第4話 攻めの姿勢

 本来ならスパイと籠絡されたクラスメイト達から解放される清々しい瞬間のはずなのに今日に限ってはとても気が重い。

 まさか放課後をスパイと一緒に過ごすことになるなんて。一条は部活動をやってないのだろうか。それこそ日誌を全て俺に任せて部室でもどこへでも行ってしまえばいい。


 しかし教師からの信頼も厚い一条だ。そういう身勝手なことはしないのだろう。全てがスパイの計画通り。いいや違うね。あえて作戦に乗っているだけ。


 俺は攻めの姿勢を意識している。


「やっほ影野くん。早速お願いします!」


「う、うん」


 クラスメイトが続々と教室を後にする中、毎日こうしてるみたいにごく自然に声を掛ける一条。

 そんなスパイに対してしっかり高音で返事をすることで音声データを取られないように配慮した。大丈夫。僕は落ち着いている。


「影野くんやっぱおもしろ。声たか」


「ちょっとボイトレにハマって」


「へぇ。カラオケとか好きなの?」


 首を縦に振ったら防音の密室に連れ込まれる可能性がある。しかし、ボイトレまでしておいて歌が好きじゃないというのは理屈が噛み合わない。

 頭をフル回転させて首をどう振るべきか必死に考える。Zで相談はできない。


 Zを使えればどんなに楽か。同志はすぐに返事をくれるから文字を打つ隙さえあれば全て解決するのに……スパイによる直接攻撃はやはり凶悪だ。


 いや待て。Zと言えばたしか……。


 俺は首を横に振って会心の一言を放った。


「動画……WeTubeに動画を出したくて」


「わっ! すご! 配信者」


「いや、あの……」


「ごめんごめん。正体バレたくないよね。わかるよその気持ち」


 まだ他のクラスメイトがいる中で配信者とか大声で言わないでほしい。咄嗟に出たウソではあるけど動画投稿をしたいのは本当ではあるから、あまり知られたくはない。


 他の投稿者みたいにWeTubeで宇宙評議会の脅威を伝えていきたいとは思っている。俺はたまたまZで見かけたけど、多くの人はZに流れる真実に気付いていない。WeTubeはなんとなく垂れ流す人もたくさんいるから動画というのは真実を広めるのには有効だ。


 スパイである一条に動画投稿のことを知られたのは痛手だが、俺はこの一言を聞き逃さなかった。


『正体バレたくないよね』

 

 自らスパイであることを明かしているようなものだ。どんなに訓練を受けていてもうっかり秘密を漏らしてしまう。若さゆえの過ちだろう。Zで先人たちから知恵を授かり一歩先を行く俺を相手取ったのが一条の敗因だ。


「もしかしてサムネとか手書きするの? あえてそこだけ手書きってめっちゃ個性的だよね。字が綺麗なのも納得かも」


「えと……それは」


「手書きサムネなら影野くんの動画だってすぐわかるかも。ねえねえ、何系の動画出すの? ゲーム実況?」


 まくしたてるように言葉を浴びせる一条に頷くことしかできなかった。ゲームはするけどめちゃくちゃうまいわけじゃないし、喋りながらプレイするなんて絶対無理だ。しかも聞いていて楽しいトークをしないといけない。まあ、勝手にゲーム実況だと思い込んでるのならその勘違いを継続させておこう。


「う~む。やっぱ何度見ても綺麗だ。これだけ綺麗な字だと先生も日誌読むのが楽しみになりそう」


「そう、かな?」


「絶対そう。でも内容がつまんないからマイナス100億点。わたしと影野くんの共同作業で最高の日誌にしちゃおうよ」


 スパイと共同作業? 冗談じゃない。男子の心を弄ぶのがうまいようだが俺はそんなにチョロくない。さっきネットで調べた綺麗に字を書くコツを適当に教えてさっさと帰ろう。Zで今日の成果を報告したいしな。


「では影野先生。お願いします。ほら、先生。こっち来て」


「え? あの、どういう」


「さっきの逆。わたしの後ろに影野くんが立って、上から手を握ってもらうの。そしたら絶対綺麗な字を書けるでしょ?」


「いや、綺麗な字を書くには……というか綺麗に見せるためのコツは……」


「え~? 実践がいいよ。そんなの調べればわかるもん。影野先生の直接指導がいい! 偶然同じ日に日直になった仲じゃん。ね?」


 瞳をうるうるさせながら首をかしげるな! スパイだとわかっていても可愛いものは可愛い。それは認めざるを得ない。さすがにこれをブスなんて言ったら同志達からもバッシングを受けてしまう。


 悪いのはあくまでも地球を裏から支配する宇宙評議会であって、一条の可愛さに罪はない。その可愛さでクラスメイトを籠絡する一条の心が悪いのだ。


「何を書くからもう決めてるから。わたしが言った通りに手をリードして」


「うん……」


 文字を書く手をリードするには一条の頭の横から日誌を覗かないといけない。一条の手を握り、なおかつ日誌を目視する。腕がめちゃくちゃ長い人間以外は背中に密着する形になるしかない。


 クラスの人気者である一条が俺なんかと密着するんだぞ。誰か止めろ!

