第五話 記憶
あてがわれた部屋に戻され、ベアトリーチェはつらつらと考える。
自分がもともとは人間だったこと。
聖王に記憶を消されたこと。
そんな経緯があったなんて、知らなかった――。
そんなベアトリーチェに、通信が入った。
『…………』
電波が悪くて、聞き取れない。
傍受、ではなくて妨害しているのだろう。
もうベアトリーチェにうそをつく必要もないから、危険を減らしたいに違いない。
選択肢は、やはりないに等しかった。
精一杯の抵抗として、ベアトリーチェは返事をしないまま、五日を過ごした。
キャシアスはベアトリーチェの気持ちがわかっているのか、急かしはしなかった。
真実の暴露から二週間が経ったとき――ようやくキャシアスが情報を持ってきた。
「最近、天使の攻撃に遭った地域で――君の特徴と年齢をもとに調べてもらった。間違いないと思う。君の本当の名前はアリツィヤ。天使の攻撃を受け、次女以外の家族は全員死んだ。次女アリツィヤの遺体だけが見つからなかったそうだ。隣家の家族に生き残りがいて、教えてくれた」
「アリツィヤ……?」
その名前に、なにかが刺激される。
「姉の名前はクリスティナ。父の名前はマチェ。母の名前はハンナ。どうだ? なにか、思い出し……」
そこまでキャシアスが言ったとき、頭が痛くなってベアトリーチェはうずくまった。
痛い。痛いだけではない。熱い。焼き切れてしまいそうだ。
「いやあああ!」
「ベアトリーチェ!」
「痛いっ、痛い……!」
泣きわめき、ベアトリーチェは暴れた。
(天使は痛みを感じないはずなのに、どうして――)
「私……私は……」
『ベアトリーチェ』
優しい聖王の声が脳内に響く。
その声は割れんばかりに大きくなり、心地いいどころか痛みを引き起こす。
「しっかりしろ!」
ベアトリーチェがふらふらになっていると、キャシアスが支えてくれた。
「私……」
そこで限界が来た。
ベアトリーチェは意識を保っていられず、昏倒した。
誰かが呼んでいる。
「アリツィヤ」
疲れきった顔の、初老の女性。
それと、若い女性。
彼女らが、こちらを振り向いている。
「お父さんは?」
自分の喉から、聞き慣れた声が出る。
「まだ戦っているわ。ほら、アリツィヤ。避難するわよ」
「うん、姉さん」
姉に手を引かれ、母の背を追う。
粗末な家屋を出て、天然の洞窟へと避難しようと歩く。
近くで爆発音がして、アリツィヤは足を止める。
「アリツィヤ! 走って! 天使に見つかるわ!」
今度はもっと近くで爆発があり、その拍子に姉の手が外れる。
煙で視界が閉ざされた。
「――お姉ちゃん――待って!」
アリツィヤが叫んだとき、体を弾丸が貫いた。
血を吐き、うずくまる。
「お姉ちゃん、お母さん、助けて……」
這いずって、助けを求める。
少し煙が薄らぎ、眼前の光景に息を呑む。
姉と母が血を流して倒れており、ふたりとも虚ろな目を見開いていた。
「ひっ……ううう……」
アリツィヤは泣きじゃくって途方に暮れながら、ふたりの
(うそだ。ふたりが死んだなんて)
姉の頬に手でふれたとき、
ベアトリーチェ――アリツィヤはハッと目を覚まして、起き上がる。
近くの椅子に座っていたキャシアスが、こちらを見やる。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃ、ない……。気持ち、悪い……」
「吐くか? 待ってろ」
キャシアスは部屋の片隅にあった桶をベアトリーチェに渡してくれた。
それに吐こうとしたが、吐けなかった。
ベアトリーチェは手で口を押さえる。
しばらく深呼吸をすると、気分がマシになってきた。
「――記憶が戻ったわ」
唐突にそれだけ告げると、キャシアスは「そうか」と端的に返事をした。
眠気とだるさに負けてベアトリーチェは、また横たわり、目を閉じた。
それから、瓶の蓋が開けられたかのように、次々と記憶が戻ってきた。
アリツィヤは両親と姉の四人暮らしで、貧しいながらも必死に生きた少女だった。
アリツィヤが生まれ育ったのは、聖都に屈しない――大陸西部にある――某国の山岳地帯にひっそりとある村。
その
護身用にと、反乱軍から『失われた文明』の武器が供給されていた。それを使って、父は戦いにいった。
(ああ――私、キャシアスに会ったことがあるわ)
思い出した。村に、反乱軍が立ち寄ったのだ。
彼らは万が一のときのためにと武器を支給してくれた。
母はアリツィヤと姉を、彼らから隠した。
「あのひとたちは、天使と戦ってくれているのでしょう? どうして、隠れないといけないの?」
納得いかなくて、アリツィヤは母に問いかけた。
「万が一、見初められたら困るでしょう。あのひとたちは、最前線に行くの。あなたたちは、村の誰かと結婚するのだし。間違いがあったら、困るわ」
母に勝手に決められて、不満がなかったわけではない。
しかし母の言葉は絶対で、逆らおうとは思わなかった。
だから、二階の窓からひっそりと彼らを見た。
天使軍と戦う彼らは、アリツィヤにとって英雄だった。
(……あんなに若いひともいるんだ)
黒髪の少年を見て、感心する。
アリツィヤよりは年上だろうが、それにしても若い。
だのに彼は、大人に交じって最前線で戦っているのだ。素直にすごいと思えた。
彼は視線に気づいたのか、こちらを見上げてきた。
アリツィヤは、すぐに隠れたので――見えなかったのだと思う。
「なにかおもてなしをしたいんですけど、ここは本当にやせた土地で、なにもなくて。なにもあげられなくて、すみませんね」
母の謝る声が聞こえ、
「いいんですよ」
と若者の爽やかな返事が響く。
両親が頭を下げて家に入ったあとも、反乱軍はしばらくその場で話していた。
アリツィヤは好奇心に負けて、また窓からのぞいてしまう。
見られないように、片目だけをのぞかせて。
そうしたら、あの若者がまたこちらを振り仰いだ。
今度は隠れずじっとしていると、彼は笑って丸い缶を投げた。
慌てて、放物線を描いて飛んできたそれを受け止める。
「あげる。おいしいよ」
「――――」
お礼を言い損ねているうちに、彼らはアリツィヤの家の前から去っていってしまう。
アリツィヤは、丸い缶の蓋を開けた。
三つの飴玉が入っていた。
「……ほんと、おいしい」
赤い飴を口に含んで、その甘酸っぱさで幸せな気持ちになる。
甘いものなんてめったに食べられないから、余計に甘さが染みた。
ベアトリーチェが目覚めると、まだキャシアスがいた。
(あなたは昔から、優しいのね……)
泣きたくなって口を押さえていると、気づいたキャシアスが立ち上がった。
「大丈夫か? コリンに検査してもらおうか」
「ううん、大丈夫。あのね、キャシアス」
「うん」
「私、本気の本気で協力するわ。家族のかたきを打つためにも」
ベアトリーチェが真剣に告げると、キャシアスはうなずいた。
「心を決めてくれたか」
「ええ」
「ありがとう。心強いよ」
キャシアスが微笑み、幼さが宿る。
きっと簡単ではない。
しかし、このままではいられない。聖都に与するなんて、もってのほか。
(命を賭けても、聖都を滅ぼす)
決意を胸に、ベアトリーチェ――アリツィヤは拳を握った。
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