第10話 始めの一歩

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なんか、ブックマークが増えていたんですけど、めっちゃ嬉しいです。ありがとうございます。

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 紗季が水族館に行くと宣言した週末までの五日間は、思いのほか早く過ぎた。

 それもこれも全て気持ちの変化のお陰だろう。


 将純はこの五日間、何事にも全力を尽くすようにした。

 彩華の弁当を作る時には、包丁の角度さえ考えながら調理したり。

 授業を受ける時には、板書を普段よりも丁寧にしたり。

 小テストがある時には、前日にみっちりと教科書の復習をしたり。

 一日が終わって寝る時になると、ベッドの上で身動きが取れないほど疲れている。体育のあった日には、心身ともに疲労困憊モード。


 そうまでして将純が頑張る理由は一つしかない。なりたい自分を見つけたからだ。

 それは、ラノベ作家。

 最初は嘘だった。けれども、将純はやってみたいと思った。創作意欲全開の彩華の隣で過ごしていると、嫌でも頑張りたくなってしまう。

 だから、大助にこう投げかけた。


「なあ、竹見」

「うん? どうしたんだい?」

「小説を書くには、どうすればいいんだ?」

「世界中の情報を股に掛ける僕でも、それは知らないよ。僕は小説家でも何でもないからね」


 確かにその通り。プログラマーに小説の事を聞いても、お門違いだ。


「でも、ネットには僕の知らない情報が溢れているよ」

「……それだ!」


 盲点だった。正に、灯台下暗し。言われるまで気が付かなかった。

 考えてみれば、大助の言うようにネットで調べてみるのもいいかもしれない。

 そう思ったのが、今から五日前の事だ。


 それから将純はネットで関連したサイトを何度も読み返したし、図書館で大量の書物だって借りた。

 さすがに学業と両立しながらは難しかったけれど、新たな知識を得るのは楽しかった。


 例えば、小説の多くは『起承転結』と呼ばれる四つの要素で構成されているらしい。

 世界観の説明や物語の導入部分である『起』、提示した世界観をしっかりと広げるのが役割の『承』、物語のターニングポイントとなる『転』、そしてそれまでの伏線を回収して締めくくる『結』。


 小学校でも習った内容。

 これがなければ作品として違和感が残る。逆に言えば、揃っていれば作品として完成するとまで書かれていた。

 けど、やはり、この延長線上に、いつも散々読んでいるラノベがあるとは思えない。しかし、その文章を書いているのは、少なくとも将純より小説に精通している人物だ。


 考えてみれば、彩華の『リドル・アクター』でも起承転結がはっきりしていたと思う。それを将純と同じ十五歳の少女が描いたのだ。


 時計代わりでもある携帯を見ると、画面に表示された時間は九時半。まだまだ紗季の指定まで時間がある。

 まあ、ヒマだし小説を書いてみようかと考え、将純は自分の席に座った。

 鞄から取り出したのは一台のノートパソコン。ゲームする時だけに使われて、よく使用するキーが擦り減った可哀そうな一台だ。二年前の誕生日で頑固な親父に頼み込んで、買ってもらったものでもある。


