別に僕のことを好きでもないし」

 おそるおそる顔を上げると、播磨は口をぽかんと開けて僕を見ていた。

「……キスした? 沙優里ちゃんにキス?」

「う、うん」

「おまえの方からキスしたのか。この場合、きよらが自発的に動いたってのが恐怖だよな……沙優里ちゃんとキス。キスキスキス……」

 ヤバい。播磨が壊れた。

「ごめんね。やっぱ怒ってるよね」

「いや、怒ってない。全然平気」

 言葉と裏腹に、播磨の目から涙が溢れる。

「きよらの方からってことは……。もう既に、沙優里ちゃんを好きってことじゃん」

「それはどうかな。ただサカってただけかも」

 困ったな。播磨を傷つけてしまった。しばらく彼は黙って、そしておもむろに口を開いた。

「きよら。俺たち一旦、別れよう」

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