第4話 マンガ家のお誘い
さて、どうしたものか。
付いてしまった嘘を、みんなにどう説明したものか。
流石に馬鹿だった。どうしてあんな事をしてしまったんだろう。
担任の浅田が喋る注意事項を聞き流しながら、将純はずっとその事を考えていた。今でも現状の事態突破の為、なけなしの脳を全力フル回転させている。
そもそも、将純は何の取り柄が無いからと言って、成績が悪いわけではない。自分では人以上に努力しているつもりだ。先生の言う事だって、きちんと聞いているし記憶している。
だけれど、今日は違った。担任の言葉に耳を傾けていられるような暇は、あいにく持ち合わせていない。
心の奥底に溜まった不安を、深呼吸で薄れさせていく。
自己紹介で頭が真っ白になった将純は、自分の欲に眼が眩んで自分が『ラノベ作家』であると嘘を付いてしまった。そこまでは、まだ対応次第でどうにかなったのかもしれない。が、結局、将純は何の弁解もなく、椅子に座ってしまった。
それが、一番の失敗だ。
あの時に話しておけば、こんな事を考える必要もなかったのに。
どうにかして、みんなに本当の事を伝える必要がある。すぐに対処しなければならない。
もしこのまま将純が弁解をしなかったら、みんなの中で将純はきっとラノベ作家だと確定するだろう。それだけなら、いい。でも、もし後で嘘だとバレたら追及されるに違いない。それだけは、何としてでも避けたい。
「はあ、やってしまった」
絶望に染まった声が自分のものだったとは、すぐには気が付かなかった。
ただ、一つ幸運な事があるとすれば、それは神田先生の作品『元殺し屋メイドは転生しても奉仕するようです』、略して『殺し屋メイド』が誰でも知っているような超有名漫画だった事だ。
神田先生は二年前に突如として漫画業界に現れ、初めての作品が『殺し屋メイド』だった。
今でこそ他の作品も出版されたが、どれもこれも完結していて、連載が現在進行形なのはこれだけだ。
そうは言っても、二年前から週刊『ステップ』で連載し続けている時点で、とても人気であるのが伺える。将純も大好きな漫画だ。
で、『殺し屋メイド』を一言で表すとすれば、作品の名前通りで『異世界召喚モノ』となる。
その主人公はセシリアと言う少女。しかし、それは本名ではなく、コードネームである。
セシリアは殺し屋だった。幼い頃から両親に暗殺術を教え込まれ、国家の犬として忠実に育てられた。任務遂行率は脅威の百パーセント、殺害したターゲットは世界で五百以上と言われている。セシリアにとって人生とは、『命令された人物を暗殺すること』だけ。
しかし、セシリアはある任務で日本に来て、そこで初めて自分でなりたいものを見つける。
それがメイドだった。
メイドとは何か。どんな人がメイドなのか。
ある人は、渋谷の喫茶やレストランで老若男女問わずサービスする人たちだと言う。
ある人は、白いフリルの付いた服を着て歌って踊る人たちだと言う。
またある人は、広い屋敷に住んでいる貴族の身の回りの世話をする人たちだと言う。
結局、多くの意見が錯綜してしまい、メイドとは何かを定義するのは難しいと考えられてきた。
しかし、セシリアは見つけたのだ。メイドの確固たる神髄を。
それは——、
ご主人様の為に、身を尽くす事。ご主人様の為なら、何でもやり通す事。
時に手料理を振る舞い、時に掃除洗濯をして、時に歌って踊り、時に命を狙う敵からご主人様を守り、時にご主人様の気に入らない人物を暗殺し、時に死体の処理を行う。少し解釈が間違っていたが、そうセシリアは思った。
セシリアはイタリア随一の殺し屋だった。大抵の仕事の目的は『お金』のためであり、一度も誰かのために、『ご主人様』のために仕事をした事がなかった。
だから、メイドと言う仕事に惹かれ、日本でメイドになる決心をする。
しかし、衣装を着て初めての仕事をしようかと思ったその時、謎の音楽が聞こえて異世界に連れていかれる。
そこは地球とは程遠い『クリューツ』と呼ばれる惑星、人族と魔族が争う場所。
そこに、セシリアは『魔王』を打ち破る『勇者』として召喚されたのだ。
セシリアを召喚した国の王は言う。