 その願いを叶えてくれる人物は教室にはいなかった。これがクラスメイトを籠絡したスパイの成せる技なのか、いつの間にか一条と二人きりになっている。


 いつもすぐに帰宅しているからわからないけど、放課後の教室でもっとみんなダラダラと居残ってるものじゃないの?

 

 Zで先人達の意見を聞きたい。こんなこと早く終わらせてしまおう。いつまでも悶々としてるからダメなんだ。


「今日は影野くんといっぱいお話しできてうれしかったです」


「ふぇ!?」


「わたしも当たり障りないね。でも、日誌に書きたい本当のことだから。さ、影野くん。リードして」


「って言われても」


 ペンを握る一条の手をさらに握ってるだけだからペンを持つ感覚というのは全くない。どう考えてもミミズが這った跡みたいな字にしかならないのは目に見えている。一応俺がコメントを書いてるわけだしこのまま提出したって何の問題ない。


 だけど日誌は一条がしっかりと押さえているので奪い去ることは難しい。完全に一条のペースだ。どうせなら自分のコメントの最後に名前でも書いておけばよかった。真面目に書いたのは俺で、ふにゃふにゃの字は一条が悪ふざけしながら書いたやつですとアピールしたい。


「それとも影野くん、ずっとわたしとこうしてたいのかな?」


「はあ!?」


「びっくりした。結構大きい声も出るんだ」


「あ、ごめん」


「いいよ。それに、地声はテノールじゃないんだね」


「あ……」


 うっかり声を作るのも忘れて素で叫んでしまった。本来音声データはいろいろな言葉を拾うことでその精度が上がる。しかし相手は宇宙評議会のスパイだ。もしかしたら今の短いワンフレーズで完全にコピーできる可能性がある。迂闊だった。


 もし俺の声が悪用されて同志達を混乱させる事態を招いてしまったら……。考えるだけで胸が苦しい。動悸が止まらない。


「いいよ。影野くんのペースで」


「……絶対うまく書けないと思うけど」


 握った一条の手を動かして強引に字を書いていく。感覚としてはマウスで文字を書いているのに近い。縦や横に真っすぐ線を引くのはまだいいとして、漢字のハネだったりひらがなの難易度が高すぎる。


 ミミズが這った跡の方がまだマシだ。ダイイングメッセージみたいな不穏な文字がどんどん生まれていく。


「影野くん緊張してる? なんか変な字だけど」


「……ごめん」


「でも、二人じゃないと書けない特別な文字って感じで思い出になるかも。ありがとね。影野先生」


「えっと。なんだっけ。この続き」


「なんだっけ。忘れちゃった。影野先生が考えてよ」


「えぇ……」


『今日は影野くんと』まで書き終えて丸投げされてしまった。なんで俺が自分と何かしたかのような文を書かないといけないんだ。


「続きは自分で書きなよ」


「そしたら途中から字が変わって不自然じゃん。影野先生早く早く」


「むぅ……」


 なんで宇宙評議会のスパイの気持ちにならないといけないんだ。まさか、俺を勧誘するつもりか?

 勉強も運動も並以下の俺を甘い言動で誘惑し、小間使いとしてボロ雑巾のように扱う。なるほど、そういう算段か。


 一条が全員に優しくしている理由がわかってしまった。朝から特定のターゲットとイチャイチャするスパイとは一味違う。その点だけは褒めてやろう。しかし、お前が相手にしているのはこの俺だ。運が悪かったな。


 一条の手を操り日誌に続きの文字を綴る。


『日直をして新たな発見がありました。それは秘密です』


「こんなのはどう、かな。ちょっと気になる内容」


「…………うん! 最高! さすが影野先生」


 先生から見れば日直をした一条の感想だ。だけど、この文字は主に俺の意志で書かれたもの。俺から一条に対するメッセージだ。

 これをどう受け取るかは一条次第。さっきまでペラペラと喋っていたのにリアクションが一瞬遅れたのはいろいろ考えを巡らせたんだろう。


「わたしが提出するから。影野くんは先に帰っていいよ。急に日直を変わってくれてありがとう」


「いや、それほどでも」


「バイバイ影野くん。また明日」


 笑顔で手を振りながら一条は教室を飛び出した。日誌を提出すると自分で言ったのに忘れてるじゃないか。動揺ぶりが伺える。


「スパイめ」


 担任に日誌を提出するために職員室に寄らなければならなくなってしまった最後の最後に面倒な仕事を押し付けられてつい漏れ出た言葉は、Zの同志に勧められたものだった。


 この声は当人には届いていない。だけど、あの文で十分に伝わったはずだ。一条はまた明日と言っていた。

 同じクラスなんだから会うのは当然。問題は相手がどう動くか。ついにあの装備を学校に持ってくる日が来たのかもしれない。


「アルミホイルで宇宙からの光線は防げるんだよ」


 一条が宇宙の武器を使ってきたとしても、人類はすでに対抗する手段を持っている。Zで教えてもらっていなければ危ないところだった。

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