第1話 竹見大助
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一日二話更新です。
宜しくお願いします。
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ひらひらと、ひらひらと。
その色を除けば雪のようにも見える桜の花びらが、紺色のブレザーを着た生徒たちの間で舞い踊っている。
空は真っ青に澄み渡っていて、陽光は今日と言う日を祝福するかのように優しく照らしていた。
「……憂鬱だな」
目を細めて、遠くの校舎を眺める。純白の肌は青空によるペンキで染まっていた。
「……はあ、憂鬱だ」
その口から漏れ出た力のない声は、雑踏の音へ溶け消えていく。
「いや、そもそも高校生活に期待はしてないからいいけど……」
そう言いながらも、
高校生活初日の四月七日、月曜日。午前七時五十分。
桜の花が積もっているこの道は、最寄駅から菜ノ花高校へ向かう通学路である。
駅の周囲には飲食店や銀行が立ち並び、道幅も広くてランニングに最適。
等間隔に植えられている街路樹は、春になると入学生を祝福する美しい桜。
その通学路を歩いている学生たちは、今日から菜ノ花高校に入学する生徒たちだ。中には将純のクラスメイトもいるかもしれない。
しかし、『これからバラ色の高校生活が始まるのだ!』と将純は考えていなかった。どちらかと言えば、灰色の生活が待っている事だろう。
なぜなら、将純が入学する菜ノ花高校は普通の高校と少し特色が違う。
それは、この高校は教育方針として、学業かスポーツの集中指導をモットーに掲げていることだ。
簡単に言えば、生徒がスポーツか学業かを選択し、それに労力を一極集中させられる学校である。聞こえはいいが、そのどちらかしか選べない、つまり学業を選択すれば部活に入れないような時代遅れの学校なのである。
さらに、受けさせられるテストは一年で二十回以上もあり、そのペースについてこれなくて転校する生徒は全体の二割を超えるらしい。
何せ、塾の講師たちは菜ノ花高校だけは絶対に薦めないぐらいに、とにかく不名誉な学校らしい。
だがどうした事か、その高校に将純が入学しようとしている。将純がわざわざ自宅から離れたこの高校を選んだのは、男友達が非常にここを勧めたからだ。
そして、そのせいで校舎の敷地内に足を踏み入れた瞬間、待っているのは卒業するまで数々のテストに追われる未来。その男友達を憎むのは当然だろう。
しかし、気を重くしている本当の理由は、そんな後々の問題ではない。
今からでも胸に穴が開いたような感覚が押し寄せ、思わず口から溜め息が漏れ出る。
「よう、相変わらずの仏頂面だな」
俯いて歩いていると、話しかけてきた人物がいた。
視線を上げると、見知った顔がすぐそこにあった。
茶色のやわらかそうな髪の毛。先の見通せない灰色の目に、知的な印象を魅せるデザインのメガネ。どこかの芸能事務所に在籍していそうなほど整ったイケメンだが、顔には何を考えているかわからないようなニヤニヤとした笑みを貼り付けている。ただ、親友の将純でも嫉妬してしまうほど、文句なしでカッコいい。
名前は
彼女持ちだが、中学校時代には隠れファンが続出した経歴を持つ新一年生。その顔はいかにもリア充っぷりを見せつけられて、眩しい。
「……はぁ」
「相変わらずの不景気だな。そんな様子だと、彼女なんか逃げるぞ」
「お前と違って逃げてくれる彼女は、初めからいないんだが」
そう言うと、イラつくほど爽やかに大助は笑った。
「まじか、初耳学に認定されるぞ」
「はあ……」
「おいおい、いつもの元気はどうした?」
「……竹見のイケメン顔にイラついてた」
「心外だな」
大助は初見でも演技だと見破れるような、落ち込んだ顔を浮かべた。
「んじゃさ、マサ。俺が誰だったら嬉しいわけ?」
「飛びっ切りの美少女」
「即答だな」
「当たり前だろ。誰も朝からイケメン顔を見たいとは思ってない」