 電源を立ち上げると、この頃はよく使っている文章作成ソフトを開いた。

 小説家でもない人間に小説なんて書けない。

 そんな考えは時代遅れだ。


 彩華だって最初は初心者だったんだ。下手な絵、そこそこ下手な絵、そこそこ上手な絵、上手な絵。そうやって時間を重ねて、少しずつ漫画家の夢を叶えていったんだ。

 彩華にできるなら、将純にできないはずがない。


 キーボードに両手の指を置く。ハードディスクがカリカリと読み込まれる音。

 指が震えている。

 今頃になって恐れている。足を踏み込めば、そこは未知の世界。振り返る事は許されない。もう生温い日常には戻れない。

 でも、これは彩華も通った道だ。

 妙に彩華を意識しているのに自覚して、また自分が情けなくなる。

 そんな己との戦いに悪戦苦闘している間も、カーソルは画面上で急かすように点滅していた。


「……追いつきたいんだ」


 その言葉のおかげで、キーボードに触れる指の震えは止まった。

 原作の漫画と読み比べながら、少しづつ文字を綴っていく。


 ——その親子を殺すしかなかった。


 少しでも指が動いてしまえば、後は勝手に動く。


 ——夕焼け空の下、地上は俺たちの手によってより紅く染められていく。


 ああ、今、わかった。彩華はここで戦っていたんだ。気分が高揚する。胸が高鳴って、疼く指を抑えられない。将純はその衝動のままに、指を動かし始めた。



★☆――――――――




 その親子を殺すしかなかった。


 夕焼け空の下、地上は俺たちの手によってより紅く染められていく。

 燃え盛る民家。臓器を散らす多くの死体、振るう剣先にこびりつく真っ赤な血。

 あか、赤、紅、朱、緋。まるで赤色だけに支配された世界で、俺は剣を振っていた。


「…………」


 赤子を抱いたまま、首を刎ねられた母親が崩れ落ちる。ぼとりと傍に落ちたその首の瞳は、恐怖と絶望を映していたが、それも急速に光を失っていく。


 俺はしっかりとその様子を認めながら、倒れた胴の方へ歩み寄ると、その腹へ剣を突き刺した。

 死してなお庇うように抱きしめられていた赤子は、母親の死体もろとも貫かれ、耳障りな泣き声をもう上げることはない。


 俺には、その親子を殺すしかなかった。

 尖った両耳を持ち、双眸に宿すのは赤い瞳だったたのだから。

 彼女たちだけじゃない。この町で生きていた住人は皆同じ特徴を持っていた。


 魔族。俺たちと異なる異民族。そして今ここで俺が彼らへ行っているのは殺人ではなく、戦争だ。

 殺したくて殺しているのではない。例え彼らが無力で、非力で、逃げることすらできなくても、俺は剣を振る。何故なら、これは戦争だから。


 だから、殺すしかなかった。


「…………」


 剣から血を滴らせたまま、あたりを見渡した。その赤い世界には、動くものはいない。遠くにいた魔族は、仲間が既に仕留めているのだろう。立て続けに響いていた悲鳴も、もう聞こえることはない。


「……戻るか」


なんともなしに呟いて、俺は町の中心部に向かって歩き始める。

 村に放った火は、見渡す限りの家々や死体に手を伸ばす。翌朝にもなれば、その全ては灰となるだろう。何も残らない。地図から地名が減る。


 これが戦争。


 昨日まで続いていたはずの日常。畑を耕し、家畜を飼い、歌を大声で歌い、肩を組んで葡萄酒を飲みかわす。この村のそんな光景はもう二度と訪れることはない――俺が壊したのだから。


 幾度となく命を奪ってきたゆえに、新たな罪が増えようとも、もはや何の感慨も湧かない。が、もし許されるのならば、先ほどの親子の魂に救いがあらんことを、そう祈ってから、俺は自嘲するように小さく笑った。

 どうやら、俺は疲れているようだ。普段はこんなこと考えないのに。


 俺にとって、魔族は憎しみの対象だった。ずっと昔、俺は彼らに両親を殺された。だから、その復讐だけを糧に戦争へ参加したはずだ。それなのに、この心へ残る罪悪感とも呼ぶべき感情は、一体何なのか。彼らは敵であり、情けをやる存在ではない。


「ん?」


 自身へ対する耐え難い嫌悪感が膨れ上がった時、ふと、他とは一風変わった建物が目に映り込んだ。


 石造りで、釣鐘のある三角屋根。窓枠に填められたステンドグラスは、黄昏の光を虹色に染め上げ、とても戦場には似合わない。


 記憶とは形が異なれども、それは教会だった。石造りだから、周囲の炎に飲まれていないのだろうか。隠れている魔族を炙り出すために仲間が放った火だったが、もしかするとそれを逃れて隠れている奴らがいるかもしれない。


「……」


重たく感じる剣の柄を再び握りしめ、俺は教会の門をくぐり、無造作にその扉を開け放った。すぐにでも剣を抜く覚悟はあったが、内部は荘厳な空気を残すばかりで、誰もいなかった。


