第9話 モールス信号
モテないダメな男子高校生。残念ながらそれが俺という人間だ。こうして授業を受けても内容は半分くらいしか理解できていない。反対に、スパイである一条は真剣にノートを取っている。後ろ姿からでも真面目さが伝わってくるようだ。
先生が言っていることを全て理解し、記憶しているような余裕すら感じる。学校の定期テストくらいなら授業を一回聴けば対策できますよと言わんばかりだ。
成績が良くてすかしてる。それだけならただのイヤなやつなのに後ろ姿すら綺麗だからタチが悪い。窓から入る秋風が一条の黒髪を揺らすだけで画になる。もし一条がスパイじゃなければ……今よりももっと一条との接点がない高校生活だったな。
それはそれで平和だから良い。宇宙評議会のスパイだから成績が良い美少女になれた。そんな風に考えることもできる。運命とは皮肉なものだ。
ノートを写させてもらえる友人がいないのでとりあえず一生懸命ノートを取るものの内容はさっぱりだ。どうせ聴いてもわからないなら別のことに意識を向ける方が有意義なはず。
授業中だけは俺が一方的に一条を監視できる。こちらをチラリと見る気配すらない。今は授業に集中して、必ず来るテストに向けた準備と先生からの評価を上げようとしているようだ。
ん? 斜め後ろから監視できるがゆえに一条の妙な動きに気付いた。一見すると真面目にノートを取っているように見えるが、それにしてはペンを動かす手に力がこもっている。そして定期的にペンで机を小突いていた。
シュー・シュー・トン・トン・シュー
トン・トン・シュー・トン・シュー
トン・シュー・シュー・トン
トン・シュー・シュー・シュー
シュー・シュー・トン・シュー・トン
トン・シュー・シュー・トン
トン・シュー・トン・シュー・シュー
トン・シュー
シュー・トン・シュー・シュー・トン
イライラしているのか一条はシャーペンの先をノートにこすりつけて謎のシューという音を出しながら時折トンと机を叩く。その奇行以外は真面目に授業を受けているし、ペンの調子が悪いのかなと思うくらいだろう。
一条の隣に席に座る原くんはさすがに音が気になる様子だが先生は気にも留めてない。俺が同じことをしていたら絶対に注意しているだろう。優等生だから何か事情があるに違いない。
そういう印象操作に一条は成功している。繰り返される謎の音には一定のリズムがある。
俺は気付いてしまった。これはモールス信号だ。解読はできない。が、クラスに仲間がいる。籠絡したクラスメイトではなく、スパイの仲間だ。
授業が始まる直前に天音、それに続いて俺がギリギリで着席した。クラスメイトとほとんど交流がない俺が、それも女子と同じタイミングで教室に入った。それを一条が見逃すはずがない。
なんたって監視対象なんだから。下剤効果のある香りを使ったのが失敗だったな。さすがに男子トイレまで付いていくことはできまい。
自分が見ていないところで何があったのか、一条はそれを知りたくて堪らない。だから天音にモールス信号を送っている。さて、天音はどう動く?