「ん~、確かにそうだよな」
ほとんど適当に答えたのだったが、大助は慰めるかのように肩を叩いてきた。
「でもさ、そんな都合よく野良の美少女がいるわけないだろ?」
「……野良の美少女ってなんだよ」
「野良猫のようにマサに懐いてくれる美少女」
「んなのいるかよ。竹見じゃあるまいし」
「なんかさ、ちょっと元気ないよね」
「……今日もまた竹見の相手をしなくては、と思ってな」
そう言うと、大助は殊更ショックを受けたように、後退った。
どうにも、演技臭い。
「……本当か? 本当にそう思っているのか!?」
「大マジだ」
「本当の本当なのか?」
「大マジの大マジだ」
大助は無言で頷き、真剣な顔へと一転させた。
「で、実際の所はどうなんだ? そんな理由じゃないだろ?」
「…………」
「まあ、あのマサの事だ。どうせ自己紹介の時間に緊張しているんだろ?」
「……ご名答」
大助の見事な推理に肩をすくめてやる。
『高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活、と形容の呼応関係は成立している』と、何かの本で読んだ事がある。
つまり、この理論に従えば、将純にはどうやらバラ色の人生が確約されているはずだ。
ただ、それは普通の人に限った話だ。一般人なら高校生活と聞いて、きれいな校舎においしい学食、新たな仲間、出会いの場となる部活、そしてバラ色の青春舞台だと憧れたり懐かしがったりするのだろう。
けれども、将純は趣味も嫌いな事もない。今までやり遂げた事や打ち込んだ事もなく、流されるがままに生きてきた将純には、どれも無縁なものだ。
将純の目標は一点に尽きる。それは東大に進学する事でもなく、彼女を作る事でもなく、『普通の生活を送る』それだけだ。
言い換えれば、変化のない平凡な一日を過ごしたいだけだ。
ただ、今日から将純を取りまく環境が変わる。新しいクラスメイトができる。
だから、趣味を持ち合わせていない将純が話題性に欠け、孤立するだろう事は考えるまでもない。
そう話すと、大助は両手を頭の後ろで組んで、いけしゃあしゃあと笑った。
「そこまで悲観的になる必要はないと思うな」
大助が得意げな顔をした。
「……?」
「マサに友達がいなくとも、僕と
「そうだな……うん? 俺に友達がいなくともって、竹見は俺の友達じゃないのか?」
思わず聞き返した。
彼が口にした
そのため、大助が友達でないと言ったのが、驚いた。
「友だち、ではないね。マサには僕たちの関係性がわかるか?」
「さあな」
ニヤッと口元を上げた大助に、ほとんど投げやりで言葉を返す。
こいつがこんな顔をしている時は、だいたい何かを企んでいる時だ。小学校からの長い付き合いの間で、それくらいはわかるようにはなっている。しかし、その笑みの裏側に何が隠れているのかは未だに予測できない。
「つまり、マサは僕にとって友達と言う安直な言葉で表せれる存在でなく……」
「でなく?」
「好敵手であり、仇敵なんだよ!」
笑みを深くさせた大助は、どうやら敵だったらしい。
だが、一体どこまでが本気なのか。
首に回してきた大助の腕を振り払う。
「じゃあ、こっちに近づくなよ。我が好敵手」
「そんなまさか。僕がマサの傍から離れると思うか?」
「発言がキモいぞ」
「心外だね。僕ほどマサを愛している人は、世界中探してもいないよ」
「……紗季に聞かれたら、怒られるぞ」
「まあまあ、それほどに僕がマサを愛してるってことさ」
「人生初の告白が、男子からだとは思ってなかった」
それに反応して、大助が平然とした態度で投げキスを放ってきた。直線上に手のひらを掲げて、すぐさまガードする。
そんな様子を面白そうに、大助はけらけらと笑った。
「……ところでさ」
「ん?」
「急なんだけど、この高校に有名な漫画家が入学するみたいだぜ」
「……本当に急だな!」
「いや、マサが出会いに悩んでいるようだったからね」
「どこの女子高生だよ!」
「で、めちゃくちゃ可愛い女の子らしい」
