第2話 スパイ確定

 誰にも気付かれないように静かに自分に席へと向かいイスに座る。これが朝のルーティーンだ。何も知らない無邪気なクラスメイト達がかわいく思えるのはオトナになったからだろう。


 もはや先生達よりも一歩先を行っているかもしれない。だからといってそのオトナの雰囲気を前面に押し出すのは幼い証拠。以前と変わらない振る舞いをすることで自分はまだ子供であることをアピールする。


 真のオトナの魅力はここぞという時に発揮するものだ。


 窓際の一番後ろの席。席替えの神様は俺のオトナの魅力に気付ているらしい。誰にも邪魔されず世界を傍観できるこの場所は退屈な学校生活に癒しを与えてくれる。


 朝からイチャイチャと腕を組みながら歩きやがって。宇宙評議会の取り込まれてどうする!

 なんか頭の良さそうな雰囲気があるんだからその頭脳は地球のために使え。そこのお前は体格がいいな。地球にとって重要な戦力になりそうなのにあんな小柄ならスパイに籠絡されて……まったくどいつもこいつも情けない。


 この学校に送り込まれた多くのスパイ達は自分の役割を全うし地球にとって有益な人間をどんどん籠絡しているようだ。

 実に嘆かわしい。俺みたいな勉強も運動も中途半端だとスパイの目から逃れられる。学校は成績という形で能力が可視化されるので非常に危険だ。


 能ある鷹は爪を隠す。成績が悪くても社会に出てからその能力を発揮すればいい。今はまだその時ではない。ただそれだけのことだ。


 さて、朝のホームルームが始まるまでZで情報収集でもするか。宇宙評議会のスパイは学校以外にも潜んでいる。卒業後もスパイから逃げるためには今から情報収集が欠かせない。


―特に絡みもないのに連絡先を聞いてくる女には注意。怪しげな物品を売りつけて評議会の資金調達に使われます。 #宇宙評議 ―


―誰にも挨拶をするのは音声データを集めているからです。誰かになりすまし、新たな被害者を増やす。常に声を作って地声を隠すくらいの気持ちで過ごした方がいいかも。 #宇宙評議会 ―


 なるほど。そうだったのか。やはりZには有益な情報が集まる。ちょうど該当する人物が教室に入ってきたところだ。俺の席から対角線上に位置する前方のドアをくぐったにも関わらずその存在感ですぐに気配がわかる。


 スパイであることを隠すようにあえてキラキラしたオーラを放っているのだろうが、俺にはそんな小細工は通用しない。


「おはよう」「おはよう」「おはよう」


 長い黒髪をなびかせながら一人一人に挨拶をしていく。選挙前の政治家じゃあるまいし。だけど政治家と違う点は、挨拶をされた誰もが嬉しそうだということ。見知らぬおじさん・おばさんとクラスメイトという差はあれど、たった一言挨拶を交わしただけであんなに笑顔になるなんておかしい。


 やはりこのクラスは一条きららに支配されている。


 たしかに容姿は整っているし声も可愛い。俺も真実を知る前ならあの女に簡単に籠絡されていただろう。


 だが俺は他のやつらとは違う。宇宙評議会の陰謀を察知し自分の身は自分で守る誇り高き地球人だ。


「影野くん、おはよ」


「あ、え…………おひゃ」


「あ! メイ聞いて聞いて」


 一条は俺に挨拶したのをすっかり忘れたかのように友人の元へと駆けていった。なびいた黒髪からは甘い香りが漂い鼻の奥がむずがゆくなる。

 言葉だけではなく匂いまで駆使するとはスパイは侮れない。この甘い誘惑に俺以外の男子は全員騙されている。

 

「…………ったく」


 人がせっかく挨拶を返してやろうと思った矢先にどこかへ行ってしまっては俺の好感度は稼げない。すぐさま返事をするのではなく、あえて戸惑うことで一条のスパイ活動を妨害できた。


