第32話 なにも知らない

「最高だった……」


 とても深い感情を込めて一条がつぶやいた。ド真ん中の席はなかなか通路に出られないので余韻に浸っているようだ。


 スパイと同じ感想を抱くのは釈然としないが作品に罪はない。ド派手なアクションに目が生きがちだが熱い人間ドラマもあり途中うるっとしたのも事実。一つ納得いかないのは、主人公が宇宙人側にも情状酌量の余地があると考えたところだ。


 最終的には頭を撃ち抜いてしっかり倒していたものの、明らかに悪い宇宙人は迷わず殺してほしいものだ。この作品には人間の味方になる良い宇宙人は登場しない。全て悪だ。宇宙評議会と同じなので次回作では改善を願いたい。


「そろそろ出よっか」


「うん」


 場内に残ったのは俺達を含めた数名でスタッフさんが掃除を始めていた。ほとんど一条が食べてしまったポップコーンの容器はさすがに持って帰るのは厳しいありさまだ。ポロポロこぼれたカスを綺麗にしてまで持ち帰る人は少ないだろう。


「やっぱり悪いやつが倒されるとスカッとするね。激しい乱闘もいいけど、パンッて一発頭にぶち込むのもカッコいい!」


「そう、だね」


 宇宙側に立つ人間なのに宇宙人が倒されたシーンに感銘を受けるなんてサイコすぎないか? それくらいの精神力じゃなきゃクラスメイト全員と仲良くなって籠絡するなんて芸当はできないのかもしれないが、敵ながらちょっと引く。


「名残惜しいけどこれともお別れか。あ、写真撮ろ!」


「わかった。スマホ貸して。俺撮るよ」


「違う違う。二人で一緒に。ほら、カップをこんな風に顔に近付けて」


「お、おい」


「影野くんも左手に持って。もっと近付いて。入らないよ」


「一人でいいだろ……」


「二人で見に来たんだから一緒じゃないと意味ないの。あの影野くんと二人で映画に行った証拠写真。これでみんなも信じるでしょ」


「おい。見せる気なのか?」


「んー? 影野くんがみんなと仲良くなって、一緒に遊びに行くようになったら公開しようかな。最初に二人で遊びに行ったのはわたしだぞってマウント取る」


「なんだそれ」


 俺がクラスメイトと遊びに行くなんてありえない。籠絡されて宇宙評議会側になった人間から得られる情報なんてほぼない。こうしてスパイに直接接触できるんだから。


「ほらほら。撮るよ。もっと近付いた方がいいね。本当は顔の横がいいけど仕方ない。よしよし」


「さすがに近すぎないか」


「そう? 全部を収めるにはふつうじゃない?」


 今日の一条は柑橘系の爽やかな香りを漂わせている。甘い香りが下剤効果だからおそらく別の作用だと考えられる。映画を見ている時もずっと匂いが鼻についたが今のところは特に影響は出ていない。


 間にポップコーンの容器があるおかげで顔と顔が触れ合うことはないもののかなり距離は近い。同性の友達とか恋人の距離だ。こんなものが公開されたら嫉妬に狂った男子に殺されてしまう。


 今すぐには消さないが、いつでもお前を殺す算段は付いている。そういうことなんだな?


「もっと笑って笑って。こちょこちょこちょ」


「……え?」


「くすぐりには強い方?」


「強いもなにも、触れられてもないし」


「いやぁ、こちょこちょこちょって言われるだけで悶絶する人もいるかなって思ったんだけど影野くんは違ったみたいだね」


 そんなパブロフの犬みたいな条件反射は仕込まれていない。もしそんな言葉で悶え苦しむようなら俺はすでに死んでいる。勝手にコラボ容器にするなんてふざけていると内心で怒ったものだが、今はそのおかげで一条の両手が塞がっているからほんの少しだけ感謝していた。


「いくよ。…………」


「撮らないの?」


「はいパシャリ! ふふ、影野くん油断したー」


「これは……」


 俺と一条がコラボ容器を挟んで見つめ合っている瞬間がしっかりと写真になって残されていた。

 ずっとスマホを見つめていたのになかなかシャッターボタンを押さないから、しびれを切らして一条に視線を向けた瞬間に合わせている。


「我ながらいい写真が撮れた」


「良くないだろ。恥ずかしい」


「わたしと影野くんの友情の証だよ? さ、これをみんなに見せてほしくなければさっきの質問に答えるのだ」


 俺が知ってる一条の秘密。宇宙評議会のスパイであるという事実を今ここで突きつければ消されてしまう。

 ただ、なにも知らないと答えても結果は同じ。暴徒と化した男子に殺されるし、生き延びたとしてもクラスでの居場所を失う。

 教室の隅にすら居られなくなればさすがに卒業は難しい。宇宙評議会を滅ぼす者として高校くらいは出ておきたい。


 だから俺は、一条の秘密をでっちあげる。情報が誤りなら勘違いということにする。一条に二択を押し付けられた状況で、第三の選択肢を押し通す!


