第12話 偽情報

 いつもより一日が長く感じた。休み時間の度に一条が俺を監視するように視線を送るから気が気じゃなかった。その視線に気付いた他のクラスメイトも俺と一条の間に何かあったのかと疑いの眼差しを向けるから落ち着かない。


 トイレの個室に逃げる手もあったが天音が仕掛けてくるのも面倒だ。細心の注意を払いながらZに没頭することで今日はどうにか乗り切った。


「帰るぞ」


 今日は一条との約束はない。高校生としてやるべきことはやった。あとは真っすぐ安全な自室に帰るだけだ。情報を盗み取られないように対策を施したコンセントでスマホを充電しながらZを見る時間は最高だからな!


 外はいつどこで思考盗聴されるかわかったもんじゃない。電線の上に止まるカラスだってカメラを内蔵したロボットかもしれないという話を聞いた。


 いつも学校の周りをウロウロしてる猫も怪しい。野良のくせに妙に人懐こくて俺なんかにも甘えてくる。おそらく一条が懐柔してクラスメイトを監視させているんだ。


 早歩きで教室を出て玄関へと向かう。まだ帰りのホームルームをやっているクラスもあるから廊下の人通りは少ない。おかげで颯爽と移動できるが、それは相手にとっても同じことだった。


「影野くん」


「…………」


 聞こえないフリをしてそのまま立ち去りたかった。だが、ここで無視するのは一条に対して後ろめたい事実があることを認めるも同然だ。どうにかこの場から一秒でも早く逃げる方法を考えながらしぶしぶ声のした方に振り返る。


「めっちゃ足速くない? 追い付くの大変だったんですけど」


「あ、ご、ごめ……」


「ねえねえ、友達になったんだからZのアカウント教えてよ。影野くん、よく見てるよね?」


「うん……」


 一瞬スマホの画面を見ただけでZだと気付かれてしまったようだ。その辺はさすがスパイと言わざるを得ない。だが、ここまでは織り込み済み。むしろこうなる展開を読んで用意していたものがある。


「QR読ませて。絶対フォロー返してよ?」


 QRってQRコードのことだよな? Zにそんな機能があったなんて知らなかった。リアルの人間関係とZを切り離してるから気にしたこともない。


 一条は弱った獲物にじっくりとどめを刺す猛獣のようにギラギラと輝いた瞳で俺にQRを表示するように催促する。


「あ、もしかしてQR使ったことない? えっとね」


「ふぇ!?」


 壁際に追い込まれて逃げ場を失う。壁ドンに近い状態になり下剤作用のある甘い香りがイヤでも鼻腔を刺激する。開いた脚の間に一条の脚が交差し簡単には逃げられない。よほど俺のZを監視したいらしい。


「ここをタップして」


「アカウント?」


「そうそう。それでQRコードってとこ」


 正面からスマホを覗き込みながら指示を出すせいで距離がめちゃくちゃ近い。まるでカツアゲにでも遭ってる気分だ。おまけにこのあと下痢になることが確定している。


 せめて一条の谷間でも拝んでやろうじゃないか。この胸で多くの男子の籠絡しやがって。まったくけしからん。スマホに夢中になってるから俺がガン見してるのにも気付くまい。今この瞬間は俺が優位だ。


「うーん? なんかうまく読めない? 位置が悪いのかな」


 スマホを重ねていた一条が隣に移動する。圧迫感がなくなったのはいいが横にいても妙な威圧感がある。自信に満ちたキラキラ女子高生はこれだから嫌いだ。やはりこういうやつは後ろから監視するのがちょうどいい。


「わたしのスマホが悪いのかな。ID入力して直接影野くんのページに飛ばせて」


「え? それはどういう……」


「えと、ここがホームだから……satorun、さとるん? 超かわいいんですけど。なんか意外。めっちゃ本名わかるし」


「深読みして実はサトルじゃないって思われるかなって」


「しないしない。ふつうにサトルでしょ。さとるんって呼んでいい?」


「ダ、ダメだ」


「そっかー。親密度が足りないかー。まずはさとるんが目標かな」


 勝手に目標を設定している間に偽アカウントであるsatorunのフォロワーが一人増えた。kirara0402。お前だって名前と誕生日が丸わかりじゃないか。どうせいろんなパスワードも0402なんだろ?


「影野くんゲームうまいの? なんか勝ってる写真ばっかり」


「ま、まあ。それなりに」


「ここでバイバイは寂しいから駅まで一緒に帰ろ。親睦を深めよう」


「…………うん」


 偽アカウントを教えれば満足すると思ったが甘かった。一秒でも早く駅に着くためにいつもよりペースを上げて歩き出したのに何の苦もなく一条が付いてくる。女子は歩くのが遅いからゆっくりペースに合わせてくれるのがモテるんじゃなかったのかよ!