「……それ、嘘だよな?」
にっと大助が笑った。さわやかな笑顔が眩しい。
「おいおい、マサ。この僕が嘘の話を言うと思うのか?」
「…………いいや」
悔しくも首を振る。
この竹見大助と言う男は、どこで情報を手に入れるのか、中学校時代は『情報屋』として知られていた。
音楽だろうがスポーツの事だろうが、映画に金融に世界情勢。何かを聞いたら、立て札に水のように情報を教えてくれる。その知識は一般人が決して知りえない範囲まで網羅されていて、人間かどうか疑う程だ。
ちなみに本人いわく、知識の幅はそれだけでなく、クラスメイト全員の住所や電話番号、水面下での恋愛事情、挙句の果てにはスリーサイズまで知っているらしい。もはや呆れを通り越して、気持ち悪い。女子には『イケメンだから許す』と言われていた。
ただ、その情報力は必ずしもテストの点には直結しないらしいが……
そう考えると、今回の漫画家どうこうも本当で、どこかで情報を仕入れてきたのだろうか。いくら考えても、謎ばかりだ。
「で、なんと! その漫画家の名前は!」
「……名前は?」
「なんと!」
「もったいぶらずに、さっさと言えよ!」
「つれないね。まあ、どうやら神田先生らしいぞ」
大助から出てきたのは、想像もしていない意外な名前だった。漫画に疎い将純でも流石に知っている。
「……あの『殺し屋メイド』のか?」
「ああ、マサが好きな漫画だよ」
「……それって、本当か?」
赤信号で立ち止まって大助を睨む。
「怖いな。疑いの目をしていると、カッコいい顔が台無しになるぞ」
「…………」
「だから、嘘じゃないって」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みだが、嘘はついてなさそうに見える。
大助の言っている漫画家の
星の数ほどある漫画の中でも、かなり発行部数が多い漫画である。
書店に行けば普通に店頭に並んでいて、誰でも買う事が出来る。
そして『殺し屋メイド』は二年前に突如として現れた新人漫画家『神田雪』先生が初めて世に出した作品であり、一年の時を経ても連載されている人気シリーズだ。
この作品は週刊少年誌『ステップ』で連載されている。週刊『ステップ』は日本で一番有名な少年誌と呼ばれていて、ここからアニメ化された作品は数知れない。
神田先生の『殺し屋メイド』もその一つだ。僅か二年も経たずにアニメ化されて、現在進行形で第一シーズンが放送されている。ここまで早くアニメ化されるのは特例的だとテレビが騒いでいた。
つまり、そこまで面白い漫画なのだ。
いくら大助が言っても、信じがたい。
「……本当の本当か?」
「もちろん」
「まあ、でも、神田先生が同級生ってのは気になるな」
「だろ? 美少女みたいだし、思わず告るなよ」
「ねえよ」
「諦めろ、マサ。彼女はお前に振り向いてくれない」
「だから、ねえよって!」
「自分を偽りたい気持ちは、僕にもわかるよ。でも、仇敵にまで嘘を言う必要はないんだよ。素直に言ったらどうだ? 神田先生が大好きだって」
「顔も知らない相手にねえよ!」
「マサがそう言っても、神田先生にはもう彼氏がいるかもしれない。諦めろ、マサ」
「おい!」
「性格は、ちょっと難ありみたいだが……いい娘だよ」
「お前は父親か!」
「まあ、でも本当にマサの好みな様相みたいだね。一目惚れするかもよ」
「はあ……」
同情したように肩に乗ってきた大助の手を振り払う。
大助は将純の事を、恋愛に飢えている野生動物とでも勘違いしているのではないだろうか。心外だ。
確かに年頃の男子高校生なので『彼女が欲しい』と思ったりもするが、思っているだけで作ろうとは考えていない。そもそも、紗季以外の女子と話した事は、両手の指の数以下かもしれない。
だけれど、逆に彼女がいたとしたら、それはそれで不便ではないか? 今の生活は相手に気を遣う事なんてないし、気楽でいいと思っている。実際に彼女を作るのは、陽気なキャラの人だけでいいのだ。一般人最高。ヒマ人最高。