 教会内部、礼拝堂の中を歩く。左右に長椅子が並び、最奥に像があるのは人界の教会と変わりなかった。ただその像は人界における聖母とは異なる造形だった。


「……はっ」


 礼拝堂の最奥まで来た。俺はその女性の像を見上げながら、嘲りに笑った。

 どうして護られるべき民は皆殺されているのに、守護者たる象徴の聖母像が安穏と過ごしているのか。

 そして――どうして殺すべき魔族が見つからなくて安堵している自分がいるのか。


「…………」


 ちぐはぐだ。俺は長椅子にどかりと座る。思わず剣も投げ捨ててしまいたい衝動に駆られたが、長く戦場を生き抜いてきた身体がそれを許さなかった。

 手は変わらず剣の柄を握りしめている。俺はそのままぼんやりと、ステンドグラスの向こうでゆらゆらと揺れている炎を、細めた目で眺める。


 ――ああ。ただ憎しみに駆られたままでいられれば楽だったのに。


 戦闘の音は聞こえない。周りに誰の気配も感じない。俺は溜まりに溜まった息を吐き出し、ひやりとした空気の中、旅が始まったあの日のことを思い出した。


 あれからもう四年か。

 復讐心と使命感だけを握りしめて、まだ世界の無慈悲さを知らずにいれた最後の瞬間は、遠い遠い思い出のことだった。




――――――――☆★



 なんだか、初めてにしたら、よく書けたと思う。ラノベ作家も案外名乗れるかもしれない。よく書けているけど、文章が雑でわかりにくい。やっぱり下手な気がする。いや、だいぶ下手かもしれない。やっぱり、よくわからない。


「う~ん……」


 例えるなら数学の証明。自分は合ってると思いながら進めても、途中で計算が合わない。間違っている場所を探しても、どこにもない。答えが分数になったら、ずっともやもやして少しも落ち着かない。そんな感じ。


 でも、一つだけ理解したのは、何事もやればできる事。店で販売しているラノベと比べれば、クオリティは天と地の差。彩華の原作と比べれば、レベルはかなり落ちてしまっている。それでも一歩を踏み出せたのは、小さな成果だ。彩華に追いつく未来も遠くないかもしれない。


 集中力が切れて、椅子を斜めにして寄り掛かる。逆さまになった壁掛け時計が、将純の目にあった。


「……え?」


 すぐに携帯で確認する。時刻は十一時五十分。


「やばっ!」


 約束の時間まで十分もない。

 鞄を持つと、転がるように階段を下る。玄関のドアを蹴飛ばして、家から飛び出す。


 いつもの道を全速力で走る。市街地は閑散としていて、走るのに障害物はない。けれども、メインストリートは休日とあってか、人影がどっと増える。

 その間を縫うように、駅へ急ぐ。

 お好み焼き屋やハンバーガー屋の前を通過すると、昼飯にあずかれなかった腹が反応する。信号に足を止められながらも幹線道路を渡ると、そこはもう駅のバスステーションだ。

 徒歩距離は約十五分、全力で走って七分。間に合った。


 季節を終えて散りかけている桜に囲まれたこの駅は、バリアフリーが進んでいて地域の人々に愛されている駅だ。駅内にはコンビニすらないけれど、北側は梅田行のホームで南側は神戸行のホームと、かなり交通の便はいい。

 線路の地下を通って反対の梅田行ホーム側に移動し、息を整えながら階段を上る。


 小さな改札には、友達と待ち合わせをしているように見える高校生が沢山いる。

 将純はその中に待ち合わせしていた姿を見つけた。


 少し大人びた灰色のロングコートに、淡いピンク色の可愛いタートルニットを合わせていた。黒色のブーツは高級感を漂わせるようなデザインで、首の周りには赤色の暖かそうなマフラーを巻いている。

 普段は将純を連れまわす子供っぽい彩華だが、その上品な服装がありえないくらいに似合っていた。

 その彩華の整った横顔は、向かいのホームで散りかけている桜を、物憂げに眺めていた。絵画にして飾ってしまいたいくらいに、とても美しかった。


「待ったか?」


 改札の前に立っている彩華に将純は近づくと、常套句で話しかけた。


「うん、待ったよ」

「……そこは待ってないと言えよ!」

「嘘はダメよ」

「優しい嘘もあると俺は思うね」

「二時間待っても?」

「楽しみにしすぎだろ!」


 彩華が小さく首を傾げる。

 いつまで経っても、彩華との会話は慣れない。毎日が新鮮だ。まるで、今日の朝に収穫したトマト。

 呆れて、辺りを見渡す。将純と彩華の他には、見知らぬ人しかいない。


「そういえば、竹見と紗季は?」

「来ないよ」

「え? 理由は?」

「つまり、かくかくしかじか」

「なんですか? その『かくかくしかじか』って」

「それだけで必要な説明を省略できる言葉って辞書に載ってた」

「日本語にそんな便利機能はねえ!」

「カクカーク・シカジーカ」

「なんの真似だ!」

「宇宙語よ」

「そんな言語はねえよ! 人間なら、ちゃんとしてくれ!」

「人間以外になればいいのね」

「そんな解決法はない!」

「たとえば、宇宙人とか」

「…………」


 ちらっと彩華に紗季の影が重なって見えた。気のせいだ、うん。

 まあ、宇宙人代表である紗季がカクカークやらシカジーカやらのたまっていれば、まだ違和感がないものである。だがしかし、天使的存在である彩華が宇宙人に身を堕とすのは、断じて阻止せねばなるまい。

