第2話 赤城紗季

 タッタッタ、と規則正しい足音を響かせながら来るのは、ちょうど話題に挙がっていた紗季である。


 長い手足と、対照的に短い髪の毛。活発であり健康的な体は、『新人類』の二つ名が作り物に見えるように柔らかそうだ。つりあがった目元は悪魔的な印象を与え、しかしその優美さはさながら天使のようでもある。


 生徒たちの楽しげな笑い声で満たされた通学路の中心を、オリンピック選手のような速度で走って来た。

 紗季は、大げさに振られている大助の手を目ざとく見つけると、走る速度を落として立ち止まった。


「久しぶり、紗季」

「うん、昨日ぶりだね、大助くん。私がいなくて寂しかった?」

「いや、そうでもない」

「じゃあ、とてもとても寂しかったの!?」

「ああ、夜しか眠れないほど寂しかった」

「私もそうだよ! これで晴れて相思相愛だね! 結婚しよう、今すぐに! 判子は忘れてない? 役所に婚姻届けを出しに行くよ!」

「そんなに急がなくても、あと二年もすれば結婚するだろ」

「うん」


 そんな大助と夫婦漫才のような挨拶を交わした紗季は、獲物を見つけた猛獣のように目を光らせる無駄な演出をしながら、将純を見た。


 突然、背中に悪寒が走り抜けて、思わず後退りをしていた。

 しかし次の瞬間、将純の視界がブレた。何が起きたのか、まったくわからなかった。遅れて激痛が頭から全身に駆け廻る。体が直ぐに熱くなる。

 思わず頭を本当の意味で抱える。


「三日ぶりだね、永咲くん!」


 急な激痛に悶えていると、紗季が耳のつんざくような元気いっぱいの声で肩に触れてきた。

 確かに、大助が言っていた通り、こいつは将純にとっては本当の好敵手に違いない。

 奇妙、不思議、怪異、異常、数奇、災害、こいつはそんな言葉がこれ以上なく似合っている常識を超えている、まさしく宇宙人的な存在だ。


「道端にうずくまって、どうしたの? 百万円でも落ちてた? もし落ちていたなら、私が八割で、永咲くんが二割ね」

「…………」

「無視はダメだよ! いけない子だな~、お母さんに習わなかったのかな? 世界でやってはいけないことベスト3は、人を殺すこと、人を殺すこと、人を殺すこと、人を無視することだよ!」

「せめて三個にしろ、三個に!」

「しょうがないんだも~ん。あ~、永咲くんが冷たいな~」

「そんなことより! 出会い頭に、人の頭を叩くな!」

「……永咲くんが相手でも、だめ?」

「俺も人だ! そんな事は彼氏にしろ!」

「そんなの無理だよ~、大助くんは私の彼氏だから優しく扱わないと」

「理不尽だ!」


 扱いの違いに、思わずしゃがんだまま声を荒げる。傍から見たら、地面に話し掛けている変人だ。


「だって、永咲くんがシフォンケーキだったんだもん」

「……あの、日本語喋ってください」


 そう言いながら見上げると、大助の彼女であり我が世界最高峰の好敵手、赤城紗季が両手を腰に当てて仁王立ちしていた。


 身長は将純と同じぐらいであり女子としては少し長身、そして仕草は一つ一つが優美で大人びている。しかしその可憐な容体と唇の透くような薄さなどが子供っぽさを残していた。黙っていると普段はクールに見えるが、笑うと急に人懐っこさが滲み出て、それだけで何も知らない人は恋に落ちてしまうだろう。

 簡単に言えば、歩くだけで花の道ができるような美少女だった。


 しかし、その美貌に騙されてはいけない。こいつの性格を一番表しているのは、その光が透き通るような白いショートヘア。天然ではない。人工的に造られた白さだ。

 半年前、こいつは『実験』という名目で、大量のオキシドールを自分の髪へ掛けた結果、一瞬にして脱色してしまったのだ。体にはあまり主立った被害は無かったらしいが、医者曰くもう髪の毛に色が戻る事はないらしい。