「ここは人族が支配していた惑星だったが、いずこから現れた魔族によって人族は滅ぼされそうになっている」
だから、勇者の気質を兼ね備えて召喚されたセシリアに、魔王を打ち破って欲しいとか、何とかかんとか。
しかし、セシリアは『ノー』と答える。
メイドとは、ご主人様の為に陰で働くものであり、『勇者』のように表舞台へ立ってはいけない、そう思ったのだ。
そうしてセシリアは他の勇者として選ばれた人の専属メイドとなり、日ごろは勇者に従えながらも、裏では勇者の敵となりうる魔族を撲滅する為に各地を巡る。
そうして、魔界では勇者の陰に従える『メイド』として恐れられていく。
そんな先が読めないハイスピードな展開と、陰ながらも敵を倒していく爽快さ、そして殺し屋とメイドと勇者という組み合わせの意外性があり、僅か一年で漫画は十巻まで刊行され、アニメ化もした。そして売り上げは既に二千万部以上。
そんなに支持されるほど、有名で面白いのだ。
だから、その作品の作者だと言った彩華の影響力は馬鹿にできず、クラスメイトは将純の付いた嘘には騒めかなかった。
嬉しいけれど、それはそれで少し寂しい。少しぐらい反応してくれてもいいじゃないのか。
先生が話す注意事項を聞き流しながら考えていると、隣に座っていた希光が体をぐいっと近づけてきた。
「なあ、将純ってすげえよな」
おちゃらけた態度で、絡んでくる。海外の人のような、男らしいが澄んだ声だった。
だから、自分の名前を読んでいたとは、すぐに気が付かなかった。
好奇に満ちた目と視線がぶつかる。
「俺?」
大げさに頷かれた。それだけで、将純の心が動揺する。
「いや、ほんとすげえよ、お前」
「……何がですか?」
「その年でラノベ作家してんのだろ?」
ああ、そうだった。忘れていた。
先ほどの自己紹介で焦ったあまりに、ありもしない事実を告げてしまったのだ。
それが嘘だと訂正しようと口を開く。が、喉から出るのは、言葉でなく空気だけ。
怖気付いたのだ。
今更だけれど、嘘だと告白した瞬間に希光からどんな目を向けられるのか、怖かった。
本当は心のどこかで、みんな嘘だとわかっているのだと思っていた。たとえプロでないにしても、同じ教室に漫画家とラノベ作家がいるなんて、作り物にしても出来が良すぎるのだ。だから、信じ込まれるはずはなかった。
でも、現に信じている目が将純を見ている。
それは明らかに皮肉とかではなく、本気で将純の嘘を信じて、本気で感銘を受けた瞳だ。
穴があったら入りたい。それよりも、穴に埋まりたい気分。
申し訳なくなって、希光から目を逸らした。
だけれど、何も答えないわけにはいかない。
一応、後で嘘だと告白しようと心の中で決めて、将純はこの場は話を合わせる。
「そうでもないですよ」
「いいよ、いいよ、そんなに謙遜しなくても。お前は凄い、俺が保証してやる」
「……いや、アメリカのNBAで優勝狙ってる希光さんの方が凄いでしょ」
「呼び捨てで良いよ、希光で。俺も将純って名前で呼ぶから」
「あ、はい」
「ま、そう言ってもな、優勝するってのはただの夢だ。いくら俺が上手くても、簡単にはプロにはなれない。いったい、どれだけの人が途中で挫折するのか」
「…………」
「でも、さ、お前はプロなんだろ? すげえじゃん、素直に誇っていいと思うぜ」
「プロじゃないって」
「は? プロじゃなくても、同じだろ。みんなの前で公言するって、本当は恥ずかしい事だろ? それができるってことは、もっと誇っていいと思うぞ」
にっと希光がさわやかに笑う。すると、まるでマジックのように、一瞬で真面目な顔に変えた。
「で? お前、大丈夫か?」
「……何が?」
「あ、そうか。お前、わかってなかったんだな」
「え?」
何か忘れていた事があっただろうか。希光の瞳を覗き込んでも、真意は読み取れない。
「つまりな、お前はラノベ作家って公言したろ? お前の前に平池って子が神田先生と言ったから、一応お前の影は薄くなってる。でも、きっとお前、めっちゃ目立ってたぜ」
そこまで考えてなかった。希光に信じられているなら、他の人は? そして、平池さんは?