 そんな使命感に将純が燃えていると、呆れたように彩華が言った。


「君、さっきから怒りすぎ。カルシウム足りてないよ。小魚食べたら?」

「お前だけには言われたくねえ!」

「ひどいわ」

「お前がな!」

「……」


 彩華がしゅんと落ち込む。その姿は雨上がりに咲いた可憐な花のようで、かわいらしかった。通行人がちらちらと視線を送ってる。


「ほんと、彩華は黙ってれば可愛いのにな」

「黙ってれば、かわいい?」

「もちろん、黙っていればの話だぞ」

「じゃあ、喋ればもっとかわいい」

「お前ってそんなキャラだっけ!?」


 落ち込んだ様子だったのに、妙に楽しそうな雰囲気をばら撒き始めた。表情をころころ変えて大忙しだ。

 対して、将純はまだ水族館にも行っていないのに、どっと疲れた。


 そもそも、結局、大助と紗季がこない理由を聞いていない気がする。ただ単にはぐらかされただけだ。

 携帯を操作して、電話を掛ける。コール先は大助だ。

 呼び出し音は三回。すぐに出た。


「よう。そろそろ電話が掛かってくると思ってたよ」

「……あのさ、俺の今の気持ちってわかる?」

「ははっ、悪かったよ。マサたちが気まずい雰囲気なのは想定内さ」

「なんで二人は来ないんだ?」

「もちろん、マサには彩華さんとのデート楽しんで欲しくて」

「誰が建前を聞いたんだ? 本音を聞いてるんだよ、本音を」

「それは、トイレにでも流そうぜ。下水道にでも探しに行けばどうかな?」


 先日、紗季に言った言葉だ。真似されるのは、普通に腹が立つ。


「……竹見は俺をおちょくって楽しいのか?」

「うん!」

「あのなあ」

「マサ、バカをバカバカやってるとバカみたいなバカになるよ」

「おい、俺を何だと思ってる!」

「あ、ごめん。紗季が来たから、もう切るよ」

「ちょっ、竹見! 逃げるな!」


 その声は届かず、電話が切れた。溜め息を一つ零すと、携帯は肩掛け鞄に放り込む。

 振り返ると、ずっと電話が終わるのを待っていた彩華。


「ああ、ごめん。それじゃあ、行こうか」


 先導して買った切符で改札を抜けようと、将純は一歩を踏み出した。でも、後ろから襟を引っ張られて、首が閉まる。


「ぐえっ」


 押しつぶされたカエルのような奇声が喉奥から出る。


「引っ張るなら、裾あたりにしてくれ!」

「……」


 立腹しながら振り返ると、待っていたのは妙にもじもじとした彩華。トイレでも行きたいんだろうか。


「ど、どうした? トイレなら行ってこいよ」

「……べつに」


 不機嫌そうに、でも期待に満ちた眼差しでちらちらと将純の方を見ている。無言でいると、ちょっとずつ彩華がにじり寄ってきた。

 すると、突然、何もないのに彩華がくるっと一回転する。風で煽られたコートが翻る。


「…………どう?」

「……」


 ここまでされたら鈍感な将純でもわかる。わかるからこそ、恥ずかしくて言えない。将純は逃げるように視線を逸らした。すると、逸らした視線の先に、彩華が回り込んでくる。八方塞がりだ。


「ねえ、どうかな」

「あ~、もうっ! すげー似合ってるよ」

「……」


 僅かに高揚した顔の彩華が、もう一度と言ってる気がした。


「はいはい、とても似合ってます」

「…………」

「無言、やめて!? めちゃくちゃ恥ずかしいから、無言だけはやめて!?」


 逃げるように改札を抜ける。ちょうどホームにゆっくりと電車が入ってきた。この気まずい雰囲気から抜け出すように乗り込もうとすると、次は服の裾が引っ張られた。彩華の華奢な手。


「……もう一回」

「気に入ってるじゃねえか!」

「……」

「はあ……、凄く可愛いです。彼女になって欲しいぐらい可愛いです、これが最後だからな!」


 彩華の顔を直視できない。恥ずかしくて今すぐにでも逃げ出したい。今度こそ電車に乗り込むと、ちょうど二席連続して開いていたので片側に座る。

 肩の触れ合うような距離に彩華が座ると、電車は発射ベルを鳴らしてゆっくりと動き出した。

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