 この女には常識が当てはまらないのか? いっそ女子に歩幅を合わせないダメ男として認識してほしいのに作戦が全く通用していない。


「影野くんって超紳士だね」


「そ、そう?」


 紳士なら一条のペースに合わせるだろ。適当なことを言いやがって。俺のガードが固くて全く籠絡できないからやけくそになってるのか? 天音に先を越されるのが相当イヤなのかもしれない。


 それはそうか、俺以外は一条が籠絡してるんだもんな。最後まで堕ちなかった俺をいつもボーっとした天音に取られたらそりゃ悔しいか。……つまり、俺は天音と仲良くなれば一条に一矢報いることができる。


 一条は向こうからグイグイくるが天音はそういうタイプじゃない。急に教室で声を掛けたるのは不自然だし、何を話せばいいかもわからない。天音を仲良くなって、それに嫉妬した一条に天音を消させる作戦は却下だ。


 表面上は一条と仲が深まったように見せかけて、天音が一条に対して何か攻撃的な行動を起こせば万々歳くらいに思っておこう。


「そんな紳士な影野くんに質問です」


「なんでしょう」


「本当に無修正のエロ動画なんて見てるの?」


 耳の中で一条の声がこだまして脳が揺さぶられるような感覚に襲われる。頭の中がトロトロになって何も考えられなくなりそうな幸福感。これが多くの男子を籠絡してきた者の力というわけか。

 とんでもない質問をされた気がするが、その内容をうまく処理できない。


「どんな動画見てるの? Zのお気に入りとかしてないの?」


 ウソの中に混ぜた真実。たしかに無修正の動画は見ているし、しっかりお気に入り登録もしていつでも簡単に見られるようにしてある。ただし、いつも使っているkagenouでだ。


 詰めが甘かった。ダミーのsatorunでも動画をお気に入りしておけばよかった。話の辻褄が合わなくなってしまう。


「ちらっと見せてよ。お願い」


「ダ、ダメだよ。こんなところで」


「見せてくれないと言いふらしちゃうよ?」


 何が悲しくて下校中にエロ動画を流さないといけないんだ。見せたら見せたで変なリアクションをされても困る。女子の下ネタがえげつないと言うが、俺が見てる海外の動画もなかなかの衝撃作だ。


 とにかく全てがデカい。自分のモノと比べると同じ人類とは思えないくらいだ。いくら男に慣れてる一条でも世界レベルに遭遇したらドン引きするかもしれない。見せても地獄、見せなくても地獄、俺は一条と一緒に地獄に堕ちようとしている。


「それとも、本当はそんなの見てないんだ? 影野くん、初心(うぶ)そうだもんね」


 耳に息を吹きかけられて反射的に体がゾクゾクと震える。とても心地良い。何度も繰り返されたらクセになってしまいそうだ。こいつは宇宙評議会のスパイ。絶対に心を許してはならない。


 アルミホイルを被ればこの攻撃を防げるのかもしれないが、残念ながら用意はない。己の精神力のみで耐えなければならない。


「見てるし」


「じゃあ証拠見せてよ。えげつないやつ」


 まさか、今教えたのが偽アカウントだと気付いている? 本アカウントに移動させるためにこんなめちゃくちゃな要求をしているのだとしたら鋭すぎる。どこでバレた? いや、最初から本物を教えてもられるなんて思っていなかったのかもしれない。


 俺が用意した策の二手三手先を行く。スパイの手強さを実感してじんわりとイヤな汗が出る。


「お気に入りはしてない。うっかり再生したら恥ずかしいから」


「なるほど~。電車の中とかで流れたら大変だもんね。じゃあ、どうやっていつも見てるの?」


 全く引き下がる気配がない。それどころかスマホを覗き込むために体を寄せてくる。布越しでも一条の熱が伝わって、否が応でもその存在を意識してしまう。


「アカウントを覚えて、毎回入力して」


「うそ! ヤバ! 見せて見せて。影野くんのテクニック」


 そんなにエロ動画を見たいのかこの女は。性に寛容な方が男子ウケはいいと思うが、無修正動画を要求されるとちょっと引く。


「えと……」


 記憶を頼りに偽アカウントから無修正動画を投稿するアカウントを検索する。基本はランダムなアルファベットと数字の羅列だけど、一つだけすごく簡単なやつがあった気がする。たしか……ippon_US。有名なサイトに掲載されている無料サンプルを転載しているツーアウトなアカウントだ。


 俺の無修正動画の始まりとも言えるアカウントは今はもう稼働していなくて過去の投稿を見れるだけ。稼働していないからこそZの運営も存在に気付かずそのまま残っているという説が濃厚だ。


「あった」


 ちょっと久しぶりだったのでまだ残っているか少し不安だったが、以前見た時と同じく新しい動画は投稿されないままネットの海に漂っていた。


「こんな感じだけど」


 とりあえずサムネイルを見せた。まだ無修正らしさはあまりない。再生ボタンを押すと何にも隠されない生々しい行為が映し出される。一条よ、これで満足してくれ。


「よし再生!」


「あっ!」


 サムネだけでは満足できなかったのか一条はためらうことなく再生ボタンをタップした。普段は隠されている部分が繋がり激しく動く。女性一人に対して男が何人も。みんなデカい。


 見るからに絶叫してそうな映像が流れ続けるがスマホから音声は聞こえない。授業中に通知音が鳴らないようにミュートにしておいた本当に良かった!


 今すれ違った人はまさか俺達がエロ動画を見ているなんて思いもしないだろう。


 さっきまであんなにはしゃいでいた一条は動画をまじまじと見ながら口をぽかんと開けていた。

 想像していたより激しくて驚いているのか? だから言ったじゃないか、えげつないって。


「影野くん……マジですごいね」


 すごいのは俺じゃなくて行為に及んでいる外国の方々なのに、ほんの少しだけ勝った気分になった。用意していた偽アカウントは一条の中で本物として認められたようだ。

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