編集済
私、@Teturoさんのこういったエッセイも大好きですね(*´艸`*)
何て言うんだろう。一筋縄ではいかないキャラ達に戸惑いながらも何かある事にぶつかっては何かを得ていく@Teturoさん。
またこういった経験を活かして描いているから、リアリティもあれば物語に厚みが出ているんだろうなあ、と思いました。
またお伺いさせて下さい!(≧▽≦)
作者からの返信
マクスウェルの仔猫さん、コメントありがとうございます。
何だかお褒めいただき嬉しいです。でもですね、本人は現地でそんなに余裕がある訳じゃなかったんですよ。
今、振り返って書いているから、こんな感じですが、当時は物凄い感情の渦がグルグル回っていましたよ。
中国での電車旅!同じころでしょうか、わたしも中国(内蒙古自治区)で電車にのっていて、ごみを一袋にまとめて車掌さんに渡したら、窓を開けて外に放り出したのが忘れられません。あと、中国語を話したつもりなのに「NO じゃぱにーず」(日本語話せないよ)って対応されてガッカリしたのもよく覚えてます。Teturoさんの中国語は中国語だって認識されただけでわたしよりも100倍、発音よいのだと思います
作者からの返信
TO BEさん、コメントありがとうございます。
内蒙古自治区なんて行った事ないです。中国語はご存知の通り普通語なんて言ってますが、方言が凄くて通訳の子も分からないことがありました。
モンゴル語と混じって、凄く地方色の強い発音になっていたのではないでしょうか?
すごいなあ。面白すぎます。通訳の日本人後輩君も大好きです。いいキャラですよね。
現在の中国は、だいぶ変化したのでしょうね。
大陸鉄道の旅、続きが楽しみです。
作者からの返信
雨 杜和さん、コメントありがとうございます。
後輩君、有能な人物でした。有能過ぎて、一流商社に転職しちゃいましたけど。
編集済
すごい体験ですね。とても面白いです。それと、リビュー大変ありがとうございました。
私が大学院の間に(80年台初頭)、最初の中国人留学生がやって来始めました。清華大学から来た物理学の院生は、彼のアドバイザーの教授が現在大学の学長だが、彼のリサーチアシスタントとしての給料(年収6000ドルほど)の方が、学長の給料よりも、はるかに高いと言っていました。
もう一人、私の教授のもとで助手になった年寄りの物理学者、西安の教育大学の教授でしたが、大学を出た頃は、ちょうど、文化大革命で、西安あたりの農村の手伝いに送りつけられたそうでした。そこで、豚の餌やりをしていた彼は、農家の子供の教育をしてやると、学校を開いて、豚の世話から逃げ出しました。ある時、西安に帰るために新しくできた上海の空港を使ってみたら(普段は北京経由でした)、空港から鉄道の駅への連絡手段が少なく(まだ鉄道は繋がっていない)、もうバスは翌日まで出ないといわれたそうです。そこで、彼は、持っていた現金で、その辺の人間から自転車を買い、二台にスーツケースを結びつけて、市内にある駅まで辿り着いたのでした。そこで、自転車を売って、長い汽車の旅を経て、西安に辿り着いたとか。この彼は、米国と国交が正常化してからすぐに(70年後半)、中国から米国へ渡ってきた研究者の最初のグループにいたそうです。
作者からの返信
@fumiya57さん、コメントありがとうございます。
凄い! 清華大学ですか! 今、北京大学より人気があるかもですよねぇ。あちらの国の頭の良い人って、人間離れしてますよね。努力もされているとは思うのですが、何か基礎が違う様な気がします。