第31話 核心
「早い時間だからそんなに混んでないね。駐車場はいっぱいだったのに。みんなどこに行ってるんだろ」
映画館以外の店舗はまだ開店時間前で入れないフロアも多い。最低でも車の台数分の人数がひしめき合っているのかと思いきや意外にも空いていて発券もスムーズだった。
一条が予約したのはド真ん中の特等席。視線の高さにスクリーンがあって流れている広告の見やすさに感動した。
隣に誰もいなければなんて贅沢は言わない。隣にスパイがいなければどれだけ気持ち良く鑑賞できたことか。
「そうだ。お金」
「いいよいいよ。今日はわたしが誘ったんだし。あー、そうだ。お昼は影野くんにご馳走してもらおうかな」
「……わかった」
学割が利いたチケットと昼食代。たぶん後者の方が高いよな。なんで敵に奢らないといけないんだ。この辺りに関してはまだ天音の方がマシだった。
「なんて冗談。ちょっと薄暗いし、あとでね。でも影野くんが超可愛いわたしに奢りたくなったらいつでも受け付けるよ!」
「…………ちょっとトイレ」
「えーん。冷たい」
客層はカップルが多く自分達の世界に入っている。俺が女子を置いてどこかに行こうとも冷ややかな視線を向けられることもなかった。ここに一条の味方はいない。それはこちらも同じことだが一対一の状況は継続している。
上映開始までまだ時間はあるのでギリギリまでトイレで時を過ごすためゆっくりと通路に出ると肩をポンと叩かれた。
「わたしも。映画と言えばポップコーンだよね」
「……奢れと?」
「影野くんがそうしたのなら」
一条がスパイじゃなければ喜んで奢っていた。二人きりで遠くの映画館まで来て知り合いに邪魔されることはない。好感度を上げるには格好の機会だ。
「奢りはしないけどチケット代は先に払っとく」
財布からピッタリの金額を取り出して押し付けるように渡した。今日の俺は抜かりない。小銭がなくてお金のやり取りが保留されるというミスだけは絶対に避ける。休日にスパイと過ごすのは今日で最後。命を消されるか、宇宙評議会の核心を突くような情報を手に入れられるのか二択だ。
「わたし待ってるから。一緒に売店行こ」
「奢らないよ?」
「それは冗談だって。一人でポップコーン持ってたら大食いみたいじゃん。影野くんも一緒に」
「わかったよ」
限界までトイレにこもる作戦は封じられてしまった。俺の意見を尊重しているようで一条のやりたいことを押し通されている。やはり人を手玉に取るのがうまい。それでもなお籠絡されない俺に多少の苛立ちを覚えているはずだ。
少しずつ冷静さを欠け。お前が大胆な行動に出ればそれだけミスを起こしやすくなる。付け入る隙を狙っているだけで、女子と二人きりだから緊張しているわけじゃない。
俺はやれる! いざとなればエクスバーンだって放てるんだ。そう信じることでなんとか心臓は落ち着きを取り戻しつつあった。男子トイレはまさに聖域。一条が絶対に入ってこないという意味では家よりも安心できるかもしれない。
「お待たせ」
「よし。じゃあ行こうか。影野くんはしょっぱい派? 甘い派?」
「ポップコーンはしょっぱい方が好きかな」
「じゃあわたしはイチゴ味にしようかな。シェアしよ。飲み物には何にする? さすがに飲まずのポップコーンはキツいでしょ」
「じゃあ、ウーロン茶で」
「おっけー。まとめて買ってきちゃう」
「荷物くらいは持つよ」
「おっ! 急に男を出してくる感じ?」
「いたたまれないんだよ」
女子に財布を出させておまけに手ぶらで席に戻ったらさすがに変な目で見られそうだった。カップルが多いから特にヒソヒソとあらぬ誤解話を展開されたら気まずい鑑賞になるのは間違いない。
ただでさえ外見の格差があるからせめて行動くらいは対等な感じにしておきたい。敵であるスパイと対等というのは不服ではあるが、今は耐え忍ぶ時。最終的に勝つのが俺ならそれでいいんだ。
「すみませーん。ポップコーンのペッパーとイチゴ、あとウーロン茶を二つ、Lサイズでお願いします。あっ! ポップコーンはコラボカップでお願いします。両方とも」
これから見る映画はコラボ商品があるらしい。味とかじゃなくて容器に特別プリントが施されるだけで料金が割り増しになる。さりげなく俺の分まで値段を上げやがった。100円だからギリギリ許せるが納得はいかない。
「俺は別にコラボじゃなくて」
「いいの! せっかくだからポップコーンからアゲてこうよ」
「容器はどうするの?」
「さすがに持って帰れないかな。粉とかいっぱい残るだろうし。この二時間に全てを賭ける。そんな気持ち」
「すご……」
映画への愛ではなく、自分のキャラ設定を貫く姿勢に思わず称賛の言葉が漏れた。
「本当に楽しみにしてたんだ。なんたって影野くんと一緒だもん。なかなか誘える友達もいないしさ」
「それはウソでしょ。クラス全員と仲が良さそうなのに」
「この趣味を共有できる友達って意味。人生で一度も巡り合ってない、影野くんが初めてなんだ」
「そんなマイナーな映画じゃないでしょ。テレビでもやってるくらいだし」
続編がいくつも作られる超有名作品だ。俺達が生まれる前から続くシリーズで、最初から全て追っているのは一条くらいかもしれないけど高校生からの人気も高いらしい。
テレビにかじりついて見るほどではないにしろ、それなりにおもしろいと思ったし画面に釘付けになる時間もあった。
俺を特別視していることを匂わせて籠絡するつもりだとしてもそうはいかない。たとえ裸で抱き付かれたとしても俺を堕とすのは不可能だ。お前のスパイとしての誇りをずたずたに引き裂いてやる!