信号の解読はできなくとも、返事をするかどうかだけでも二人のスパイとしての関係性が見えてくる。
窓側の一番後ろという教室全体を見渡せる席は非常に好都合。小柄な天音は先生の死角になる教壇の前の席だ。
一条は信号を送るのに必死で他に怪しい動きはない。天音だ。天音はどう動く? 教壇の前で一生懸命授業を受ける小柄な女子に視線を移すと、明らかにウトウトしていた。
あんなに首がカクンと落ちていれば顔は見えなくても寝ているとわかる。教壇で死角になっている上に小さいから先生の目には入っていないようだ。上手に空間に溶け込むことで気配を消す。授業中に居眠りをするというダメな生徒を装いながらもスパイとして優秀な一面がある。
人種としては僕と同じタイプでありながら宇宙評議会に手を貸すとはなんて愚かなんだ。そして恐ろしい。
一条のようなハイスペックだと警戒されるが、天音のようにボーっとしていればまさかスパイだなんて微塵も思わない。
先生が板書に集中している間にこっそりスマホを操作する。早く同志達にもう一人のスパイについて報告したい。天音みたいなタイプのスパイがいることを報告できれば同志達はより安心して生活できるだろう。
―クラスにもう一人がスパイがいるかもしれない。ほぼ間違いなくスパイだ。一見するとボーっとしているが、明らかに俺を狙っている。 #宇宙評議会 ―
一番後ろの席は先生の視界に入りやすい。じっとスマホを見つめているとすぐにバレるのでメッセージを送ってすぐに机の中にスマホを戻した。
一条は一旦信号を送るのをやめてノートに集中している。天音の反応がないから諦めたのかもしれない。どうやら一条と天音はスパイとしての仲は良くないようだ。ただのクラスメイトの一人として天音を見ていたら絶対に気が付けなかった。他のやつらと同じように、一条は天音とも仲良く話している。
会話のペースが噛み合わなそうなのに不思議だったが、あれは正体を隠すための演技だったのだろう。タイプは違っても二人ともざっくり言えば美少女だ。二人が一緒にいるだけで華やかだし、見るだけなら目の保養になる。
そうやってクラスメイトの心を掴んでいたんだから恐ろしい。自分の顔の良さをわかった上での行動だ。
シュー・シュー・トン・トン・シュー
トン・トン・シュー・トン・シュー
トン・シュー・シュー・トン
トン・シュー・シュー・シュー
シュー・シュー・トン・シュー・トン
トン・シュー・シュー・トン
トン・シュー・トン・シュー・シュー
トン・シュー
シュー・トン・シュー・シュー・トン
一条が再びモールス信号を送り出した。天音の方は顔を上げてノートを取っている。居眠りしていた間の遅れを取り戻すために必死に……ではなく、後ろ姿からでもわかるマイペースでのんびりと手を動かしていた。
今は完全に信号を受け取っている。ここでの反応が一条と天音の本当の関係性だ。スパイとして協力しているのか、ライバルとして隙あらば潰そうとしているのか、絶対に天音から目を離してはいけない。
「くしゅん! ケホ、ケホ、ケホ。んっ! くちゅん!」
「どうした天音。風邪か?」
「ネビエシタカモシレマセン」
「堂々と寝てたって言うなよ……。たしかにちょっと風が冷たいかもな。窓、閉めるぞ」
天音の発言にクラスがくすくすと朗らかな笑いに包まれる。そんな中、俺以外にも表情を崩さない人物が一人。一条だ。
おそらく今のくしゃみと咳がモールス信号に対する回答。その答えが一条にとって気に食わないものだったのだろう。二人はスパイとしてライバル関係にある。そして争いの原因はなかなか籠絡されない俺。
授業の空気が緩んだ隙にこっそりとスマホを見ると返信があった。
―クラスにスパイが二人!? それでよく無事でいられるな。すごい。 #宇宙評議会 ―
―それだけ敵の情報を手に入れられるチャンスとも言える。もしや担任もスパイなんてことは。 #宇宙評議会 ―
―教師と生徒の恋愛はマズいからさすがにそれはなくない? スパイにほだされて奴隷のような扱いを受けてる可能性はあるけど。 #宇宙評議会 ―
―スパイ同士って協力してるの? 高校生の恋愛感情を弄ぶってことは内部事情はドロドロしてそうw #宇宙評議会 ―
やはり同志は勘が鋭い。学校の成績だけではなくスパイとしての成績も一条の方が上。しかし、そんな優秀なスパイでも俺を籠絡できていない。そこに劣等生のスパイである天音が俺に近付いて、何か行動を起こした。
自分にも籠絡できなかった俺を天音に奪われるかもしれない。そんな焦りから授業中に不自然な音を出してまでけん制した。こんなところだろう。
これはチャンスだ。天音もスパイだとわかっていれば絶対に籠絡されることはない。が、多少はなびいてみるのもおもしろそうだ。もし攻撃されそうになっても天音からなら逃げきれる。
天音から宇宙評議会の情報をそれとなく聞き出しながら一条に精神攻撃を仕掛けられるなんて最高じゃないか!
「暑くなったらまた開けるぞ。えーっと、どこまでやったっけ」
先生が窓を締めたことで教室を吹き抜けていた秋風がなくなり、一条の黒髪はストンとおとなしくなった。
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