「……一条さんには実は彼氏がいる。みんなには黙ってるけど」


 実際にいても不思議じゃない。クラスにはいなくても宇宙評議会の幹部とか。みんなと平等に接してクラス全員を籠絡する一条はアイドルのような存在。そんなアイドルに彼氏の存在が発覚すれば、怒りと悲しみの矛先はその彼氏に向く。


 当たっても外れても損はないはずだ。さあ一条よ。お前の謎に包まれた生態を暴いてやる!


「え? 彼氏? いないけど。生まれてからずっと」


「そうなの?」


「もしかしてわたしに彼氏がいるか気になる感じ!?」


 手で口を押さえて驚きの表情を浮かべている。俺がお前の恋愛事情を気にするのがそんなに衝撃か?

 まあ、それもそうか。恋愛感情があればすでに籠絡できてるもんな。好意を抱いているのに籠絡できていない。一条にとっては衝撃の事実かもしれない。


「いや別に」


 彼氏がいるとすれば宇宙評議会の上層部に繋がる可能性はあるから興味はまったくのゼロではない。ただ、彼氏がいないからといって自分にもチャンスがあると考える関係性でもない。


 クラスの男子に広めてやれば俺は一躍ヒーローになれるかもしれないが、本人からその情報を入手したと知られれば新たな火種が生まれてしまう。それに、教えてやる義理もない。


 そういういろいろな事情を含めて『別に』という返答に至った。


「そうだよね! 影野くんはわたしを恋愛対象として見てないもんね!」


「ああ、うん」


「わたし達は友達。よかったよかった。すごく安心した」


「それは……よかった」


 俺に惚れられるのはそんなにイヤか? そのくせ友達でいるのはすごく嬉しそうだ。嫌っているわけではないが、恋愛対象にはならない。そういう微妙な立ち位置なら俺の心を動かせるとでも考えているのだろか。


「それでさ、友達である影野くんにはまだ聞きたいことがあるんだ」


「なに」


「どうしてわたしがスパイだって気付いたの?」


「っ!?」


 一条がまとう雰囲気が冷たいものに変わる。返答次第では今すぐお前を消せるという殺気に似た負のオーラだ。

 やはり宇宙評議会はエクスバーンを危険視している。影野悟が確実に宇宙評議会を敵視していて、将来の危険因子であることが確定したら消す気なんだ。


「わたしはスパイであることを隠し通してきた。他の誰にも絶対にバレてないのに、どうして影野くんは気付いたの?」


「それは……」


 正直に話せば同志たちにも危険が及ぶ。過去のポストを掘り返されて、スパイの特徴を教えてくれた人から順に消されてしまう。


 自分が死ぬだけならいい。だけど、俺に世界の真実を教えてくれた同志だけは守りたい!


「……言えない」


「どうして? ちなみに今の回答で、わたしがスパイだって気付いてることは認めるんだ?」


 あと一押しでキスできてしまう至近距離で問いただされて小さく頷いた。あまりに具体的な質問に対してウソをついてもすぐにバレる。スマホの電源を落として電波攻撃を遮断しても、この距離での思考盗聴は防げない。できるだけ同志のことは思い浮かべないように努めたが、どこまで効果があったかは不透明だ。


「ゆっくりお話ししようか。絶対に逃げられない素敵な場所で」


 一条は俺の手を握ると、連行するように無言で歩き出した。さっきよりも手が温かいと感じるのは、俺の手が冷たくなっているからだ。


 別のことを考えろ。Zのことは忘れて、過激な無修正動画のことばかり考えるだ。俺はなにも知らない。教えない。

手と手で繋がっているスパイと動画みたいな激しいプレイをしている場面を想像する。脳内で犯されているのはお前だ。せいぜい思考盗聴して赤面するがいい。俺は宇宙評議会には屈しない!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る