「お待たせしましたー」
コラボ容器に入ったポップコーンとウーロン茶が二つずつセットされた箱を受け取り席へと戻る。
上映開始時刻までもう少しだが、どうせ十分くらいは広告が流れるだろう。いよいよ暗闇の中で一条と過ごす時間が始まる。
今のところ飲食物に一条は触れていない。荷物を自ら持ったのは一服盛られるのを防ぐためでもある。香りで腹痛を起こせるのが宇宙評議会だ。もしやつらが開発した無味無臭の新型兵器を摂取させられたら確実に命を落とす。
鑑識でも引っ掛からない新成分なら俺は謎の死を遂げたことになり一条は無罪放免。この地域の警察が宇宙評議会の手に堕ちていなくても完全犯罪を成立できるわけだ。
一条よ。お前は俺を籠絡することも消すことも叶わない。
せいぜい宇宙人が倒される映画を見て心を痛めるがいい。これはお前が選んだ物語だ。
「くくく……」
しまった。また油断した。
「映画楽しみだねー。ここまで全部計画通りに進んで本当によかった」
「コラボも買えて?」
「それもあるけど、絶対に影野くんが逃げられない状況を作れたことかな」
「え……?」
「影野くんなら荷物を持ってくれると思ったし、いきなり投げ捨てて走ったりしないでしょ? 絶対にこのまま席に着いてくれる」
「逃げる? なんでさ」
箱にすっぽりとハマってはいるがLサイズのドリンクはさすがに中身がいっぱい入っているのであまり激しく動かすと中で波打つ。一条の言葉に動揺していないことを装うために少し歩くペースを落として慎重に動く。
客席はさっきよりも確実に埋まっていて、俺達が座る列も飛び飛びで人が座っていた。
「すみません。失礼します」
一条が先導する形で足を避けてもらいながら自分達の場所に辿り着く。美人が目の前を通るだけあって男女問わず一条の顔に見惚れていた。その隙を利用して俺もなんなく通過できたのは好都合だった。
たぶん俺一人だったら怪訝な顔をされていたと思う。人類の敵なのに顔が良いだけで優遇されるなんて、この世界はやはりおかしい。
「さっきの続き。これでほんとに逃げらないよね?」
「だから逃げないって。恐い映画なの?」
「人によっては恐いかもね。いっぱい戦うし」
「知ってる。昔のはテレビで見たから」
フィクションであっても誰かが戦うのは見たくないというタイプの人には耐えがたい映画だとは思う。血だって出る。そんなものに今更ビビるような俺じゃない。
「影野くんはもっと過激な動画を見てるもんね」
耳元でささやかれて全身がカッと熱くなった。比較対象としておかしいだろ!
まだ広告が流れている段階で場内も明るいが、一条は周りに配慮する形でそのまま俺にだけ聞こえる小さな声でつぶやいた。
「答えは映画が終わったあとにじっくり聞かせて」
右隣には一条、左は空席みたいなのでドリンクホルダーを勝手に使わせてもらうことにした。マナー違反は承知の上だが、こいつの手が届く範囲に自分の飲み物を置くのはあまりにも恐い。
少し腕を伸ばしたことで一瞬だけ一条の熱から逃れることはできたものの、またすぐに至近距離に敵の気配を感じる。
吐息が耳をくすぐるたびに鼓動が早くなる。一般的な男子高校生とは違う意味で心拍数が上がっているのは間違いない。恐怖に近い感情に支配されている。
「影野くんって、わたしの秘密どこまで知ってるの?」
#宇宙評議会のポストを見られたんだ。一条が俺を問いただすのは自然な流れだ。お前の秘密は全て知っている。俺が同志達に報告したスパイとはお前のことだ。そんなものポストを読めばわかるだろ。
あえて俺の口から引き出そうというのなら、徹底的にとぼけてやろうか? 相手をイラつかせることで本音を引き出す。
映画が終わったあとは、人類対宇宙評議会の戦いだ。
「ポップコーンは自由に取っていいルールね」
そう言って結構な量を頬張ると同時に映画泥棒のターンも終わり、いよいよ上映開始だ。スパイが持ってるポップコーンなんて恐くて食えるか。どうせお前は先に解毒剤とか飲んで耐性ができてるんだろ。
男は黙ってペッパー一択。甘いものを口にするのは戦いが終わったあとでいい。
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