 つまり、目の前に立つ紗季は『思い立ったが吉日』を信条としている、ただの後先考えない変人である。友達の二階の部屋へ、壁を登って窓から侵入するやつなのだ。


「シフォンケーキだよ、あのシフォンケーキ!」

「どれだよ!」


 ほとんど叫ぶように、突っ込む。が、そんな事は意に介さず、紗季は平然としている。


「ふ~ん、マサには紗季の言っている事がわからないんだ」

「お前にはわかるのかよ」

「もちろん。きっとマサの元気がないって言いたいのだろうね」


 そう言いながら差し出された大助の手に掴まり、立ち上がる。もう痛みは引いていた。

 宇宙人の考えを理解するのは無駄だと思うが、ニヤニヤと薄気味悪く笑っている大助に聞く。


「何で『シフォンケーキ』と『元気のない』が同義語なんだよ」

「そうだね、シフォンケーキだろ? つまり資本景気で、言い換えれば不景気だろ? いやぁ、彼女の思考回路を説明するのは、恥ずかしいね」

「お、おう」


 勝手にやっとれ、という言葉を飲み込む。


「……で、何で不景気なんだよ? 好景気かもしれんじゃないのか?」

「そこは、英文のように気分で意訳だよ。簡単だろ?」

「いや、全然」

「大助くんはわかってるじゃん! さすが私の旦那様ね!」


 意味不明な事を叫びながら紗季は両手を広げて、大助に飛びついた。見ればその頬は赤く染まっている。


「ちょ、離れて紗季! 人が見てる、人が見てるから!」

「ぜひ抱きつかれた感触を教えてくれ」

「マサはそんなことを言ってないで、僕を助けてくれ!」

「リア充、爆発しろ」

「本音が聞こえているよ!?」


 抱きつかれている大助は、何とか腕の中から脱出しようと必死に足掻いている。だが、功をなしていないようだ。

 理由は至極簡単で、とにかく紗季の腕力が強すぎるのだ。


 多くの全国大会で受賞している紗季は、かなりの力を持っている。スリーサイズは上から順に78・66・85というモデル体型で、そのふくよかな体のどこにそんな筋肉があるんだ、と突っ込みたいのも山々だが、紗季は武道の達人だ。


 しかし、紗季はその性格もあってか、後先考えずに気分で他人を投げ飛ばす危険人物である。まるで、全ての栄養素が筋肉だけにつぎ込まれた肉食動物だ。警戒しておかないと、近くにいればいとも簡単に投げ飛ばされる。さっきだって、出会ってすぐに将純の頭へ拳を振り下ろしたくらいだ。


 だから中学校時代は教師陣が作成したレッドリストに載ったと噂されたり、将純と大助はめっぽう危険探知と受け身と反撃の能力が向上したりもした。

 今では紗季のお陰で、ナイフを持った素人相手なら撃退できる自信がある。平和に過ごしたい将純には、いらない能力だが。


「痛い痛い痛い、ちょ、痛いから! 助けて、マサ!」

「頑張れ、お前ならできる。自分を信じろ。俺はここで応援しているから」

「見捨てるのか!?」

「でもさ、竹見なら余裕で抜け出して来れるよな」

「彼女に乱暴はしたくないんだ!」

「……ご愁傷様で」

「見捨てるな! マサは僕の親友だろ!?」

「俺たちは仇敵なんだろ」

「ひっど!!」


 数歩離れた距離でも、大助の骨がミシミシと鳴る音が聞こえてくる。が、放っておいても死にはしないので、聞えないふりをする。流石に、窒息死はないだろう、たぶん。


「で、永咲くんは五年前のことを根に持ってるんだ」


 紗季が大助を抱きしめながら話しかけてきた。その荒い息から大助は限界に近そうだが、まだ開放する気はないみたいだ。


「五年前?」

「私たちが初めて会った日よ」

「…………ああ」


 思い出した。

 五年前。将純が親の都合で他の小学校に転校したあの日にも、思い出すだけで憂鬱な自己紹介があった。


 当時の将純は内気な性格だった。今でこそ宇宙人のような紗季に連れまわされているが、あの時は本当に内気だった。人並みにはゲームも漫画もラノベも好きだったが、元々飽きっぽい性格であったので、自から言えるような趣味は何もなかった。