もしかしたら、みんなの中で自分はラノベ作家だと定着してしまったのでないだろうか。嘘だと言えない。完全に間違えてしまった。初日から大失態だ。
ここに紗季と大助がいれば、そう考えずにはいられない。二人なら、この事態をうまく収拾できるはずだ。
「えー、明日からの注意事項は一通り喋り終えたから、質問がある生徒は個別で来るように」
担任の浅田が声を上げる。と、同時に二時間目の終了を告げるチャイムが響いた。
「今年は少し個性的な生徒が多かったが……、高校の雰囲気は少しでもわかったか? このクラスはこれから一年間の学び舎となり、クラスメイトは一年間の仲間となる。だから仲間との関係を開始早々で拗らせるなよ」
浅田が一人一人の顔を舐めるように眺めた。
「では、今日は少し早いがこれで終わりとする、起立」
その声に周りの生徒が立ち上がる。将純も慌て立ち上がった。
「気を付け、礼」
「「「さようなら」」」
見事に声がハモった。
高校生活初の放課後が始まるとともに、クラスメイトの多くは鞄も持たずに移動する。同じ趣味を持つ生徒の元へ向かう為だ。
希光はその話しかけやすい性格のためか、既に数名の生徒に囲まれていた。
けれど、将純は他の生徒と話すつもりはない。
机の横に掛けていた鞄を手に取り、そそくさ教室から出た。
趣味も特技もないのに、どうやって話せばいいのか。そもそも、ラノベ作家と言ったのも嘘であるし、話しかけてくるような物好きはいないだろうと思っていた。今のところ、友達は大助と紗季だけでいい。そう思っていた。
だから、本当に驚いた。
「ねえ、君」
だから、校門で彼女から話しかけられたときは、本当に驚いた。
振り向くと、吸い込まれそうな黒い目とぶつかった。
「お、俺?」
小さく頷かれる。
「君は本当にラノベ作家なの?」
小さな目で見つめられる。それだけで、動揺してしまう。
「プロじゃないけど、一応」
「それなら、小説が書けるのね」
「まあ、少しは」
「じゃあ、今日わたしの家に来て」
「……は?」
「大丈夫よ、親はいないから」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。想像外の事に思考が停止する。
「あ、そっか、名前がわからないのね。わたしは平池彩華」
名前は最初からばっちりと記憶していた。忘れるはずがない。気になってる問題はそっちじゃない。
「……いやいやいや、ちょっと待て。待ってくれ」
「どうしたの?」
「いや、どうしたの、じゃねえよ! 何で俺が平池さんの家に行くんだよ!?」
そのかわいらしいしぐさに心臓が高鳴っているが、残った理性でつっこみをする。
頭の片隅に、大助の「性格は、ちょっと難ありみたいだが……」という言葉がチラついた。
そのまっすぐな視線の先には、将純の瞳がある。
「テンプレートだよ」
やけにはっきりとした物言いだ。
「は?」
「普通あるでしょ、テンプレート。言い換えたら王道パターンってやつ。出会ったばかりの美少女の家に招待されるとか」
「そんなラノベのような展開はねえよ! 現実を見ろ、現実を」
「これが現実じゃない可能性もあるよ。たとえば君、この世界が誰かの書いたラノベの中だって可能性もある」
「…………。確かに、そうか」
「だから、これも作者の意向だよ」
「はあ、そっか。……そう言うことか」
「そう、だから君は大人しく家に来ればいいの」
「うんうん、わかった。って、そんなわけあるか!」
「聞き分けの悪い人は、ダメよ」
「何!? 俺が悪いの!?」
理不尽だ。絶対に今のは俺が被害者だ。それを彩華がさも当然のように話しているから、とにかく調子が狂う。
「ずっとパートナーを探していたの」
「……パートナーってあれか? あのパートナーか?」
「そのパートナーよ」
「どれだよ!」
「そして、君に出会った」
「流すな、おい!」
「君がわたしの家に来なければ、明日はもう来ないよ」
「いやいやいや、来るから。怖いこと言うなよ」
「大丈夫、準備は出来てるから」
「……あのさ、言葉のドッジボールって知ってる?」
「キャッチボールよ」
「…………」
将純が黙ると、彩華がきょとんとした表情で首を傾げた。
まったくと言っていいほど、将純の中の常識が通用しない。
だが、知り合いにいる宇宙人の存在のおかげで、こんな程度の会話では頭の血管が切れる事はない。しかし、将純も年頃の男子だ。
「……それで? わたしの家に来るのか、来たいのか」
「選択肢になってねえよ!」
「そんなに、来たいのね」
「まだ何も言ってないし」
とは言っても、もの凄く行ってみたいのは事実だった。
ただ、少なからず残っている理性が、将純を引き留めているにすぎない。
「そんなに来たいのなら、素直に言えばいいのに」
「俺は何も言ってないぞ!」
声を荒げる。平常心を保てなかった。
「もしかして、いや、なの?」
「いいや、すげぇ行きたい」
と、落ち込んだ様子の彩華に答える。演技にも見えるが、落ち込んだ顔は嫌だった。
すると、彩華は頬を赤らめて
「良かった、この頃は一人で寂しいんだ」
と一億点の可愛さで微笑んだ。その反撃は考えてなかった。
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