 決して突然声を掛けられて動揺したわけじゃない。音声データを取られないよう声を作ろうとして失敗しただけだ。この辺はまだまだ訓練不足といったところか。

 普段から誰とも喋らないことで対策しているつもりだが、あんな風にスパイから仕掛けられ時に無視をするにも逆に怪しい。


 いつどんな状況でも声を作れるように練習する必要があるな。早速スマホで声の作り方を調べて脳内で訓練を始めた。


 実際に声を出したら怪しまれるからあくまでもシミュレーションだけだ。声帯を開くイメージと書いてあるのでイメージだけすれば大丈夫なはず。


 広告が鬱陶しい。間違えてタップしてしまった。なんでブラジャーの広告が出てくるんだよ。……いや、無関係の広告が出るということは情報収集ができていないということ。


 コンセントにホコリ防止兼ハッキング防止のアタッチメントを装着している成果が表れ始めている。見たか宇宙評議会。これが人類の叡智だ。


「そうだ影野くん」


「ふぁいっ!?」


「え? どしたの? めっちゃテノール」


 イメージ通り声帯が開いていたらしく意図せず謎の高音が喉から飛び出した。クラス中の視線が窓際の一番後ろに集まる。

 俺なんか見てもしょうがないだろ。みんな、とりあえず一条でも見てろ。


「そんなテノール歌手くんにお願いなんだけどさ、今日の日直一緒にやってくれない? 大野くん風邪でお休みなんだって」


 誰がテノール歌手だ。だがこれは好都合。一条きららの中で俺の声は高音と認識された。なりすましで家に電話をしても家族の誰も騙すことはできない。一時の恥でスパイに勝利してしまった。


「大野くんの次が影野くんでしょ? だからちょっと順番をズラして、大野くんは復活したら日直で」


「あぅ…………はい」


「おっけー。今日はよろしくね。テノールくん」


 そう言って日直日誌を机に置いて一条は去っていった。一緒に日直というより俺に押し付けただけでは?

 俺はみんなと違ってお前に籠絡されていない。もうすぐチャイムが鳴るからひとまずこの場は収めてやるけど、あとで絶対につき返してやるからな。覚悟しておけ。


「黒板消しはわたしからやるから。テノールくんは2時間目、4時間目、6時間目をお願い」


 クラス中に聞こえるような大きな声でわたしも仕事しますアピールかよ。たしか4時間目ってやたらと板書が多い化学じゃないか。さらっと面倒な仕事を押し付けてやがる。しかし交互にやる分には平等。


 俺以外は一条に籠絡されているから周りは敵だらけ。反論なんてできるはずもない。


「日誌は放課後に一緒に書こう。わたし、失くしそうだからテノールくんが持ってて」


「ふぁいっ!」


「テノールくんマジテノール。ウケる」


 好き好んでテノールを出してるわけじゃない。『放課後に一緒に』というワードに警戒心が強くなってつい声帯が開いてしまっただけだ。


 うっかり地声を出したら音声データを取られてしまうからな。


 おそらく大野くんが風邪を引いたのは偶然ではない。一条が日直のタイミングに合わせて一服盛られたんだ。理由は簡単、俺と放課後に一緒に過ごす口実を作るために。


 クラスで唯一籠絡されていない俺を本格的に攻略するつもりなんだろう。真実を知る前の俺なら心が踊っていたに違いない。だが、今の俺は一条に対して警戒心しかない。

 むしろ警戒し過ぎて一条に目を付けられてしまったようだ。


 相手は目的のためなら手段を選ばないスパイだ。現に大野くんは俺のせいで犠牲に……いや、一条に籠絡されているのなら俺の敵だ。同情の余地はない。むしろ喜んで風邪を引いただろう。


 一条きららは間違いなく宇宙評議会のスパイだ。これ以上被害者を増やさないために特徴をポストしておこう。もちろん名前とかの個人情報は伏せる。そんなものまで書いたらスパイの情報を漏らしたのが俺だとバレてしまうからだ。


―クラスメイトが宇宙評議会のスパイだった。前から怪しいと思っていたけど間違いない。長い黒髪が特徴の誰にでも優しく声を掛ける文武両道・容姿端麗の女子高生だ。俺は屈しない。 #宇宙評議会 ―


 文武両道で容姿端麗。敵ながらあっぱれと言わざるを得ない。スパイになるにはこれくらいのスペックが求められるのだろう。

 しかし残念だったな。そのハイスペックをもってしてもこの俺を籠絡することはできない。宇宙評議会の出鼻を挫いている。覚悟しておけ!


 面倒な日直を押し付けられてテノールくんという謎のあだ名まで付けられているにも関わらず、久しぶりに学校で鼓動が高鳴っていた。

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