 だから知っている友人のいない転校先の小学校で行われた自己紹介で、将純は何を言えばいいのかわからなくなり、


「五六(ふのぼり)第二小学校から転校してきた永咲将純です。好きな漫画はワンピースとナルトで、好きなアニメはドラゴンボールです。よろしくお願いします」


 と咄嗟に言って友達ができたのはいいものの、あまり興味がないのを知られて、仲の良かったクラスメイトは全員離れていった。

 しかし、その時孤立していた将純に話し掛けてきた、変り者が約二名いた。もちろん、大助と紗季だ。

 二人だけは孤立した将純と一緒に遊んでくれて、時には投げ飛ばされたりもしたけれど、孤独を感じさせる事はなかった。

 とはいっても、あの自己紹介がトラウマとなり、今でも根を引いているのも事実だ。本当は今日だけでも休みたかったが、親父に家から追い出されたのだ。


「あの時の永咲くんは小さくて可愛かったのにね、こんなにも成長してしまって」

「誰目線だよ!」

「お母さん? 幼馴染み? やっぱり、妹かな。それとも私がいい?」

「何の話だ、おい!」

「永咲くんはもっと青春を謳歌しないと」

「話の流れが読めないぞ」

「世界はもっと楽しいことで満ち溢れているんだよ、永咲くん! さあ、明日の朝まで愛という世界の真理を語りつくそう!」

「…………」


 この人間の形をした未確認生物と会話するのは、ただ気力と時間を奪われるだけだ。まだ宇宙人と言ってくれた方が、素直に信じられる。


「僕が思うに……、マサは効率が良すぎるんだよ」


 何とか紗季の腕から這い出ていた大助が、肩で荒い息をしながら将純をじっと覗き込んで来た。

 疲れ切ってはいるが、その顔はいつになく真剣だ。


「……効率?」

「んじゃさ、例えばマサはあまり友達がいないだろ?」

「その最後の二人に、さっき仇敵と言われて絶交されたんだけど」

「それはごめん、……そうじゃなくて、マサは心の奥底できっと人との関係が無駄だと考えているんだよ」

「そうだな。この害獣は世界にとって無駄だとよく考えているよ」


 通行人の多い道の真ん中で飛び跳ねている紗季を顎でしゃくる。スカートが風で煽られて、危険なほど際どい。男子の目線が紗季に集まっていた。


「……だから友達も少ないし、恋人もいない、そもそも作ろうとも考えていない。部活に入ろうと考えたこともないし、何かを成し遂げたこともない。とにかく、マサは無駄な事が嫌いなんだ」

「そんな事はないぞ。もしかして、俺をめんどくさがりな人間だと思ってるんか?」

「いいや、そんなまさか。僕が言いたいのは、ただ一つ。マサは傍から見れば『青』を知らない人間なんだよ」

「青?」

「ダメだな~、永咲くんは。『青』は青春の事に決まってるじゃない!」


 そんな事をのたまいながら、紗季が両腕を広げてきた。これは大助が掴まった拘束突進の予備動作だ。

 何度も経験している将純は一歩下がって迫りくる両手の拘束を避け、紗季の左手首を掴む。体を反転し、そのまま紗季の重心を背中で押し崩す。


「うぎゃ!」


 直後、紗季の体が宙を舞うと同時に、なぜか周囲の男子数名が口笛を吹いた。

 紗季直伝の護衛術『一本背負い』だ。ありもしない強盗対策として教え込まれたが、最近は紗季の攻撃対策になってしまっている技だ。

 すぐに紗季の体が将純の上空を経由して、ゆっくりと逆さに落ちていく。背中側から硬い地面へ叩きつけられる寸前、そこにあったはずの紗季の体が煙のように消え、将純の視界には迫りくる地面が映っていた。何が起きたのか、少しもわからなかった。


「あだっ!」


 受け身を取る間もなく、将純は鈍い音を響かせながら地面に激突した。意識が白く白く染まり、冗談にならない激痛が筋肉という筋肉を痙攣させる。内臓が衝撃にびっくりしたようで、内側から張り裂けそうな奇妙な感覚がした。

 きっと足を払われたのだろう。残像も見えなかった。


「甘いぞ、甘いぞ。永咲くんが武道マスターである私を投げ飛ばそうなどとは、一万年早いのよ~ん」

「……恐れ入ります」


 これ以上追撃を貰えば三途の河を渡ってしまう自信があるので、燃えるような痛みのする頭を押さえながら謝る。武道マスターなんて称号は、知らなかったが、今はどうでもいい。


「でね、そんなことよりも、青春よ青春!」

「……何も言わないと思ったら、大間違いだ! いつもいつも人を攻撃しやがって! 今すぐ謝れ、俺に! 嫌なら勝負しろ! 俺と同じ痛みを味わえよ、このやろう!」

「武道マスターの私に喧嘩を売るのか!? ならば、受けて立とうじゃないか」

「今日こそは、俺が勝ってみせるからな」

「ふはははは、全勝無敗の私に勝つだと? 馬鹿らしい。せめてもの慈悲で勝負内容を決めさせてやろう! ポーカー? チェス? それとも三人の血で血を洗う大戦争?」


 そんなやり取りをしていたら、大助が一人薄気味悪い笑みを浮かべた。


「そんなことはどうでもいいけど、マサは行かなくていいのか?」

「……行くって、どこに?」

「入学式だろ。もうこんな時間だし、間に合わないかもよ」

「……へ?」


 辺りを見渡す。すると、学校へ向かっていた新一年生で溢れかえっていたはずの歩道は、誰の影もなく閑散としている。


「どうやら、僕たちが一番最後だね」


 焦って腕時計に視線を落とす。針が指している時間は始業式の始まる八時三十分直前。


「だろ?」

「ちょ、お前ら急げ! 入学式に間に合わないぞ!」

「もう無理だろ。諦めろ、マサ」

「いやいや、初日から遅刻はやばいって!」

「私たちは最初からサボるつもりだったし。だって、始業式なんて時間の無駄なんだもん」

「もういい!」


 二人に関わっていると、頭がおかしくなりそうだ。と言うよりかは、逆に将純の頭がおかしいのでないか、とさえ感じてくる。そんなはずはない。

 せめてもの意趣返しとして、背中側から「今日は一緒に帰ろうよ、永咲くん!」と聞こえてきた紗季の声を、全力で無視したのだった。

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