青信号になり、停まっていた古い車がエンジンを響かせて走り出す。
再び将純は他の生徒の流れに合わせ、大助と並んで歩く。
目の前には、新一年生だろう生徒の背中。その横にも背中。その背中の次も背中。道路の両側には、満開の桜。
将純が最寄り駅から学校へ使う事になった通学路は、多くの横道が集合してくるような場所なので、通学のラッシュ時間には混むらしい。
そのため、早く家を出たので、まだ時間的には余裕がある。
時間を気にせずだらだらと校門へ向かっていると、良い匂いが風に乗って来た。どうやら交差点にあるタコ焼き屋が香りの出元みたいだ。開店準備でもしているのだろうか。
しかし、入学した菜ノ花高校は校則で『登下校時に寄り道をしてはいけない』と決められているので、タコ焼き屋の恩恵を授かる事はないだろう。
だが、大助とその彼女である紗季の二人に限っては、校則というものが通用しない。どうせ、帰りに食べ歩きでもするに違いない。
「そういやさ、紗季はどうしたんだ?」
流れていく人混みに視線を向けたまま、将純は尋ねた。
「俺の彼女はやらんぞ。マサにはまだ早い」
いつも微笑を浮かべている顔からは、本気なのか冗談なのか読み取れない。
だから、その言葉は軽く聞き流しておいた。
「……今日は一緒に来るんじゃなかったのか?」
「あ、そういうことか」
「ん?」
「いや、てっきりマサが仇敵の彼女に惚れてしまったのかと思ってね」
「おい」
立ち止まった大助に小突く。
「嘘だよ。まあ、紗季は剣道の朝練があるからね。早朝に起きて竹刀を振っていたよ」
「そりゃ、しんどいな」
「何せ、来月には全国大会だしね」
紗季が早朝から自宅の庭で素振りしているのは、容易に想像できる。
それは、紗季がスポーツ全般の才能を持っているからだ。スポーツの神様に好かれているのではないかと疑う程に能力を持って、彼女の部屋には数々の受賞したトロフィーが飾られている。
恐らく、スポーツをやっている人物なら、全員といかなくても八割の人物は知っているのではなかろうか。それぐらいに有名だ。
「小学三年生の時にジュニア剣道全国大会で優勝をきっかけに、スポーツの才能が頭角を現す。その後、剣道だけでなく他競技の全国大会でも好成績を収め、一躍有名になりましたってか」
そう、紗季の才能は剣道だけに留まらなかった。
柔道、剣道、合気道、弓道にそして空手、現代日本に伝わる主な格闘技の全てにおいて全国大会に出場し、全ての試合でメダルを獲得していた。大会のスケジュールが密集する三月では、彼女の名前がテレビに取り上げられなかった日が無かったほどだ。
そして、中学生にもなるとスケートや体操、マラソンでも大会新記録を次々と更新していく。
その怒涛の活躍に、ドーピング疑惑が浮上したり、中学生にも関わらずオリンピックへ進出するというような噂が絶えなかった。ちなみに、不正はしていなかった。
「彼氏として紗季の活躍が嬉しかったよ。時に彼女の才能を妬んだりもしたけどね」
結局、紗季は『新人類』と揶揄されるほどに才能を発揮した。しかし、一年前、何か心境の変化があったのか、紗季は剣道以外の全てのスポーツを辞めてしまう。剣道にも力を入れなくなり、毎回準優勝止まりになっている。
それは当時の一番のニュースにもなり、日本オリンピック委員会の会長も紗季が才能を捨てたのを残念がっていた。
最終的に、その理由は将純にも教えてくれなかった。大助は知っているのかもしれないが、話をすると必ずはぐらかされてしまう。
「でも、珍しく来月の大会は優勝すると意気込んでいたよ」
「……それは、確かに珍しいな」
「また心境の変化でもあったのかもね……ん? 噂をすれば紗季じゃないか」
ニヤニヤとしている大助の視線を追うと、ちょうど将純と大助が歩いてきた道を紗季が一人で走って来ていたのだった。
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